7月29日 その2

 日中の手伝いを終え、少し休憩してから外に出ると、見慣れた街の様子は一変していた。


 人々の嬌声、子供の泣き声、どこかで聞いた事のある音楽が入り乱れ、夕暮れの街全体が音の渦に包まれていた。それらに耳を傾けながら、祭りの立ち振る舞いを思い出すようにゆっくりと歩いても神社までは十分もかからない。


 俺と同じく神社へ向かう途中なのだろう。浴衣を着た小学生ぐらいの女の子たちがカラコロと下駄を鳴らして人の波を縫うように走り抜けていく。その動きを追うように徐々に視線を上げると、その先に好美と小町の姿があった。


「待たせたな」

「あ、太一。大丈夫だよこのぐらい」


 好美は手を上げて挨拶した俺に気がつくと、鳥居に預けていた体を起こした。

 黄色の布地に朱色の蜻蛉が飛んでいる浴衣と、橙色の帯は好美によく似合っている。


「遅い! 浴衣姿の女の子をこんなに待たせるなんて正気?」


 一方の小町は紫色の布地に白く抜かれた朝顔が、銀色の髪と合わさりよく映えている。尻尾抜き用の穴もあるらしく、毛玉みたいな尻尾が勢いよく左右に振られていた。


「さっきまで準備の手伝いしてたんだからこんぐらい許せ」

「嫌だ! なんか奢ってくれないと許さないんだからね!」

「もう綿あめ買ってんじゃねぇか」


 怒っているのは俺が遅いからか、それとも祭りのすぐ目の前で焦らされたからか、昼間のしおらしさはどこかへ置いてきてしまったらしい。

 いつものように俺をなじる小町の手には女児向けのキャラがプリントされた綿あめの袋が握られている。


「どっかの誰かさんが遅れてくるから、ちょっとフライングしただけじゃない」

「そうかい。あと綿あめってすぐ食わないとしぼむぞ」

「えっマジで!?」


 俺の指摘で焦って綿あめにかぶりつく小町を内心でせせら笑っていると、好美が遠慮がちに俺のシャツの裾を引っ張った。

 俺より頭一つ以上小さい好美はそのまま俺をしゃがませると、辺りの賑わいに埋もれそうな小声で耳打ちしてくる。


「太一は、その、小町の事聞いてる?」


 主語を隠した内容だったが、この聞き方からして小町の告白の事で間違いないだろう。


「ああ、今日の昼にな。上手く行くといいけど」


 特に何かを思ったわけではない。けれどただそうなればいいなと願っただけ。

 だというのに、何故か好美はそこで喉に空気が詰まったような、苦しげな様子で息を飲んだ。


「う、うん。そうだね。上手く行くといいね」


 どこかぎこちないその返事は、同調こそしているものの声色が優れない。

 辺りの喧騒が、遠のいた気がした。


「……調子でも悪いのか? 帯強く締めすぎたとか」

「も、もう! そんなんじゃないよ! ただ……」

「ただ?」


 続きを促したのだが、好美は沈んだ顔のままかぶりを振って答える。


「……ううん、上手く行くといいね。それでいいんだ」


 その時の好美は、何故かとても無理をしているように見えた。それは浴衣と同じ色をした巾着が頼りなく振れたからか、それとも照明に隠れ、伏せた前髪から覗く唇がきつく結ばれたからか。


 それは何故だか、ここに居ることすら遠慮しているような躊躇いの表情に見えて。


「なんでもない、なんでもないよ」

「いやでもお前……」


 心情が読めずに困惑していると、それに気付いて好美は夜に紛れるように儚く笑い、肩口で切り揃えられた髪を左右に揺らした。なんでもない、というのは誰の目にも嘘だった。


「ふぁんふぁふぁひはひふぁってんの、よ」


 いつまでも顔を寄せたままの俺達に、ようやく小町が声をかけてきた。口中に頬張った綿あめのせいで何と言っているかはわからないが、ニュアンスとしてはなにやってんだお前らってところだろうか。


「んで、いつまでもウチを放って何やってんのよ」


 綿あめを飲み込み、改めて小町はそう切り出す。

 普段と何も変わらないその振る舞いから、どうやら好美の様子には気付いていないらしい。


「いや、なんか好美が体調悪いっぽくてさ……」

「え!? そうなの好美!?」

「あ……」


 俺を押しやるようにして近づいた小町は、心配そうに好美の顔を覗き込んだ。好美はそれに対して過剰に反応し、下駄を鳴らして一歩距離を置いた。


「好美?」

「た、太一が心配しすぎなだけだって。その、帯が苦しいとか自分で言えないし」


 小町の呼びかけに、好美は照れくさそうに顔を赤くし、自分の頬をポリポリとかく。しかしそれは普段の好美とはどこか違う、妙に大人びていて本心を隠すような態度に思えた。

 俺の記憶の中にある栗林好美は、蹲って自己嫌悪に陥るであろうから。


「……あ、そうだよね」


 小町もそんな好美の様子を見て何か思い当たる事があったらしい。何と口にしたのかは聞こえなかったが、先程の元気はどこへやら、急に俯いたかと思うと尻尾を丸めてしまう。


「その、ごめん……」


 こちらも普段とは違う様子で、小町は頭こそ下げなかったが、心底申し訳なさそうに好美へと謝罪を口にする。真摯に謝るその態度に、好美は数秒だけ目を伏せてからしょうがないといった様子で優しく笑った。


「なんで小町が謝るの。それに約束忘れたの?」


 好美の口から約束、という単語が出ると小町はハッと顔を上げる。

 その約束とやらにどれだけ意味があるのかは俺には窺い知れない。

 けれど二人の間ではそれで話に決着が着いたようだった。


「今日は小町のための日なんだから、ね? こんなところで私に気を遣ってちゃダメだよ。それよりもっと大事な事があるでしょ?」


 好美は子供に諭すように優しく小町に語りかける。小町はそれに対してニ、三度何かを口にしようとしたが、結局はそれらは形にならず溜息に変わったようだった。


「そう、だね。ごめん」

「だから謝らないでいいって」


 好美は小町の頭へと手を伸ばし、何度かその銀色の髪を梳かすように撫でる。

 照明や夜の闇のせいで濃くなった陰影の中、一瞬だけ好美は何かを憂うように瞳を伏せ、


「……小町、頑張ってね」


 さっきのは目の錯覚だったのでは、と疑ってしまうぐらいに、晴れやかな笑顔で小町を激励するのだった。


「……うん!」


 もしくはそれは本当に俺の錯覚だったのだろう。あまり記憶にない、好美と小町の諍いだったから、動転して現実を見誤ったのかもしれない。


 何が二人の間に通じているのかはわからないけど、俺が聞くのを憚られるぐらいには綺麗に決着がついたようだった。妙な野次馬精神を持つのはやめることにしよう。


 そう俺が結論を出すと、遠のいていた騒がしさや祭りの匂いが戻ってくる。


 客寄せの声、甲高い下駄の鳴る音、どこかで聞いた事のある曲名もわからない歌、それらを全部同時に取り戻して、祭りはもう始まっているのだとようやく実感が沸いてくる。


「よくわかんないけど、決着はついたのか?」

「うん。小町が少しだけ緊張してるみたいだったから」

「あう……」


 いつもとは違い、今日は好美の方が小町よりも上手らしい。

 例の告白とやらにこれがどう関係しているのかはわからないけど、俺に話をしないということはその会話には俺の存在は必要ないのだろう。


 だったら、俺はいつも通りに振る舞うだけだ。


「うし、そんじゃあ遅くなったけどそろそろ行くか」

「よーし! それじゃあまだ時間はあるし遊ぶわよ!」

「ふふっ、小町はそうじゃないとね」

「そうね、ウチはこうじゃなくちゃ! 好美も本当に調子が悪くなった言うのよ!」

「うん、わかってる」


 すっかり調子を取り戻した小町が巾着と尻尾を千切れんばかりに振り回し、二倍騒がしい。


 そんな小町を眺める好美の瞳はすっかりいつものような優しいものに戻っていて、やはりさっきの好美の表情は錯覚だったのだと安心する。


「ほら好美も太一も! なんでぼさっとしてんの!」

「こ、小町いきなり引っ張ったら危ないよ」


 一息つく暇すら与えず、小町は好美の手を取って先に歩き出してしまう。焦らなくても出店は逃げねぇよ、と当たり前の事を言いながら歩み寄ると、小町は何を思ったのか俺の腕を掴み体を絡ませてきた。


 いつの間にか好美の腕にもそうやって絡まっていて、俺たちは小町に引っ張られるがまま鳥居を抜け、石畳の上を光の中へと進んでいく。


「さあ、色々見て回るわよ! 今年こそは金魚を自分の手でゲットするんだからね!」

「わ、わ、力強いよ!」

「おい歩きづれぇぞ離れろ!」

「へーきへーき! 今日はウチのための日なんだから無礼講よ!」

「お前はいっつもそうだろうが! あとお前今日告白すんだから変な事すんな!」

「変な事って何よ!」


 周囲から見て俺達三人は相当注目を集めるものらしく、さっきから周囲の視線が痛い。明らかに奇異の目で見られているのが恥ずかしくなり色んな所に目を泳がせていると、


「……今日はウチのための日、か」


 その中で、誰かがどこか誇らしげにそう呟く声が聞こえた。


 だから俺もそれに対して誰も聞こえないように、


「頑張れよ」


 と、小さく口にしてみた。


 音の渦に回り回って、相手の元に届けばいいなと願いを込めて。

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