第34話

「み、美砂ちゃん?」

 思わず声が裏返った。普段出ないような高い声が出ていた。


 なぜだ? なぜいない? 美砂ちゃんが消えた? 消失した? じゃあ昨夜俺の左隣に寝たのは誰だ? 幻なのか? それともまだ夢を見てるのか? 本当はまだ隣に寝ている? ならお尻を触れるな。まさか、いないってことがこんなにハッキリ見えてるのに。じゃあやっぱりいないのか? ならなんでいない? ???


 あわてた。もしかして彼女が出て行ったんじゃないかとあせった。そうだよな、朝起きるたびにお尻を触られてたらあの年頃の女の子なら怒って当然だよな……。あっ、“あの年頃”って言ったけど、よく考えたら彼女は生まれてからまだ数週間だった。


「おい久梨亜、美砂ちゃんはどうした」


 久梨亜に問いただす。やつは体をひねって腕を伸ばし、目覚ましを本来あるべき場所に戻しているところだった。その曲線は相変わらずエロい。


「ああ美砂か? あいつならもうとっくに起きてる」

「えっ? なんでまた」

「確か自分が朝食を作るって言ってたぞ。ほら、英介にも聞こえるだろ」


 言われて耳をそばだてる。キッチンのほうからなにか固い物をたたく音が一定の間隔でリズミカルに聞こえていた。それに加えて鼻はとてもかぐわしい香りをキャッチしていた。なにかすごく懐かしい感じがした。


 大急ぎでキッチンへと走った。


「あっ英介さん、おはようございます」


 キッチンに入った俺の目に飛び込んできたのは、割烹着かっぽうぎを着てまな板の前でなにかを刻んでいる美砂ちゃんの姿だった。横のコンロには鍋に火がかかっている。かぐわしい香りはそこから立ちのぼってくるらしい。


「美砂ちゃん、なんでまた急に。それに君は確か人間の料理はできなかったんじゃあ……」

「英介さんいつも朝が大変そうだから、私が朝食を作ればちょっとでも楽になるかなって」

「で、でも料理のほうは……」

「これ、実は寝ている間に英介さんの記憶を読み取って勉強したんです。こっそりやってごめんなさい。でもおかげでうまくできそうです。さあ、さっさと顔を洗ってきてください」


 俺はいつもの3倍速で身支度を済ませた。そして期待半分、不安半分で食卓の前に立った。いや、本当は不安のほうが大きかったかも。


「こ、これは……」


 思わず目を見張った。そこには完璧といっていい朝食が並んでいた。

 つやつやのご飯、豆腐と野菜の千切りが入った味噌汁。目玉焼きが乗ったほうれん草のバター炒め。目刺めざし3匹。海苔のりが数枚。梅干しが1個。


「すごい……。すごいよ美砂ちゃん!」

「えへ。英介さんに褒められてうれしいです」

 美砂ちゃんは小首をかしげてニコッと微笑んでくれた。めちゃくちゃかわいい。


 俺はそそくさと席に着いた。見た目だけじゃない。立ちのぼる香りも満点だ。


「いただきます」


 3人で唱和。真っ先に味噌汁を手に取る。そしてゆっくりと口にする。


 涙が出てきた。

 不味まずいんじゃない。その反対だ。うまい。そして……、そしてすごく懐かしい。


「英介さん、大丈夫ですか? 美味しくないですか?」

 ものすごく心配そうな顔で美砂ちゃんが体を乗り出してくる。


「ううん、美味しいよ。すごく美味しい」

 ボロボロと涙をこぼしながら俺はひたすら飯をかき込み続けた。美砂ちゃんの顔にぱあっと笑顔が広がった。

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