勅使河原くんとホボス司教 Ⅳ
全ての『対の門』が消え……割れていた海が、元に戻り始める。
海水がぶつかり合う轟音の中から、聖騎士達の悲鳴が聞こえてくる。
僕はマリアの腰から両腕を解いて頭に回すと、彼女の目と耳を二つの掌と腕を使って頭を抱く様にして塞いだ。
沈みゆくホボス司教が、見える。
彼は、もがきながら絶叫した。
「神を信じ切れぬ愚か者どもめ! 神罰は必ず貴様らに訪れるぞ!」
僕は彼が沈み切るまで、その様子を決して忘れる事が無い様にと、目に焼き付けた。
海が元に戻った後で、僕はマリアの身体を振り向かせて彼女の顔を見る。
今の彼女の瞳は、色を失っていた。
泣きもせず、笑いもせずに、何かを失った様に静かに立つマリア……。
僕は向かい合わせで再び彼女を強く抱き締める。
「約束する……僕は、これから君を一生かけて支え続ける……絶対に離さない……この罪を二人で一緒に背負い続ける……だから……」
僕は哀願する。
「どうか、許して……大好きな、マリア……」
既に島の浜辺は、静寂に包まれている。
聞こえてくるのは、波の音と風の音だけだった。
いや……。
良く耳を澄ますと、誰かが呟いている声が聞こえる。
僕は声のする方を見た。
マリアも、そちらの方へと顔を向ける。
浜辺でイアが、
「……二十二……二十三……」
彼女は海に向かってオーケストラの演奏を指揮しているかの様に、瞼を閉じて、眉間に皺を寄せながら、両手を挙げて振っていた。
「……二十九……三十……これで、全部かな?」
そう言ってイアは、立ち上がった。
「よいしょおぉーっと!」
彼女は威勢の良い掛け声と共に、両手を上に高らかと挙げた。
海の方から再び轟音がした。
僕は海の方へと振り向く。
その海面には巨大な人型レギオンが現れていた。
人の姿はしているものの、レギオンは阿修羅か千手観音の様に身体から何本もの腕を生やしている。
そして、その腕には三、四人くらいに纏めて掴まれている者達がいた。
まだ溺れたばかりのホボス司教と聖騎士達だった。
レギオンは浜辺に上がると、砂浜の上に彼らを静かに降ろした。
僕はイアを見た。
彼女はホボス司教と聖騎士達を見ながら愚痴を呟く。
「……本当は、あんな連中を助けるのは、イヤなんだぜ?」
イアは僕とマリアに顔を向け直した。
「でも、あいつらが死ぬと、テシとマリアが哀しむ……。そっちの方が、もっとイヤだから助けてやったよ」
そう言うと、イアは飛びっきりの笑顔を見せた。
僕よりも早くマリアが駆け出して、イアに飛びついて抱き締める。
力の強いドワーフであるイアは、その小さな身体でも突進して来たマリアを難なく受け止めた。
「ありがとう! ありがとう、イアちゃん!」
マリアは泣いていた。
イアは彼女の頭を、そっと撫でる。
僕は、ゆっくりとイアに近付くと、彼女に右手を差し出した。
「ご苦労様、イア」
イアは僕の手を強く握る。
「どういたしまして、さ」
「手分けして聖騎士達の装備を外して、一箇所に集めて下さい!」
僕は全員に指示を出す。
「次に彼らの意識があるかどうか調べて下さい! 意識がある様なら後ろ手に縛って、見張りをつけて横一列に並べて下さい! ミランダさん! 見張り役を選んで貰えますか!?」
「分かったわ!」
僕が、そう頼むとミランダさんは、頷いて数人のエルフの戦士達に声を掛けた。
「意識の無い人がいたら人間でもエルフでもドワーフでもいいので医師の人か、僕に声を掛けて下さい!」
「マサタカさんっ!」
僕が、そう全員に伝えると、早速マリアが声を掛けてきた。
僕が彼女の方を見ると、その側では装備を外されたホボス司教が横になっていた。
「ホボス司教様の意識が戻りません! 呼吸も止まってらっしゃるみたいです!」
「心臓は!?」
マリアはホボス司教の胸に耳を当ててから答える。
「動いてらっしゃっいます!」
心臓が、まだ動いているのは、不幸中の幸いだった。
だけど呼吸が止まっているのなら、放って置けば何れ心停止に陥ってしまうだろう。
「よし! マリア!」
僕は手を薙ぎ払う動作をして彼女に向けた。
「はい!」
彼女は元気よく返事をして指示を待つ。
「人工呼吸だ!」
マリアが固まった。
……え? 私が? ……という表情をしていた。
その顔のままで彼女は、ホボス司教を見下ろす。
そして、この世の終わりが来たかの様な情け無い表情に変わると、僕に向かって首を横に振った。
僕はレアを見た。
「お断りします」
笑顔で即答された。
「まだ何も言ってないよ?」
僕は彼女に尋ねた。
「何を仰りたいのかは、だいたい分かったので、お断りします」
レアは笑顔を崩さずに答えた。
「命令でも?」
「きっぱりと、お断りします」
「お願いでも?」
「はっきりと、お断りします」
レアは、にっこりと答えた。
僕は今度はイアを見る。
彼女は……うえ、こっち見んな……と、舌を半分くらい出して露骨にイヤそうな顔をした。
「レアやテミスからジンコウコキューの話は、聞いた事があるけど……練習した事は無いから出来ないよ」
彼女は少しだけ真面目な顔をして答えた。
「それにオレ……家族を除けばテシ以外とチューする気は、無いぜ?」
少しだけイアは、頬を赤く染めた。
僕はミランダさんを見た。
「そんな奴とキスするくらいなら、こいつとした方がマシよ」
彼女は僕にジト目を向けながら、コンバさんを指した。
「なんじゃとー!?」
コンバさんは怒り出した。
僕は縋るような瞳で美恵を見る。
彼女は目を大きく開いて自分の顔を指差した。
……え? あたし? ……。
彼女は、そう訊き返す様な顔をする。
そして目を閉じると、少しイヤそうな顔をして後頭部を右手で掻いた。
「はあぁーっ!」
美恵は大きな溜め息をつく。
「そりゃ、そんな奴でも死なれたら寝覚めが悪いし、
──ああ、神様、仏様、女神様、美恵様!
「でも、あんたがいるんだから……あんたが、やんなさいよ?」
美恵は僕を睨んで言った。
「それとも何? 政孝は、あたしが目の前で、その人と
彼女は微笑みつつもジト目で僕を見た。
僕はホボス司教に人工呼吸する美恵を想像する。
そして今初めて、他の男がテミスに人工呼吸する姿を見たヨアヒムさんの気持ちを、本当の意味で理解できた。
僕は、ゆっくりとホボス司教に近付く。
マリアは慌ててホボス司教の前から、どいてくれた。
心肺蘇生による救命措置は、一刻の猶予もならない。
僕は覚悟を決めて、しゃがみ込むとホボス司教に顔を寄せた。
ホボス司教の唇は、海水に濡れて
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