第114話

 3皿目。またもや神のやつが皿を選ぶ。抗議したいが頭が回らない。


 目の前のカレーを見る。とっくに限界は超えている。水も飲み過ぎた。ここで決着をつけなければ。ここで逆転できなければ俺の勝ちはない。先輩を救えない。せめてやつにひと泡吹かせたい。


 神の笑う声がした。


「どうした? そろそろギブアップしないと体に悪いぞ。まあどうせ滅亡するなら体に悪かろうが関係はないがのう」


 やつはひとくち目をスプーンに乗せて笑っている。頬がピクピクしている。憎たらしい。負けてたまるか。


 意を決して皿にスプーンを突っ込む。横目で神のやつを見る。やつはもう既にひとくち目を口に含んでいた。口から伸びるスプーンの柄がキラッと光る。


 俺もひとくち目を口に運びかける。水は使えない。腹のダムが決壊する。水なしで戦わなければ。むのもツライ。体が震える。鼻水が垂れる。


 しかしその時、俺は奇妙な感覚に襲われた。なにかがおかしい。なにかが違う。なにかが俺の思っていることと違っている。


 再び神のほうを見る。やつの口にはやはりスプーンの柄。でもなにかがおかしい。


 神のほおを汗が流れた。ひとすじの汗。そのとき分かった。

 神は固まっていた。やつはスプーンをくわえたまま微動だにしていなかった。


 次の瞬間、神の毛穴全部から汗が噴き出した。白い縮れ毛が逆立った。


「む、むおうっ!」


 神がうなった。苦しそうに顔をゆがめた。口に含んだカレーを吐き出しかけて思いとどまった。俺の方をにらみやがった。


「き、貴様! あの女悪魔になにをさせた!」


 神とも思えぬ怒りの形相ぎょうそう。声と同時に強烈な衝撃波。弾き飛ばされそうなのを必死に耐える。ここでひるむわけにはいかない。


「さてな。なにを言っているのか。だいたいてめえ、自分で皿を選んでたじゃねえか。てめえの皿にだけ細工するなんてことができるもんか」


 すっとぼけてみせる。カレーをひとくち食う。


「おおっと、ここで形勢が逆転だ」

 メフィストフェレスが愉快そうに言った。


 神が再び正面を向いてカレーを口に運ぶ。しかし口に含むたび苦悶くもんの表情。胸を押さえてもがく。両の脚をばたつかせる。


 そんな中、俺はひたすらカレーを口に運び続けた。視界がうねる。耳鳴りに幻聴。全身の関節がバラバラにもげそうだ。いくら激辛だからって、カレーでこんな症状が出るものなのか。


 そうだ、出るわけがない。この症状は別の理由。そしてこれこそが俺が大食い競争を選んだ真の理由。


 賢明な読者ならもうお分かりだろう。こいつはあの効能。俺が死にかけ、トイレにもらせ、高熱で寝込んだあの効能。久梨亜のやつが朝食の度にぶっ込んだあの「悪魔印の精力剤」の効能だ。


 ドスンと音がした。神が椅子から転げ落ちた。テーブルに手をかけブルブル震えながら立ち上がろうとしている。


「お、おのれ……。小賢こざかしい人間め。この神をだますとは。わしのカレーにだけ細工をしおるとは……」


 テーブルを支えに俺のほうへ近づいてくる。そして自分のスプーンを俺の皿に突っ込んだ。ひとくちすくい上げた。


「これが証拠じゃ!」


 そう叫ぶと今すくい上げた俺のカレーを勢いよく自分の口へと突っ込んだ。


 その瞬間、神の穴という穴からカレーが吹き出した。そのまま仰向あおむけに倒れた。口から大量の泡を吹いた。目を回していた。


「続行不能と認める。よってこの勝負、勝者は対象者の人間」


 メフィストフェレスの声が高らかに響いた。

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