第54話

 人類滅亡の危機は去った。俺は先輩の顔を呆然ぼうぜんと見ていた。

 壁を背にした俺の真正面に先輩が立った。


 突然、先輩はその両腕を俺の顔の両側にドン!と突き出した。えっ、これっていわゆる“壁ドン”ってやつか。女性がイケメンにやられるとれてしまうってやつ。それを同時に2本もだぜ。やべえ、俺先輩に惚れちまう……。って、よく考えたら俺とっくに先輩に惚れてたんだった。


 俺の後ろは壁。正面は先輩の体。左右は先輩の腕。俺は四方を囲まれた。逃げ場はない。


「ちょっと瀬納君、あなたさっき私から逃げようとしたでしょ!」

 先輩の口調がいつになく強い。うわあ、ちょっと怒ってるっぽい。


「いや……。まさか先輩だとは思わなくって」

「へえ。先月私に告白なんてしたくせに、その相手がわからなかったんだ。ふうん、そうなんだ」

「すみません。だって先輩サングラスしてるし。それに俺、先輩が髪を解いたところなんか見たことなかったから」


 弁解だ、とにかく弁解だ。そうだよ、不可抗力だよ。先輩のそんな姿見たことないんだから、わからなくてもしょうがないじゃんか。


「嘘。機会あったでしょ。社員旅行のときとか」

「いやいやいや。俺が1年目の時は夏風邪で行けなかったし、2年目3年目はどちらも先輩がユーザの稼働立ち会いで行ってないじゃないですか」


 引き出せ、とにかく記憶を引っ張り出せ。そうか、1年目に俺が夏風邪引かなかったら先輩と旅行行けたのか。あの時は確か南紀白浜だったっけ。外湯が露天だったと聞いてうらやましかったんだよな。


「そうだったわね。でもまだあるでしょ。忘年会はどう?」

「それも確か1年目は俺がインフルかかっちゃって行けなくて。2年目は先輩が出張。3年目のこの前は俺がユーザーサポートで現地に年内一杯滞在中で……」


 うわあ、言ってるそばからなんだか悲しい気分になってきたぞ。俺と先輩ってつくづくタイミング悪いんだな。すれ違いばっかりじゃねえか。もしかして運命の赤い糸は繋がってないのか?


「そ、そんなことより先輩はなんで俺に気づいたんですか」


 とりあえずいったん話題を変えよう。先輩の攻撃をこれ以上正面から受けきれる自信ないし。


「ああ。さっき向こうで服見てたら声が聞こえたから」

「えっ? 俺なんか言ってました?」

「言ってたわよ。大きな声で。『うわあ、一体どうすりゃいいんだ』って」


 えー、それかよ。


「ああ、確かに言ってましたね」

「そうよ。声もそうだし、聞こえたセリフが瀬納君が最近会社で時々叫んでるセリフとまるっきりおんなじだったから」


 えっ、俺会社でそんなにあのセリフ叫んでたっけ? しかもそれを事もあろうに奥名先輩に聞かれてただなんて。


「すいません。なんかカッコ悪いとこ見せちゃってたみたいで」

「まあ別にいいんだけどね。仕事でどうしたらいいのかわかんなくなるのは誰にだってあることだし」


 よかった。別にとがめられたりはしなかった。やっぱ奥名先輩は優しいな。それにどうやら話題が先輩が俺を追及してた件から外れたっぽいぞ。


「で、さっきはなにを悩んでたの?」


 前言撤回。話題は変われど追及はまだ続くっぽい。

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