7月29日 その3
正直な話、ここの神社は狭いわけではないがそう広いものではない。
だというのに何故だろう。
「アイツらどこ行きやがった……」
両手にタコ焼きを携えたまま、通路いっぱいに広がる人の波を見て途方に暮れるしかない。
さっきまで後ろにいたはずの好美と小町の姿はいつの間にかすっかり消え失せ、タコ焼き屋のおっちゃんに話を聞いてもそんなのは見ていないと言う。
「マジですか……」
俺と好美は小町に手を引かれるがまま、とにかく出店という出店を忙しなく巡らされていた。
小町はさっきまで射的だの輪投げだので一人散々盛り上がり、挙句の果てには何を勘違いしているのか「今日はウチの日だから」と祝日でも設立した勢いで俺に全力でタコ焼きをたかりに来たのだった。ちなみにタコ焼きの前にもチョコバナナとフランクフルトを奢らされている。
こうなりゃゲン担ぎも兼ねてのヤケだと、長蛇の列であるタコ焼きの屋台に並んだのが大体十分前。たったの十分なのに我慢も出来ずあいつらはどこをほっつき歩いているのか考えるだけで頭が痛い。
両手が塞がっているのでスマホで連絡をすることもできないし、一旦これを置くためにもまだ人気の少ない本殿か社務所の辺りまで行くしかないだろう。
「とりあえず行ってみるとするかね……」
意を決して人混みに紛れ、本殿を目指す。俺の事情なんか知ったことじゃない人々に揉まれつつもなんとかタコ焼きを死守し本殿の前まで辿り着いたが、やはり近くに好美たちの姿はない。足は踏まれるわ背後からぶつかられるわで、散々な目に合ったというのに現実は非常だ。
少し戻って石段に腰を下ろし、少しだけひしゃげたタコ焼きを傍らに置いてようやく一息。
ほんの数分の事だったというのに昼間の疲れもあり体が重い。
祭りの騒がしさ自体は好きなのだが、いざ実際それの中心に来るとなると話は別だ。
「連絡は……」
額の汗を拭い、スマホを見てみるが連絡は来ていない。どこにいるのかと簡素にラインを送ってみたが、いつまでも既読ががつかないので諦めてスマホをポケットに押し込む。
「いったい何やってんだか」
溜息交じりに愚痴っても、それを聞き届ける相手はいない。
神社の本殿近くは祭りの喧騒から外れ、静謐な雰囲気を保ったままだ。
だから余計に自分の声が寂しいものに感じてしまい、それを誤魔化すように俺は視線を下へと向ける。
石段の下では提灯やランプの光が煌めき、多くの人が擦れ違いあっている。そんなガヤガヤとした祭りの音は届いているものの、上からこうやって眺めていると、透明な壁で隔たれているようにどこか別世界の出来事みたく感じてしまう。
俺の近くで息抜きしている人たちもその隔たりを感じているのか、はたまた祭りの熱気に茹ってしまったのか、俺と同じようにどこか呆けた様子で階下を見下ろしている。
もう一度だけスマホを見るが向こうは何もアクションを起こしていない。
去年ははぐれこそしなかったものの、小町が金魚すくいに熱中していたり、好美がお面選びに時間を費やしていたのも記憶に新しい。さすがに二人とも知らないオッサンにほいほいついていく年齢でもないし、心配し過ぎるのも取り越し苦労か。
「ま、大丈夫かね」
この祭りで問題が起きたなんて話はここ数年一度もないはずだし、気長に待つとしよう。
あの二人の間に流れた不穏な空気は気になるが、もはや今となってはどうしようもない。
人間の体とは現金なもので、そうやって心配事から解放されるとすぐに影響は現れる。
祭りの準備に忙しくて昼食を抜いていたせいだろう、置いているタコ焼きのいい匂いを嗅ぎ付けて俺の腹が大きな音で鳴った。
「冷める前に食うか」
そうやって、俺がタコ焼きのタッパーを開いた瞬間だった。
「何その変な食べ物」
背後から聞こえたそんな声に俺は動きを止めた。
何故自分にかけられた声だと確信したのかは分からない。
けれどその鈴が転がるような声は、確かに俺に向けられたモノなのだと、まるで誘われてでもいるかのように、体は勝手に後ろを振り返っていた。
そこには、白いワンピースを着た小学生ぐらいの女の子が不愛想な顔をして立っていた。
狐の獣還りだろうか、金糸のように細く透ける長い髪が夜風に揺れ、すっかり黒を落とした空とは正反対に眩く存在を主張している。側頭部やや上から生えた耳も、腰骨周辺から生えている尻尾も同様に僅かな光を受けて琥珀のように輝いていた。
石段の下の光量にも負けない煌めきに、俺は目を奪われる。
「……アタシの顔になんかついてる?」
よほど間の抜けた顔をしていたのだろう。女の子は俺を見下ろし、訝しむように目を細めた。我に返り慌てて取り繕ろうとするも、その言葉が出てこない。
「え、いや、そうじゃなくて……」
おどおどと情けない俺を尻目に、女の子は耳をピコピコと動かし、ゆったりとした動作で俺が座っている段まで降りてきた。一段降りる度に尻尾が揺れてさっきとは違った輝きを見せ、その光の残滓に俺はまたしても魅入ってしまう。
「隣いい? 誰かと約束してたりする?」
「い、いや、大丈夫。今は一人だ」
「そ」
律儀に確認してから女の子はとてんという擬音が当てはまりそうな軽さで俺の隣りに座り、声をかけたきっかけであるタコ焼きを興味津々と言った様子で眺めている。
遠慮や気後れなんて一切感じさせないその様子に、俺はただこの子の姿を観察する事しかできなかった。
「ねえ、これなんて名前なの?」
「え? あ、ああ」
俺の態度なんて全く気にした様子も無く、尻尾を忙しなく揺らしながら、女の子は俺が持っているタコ焼きを指さした。
その際にピコピコと動く耳や感情を露わにする尻尾が目に入り、そこに関しては年相応なのだと、俺もようやく落ち着きを取り戻す。
最初は面食らったけどただの子供じゃないか。
「えーと、これはタコ焼きって言うんだ」
「へぇ、タコ焼き……タコ? なんか変なの」
「知らないのか?」
「うん。見た事ない」
俺の質問に返事はしているが、女の子の視線はずっとタコ焼きに注がれたままだ。
心なしか、最初に声をかけてきた時よりも声色が柔らかくなっているように思う。
「これどんな味? 美味しいの?」
「うまいぞ。小麦粉とか出汁で作られた生地の中にタコが入ってて、ソースと青のりと鰹節をかけて食べるんだ」
「へぇー」
瞳の中に星を瞬かせ、女の子は更にタコ焼きへの興味を強くしたようだった。
それにしても、タコ焼きの存在を知らないとはどんな環境で育ってたのだろうか。
まあでも、今まで祭りに来たことがないとかそんなんだろう。祭りに初めて来たってのも珍しいけど、珍しいだけで在り得る話だ。
今こうやって一人で居るのも、初めての祭りで浮かれて両親とはぐれたってのがちょうどいい落とし所か。パッと見低学年ではなさそうだが、初めてのお祭りで家族とはぐれるのは心細いだろう。早い所合流させてやった方がよさそうだ。
「会長さんに連絡した方がいいかな……」
いや、確か受付の近くに迷子センターがあったはずだ。そっちの方がいいだろう。
とりあえずタコ焼きを食べたら移動するか、なんて考えていると、そんな俺の腕にチクリと何かが刺さる感触がした。顔を向けると、女の子が視線は階下に向けたまま、俺の腕に指を突き立てていた。
「どうかしたか?」
「うんとね……」
何か言い辛い事でもあるのか、しばしの間女の子は難しい顔をしていたが、やがて諦めたかのようにその顔のままこちらに向き直り、口を開く。
「……ねえ、これ、タコ焼きなんだけど、もしかして余ってる?」
「……は?」
突然の質問に、間抜けな声を上げてしまう。
女の子も女の子で、なんとか平静を保とうとしているようだが、制御できていない尻尾が埃でも掃いているように左右に振られていた。
「そ、その、余ってるならお腹空いてるし、食べてみたいかなーって」
別に余ってるものの処分なんだからね、と全力でそういう雰囲気を作り出そうとしているが、尻尾が動いている時点で説得力も何もない。
別に数量限定でもなんでもないから、自分で買えばいいと言えばそれで終わりだけど、俺の返事を誘導しようとしている不器用さがおかしくて、俺は彼女が望む答えを返してあげた。
「ああ、冷めちまうから食べてくれ。ちょうど二つあるから二人で分けよう」
わざわざこんな子供に意地悪くする必要はないだろう。俺そう返事をしてパックを一つ差し出すと、女の子は自分から言い出したのにその返事をもらえると思ってなかったのか、ぽかんと口を開けたまま固まっていた。
「どうした? ほら」
「え、だって本当にいいの……?」
俺の声で我に返っても、女の子は何故か受け取ろうとしない。
それに理由はわからないが、何故かその表情には今の状況にそぐわない、変な怯えのようなものが垣間見えた気がした。
「いいって、遠慮すんな。俺一人で二つはさすがに持て余すからさ」
それを見なかった事にして、俺は女の子へとタコ焼きを押し付ける。別に恩を売りたいとかそんな意地の悪い事は考えていない。
考えているとしたら、小町も好美もタコ焼きを買って来いと言いつついなくなったので、なんとなく俺はアイツらに嫌がらせの一つでもしてやりたくなった、ってぐらいか。
女の子はしばらくタコ焼きと俺の間で視線を彷徨わせていたが、しばらくすると俺の言葉に嘘はないと信じたらしく、パックを纏めていた輪ゴムを外した。食欲をそそるソースの香りが周囲に漂い、忘れかけていた食欲が戻ってくる。
「……今更返してって言っても返さないよ?」
「いいから食えって。俺も食うからさ」
もう一つのパックの輪ゴムを外し、何も心配はないと先に一つタコ焼きを口に放り込む。置いている間に少し冷めたタコ焼きは熱すぎず、空腹の体に染み込んでいくようだった。
「あー、うまい。ほらお前も」
「あ、う、うん!」
そうやって俺が勧める否や、女の子はよほど我慢していたのか、耳と尻尾をおっ立ててすぐさまタコ焼きに齧り付いた。ほんの少し熱そうな素振りは見せたが、小さな口いっぱいにタコ焼きを頬張り幸せそうにしている。
「うん、うん……」
俺と同じく相当腹が減っていたのか、一つ、また一つと結構なスピードでタコ焼きは女の子の口の中へと消えていく。美味しそうにタコ焼きを食べる女の子を見ていると自然とこちらの頬も緩んでしまう。少々変な所があるようだが、悪い子ではなさそうだ。
「そういえば名前聞いてなかったな。名前は?」
「モグモグ……。楓。藤林楓。ふはぐっ」
「楓、ね。俺は里中太一。それで楓のお父さんとお母さんは? 家は近い?」
「家は近くないし親は来てない」
「……あ?」
楓はタコ焼きを口に放り込みながら、さらりと大変な事を言ってのける。しかし楓にとってそれは普通なのか、特に気にした様子も無くタコ焼きを頬張り続ける。
「……」
軽く突っ込んでいい話では無さそうだったので、俺もそれに倣うように無言でタコ焼きを口へと運んだ。家も近くない、親も来ていない。あまりまともな家庭環境ではないのだろうか?
いや、こうやって変な推測をするのも止そう。
幸せそうにタコ焼きを食べているのをあえて邪魔する必要もないだろうし、とりあえず頃合いを見て迷子センターに行けば全て解決だ。
そう結論付けて、俺達は再びタコ焼きを食べる行為に没頭した。
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