第80話

 先輩が感づいたのは“匂い”だった。こいつも丸っきり盲点だった。“匂い”なんてのは見える“物体”じゃないから始めから“不可視属性”をつける対象には入っていない。いやたとえ“不可視属性”をつけることができたとしても、“視覚”じゃなく“嗅覚”で感じるのが匂いなんだから意味はないんだけど。


 しかしどうする? “見えないコップ”はそいつを取り上げることで解決したけど。さすがの久梨亜も“匂い”を取り上げることはできないだろう。とりあえずは俺ができることをやってようすを見よう。


 先輩の横にすっとんでいく。そして多少オーバーな身振りであたりの空気を思いっきり吸ってみせた。


「なにも感じませんけど」


 これに嘘はない。いつも吸ってる部屋の空気の匂いしかしない。

 でも先輩がこれで納得するようなら苦労はしない。


「いいや、確かにシーツのここが匂う。ここ。ベッドの左側が」


 ドキッとした。先輩がしたのはいつも久梨亜が寝ている場所だ。あいつめ、エロいからフェロモン多めなんじゃないのか。余計なもの出しやがって。


 そんなことを考えているうちに、先輩は問題のシーツの左側と中央とを嗅ぎ比べていた。


「うん、やっぱり違う。同じ匂いじゃない。瀬納君、あなたまさかここに夜な夜な誰か女の子を連れ込んでるんじゃ……」


 先輩の目つきが本日最恐さいきょうに恐いんですけど。

 まずいぞ。俺うまく言い逃れできる自信、これっぽっちも湧いてこないんですけど。


 しかし大丈夫。俺には天使がついている。加えて悪魔もいている。


 しかし期待のアドバイスがない。耳元に唇を感じない。おかしい。どうした。お前ら天使と悪魔だろ。人類を超越してんだろ。ならこの危機もちゃっちゃと解決できんだろ。


 やはり反応がない。変だと思ってそっと後ろをチラ見する。ふたりの姿が見当たらない。

 ええっ! と思ってあちこち見回した。上下左右に首を振った。ふたりはすぐに見つかった。天井近くに浮いていた。そこから俺たちを見下ろしていた。ふたりとも眉をひそめて困ったような顔。俺の視線に気づくと目をらす。


 えーっ、アドバイスなしかよ。


 それはないだろ。なんとかしてくれよ。ひとつ屋根の下に住んでるんじゃねえか。大博打おおばくちの第4の勝負に負けるようなことがあったら被害は俺だけじゃすまないんだぞ。一蓮托生いちれんたくしょうだろ? 一心同体だろ? あっ、“同体”って言っても別に彼女らと“合体”したわけではないので、そのあたり誤解なきよう。


「ちょっと瀬納君、あなたなに挙動不審してるの!」


 先輩が責め立ててくる。そりゃあ挙動不審にもなりますって。


「そういえばあなたさっき私が『3人で寝てるように見える』って言ったときもあたふたしてたけど……。3人というのはともかくふたりなら。まさか他の女の人と寝ているっていうのは図星だったんじゃないでしょうね!」


 なんたることか! さっきのシーツのしわの危機もぶり返してくるなんて! 二正面攻撃か! 王手飛車取りか! 史上最大の猛攻に、俺もう白旗げちゃおうかな。

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