最終話
マリアとイア
私、マリアは広間の壁に飾られている絵を見ていた。
それは結婚式の日にテミスちゃんが描いてくれた、みんなが揃って並んでいる絵だ。
私は、この絵が大好きなので……朝起きると自室から子供を抱いて、ついつい足を運んでしまう。
私よりも先に朝食を済ませた、私の赤ちゃん。
名前はクリス。
とても可愛らしい女の子だ。
「クリス、見て見て? お父さんと、お母さん、まだ若いでしょ?」
眠たそうな目をした我が子に静かに語りかける様に、私は子供を抱きながら絵の側へと近付いた。
この結婚式の日から三年近い時が流れていた。
もちろん子供に言う程、年を取った気はしない。
むしろ、きちんと大人になれているのか、自分自身で心配する毎日だ。
それでも否応無しに大人の階段というものは、近付いて来るものらしい。
絵の中にいる笑顔の私を懐かしく感じる程に様々な出来事があり、そして楽しいことばかりでは無かった。
どうしても避けられない、つらい出来事もあった。
そんな時に苦渋の決断を迫られるのは、常にマサタカさんだった。
彼にとって初めて心が折れそうなくらいに、つらい出来事があった夜に、泣き伏した彼を慰める役目は、たまたま私に回って来てしまった。
その時まで私は、彼が泣いているのを余り見た事が無かった。
きっと私を不安にさせない様に我慢してくれていたのだと思う。
男として情け無い所を見せたくなかったというのも、あるのかも知れない。
寝所で私の膝に顔を伏せて、全てを曝け出す様にして泣いていたマサタカさんを初めて見た時に……私は、ようやく本当の意味で彼を支える事が出来た様な気がした。
それからの私は……時々、封印の国の人々が全員で幸せになれる方法を占っている。
しかし水晶玉は、答えを映してくれはしない。
そんな都合の良い未来など無いと、言っているかの様に……。
私が昔、ユピテル国のエルフの森で全員が生き延びる方法を占った時は、この大陸が水晶玉に映し出された。
……大陸に渡ってからの道は、自分達で切り開きなさい……。
水晶玉を通して……そう、おばあちゃんに叱られている気がした。
……何もかも占いに頼るんじゃあないよ……と、言われている気がした。
──おばあちゃんも私も占い師なのにね?
私は軽く吹き出してしまった。
「なーに、笑ってんだよ?」
扉の側から声が聞こえてきた。
「イアちゃん!?」
振り向くと彼女が、扉を開けて立っていた。
「マリアは本当に、この絵が大好きだなー。ま、オレも好きだけどさ」
イアちゃんは部屋の中へと入って私に近付いて来る。
二人で並んで絵を見上げた。
「……クリスをミランダさんに預けて朝食を摂ったら、早く掃除を始めようぜ? 今日の当番は、オレ達なんだからな? メイド長のマナもメイド達も先に始めてるぜ?」
マナちゃんは今、お城で働いてくれている。
家事全般を取り仕切るメイドの長として、私達の子育ての手伝いもしてくれていた。
マナちゃんの母親は、再婚していて……年の離れたハーフエルフの弟が産まれていた。
彼女の実家が、手狭になったので一人暮らしを考えた結果……お城に使用人として住み込みで働ける様に頑張ってくれたらしい。
「しかし見事に四人とも女の子だったよなあ」
イアちゃんは微笑みながら、私の腕の中で眠ってしまったクリスを見て、そう言った。
彼女も、レアちゃんも、ミエさんも、女の子を出産して……今や一児の母親だ。
「ミランダさんだけは、男の子だったね」
ミランダさんは今迄が女の子二人だったので初めての男の子に、とても喜んでいたし……レアちゃんもテミスちゃんも年の離れた弟の誕生に嬉しそうだった。
ただ、ミランダさんは第一王位継承者が自分の息子になった事に関しては、何故か私達四人に少しだけ申し訳無さそうな感じだ。
──気にする事ないのにな……。
マサタカさんは、いずれ封印の国を人間の国とエルフの森とドワーフの国の三つの連邦制国家に移行する積りである事を私達に話してくれた。
理由は各々の種族に合った環境というものが、やはり、どうしても存在していたからだ。
人間は、この古代都市に……エルフの人達は、森の中に……ドワーフの人達は、鉱山の近くに……一部を除いて、それぞれの住む場所へと自然に別れていった。
王様一人で全てを見渡す事が不可能だと感じたマサタカさんは、ユピテル国の様にドワーフとエルフの代表者に統治を任せる事にしたのだ。
ドワーフの自治領の初代女王には、イアちゃんが……エルフの自治領にはレアちゃんが、ミランダさんを補佐として族長になる予定だ。
ゆくゆくは彼女達の子供か、その伴侶が跡を継ぐ事になるのだろう。
実は封印の国のエルフの森で族長だったヨアヒムさんは、今はテミスちゃんを含めた希望者と共にユピテル国の元いた森に還ってしまっていた。
その森で彼は、引き続き族長の任についている。
離れ離れになってしまったのは、寂しいけれど……彼らの帰還は、決して正々堂々とは封印の国を出る事ができない魔王であるマサタカさんや、魔姫である私達四人の願いでもあった。
この大陸に来るまで迷惑を掛けてしまった分、彼らには元通りの暮らしを少しでも取り戻して欲しかった。
村長様も生まれ故郷で骨を埋めたいという理由から希望者と共にエンダの村に戻って行った。
帰郷に関しては、デモス司教の協力で創造神教会ユピテル国支部が安全を確認してくれている。
幸いにしてエンダの村は、ホブゴブリンなどの亜人種に乗っ取られていた様な事は無かった。
みんな手紙で問題なく元の生活を再開できた喜びを
コンバさんとライデさんは、ユピテル国のドワーフ自治領には帰らなかった。
女王になる予定のイアちゃんを支えたいのと、初孫の側から離れたくないらしい。
向こうの現国王であるボルテさんは、未だに独身だが……ダイモくんはナプトラさんと婚約したそうだ。
……帰省するとしたら、向こうで二人目の孫が生まれたらじゃな……
コンバさんは、そう言って豪快に笑っていた。
「そう言えば、マリアの両親は元気か?」
イアちゃんが私に尋ねてくる。
「うん、お陰様で……すっかり具合も良くなったって」
「まさか移民者の中に知ってる人が、いたとはなあ……」
アウロペで会った私の父親に似ていた青果店の店主が、封印の国に移住してきた。
新しい種類の果物を求めての事だった。
そこへ別の移民者の一人が……青果店の店主に似ている人を知っている……と、店主に言って来た。
そして青果店の店主が私に、その事を教えてくれたのだ。
その店主に似ている人というのが、実は私の父親だった。
「お母さんが伝染病に掛かっていただなんて……」
「しかも女性にしか感染しないとか……珍しいよな」
「うん……」
お父さんから聞いた話だと、お母さんはエンダの村に居た時に、よそへ遣いに行って病に感染して戻って来てしまったらしい。
お婆ちゃんは占いで自分自身や私、村の他の女性達に感染していない事を確認した。
そして、同じ病で悩む人々の住む場所を占いで突き止めて、お父さん達に移住する様に薦めた。
無駄に怖がらせない為に、村の人達には秘密にした。
そして後を追わせない為に、私には行方不明だという事にしたと言うのだ。
「レアちゃんは、私たち家族の命の恩人だよ……」
マサタカさんとレアちゃん、デモス司教と数名の司祭様達が、両親の移住した場所へと赴いてくれた。
レアちゃんは感染しない様に青い右目の力を開放しつつ、私の両親の元へと向かってくれた。
レアちゃんの精霊魔法で、お母さんの身体から悪い病気の
お父さんは……奇跡だ……と、喜んでくれた。
他の人々の治療も済ませた後でマサタカさん達は、私の両親と共に封印の国に戻ってきてくれた。
両親とは、しばらくは一緒に封印の国で暮らしていたのだが……やはりエンダの村が恋しい……と、お父さん達は、今は村にある実家で暮らしている。
別れ際に……マリアが元気でいる姿を見て安心した……と、二人とも言ってくれた。
……実家に戻ったら、おばあちゃんの墓参りをしたい……とも言っていた。
私は両親の無事が嬉しかったけれど、また直ぐに離れ離れになってしまったので少し寂しかった。
手紙で、やり取りは出来るけれど……私が堂々とエンダの村へ行く事は、多分もう有り得ないだろう。
両親は……時々、孫の顔を見に遊びに来るよ……と、言ってくれた。
今は両親の住む故郷の実家の事を想うと、懐かしさに胸に熱い物が込み上げてくる。
それでも私には、マサタカさんがいる、クリスがいる、みんながいてくれる。
私は充分に、その幸せで両親に会えない寂しさから来る心の隙間を埋める事ができるだろう。
これまでも……。
これからも……。
「そろそろ行くか?」
「うん」
イアちゃんに促されて私達は、絵の側から離れて部屋を出ようとする。
「マサタカさんは?」
私は彼女に大切な人の居場所を尋ねた。
「ミエやペイル、それにコンバさん達やデモス司教達、エルフの戦士達が数人の調査隊で地下道に向かっているよ」
地下道とは、半島から離れた内陸の奥地……山脈の側で見つかった古代遺跡の事だ。
自然によって作られた洞窟では無く、入り口には石造りの門がある人工物だった。
門は
森の奥の様子を探っていたエルフの人達が、偶然に見つけてしまったらしい。
……この古代都市の住人達が造った地下道で、ほぼ間違いない……と、マサタカさんもミエさんも言っていた。
地下深くへと潜っているのか、山脈の向こう側へと通じているのか、それは今の段階では分からないらしい。
……今後の調査の結果次第だ……と、二人とも言っていた。
「そうなんだ……。マサタカさんに相談したい事があるんだけどな……」
「テシに相談?」
「うん。ようやく水晶玉にマサタカさんのいた世界を高い確率で映せる占いの仕方を理解できた気がするの……」
「マジか!?」
広間から廊下へと出る扉を開けたイアちゃんは、驚いて足を止めると私に振り向いて尋ねてきた。
「うん。それでミエさんの話だとタガメパラライズが……」
「タイムパラドックス」
「そう、それ。マサタカさんの世界にいる若い美恵さんが過去に転移して、こちらの世界から今の成長した美恵さんが元いた世界に戻っても、タイムパラドックスが起こらない年月日になったから……あたしも両親に会って、生きているよって伝えたい……って、お願いされていたのね」
「それじゃ……」
「うん……マサタカさんの御家族に、ご挨拶に行く日時を本人と相談しようと思って……」
「よっしゃ! テシとミエが帰ってきたら早速みんなで打ち合わせと行こうぜ? レアやミランダさんには予め伝えとこう!」
「うん!」
私たち二人は、とりあえずミランダさんやメイドさん達にクリスを預けるため、託児室へ向かおうとして廊下へと出た。
結婚式の絵が飾られている広間の扉を閉める間際に私は、もう一度だけ絵の中の微笑む自分を見た。
私は、もう……あの時の様な無垢な少女では、無くなってしまった。
しかし、まだ負けないくらいの笑顔でいられる。
これからも、そうである為に頑張ろう。
マサタカさんと、みんなと一緒に……。
私は微笑むと、静かに扉を閉めた。
-勅使河原くんと四人の魔姫 終わり-
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