勅使河原くんとホボス司教 Ⅲ

「政孝っ! どいて!」

 ペイルに跨がり直して美恵が、叫んだ。

「海底の一本道なら彼等に逃げ場は無いわ! ペイルのブレスを使う!」

 僕は美恵の表情を確認する様に見つめた。

「大丈夫よ、政孝……。あたしなら、大丈夫だから……」

 そう言って、彼女は微笑んだ。

「あたしが魔姫の中じゃ一番の年長者なんですもの……。あたしだってマリアちゃんに辛い思いなんてさせたくないわ。……させるぐらいなら、あたしが……あたしが、やってみせる!」

 彼女の真剣な眼差しを僕は、見つめ返した。

「……ごめん……頼む……」

 そう答えるのが精一杯だった。

 美恵は強く微笑んでくれた。

「みんな! 下がって! これからペイルが、ブレスを放つわ!」

 ペイルの周りから人々が離れていく。

 美恵はペイルの首を片手で撫でた。

「ごめんね? 巻き込んじゃって……」

 ペイルは小さめな咆哮をあげる。

 まるで美恵に……気にするな……と、言っているかの様に……。

「ありがと……」

 ペイルに御礼を言う美恵の瞳は、金色に輝いていなかった。

 それはペイルが自らの意思で美恵に協力してくれている事を示していた。

 ペイルは賢くて優しいドラゴンだ。

 本当だったら無益な殺生など、したくは無いだろう。

 僕は彼にも深く感謝した。


 四肢の爪を地面に食い込ませて、ペイルが翼を拡げる。

 青白い雷をペイルの両翼が、纏い始めた。

 ゆっくりと口を開いて、ホボス司教達に狙いを定める。


「盾! 前へ!」

 ホボス司教の号令が、僕の耳にまで聞こえてきた。

 僕は声がした方へと顔を向けると、聖騎士の中でも大きな盾を装備している人達が、前へと出るのが見えた。

 そして、また不快な気分にさせる呪文が、僕の耳に聞こえてくる。

 盾を装備している聖騎士達の前に、白く輝く魔方陣が現れた。

 不覚にも僕は、その光景を美しいとさえ思ってしまった。


「撃って! ペイル!」

 後ろから、美恵の叫び声が聞こえた。

 青白い稲妻の様な火線が、ホボス司教達に向かって伸びていくのが見える。

 今まで見たペイルのブレスの中で一番強い輝きだった。

 その先端が聖騎士達の魔方陣にぶつかる。

 激しい光の奔流が眩しすぎて、僕は様子を確認する事が出来なかった。

 ペイルのブレスが、逃げ場の無いホボス司教達に直撃したのだけは、間違いない筈だ。

 ──だけど、あの魔方陣は一体……?

 ペイルのブレスは、ホボス司教達を飲み込む様な輝きで彼等に衝突した。

 到底、無事に済むとは思えない。

 しかし、輝きが少しずつ弱くなると、僕は驚愕の光景を目の当たりにした。

「そんな……?」

 そう呟いた美恵も……ペイルさえも、きっと同じ気持ちだったろう。

 ──信じられない……。

 ホボス司教達は無傷だった。

「はははははっ! たかが若いドラゴンのブレス如きで我々の神の守護を撃ち破る事など、出来はしないっ!」

 ホボス司教の哄笑が周囲に響いた。


「レア……」

 その信じられないくらい異様な光景を見た僕は、彼女を呼んでしまう。

「はい……」

 レアは既に覚悟を決めた様な目をして僕を見た。

「……ホボス司教達の身体にいる水分子の精霊達は……見えるかい?」

 一度だけレアは、目を閉じてから答える。

「はい、しっかりと確認できます……。わたくしの精霊魔法の前では、鎧や兜や盾など無意味です……」

 彼女は、そう言った。

「彼等の……水分子の精霊達を……暴れさせて貰えないか?」

 僕は遂に、その言葉を伝えてしまった。

「それは命令ですか?」

 彼女は尋ね返す。

 僕は、ハッとした。

「違う! 違うんだ! これは……」

 僕は彼女の視線から逃れるように俯いた。

「お願いなんだ……。だから、断ってくれてもいい……」

 僕は代わりにヨアヒムさんと、ミランダさん、コンバさんを見た。

 彼等は頷いた。

「ホボス司教達を、このまま上陸させて……戦える者達で迎え撃つという手段もある……。僕も、みんなと一緒に戦うから……もし断るならレアやマリア達は、みんなと一緒に奥に移動して隠れていて欲しい……」

 僕はレアにそれだけを伝えた。

「マーくんは時々残酷な事を仰るのね……」

 レアは、また目を閉じると微笑みながら言った。

「母親と妹の婚約者がいる……わたくしに、家族が戦って犠牲になる可能性の残った選択肢は、選べませんわ……」

 レアは、ゆっくりと僕に近づいて来る。

「ひとつだけ尋ねても宜しいですか?」

 僕は彼女と視線を合わせずに、俯いたままで頷いた。

「わたくしよりもマリアちゃんの方が大事だから、そのような御願いをするのですか?」

 僕は彼女の方を向いた。

「違う! それだけは絶対に違う!」

 ──それだけは否定しなければ!

 ──本当に、それだけは絶対に違うと、彼女に伝えなければ!

 でも、それ以上は言葉が出なかった。

 レアは、しばらく僕の目を見詰め返すと、ふと笑った。

「信じます」

 彼女は短く、そう答えた。

 そして浜辺に向かって歩き始める。

 僕は視線を感じて、そちらの方向を見た。

 この世の終わりのような絶望的な顔をしたミランダさんが、そこにいた。

 僕はミランダさんとの約束を守れなかった。

 優しいままのレアでいさせてあげる事が、出来なかった。

 そのレアの優しさを、むしろ利用してしまっていた。

 もう一つの視線が、僕に突き刺さる。

 テミスがミランダさんの上着の袖を掴みながら、僕を見つめていた。

 その表情は姉を助けて欲しいと、懇願する妹のものだった。

 僕は、いたたまれなくなってレアの方を見つめ直す。

 彼女は海底の道を歩くホボス司教達を見詰めていた。

 レアの左目が、赤く輝き始めた。


「待って、レアちゃん!」

 マリアが叫んで、レアを止める。

 レアは、ゆっくりとマリアの方へ振り向いた。

「……私が……やります……」

 何かを決意した表情でマリアは、そう言った。


 レアと入れ替わる様に、マリアが海の前に立つ。

 すれ違いざまにレアは、マリアに尋ねる。

「本当に大丈夫?」

 レアは心の底から心配している様子だった。

「ありがとう……大丈夫……」

 マリアはレアに笑顔を向ける。


「マサタカさん」

 彼女は僕を呼んだ。

 その表情も笑顔だった。

「私の後ろに立って抱き締めて、支えて貰えませんか?」

 彼女は微笑んで言う。

「何があっても倒れてしまわない様に……」

 彼女の御願いに、僕は頷いた。


 ゆっくりと彼女に近付いて後ろから、そっと抱き締める。

「ミランダさんの服の袖をテミスちゃんが掴んでいるのを見た時に、マナちゃんと彼女の、お母さんの事を想い出したんです……」

 マリアは僕に話し掛けて来た。

「その光景を見て……ホブゴブリンの生け贄になる事を決めて……でも、やっぱり怖くて……自分が助かる方法を占って……そしてマサタカさんに出会えました」

 マリアは少しだけ首を後ろに傾けて、僕を見上げて微笑む。

「私が全ての始まりなんです。だから……自分で決着をつけないと、いけない……と、思いました」

 彼女は海の方へと視線を向ける。

「マサタカさん……もっと強く痛いくらいに抱き締めていて下さい……。私の身体が折れてしまうくらい……そうして貰わなければ、きっと心の方が折れてしまうから……」

 僕は更に彼女を抱く腕に力を込める。

「マリア……『対の門』を……小さな白い円を僕の側に……黒い円を進軍してくるホボス司教の側に……」

 僕はマリアに御願いをした。

 現れた白い円に向かって叫ぶ。

「ホボスさん! もう引き返して下さいっ! 僕は本気です! マリアだって覚悟しましたっ! これ以上近づけば『対の門』を消しますっ!」

 僕は溢れる涙を抑える事もせずに、大きな声で白い円の向こうのホボス司教に向かって懇願した。

「僕はっ! 僕は貴方だって死なせたくないんだっ!」

 しかし返って来たのは……。

『はははっ! 甘いぞ! テシガワラマサタカ! この期に及んで下らない警告を発する事こそ、貴様が我々を殺したくても殺せない証拠だ!』

 ここから見てもハッキリと分かるくらいに、ホボス司教の目に狂気という名の光が宿っていた。

『戦場では躊躇った方が負ける! 神を信じきれなかった方が負ける! そうして俺は、今まで勝ってきた! 全ての聖戦を勝ち抜いてきたんだ!』


 ──聖戦?

 ──そんな下らないものの為に、僕は大好きな女の子に人殺しをさせないと、いけないのか?

 ──どうして……。


「どうして、分かってくれないんですかっ!?」

 僕の最後の絶叫もホボス司教達の足を止める事が出来なかった。

 これ以上の彼らの接近は、許されない。

 彼らは溺れ死ぬ事なく島の浜辺に辿り着いてしまうだろう。

 僕らは迎え討つしか手が無くなる。

 それは誰かしら犠牲者が出る可能性がある事を意味していた。

 僕は、ここまで自分に付いて来てくれた人々を誰一人として死なせたくない。

 こちら側の犠牲者を一人も出さずに幕を引く手段は、たった一つだけ……。


 ──だから……。


「マリア……『対の門』を消して……」


 僕が彼女に、そう伝えた瞬間に……全ての『対の門』が一斉に消えた。

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