第104話

 ほどなくして現場にパトカーが到着した。どうやら運転手の異常がわかった時点で誰かが110番したらしい。


 救急車も来た。最初の1台に運転手が乗せられた。どうか助かりますように。


 体の痛みを訴える乗客が何人も。後の救急車がそれらの人たちを病院へと運んだ。


 俺は現場で警官に簡単な事情聴取を受けた。俺は自分がブレーキを踏んだって話した。だってそう話すしかないだろ?


「久梨亜、美砂ちゃん、ありがとう」


 ようやく解放された俺はふたりに礼を言った。小雨がパラパラと降り始めていた。


「なに言ってんだい。バスは英介が停めた。そうだろ?」


 久梨亜のとぼけたような表情を見るのは久しぶりだな。


「嘘つけ! 前の車との距離はわずかしかなかった。いくら強力なブレーキでも間に合わなかったはずだ」


 俺は右手でげんこつを作って彼女の頭を小突こづいてみせた。


「でも私、久梨亜を見直しました」


 美砂ちゃんがニコニコ顔で割り込んでくる。


「実は私ひとりの力でバスを停めるしかないって覚悟したんです。英介さんが死んじゃうなんて嫌だから。そしたら久梨亜がなんて言ったと思います? 『あたしがバスを停める。美沙は英介がブレーキを踏んだように細工しな。それから奥名先輩の身も頼む』って、ね」


 なんだ。やっぱり停めてくれたんじゃないか。それに先輩のことだって守ってくれたんだ。


「私、久梨亜が『約束する』って言った時にはビックリしました。それなのにちゃんとバスを停めてくれるだなんて……。魂が欲しくなかったんですか?」

「勘違いしてもらっちゃ困るね。あたしは確かに約束はしたけど契約はしてない。契約してない相手からは魂は取れないさ。それに英介の魂は平均以下。食っても旨くなさそうだしな。こっちから願い下げだよ」


 「平均以下」ってもう何度目だよ。充分知ってるから。


「それよりひとつ気になることがあるんだけど……」

 恐る恐る切り出す俺。


「ん? なんだい?」

「道路のブレーキこんを調べられたらブレーキで停車したってのが嘘だってバレるんじゃないのか?」

「大丈夫。その辺りに抜かりはないさ。まあバスの運転記録計タコグラフがデジタル式ってのにはちょっとばかし手こずらされたがね。実物を見るのは初めてだったから。でも仕事は完璧さ」


 皆で笑った。そこへ奥名先輩がやってきた。


「ごめんなさいね。私がバスを選んだばっかりに」

「なに言ってるんですか先輩。俺先輩が無事だったってだけで万々歳ばんばんざいですよ。でもホント先輩のおかげですよ。先輩が的確に指示してくれたから俺動けたんで」


 ほんとにそう。もし先輩の指示がなかったら俺はどうなっていたか。倒れた運転手を目の前にしてアワアワしてただけだったかもしれない。


「瀬納君は……。ホント私がいないとダメなんだから」

「すみません」

「前から瀬納君を見ててなんか既視感あるなって思ってたんだけどやっとわかったわ。似てるのよ」

「えっ? 誰にですか?」

「お兄ちゃんに」

「えっ? 先輩のお兄ちゃんといったら、あのイケメンの……」

「そう、あのイケメン。もちろん似てるのは顔じゃないけどね」


 クスッと笑う先輩。あのー、顔についてはもう少し夢を見させてくれたっていいじゃないですか。


「でも……」


 ここで先輩は小首をかしげてなにかを思い出そうとするようなそぶりをみせた。


「今日私、瀬納君がものすごく頼りに思えるようなシーンを見たような気がするんだけど、思い出せないの」

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