7月29日

7月29日 その1

 お祭り当日の朝、不足分の食材が出たとかで俺は急遽近所のスーパーに使いっぱしりをさせられることになった。やはり大人、ひいては会長さんは横暴である。


 旦那さんももう少しあの女豹の舵取りをしてくれると嬉しいのだが、お互いにデレデレなのできっとそれは難しいのだろう。それにあの人はああ見えて敏腕な町内会長として老若男女問わず慕われている。逆らわない方が身のためだ。


「そうだ少年。余った金は持って行っていいぞ。私からのお小遣いだ」


 不満を目で訴える俺に会長さんはそんなありがたいお言葉をかけてくれたのだが、その表情は間違いなく何か含みのあるもので、その意味はスーパーに入ってから走り書きを確認してようやく判明した。


「なんだよこの量……」


 何かの切れっ端に書かれたお買い物メモの内容はとにかく量が多かった。しかも会長さんに握らされた紙幣は二千円札で、一体俺はどんなリアクションを返してあげればいいのだろう。


 今頃クーラーの効いた部屋で俺を笑っているであろう会長さんに恨みを募らせるが、これの爆発はなんとかして神社に戻ってからだ。


「とりあえず買い物済ませちまうか……」


 入口まで戻ってからカートを引いて、メモに書いてある商品を次から次へ籠へと放り込んでいく。しかし到底一つでは収まらず結局籠二つ分の買物となってしまい周囲からの視線が痛い。


 これは俺のせいじゃないんです、キャベツ十玉とか買いに走らせた会長さんが悪いんです、なんて心の叫びは発せられることもなくそのまま細って消えていった。


 というかこのメモの最後にパーティー用花火って書いてあるのが妙に気になる。これは本当に祭りに関係のある買い物なのだろうか。疑ってしまうとこのキャベツの山も自分の家用に数個拝借するつもりなのではないかと根拠のない疑いが湧き出てくる。


 ……まあ、今更なんですけどね。


「花火コーナーは……っと。あったあった」


 自分に染み込んだ奴隷根性を嘆いてばかりいても始まらない。気持ちを切り替えながら夏場だけ作られる花火コーナーを捜し出しカートを滑り込ませる。


 こうなったらショボそうな花火を買っていくことぐらいしか俺の反抗心を示すことはできないと、目についた中で一番安い花火へと手を伸ばす。すると俺が触れそうになったタイミングで、俺の汗ばんだ手の上に細くて白い手が添えられた。


「「あっ」」


 俺達は同時に声を上げ、驚きながらその手の主に視線を移す。しかしその驚きも一瞬で、正体がわかるとすぐお互いに眉根を寄せることになった。


「……なんでアンタがここにいんのよ」


 それもそのはず、添えられた手の正体は小町だったのだ。今日も真夏日だというのに、小町は何故か薄いピンクのカーディガンを羽織っている。


 一瞬だけドラマのようだとドキッとした自分が恥ずかしい。照れ隠しというわけではないが、キャベツが積み上げられたカートに体を預けた。


「俺は祭りの買い出しだ。お前こそこんな暑い日にカーディガンなんか着て何してんだ?」


 花火を買いに来たタイミングで遭遇するのは分かるが、道路から陽炎が昇る暑さの日にわざわざ上着を着ている理由がわからない。小町は俺の指摘に一瞬だけバツの悪そうな顔をしてから、自分の体を抱くようにカーディガンの前を寄せた。


 いくらスーパーが冷房全開で少し肌寒いとは言え、そのためにわざわざ上着を着るのも何か変だし、そもそも小町は暑がりだ。まさか体調でも悪いのだろうか。


「……何って、花火買いに来たのよ。後で好美とやろうと思って。カーディガンはその、新しいの買ったから、着てみたくて」


 少しの間を空けて答え、小町は目当ての花火を手に取りその貧相な胸に抱きかかえた。こっちと目を合わせないところを見ると、あまり深く突っ込まれたくはないらしい。


「そっか。体調悪いとかじゃないならいいんだけど」

「べ、別に体調が悪いとかじゃなくて、本当に着たかっただけだから。新品を」

「はいはい」


 明らかに何か隠しているが、小町が俺にする隠し事なんてよっぽど聞かれたくない事なのだろう。こっちだって十七年一緒に居るんだからそれぐらいの気遣いは出来る。


 なのでとりあえず買い物を済ませてしまおうと花火に手を伸ばしたのだが、そこには何もなく俺の手は空しく宙を切った。どうやら、小町が買った分でこの花火は最後だったらしい。


「……運命ってのは不公平だ」


 色々考えるのも面倒だったので隣にあった一回り大きい詰め合わせを手に取る。どうやら運命までも若者を顎で使う会長さんの味方をしたいらしい。


「何いきなりわけのわからないことを……てかなんなのよこのキャベツの山!」


 俺の独り言に律儀にツッコミを入れながら、小町は話の矛先を変えられるチャンスだと気付いたようだった。過剰なまでのリアクションでキャベツを指さしているので、その上に花火を放って事情を説明する。


「だから買い出しだって。足りなくなったとか言ってたけど詳しい事は知らん」

「買い出し要因なのにずいぶんざっくりしてんのね」

「まあ会長さんだしな。慣れたっちゃあ慣れたけど、さすがにこの量は多すぎる」

「なるほど。まああの人なら頷けるわ。っていうかいい加減夏休み潰すのやめてほしいなぁ」

「だよなぁ。俺だって遊びに誘われたのにさぁ――」


 夏休みを潰された会長さんへの恨みつらみをそれぞれ口にしながら、俺達はレジへと足を進める。その間、俺のと一緒にカートの上に置けばいいものを、小町は大事そうに花火を抱えたままだ。レジに到着して順番を待っている間も、何故か抱えたままで離そうとしない。


「なんでそんな大事そうに抱えてんだ?」

「え? な、なんでもないわよ」


 なんの気なしの質問だったのだが、返事にしろ様子にしろ、やはりいつもの小町じゃない。隠し事が苦手なのは大きくなってからも変わっておらず、まるで説教でもされているかのように大げさに顔を逸らしている。


「なあ、お前本当に大丈夫か? 話したくないならいいけどさ、やっぱ今日変だぞ?」

「……」


 返事がないまま、レジの順番が回ってくる。

 若い店員さんに申し訳なく思いながらも大量のキャベツを精算し、それを袋に詰める。そうやっているとすぐに会計を終えた小町は手伝うでもなく、思い悩んだ表情のまま俺の横でただただじっとその作業を見守っていた。

 その表情から小町の悩んでいる原因にはたどり着けそうもない。それは店を出てからも変わらず、こんな調子の小町を置いてこの場を去るのは憚られた。


「……少し時間いいか?」

「……ん」


 心配をかけている自覚はあるらしく、小町は小さく頷く。

 さっきのお釣りを使って自販機で適当なジュースを買い、セミの合唱がうるさい店の外のベンチに俺達は腰かけた。


「暑いな」

「うん」


 気のない返事に、本当に隣にいるのは小町なのだろうかと心配になってくる。

 小町と言えば常にぎゃいぎゃいと騒ぎ、いつもどこかを駆けまわっているイメージが強く、こんなにしおらしくされるがままの姿を見るのは初めてだ。

 小町はビニールの中にある花火にどんな想いを巡らせているのか、長い睫毛の奥に瞳を隠し、何かを綴るようにその表面を指でなぞっている。


「言いたくないならいいんだけど、その花火なんかあるんだろ?」


 セミの声が渦巻く中で、俺の問いは小町の耳に届いただろうか。

 しばしの間を置いて、小町はパッケージをなぞる指を止めた。


「……これは、願掛けみたいなものよ」


 ようやく口を開いた小町は、何故か自嘲するような笑みを浮かべていた。

 毛艶のいい尻尾も、自信のない心情を表すかのように不安げに揺れている。


「願掛けって、何に?」


 ここまで踏み込む必要はあっただろうかと、口にしてから自分の浅慮さに気付いても遅い。

 薄い笑みから一転、小町の表情は一瞬にして暗いものになる。


「……それは」

「あ、わかった。お前もしかして夏休みの間補習になったんだろ? だからそれが早く終わるようにってそういう――」


 息苦しい空気から逃れようと軽口を叩いたのだが、続く言葉はこちらを見上げる小町の瞳によって封殺された。

 その瞳には有無を言わせぬ迫力と、確固たる意志の強さが見える。


「……小町?」

「ウチね」


 そのまま小町は表情すら変えず、その覚悟を示すようにゆっくりと話し始めた。


「ウチ、今日告白しようと思うの」


 小町の予想だにしない発言に、俺は何も返せない。

 相手はもしかして山郷なのか、とかおめでとう、とか頭にはいくらでも浮かんでくるのに、それが実体を持つことはなく、面食らったままの俺を待たずに小町は続ける。


「このままでもいいかなって思ったんだけど、でもダメだった。やっぱり一番になりたい。ウチだけを見てほしいって思ったの」


 決して目を逸らさず、瞬きすら惜しいとその眼は俺を射抜き続ける。

 それはまるで俺自身に訴えかけるような力強さで、息を飲むことすら躊躇わせた。


「人に迷惑かけちゃったし、正直上手く行くかなんてわかんない。でもきっと今を逃すともうダメだから」


 願掛けだと漏らした時と同じ顔をし、小町は空を見上げる。

 釣られるように視線を移すと、そこには一つの大きな入道雲が空を泳いでいた。


 そこからの無言はほんの数秒の事だっただろうに、嫌でも耳に入ってくる夏特有の虫の声と、近くを通る車の音が俺の思考を散漫にする。


 誰に告白するんだろう。祭りの日にだなんて洒落てるじゃないか。上手く行けばいいな。失敗しても慰めてやるさ。


 そんな散文的な何かは、決して纏まることはなく徐々に薄れて消えていった。


「ま、こんなこと太一に話してもしょうがないか」

「……っ」


 小町がぞっとするほど儚げな表情だったからだろうか、何か何かと焦るばかりで頭は完全に空回っている。

 そんな俺を見て、小町はどこか安心したように小さく息を吐く。


「いいのいいの。別に何か言ってもらおうって思ってるわけじゃないし。誰かにこうやって予め言っておかないと、その時になってビビっちゃうって思ったのよ」


 捲し立てるようにそれだけ言うと、ようやく肩の力が抜けたらしく、小町は大きく伸びをする。大人しく垂れ下がっていた尻尾も同様に大きく左右に揺れ、それを見てさっきまでの息苦しさが無くなっていることにようやく気がついた。


「相手は……クラスのヤツか?」

「内緒。それに太一もお祭り来るなら嫌でもわかるでしょ?」


 相手についてはぐらかす小町の表情は、恋に焦がれる少女そのもので、つい見惚れてしまう。


 小町にもこんな一面があっただなんて、俺は知らなかった。


「あ、ああ。手伝い終わって一息入れてから行くつもりだ」

「よし、それじゃあもしアタシがフラれるような事があったらちゃんと慰めてよね」


 冗談めかして笑ってはいるが、まだ先程の余韻を引きずっているのか、満面の笑みとはいかない。予防線のような物言いも、小町の言葉を借りるなら間違いなく願掛けそのものだった。


「告白する前から失敗前提で話してんじゃねぇよ」

「そう……、そうだね。諦めるには早いよね」


 自らを鼓舞するように小町は拳を握る。どうやら俺の激励も少しは届いたらしい。


「よし! それじゃあウチもそのキャベツ運び手伝ってあげる! こんな美少女が手伝ってあげるんだから感謝しなさいよね!」


 言うが早いか、小町は俺の足元に転がるビニールのうち一番小さいのを手に取り駆け出した。


「おい待てよ小町!」

「遅い遅い! 会長さんに怒られちゃうよ!」

「遅れたのは誰のせいだ!」


 どんどん陽炎の向こう側へ行ってしまう幼馴染の背中を必死に追いかける。


 足を踏み出す度にビニールが食い込み、一か所に重量が集中してとても痛い。騙し騙し位置を変えながらだと軽やかに走る小町との距離は離れていくばかりだ。


「……告白、か」


 揺れる銀色の髪を見ながら、知らずそんな事を口にしていた。

 どこかの誰かから最近、命短し恋せよ乙女なんて言われたような気がする。


「俺じゃなくてアイツに言ってやるべきでしたね……!」


 全身に気合を入れ、地面を蹴って小町の元へと駆け出す。


 その最中、正体も知れない神様ではなく、小町の告白を受ける誰かさんへと願ってみた。


 俺の幼馴染の告白を、笑顔で受け入れてくれますように、と。

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