第64話

 宙を彷徨さまよう俺の魂に遠くから声が聞こえた。


「英介、しっかりしろ! 英介!」

「英介さん、どうしたんですか! 戻ってきてください!」


 久梨亜と美砂ちゃんの声だ。戻ってきたんだ。そうだ、俺も戻らないと……。

 ふたりの必死の呼びかけのおかげで俺の魂は体へと戻った。


「ああ、久梨亜……、美砂ちゃん……」

 まだもうろうとした意識の中からどうにかふたりの名を口にした。


「よかった。気がつきました」

「英介、てめえ! 心配かけやがって!」


 俺の体は美女と美少女にもみくちゃにされた。うわあ、いっそこのまま天国へ行ってしまいたい。


 ようやく意識がはっきりしてきた。俺は周りを見回した。そこは相変わらずデパートのエレベーターホールのままだった。


「ありがとう。もう大丈夫」


 ちょっと照れながら礼を言う。少し頭がガンガンするけど、身体的にはどこにも異常はないっぽい。


 しかし“心”は別だ。俺の心は決定的なダメージを負ってしまった。


 もう一度周りを見回した。そこにはいないはずの存在を探した。もしかしたらいるかもって思って。しかしそこにはやはりいなかった。奥名先輩はあいつと去って行ったのだ。


「英介、いったいなにがあった!」


 久梨亜が俺の両肩をつかんで激しく揺さぶる。おい、ちょっと強すぎだろ。少しは手加減してくれよ。


「英介さん、なにがあったんですか? 話してください」


 美砂ちゃんの優しい声。それと対照的な悲痛な目。上目遣いで俺を見上げるその目。ああ、俺はそれをなんていとおしく感じるんだろう。


「実は奥名先輩が……」


 あの出来事を話そうとした。しかしそこで急に言葉が押しとどめられた。見たんだ、目の先に。この場に絶対にあるはずのないものが。もちろん奥名先輩の姿なんかじゃない。

 デパートの紙袋。それが何個も。しかもそれ全部に服がギュウギュウに詰まってる。


「ちょ! あれはいったいなんなんだ!」

「ああ、見りゃわかるだろ。買ったんだよ、服をな」

 久梨亜のやつが涼しい顔で言いやがる。


「おい、話が違うじゃねえか。服は見るだけで買わないって話だったろ」

「ああ。そのつもりだったんだけど、やっぱり買い物って楽しいからな」

「私はお洋服を買うなんて生まれて初めてだったんですけど、すごく楽しいですね」

 久梨亜に加えて美砂ちゃんまでも。悪びれてるところは全然ない。


「だいたいお前ら金どうしたんだよ。そんなに買える分なんか持ってなかったはずじゃないか!」


 思わず叫んでた。ふたりは行き帰りの交通費と昼食代にプラスいくらかしか持ってなかったはずなんだ。


「ああ、それかい。それならこれを使った」


 久梨亜が胸元からなにやら小さな四角い板状のものを取り出した。見覚えのあるマークがそこにある。カードだ。クレジットカード。えっ? こいつらそんなもの持ってたっけ? いつの間に作ったんだ。


 俺はそのカードに目を近づけてよくよく見た。えーっと、氏名のローマ字表記は……っと。


 “EISUKE SENOU”


「おい! そのカード、俺んのじゃねえか!」

「そうだよ。いや便利な世の中になったねえ。サインひとつでなんでも買えんだから」

「そのサインだ! 俺が俺のサインしなきゃ使えないはずだろ」

「あたしの力を見くびってもらっちゃ困るね。店員の認識を誤魔化すなんざ、悪魔にとっては昼飯前さ」


 うん、確かに今は昼飯前だけど……。ってそういう意味じゃねえだろが。

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