第33話

 目覚ましが鳴っている。


 俺は半分まどろみの中でその音を聞いていた。目は閉じたままだ。

 正直もう少し寝ていたかった。外はまだ暗いだろう。部屋の中も寒い。水道の水は冷たい。


 俺は頭の先、その上方へと手を伸ばした。その下に目覚ましがあるはずだ。

 目覚まし上部にあるスヌーズボタンを押そうと手のひらをたたきつける。


 手は空を切った。


「チッ、空振からぶったか」


 心の中でそうつぶやくと、そのあたり一帯をたたきまくる。

 目的のものにはかすりもしなかった。


 なぜだ? なぜ当たらない? 目覚ましが消えた? 消失した? じゃあ今鳴っているのはなんだ? 幻聴なのか? それともまだ夢を見てるのか? 本当は鳴ってない? ならもう少し寝れるな。まさか、こんなにハッキリ聞こえるのに。じゃあやっぱり鳴ってるのか? ならなんで当たらない? ???

 俺は混乱した。しかしそれもほんの一瞬だけ。


 よく耳をすますと、どうやら目覚ましの音は俺の右横から聞こえてくるらしい。


「おかしいな。でもそういえば昨日は疲れていたから目覚ましをセットしてすぐに寝たんだっけ。おおかたそのときにいつもの場所に置かなかったんだろう」


 そう思った。一連の動作でだいぶ目が覚めてきていた。目は閉じたままとはいえ、今度ははずさねえ。

 音だけを頼りに慎重に狙いを定める。そしてそこを目掛けてすばやく手を伸ばす。


 温かい弾力のあるなにかが手の中に飛び込んできた。2、3度んでみる。大きくて柔らかい。


 待てよ? 俺の右隣にある温かい弾力のある大きくて柔らかいなにか、といったら。まさか、この感触は……。


 恐る恐る目を開ける。


 恐れていた通りだった。俺の手は目覚ましでないものを“しっかり”とつかんでいたのだ----隣に寝ている久梨亜の胸を。


「起きたか英介。今日も朝から元気がいいねえ」


 いたずらっぽい久梨亜の声に俺の目は全開になる。やつは目覚ましを自分の胸のすぐ脇に持ち、こっちをニヤニヤ見ていやがる。


「うわっ!」


 俺はあわてて彼女の胸から手を離して上体を起こした。思わず体の左隣に手をつこうとする。


 “角度よし、速度よし。着地3秒前。2、1、……”


 俺の手は“その地点”めがけて寸分の狂いもなく降りていった。着地地点を目で確認する必要などない。そこには“あれ”があるはずだ。あの何度も、そしてずっと触っていたくなる“あれ”が……。


 しかし俺の手に伝わってきた感触は望んでいたものとは違っていた。手はなにもないベッドの上に落ちた。


「えっ?」


 思うよりも先に跳ね起きていた。すかさず俺の左隣へと目を走らせる。


 美砂ちゃんの姿がなかった。


 あの最初の朝、確かに俺はふたりに「俺のベッドに潜り込むな!」と言い渡した。しかしその後も何度も何度も朝起きたらふたりの姿が俺の両隣にあった。その度に俺はふたりにきつく注意した。万が一“事故”が起きたら取り返しのつかない、というか“人類滅亡”を招く恐れがあったからだ。

 しかしその数多くの注意はすべて無駄だった。最後は俺が降参した。“うれしい”という気持ちがなかったと言えば嘘になる。


 俺は部屋の中を見回した。美砂ちゃんの姿を探した。しかしあのかわいい寝姿はそのどこにもなかった。ベッドの上のシーツのしわだけを残して、彼女の姿は消えてしまっていた。

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