第35話

 朝食は完璧だった。目刺めざしは俺好みの絶妙な堅さで焼き上がっていた。目玉焼きも俺の好きな半熟。ほうれん草の味付けもいうことなし。さすがに海苔のりと梅干しは既製品だったが、少なくとも海苔は俺が昔よく食べたブランドのやつだった。


 俺はひたすら「旨い旨い」を連発した。涙が止まらなかった。生まれて初めて人間の料理に挑戦した女の子が、いったいどうしてこれほどまでに俺の好みに合わせたのを作れたのか。


「あっ、そうか! これ俺のお袋の味だ!」

 思わず俺は叫んでいた。


 そうだったのだ。美砂ちゃんは俺の記憶から人間の料理の作り方を勉強した。俺自身は大した料理はできない。だから記憶にある料理、しかも作っているところがわかる料理と言えばお袋のに違いない。


 そしてすごく懐かしい気がしたのもそれが原因だったのだ。俺が社会人になってからは朝食はパンで夕食は外食かスーパーの総菜がほとんど。ひとり暮らしの学生時代も似たようなもの。中高のときの朝食は早く食べられるようにとの理由で俺が強引にパン食にしてもらったんだっけ。


 だからこんな和朝食を食べるのは実質小学生以来だったんだ。もちろん旅行先とかで食べたことはそれ以降もある。でも“お袋の手作りの朝食”といったら、たまの帰省時を除けばそのころが最後だったんだ。


 お袋、今頃どうしてるかな。今夜あたり久しぶりに電話でもしてみるかな。


 そのとき、久梨亜が突然声をあげた。

「気に入らないね」


 俺は思わず久梨亜の顔を見た。美砂ちゃんもだ。どうした? なぜこれが気に入らない? だいたいお前、完食してんじゃねえか。


「気に入らないね。あたしはもう何百年も生きてきて、魔力でだけじゃなく手作りでもいろんな料理を作れる。それを生まれてたった数週間の小娘にあっさり抜かれたとなると、あたしはたまったもんじゃないよ」

 いかにも悪魔な久梨亜らしい、彼女なりの絶賛だった。


「へえ。お前料理もできんのかよ」

「当たり前だろ。何百年悪魔やってると思ってんだ。いた人間は数知れず。中には相当な偉い人も含まれてる」

「へえ。例えば日本人でいうとどんな人がいるんだ」

「あたしが憑いた人間じゃないけど、400年ほど前には当時のトップともいえる人間に料理を出したね。そいつはあたしの料理をたいそう気に入ったようでいくつも食べた上に、天にも昇る心地になったのか本当に天に昇っちまいやがった」


 えっ? 当時の日本のトップなんだからたぶん歴史上の有名人。400年前になにか料理を食べて死んじゃった有名人といったら、まさか……。


「そ、その人間って、ひょっとして名前が“と”で始まって、最後が“す”で終わるんじゃ……」

「うーん、確か違ったねえ」


 ほっ、違うのか。俺はまたてっきり……。


「直接名前を聞いたわけじゃあないけど、お付きの連中は確か『大御所様おおごしょさま』って呼んでたねえ」


 お前かよ。鯛の天ぷら出したのは。


「しかしあたしとしちゃ、このまま引き下がるってのもしゃくさわるね。よし決めた! 明日の朝食はあたしが作ってやろう。いいな、英介」

 えー、俺まだ死にたくないんですけど。


 そして翌朝、俺は生まれて初めて救急車で運ばれた。三途の川が一瞬見えた。

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