第102話
顔を上げた。目の先に久梨亜の顔。俺はひと言だけ発した。
「分かった」
その口調に憎しみはない。
「久梨亜、ゴメンな。こんな事態に巻き込んじまって」
「えっ?」
「お前も
自然に言葉があふれた。自分でも驚くほどにすらすらと言葉が出た。いつまでも彼女の裏切りにこだわってちゃいけない。そんなことをしている暇はない。この状況を認めて、そして前に、前に進むんだ。
「な、なにを言っているんだ……」
久梨亜の口調には動揺が見え隠れしていた。しかし俺はそいつをあえて無視した。
「美砂ちゃん」
「は、はいっ」
「君はどうする。君はバスを停めてくれるのかい? でもそれはもしかすると君の
俺は静かに、最大限の優しさを込めて語りかけた。
「わ、私は……」
再びおどおどする美砂ちゃん。そういえば初めて
「わ、分かりません!」
悲痛な声が響いた。彼女の両の目から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。そして膝から崩れ落ちるようにその場にへたり込んでしまう。
俺はゆっくりと彼女に歩み寄った。
「ゴメンな、美砂ちゃん。君にも
俺は静かにそう言いながら手のひらを彼女の頭にそっと載せた。
「そんな……。『許してほしい』だなんて……」
目に涙を
俺は静かに美砂ちゃんのそばを離れた。そして奥名先輩のもとに歩み寄った。動かぬ先輩を抱え上げると座席と座席の間の隙間に押し込んだ。たとえ何があっても先輩の体がここから飛び出さないように。先輩が助かるように。
「これでよし」
それが終わると俺はバスの先端までゆっくりと歩いた。そして前を向き、両腕を左右一杯に広げた。
「久梨亜、時間を進めてくれ」
俺は言った。静かに、あくまで静かに。
「英介?」
「その後どうするかは君たちふたりに任せる。このまま衝突させてもよし。バスを停めてくれてもよし。どっちを選んでも俺はふたりを恨んだりなんかしない」
俺の口調に一切の迷いはない。
「英介さん?」
「ただ俺は奥名先輩の悲しむ顔は見たくないんでね。もし衝突させるなら俺は衝撃でフロントウインドウに激突するつもりだ。たぶん突き破って外に放り出されるだろう。そして……、そしてたぶん死ぬだろう」
俺は自分が冷静なのに驚いていた。
「俺の最期の頼みだ。もしそうなっても奥名先輩だけは助けてほしい。対価は俺の魂。久梨亜にはそれで充分だろう。美砂ちゃんにはなにもあげられないけど」
目に涙が
しばしの時が流れた。
「わかった。約束する」
久梨亜の声がした。もはや動揺しているようには聞こえなかった。
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