7月22日 その2

「んじゃ明日からは夏休みだけど、あんまりハメを外しすぎるなよ。以上」


 担任の田中先生は一学期最後を感慨も何もなくそう締めくくり、欠伸を漏らしながら教室から出て行った。するとにわかに教室が騒がしくなり、浮かれた熱気がクラス中を支配する。

 そんなクラスメイト達を俺は自分の席からどこか遠い目で眺めていた。

 理由は簡単、これから待ち受けている祭りの準備のせいだ。


「里中はこれからどっか行くのか? 俺達カラオケ行くけどどうだ?」


 そうやってぼけっとしている俺へ、クラスメイトの山郷が声をかけてくる。きっと教室の中でただ一人笑顔でない俺に気を遣ったのだろう。

 頭部の牛の耳に張りが無い。


「いや……悪い、町内会の祭りの準備とかで呼ばれてるんだ」

「あぁ、そういえば去年もそんな事言ってたな。……千和もか?」


 突然出てきた小町の名前だったが、その理由は言わずもがな。声をかけてきた理由も俺の都合というよりは小町の都合を聞きたかったのだろう。だが悲しい事に、山郷の質問には悲しい現実で返す事しかできないのだ。


「小町も好美も、俺と一緒に狩り出されたよ。あの地域のヤツらは全滅だ」

「そっか……そんじゃあ、仕方ないよな」


 仕方ないとは言いつつも、山郷の表情は明らかに落ち込んでいる。

 こいつはどんな趣味をしているのか、どうやら小町の事が気になっているらしい。

 人の趣味に関してとやかく言うつもりはないが、よりにもよって小町とは……。


「ま、まあ夏休みは長いし、予定合う時も来るって。連絡先は知ってんだろ?」

「あ、ああ。そうだよな。まだ夏休みは始まったばっかりだもんな。あんがとな里中。んじゃまたなんかあったら声かけるわ」

「おう。んじゃな」


 切り替えが早いのか、山郷は俺の一言ですっかり持ち直したらしく、軽い挨拶を交わして他の連中と一緒に教室を出て行く時には笑顔さえ浮かべていた。


 そんなクラスメイト達を見ていると、なんだか妙にやるせない気分になってくる。今日の仕事はメンツの顔見せと軽い掃除だけだろうが、毎日何かしら理由をつけては呼び出され、当日になったら焼き鳥の串打ちや設営等で一日潰れるのが目に見えている。


「俺も行きたかったなカラオケ……」

「でさ、好美も海行こうよ! アイツも誘ってさ! いいじゃん!」


 惨めったらしい気持ちでぼやきつつ、バッグに教科書を詰め込んでいると、聞き慣れた甲高い声が聞こえてくる。噂をすればなんとやら、この声は小町で間違いないだろう。


「ご、ごめん私海は……ほら、ね?」


 声のした方に顔を向けると、話題を振られた好美が困り顔でやんわりと断っていた。俺が見ているのに気がついたのか、チラチラとこちらに助けを求めるような視線を送ってくる。


「大丈夫だって! 好美の水着姿見たら男なんてイチコロよ! 好美かわいいんだし!」

「かわいいとか、そういうの関係ないし、恥ずかしいじゃん」

「大丈夫だって! ね、だから海行こうよ!」


 好美は控えめどころか完全に拒否しているのにも関わらず、その辺の配慮が全くできない小町相手だと堂々巡りで話が終わる気配がない。こいつが人の顔色とか場の空気を読めないのは知っていたが、好美に海は禁句だろうに。


「……しゃーないか」


 諦め半分用事半分、放っておくわけにもいかず教科書を腹いっぱいに詰め込んだバッグを持ち上げ立ち上がる。半年に一回味わう鈍器にもなりそうな重量感を噛みしめ、ふらふらとした足取りで教室内で一番うるさいスピーカーの元へと向かう。


「ウチと好美の水着姿でそこらの男なんて悩殺よ……!」

「い、いや、あの、だからね」


 もはやなりふり構っていられないのか、小町は尻尾を立て犬歯も露わにして相当な剣幕だ。それを見た好美は頭がパンクしたのか、それとも自然界の力関係が頭を支配したのか、涙目で何かを言いよどむのがやっとな様子だ。


「おい小町。あんまり好美をいじめんじゃねぇよ」


 好美が怯えていたからというわけではないが、小町の横まで来てから放った言葉の語気は存外強いものになってしまった。長い銀髪がふわりと舞い、その奥にある吊り上がった目が俺を睨みつける。


「ん、誰かと思えば太一か。今ウチはね、ひと夏の過ちの為に好美と綿密な計画を立てているところなの。不能野郎に用はないわ」


 しかし小町は特に堪えた様子もなく、声の主が俺だとわかると犬耳と尻尾をピンと伸ばし、からかうような目で憎たらしい口を叩くのであった。誰が不能だアバズレが。


 千和小町という人間は昔からこうだ。

 ツラがいいので割と男は寄ってくるらしいが、性格のキツさと発言の無遠慮さから、最近は遠目から見守られるポジションに落ち着いたらしい。ざまぁみろ。


「計画立ててるならそれは過ちじゃねぇ。あと前にも関係してるんだよ」

「そう。でも今好美はウチと話してるから後にしてくれる?」


 まるでお前が間違ってると言わんばかりの小町の対応に眉間が痙攣するのを感じる。怒鳴り散らしたくなる衝動を抑え込み、未だ涙を浮かべたままの好美へと声をかけた。


 もう一人の幼馴染である栗林好美は、小町とは正反対でいつも何かに怯えているような気の弱い女の子だ。リスの獣還りである好美は正に小動物系と言った具合で、それ故に男子人気もそこそこあるとかなんとか。


 なのでだいたいいつも一緒にいる俺に嫉妬の目が向けられることも少なくないが、俺からしたらこいつら二人は妹みたいなものなので冤罪もはなはだしい。


「好美、こんなアバズレと付き合ってたらロクな事にならねぇぞ」

「た、太一、そこまで言わなくても……」

「誰がアバズレよ!」


 好美はオドオドとしたまま、申し訳なさそうに丸みを帯びたリスの耳を倒した。存在を無視した俺に小町が威嚇を始めたが、あまり時間もないし気にせずに続ける。


「お前らが遅刻すると俺まで色々言われるんだよ。早いとこ支度して神社行こうぜ」

「「……神社?」」


 何故神社なのか、と二人揃ってぽかんとしている。

 姉さん、朝言っておいてくれてありがとう。こいつら完全に忘れてるわ。


「祭りの準備だよ。町内会長さんから連絡来ただろ?」

「「……あっ」」


 町内会長さんの名を出すとようやく思い出したらしい。好美はハッとしてからすぐに取り繕うとしたが既に声を出している時点で誤魔化すも何もない。あの町内会長さんの恐ろしさは去年で身に染みたと思っていたが、どうやらすっかり忘却の彼方に追いやっていたようだ。


 もしくはトラウマになる前に頭から切り離したのかもしれない。小町も去年の事を思い出しているのか顔から血の気が引いていた。


「マジで忘れてたのかお前ら……」

「わ、忘れてるわけないじゃない! ウチはしっかり覚えてたわよ!」

「わ、私も、その、忘れてたわけじゃ、その」

「いや別に泣かなくてもいいだろ」


 明らかに動揺している小町はさて置き、好美は怒られているわけでもないのに、大粒の涙を目に浮かべて、肩を震えさせている。


 気がつくといつの間にかクラスメイト達の、何で栗林を泣かせてるんだと俺を責める視線が四方八方から飛んできていた。半泣き状態の小町にその視線が飛んでいないのがなんとも悲しい所であるが。


「と、とりあえずアレだ。まだ時間に余裕はあるから早く行こう。な?」

「うん……」


 好美は手で涙を拭いながら頷く。了承は取ったから後はこの居心地の悪い空間から逃げ出すだけだ。


「ちょっと太一! 無視してんじゃな――」

「おお小町! お前も遅刻すんなよ!」


 これ以上この空気と飛び交う殺意に耐えられなさそうだったので、勢いよく手を上げ小町の言葉を封殺する。そのまま好美の手を掴んで目指すは教室後方の出口。


「え、ちょ、待ちなさいよ!」

「た、太一! 手、手は握らなくても大丈夫だから!」


 クラス中から注がれる視線と二か所から上がる声を意識の外に向け、後ろ手に教室のドアを叩きつけるように閉めた。

 あれだけ騒がしかった教室も、外に出て扉で隔ててしまえば学校の至る所にある喧騒の一つに過ぎない。勢いよく閉まった扉が再び開かれることはなく、どうやら彼らの興味は俺達から夏休みの過ごし方に戻ったようだった。


「すまなかったな好美。引っ張っちまって」


 好美の手は俺の手に隠れてしまうぐらい小さく、夏場だというのにひんやりと冷たく心地よい。けどいつまでも握っているわけにもいかないし、パッと手を離す。


「……」

「ん? どした?」


 さっきから黙ったままの好美は、何故か不機嫌そうに齧歯類よろしく頬を膨らませ、ジト目で俺を睨んでいた。

 いかにも不満がありそうな顔だったが、何か悪い事でもしただろうか。


「好美?」

「……ふん」


 好美はさっきまで繋いでいた俺の左手にちらりと視線を移してから、一人で下駄箱へ向けて歩き出してしまう。どうやら手を引かれた事がよほど気に食わなかったらしい。高校生にもなって幼馴染と手を繋ぐのが恥ずかしかったのだろうか。


「そんなに嫌だったのかよ……」

「ちょっと太一! ウチを置いていくなんていい度胸してるじゃない!」

「うわっ、急に跳びかかってくるな! 重いんだよ!」

「重くない! 軽いっつーの!」


 耳元でぎゃいぎゃいとうるさい小町をなんとか引きはがすべく苦戦していると、好美は俺達を置いてどんどん先へと行ってしまう。

 そうして廊下の先まで行ってしまった好美だったが、下駄箱へ向かう横顔に、さっきまではなかった変化が現れていた。


 さっきの一件でよっぽど頭に血が上っているのだろう。

 膨れっ面のまま足を動かす好美の横顔は、まるで茹蛸のように真っ赤になっていた。

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