勅使河原くんとホボス司教 Ⅱ
「うーん」
僕は海が割れて出来た剥き出しの海底のデコボコ道を、ゆっくりと走る馬車の中で考えていた。
「どうかしましたか?」
レアが僕に質問をしてくる。
「いや、考えてみれば『対の門』の反対側を上に向けて、それで作った橋を島まで架けて貰っても良かったんじゃないかな? ……って、思ってさ」
『対の門』は白い円にしろ、黒い円にしろ、裏から見ると、向こう側が透けて見える。
しかし、見えない壁があるかの様に、その透明な側からは、物を通す事が出来なかった。
それを海の上に複数を繋げるように出して、足場にした橋を作っても良かったんじゃないか? ……と、いまさら思い付いた。
「いいアイデアを思いついたと興奮した後で冷静になってみると、別の良いアイデアが浮かんだりするんだよねえ……。困ったもんだ」
僕は、そう言って悩んだ。
レアはクスクスと笑う。
「でも海の上に手すりの無い橋を架けて貰っても、横から強い風を受けたり高波を被って海の中に落とされたら、ひとたまりも無いんじゃないか?」
イアが少しだけ笑顔で質問をしてきた。
──確かに……。
──いや……。
「左右も上も『対の門』で覆って、トンネルみたいにすれば大丈夫なんじゃないかな?」
僕はイアの疑問に答えた。
「なるほどなー。まあ、いまさら変更は、無理だから……このままで行こうぜ?」
「それは、そうなんだけどさー」
イアの提案に僕は、少しだけ残念そうに答える。
「『対の門』は馬車が乗っても壊れないんでしょうか?」
何気ないレアの質問に、僕は固まった。
──そう言えば自分の力で押した時に壊れなかったのを確認しただけで、耐荷重とか一切、具体的に調べて無かった……。
『対の門』で出来た橋の上を通る馬車に乗っている僕が、透明な円が割れたせいで海中へと落下する。
そんな想像をしてしまい、僕は背筋が寒くなった。
──いやいや、この水圧にも耐えられるんだから、相当の重さにも耐えられる筈だ……。
──でも純粋な海面の高さからの水圧が、掛かってる訳じゃ無いし……。
僕は思考の迷宮に入り込んでしまった。
「マサタカさんっ! 島が見えて来ました!」
上空からマリアの嬉しそうな声が聞こえる。
彼女には引き続き『対の門』で海を割って貰う為に、美恵と一緒にペイルに乗って、周囲を見渡せる上空にいる様に頼んでいる。
吸水の為の白い円は、剥き出しの海底にいても出現させる事が出来るけれど……排水する為の黒い円は、なるべくなら遠くの空の上に出したいので、マリアには両方が眺められてイメージし易い位置である真上の空に上がって貰っていた。
「よし! じゃあ、一気に島まで海を割って貰える!?」
「はい!」
僕の御願いにマリアは、元気良く答えてくれた。
「そっちの海底と島を複数の『対の門』で繋げた方が、移動の効率は良くない!?」
ペイルの上から、美恵が僕に尋ねてきた。
「『対の門』の大きさは、まだ大きな丸い座布団くらいまでなんだ! 僕らは通れても馬や、馬車は無理だよ! せっかく馬を島に移動できる方法なんだ! このままで行くよ!?」
「了解!」
僕の返事に、美恵が応える。
「マサタカさんっ! 教会軍です!」
突如、緊迫したマリアの声が、僕の耳に入ってきた。
僕は彼女の指差す後方へと振り向く。
ちょうど教会軍が、僕らのいた浜辺に到着していた。
「マリア! 島までの『対の門』は、出し終わった!?」
「はい! 島までは、もう海が割れ始めています! 後は通るだけです!」
──よし!
「じゃあ、小さな白い円をホボス司教の側に、小さな黒い円を移動させながら僕の近くに出して!?」
「……やってみます!」
僕の側に黒い円が出ると、ホボス司教とデモス司祭の会話が聞こえてきた。
『なんだあ、こりゃあ!? 海が割れてるぜ……』
デモス司祭は呆れた様な声を出している。
『これが……第一の魔姫の仕業だとでも言うのか……?』
ホボス司教も唸っていた。
『どうする? 一旦、引き揚げるか?』
──デモス司祭、是非そうして下さい!
僕は両手を合わせて祈った。
『馬鹿を言え! こんな強大な力を持った魔姫を放っておけるかっ! 追撃するぞ!?』
──ああ、もう!
「待って下さい、ホボス司教!」
僕は叫んだ。
『なんだ? 小僧の声が聞こえてくるぞ?』
『デモス、見ろ! あの円だ』
ホボス司教は自分達の側にある小さな白い円の存在に気が付いた様だ。
僕は構わず二人に話し掛ける。
「僕達は、もう島へと渡り終える寸前です! 島へ渡り終えたら、この『対の門』は消去します! 割れた海は元に戻ります! 海の中に沈みたくなければ、追撃するのは止めて下さい!」
少しだけ沈黙があった。
『……だとよ?』
デモス司祭がホボス司教に尋ねた。
『相手は魔王だ。追撃をさせない為の嘘かも知れん』
──だあぁーっ!
──この人は、本当にもう!
「嘘じゃないですったら!」
「マーくん、その言い方だと余計に嘘っぽく聞こえます」
レアが横から口を挟んできた。
「ほっとけよ! 沈みたい奴は、海の
イアが過激な事を言う。
『どうする?』
『……確かに向こうの言う通りなのかもしれない……。だけど妙に思わないか?』
──マズい!
僕は次の言い訳を必死で考えた。
教会軍に追撃されると、不味い事になるからだ。
『どういう事だ?』
『どうして我々を、わざわざ助ける様な事を伝えてくる? 大人しく追撃させておけば、一網打尽で始末できるだろうに……』
──マズい! マズい!
ホボス司教は、こちらの最大の弱点に気付き始めていた。
『今までも、おかしいとは思っていたんだ。もしかして連中は、俺達を殺さないんじゃなくて……殺せないんじゃないか?』
ホボス司教は答えに辿り着いてしまった。
そう……誰か一人でも割れた海の底の上にいる状態で、マリアが『対の門』を消せるわけ無い。
消せば、その人は確実に溺れて死んでしまうのだから……。
『根拠は?』
デモス司祭が質問をする。
──いいぞ……。
──まだ追撃が止まる可能性が、完全に潰えた訳じゃなさそうだ。
『連中が甘ちゃんだから……としか言い様が無いな』
ホボス司教の答えに、デモス司祭が溜め息をつく。
だがホボス司教は、号令を出してしまった。
『これより魔王と魔姫の追撃を再開する! 神の加護は我らと共にある! 恐れを知らぬ神の僕たちよ! 俺に続け!』
黒い円の向こうから僕にも、歓声が聞こえた。
だが、それは意外と小さなものだった。
きっと少人数しかホボス司教の号令に応じなかったのだろう。
『待て待て、危険過ぎる。こんな
デモス司祭は呆れてホボス司教に言っている様子だった。
『大丈夫だ。あいつらに海を閉じて俺達を殺す度胸は無い』
ホボス司教は言い切った。
──いや、実際その通りですけどね……。
──こうも、あっさり読まれるとなあ……。
『そうかも知れない。だが
デモス司祭は慎重な声でホボス司教を止めようとした。
再び、しばらくの間の沈黙が続く。
僕は祈った。
やがてホボス司教が、少し怒っている口調でデモス司祭に話し掛ける。
『ならば付いてこれる者達だけが、付いてくればいい……。残念だよ、デモス……戻ったら君は、教会で裁判に掛けさせて貰う……。ここに残った者も全員だ」
『俺も残念だ、ホボス。お前の事は奴に託されていたが、他の仲間を巻き込んでまで付き合えん。ここで待っていてやるから、お前の好きにしろ」
二人の、そういう会話内容が、聞こえてきた。
──くそ!
僕は自分の掌を、もう一方の拳で殴った。
『いまだ神を信じ抜いている者だけ、俺に続け! 行くぞ!』
再びホボス司教の号令が、聞こえてきた。
僕は教会軍のいる浜辺の方を見直す。
ホボス司教を先頭に三十人程が、こちらへと進軍してきた。
千人規模からなるユピテル支部の教会軍全員よりは、少ないが……。
「みんな……重装備の聖騎士じゃないか……」
戦闘のプロ中のプロ……。
僕の心を絶望という名の手の指が、後で掴んで握りつぶすつもりで、
「イア! レギオンをホボス司教達に向かわせて、足止めさせてくれ! 可能だったら押し返させてもいい!」
「分かった!」
ホボス司教達は、まだ海底に入ったばかりの位置だ。
深い場所に入る前に、僕らが渡り切ってさえしまえば、マリアも躊躇わずに『対の門』を消せるだろう。
そして、まだ浅い位置なら溺れる前に、ホボス司教達が引き返す事も可能な筈だ。
小さなゴーレム達が集まると、レギオンは
レギオンは高速で海底の道を引き返す様に、ホボス司教達へ真っ直ぐ向かって行った。
遠くホボス司教達のいる場所から、詠唱の声が響いてくる。
その声音を不快に思いながら、僕は嫌な予感がしてきた。
「まさか……」
その、まさかだった。
「駄目だ! テシ! あいつらも威力こそ違うが、デモス司祭と同じ魔法を使う!」
聖騎士達が先頭に立って、大きな百足姿のレギオンと戦っていた。
彼等が魔法を帯びて光る剣を振るって百足に当てる度に、レギオンを構成している小さなゴーレム達が一体……また一体と剥ぎ取られる様に左右の海中へと吹き飛ばされた。
「ちくしょう! ちくしょう!」
イアが目に涙を滲ませながら悔しがった。
「テシ! そんなに長くは保ちそうも無い! 急ごう!」
彼女は大事なゴーレムを引き帰させる事なく僕に、そう伝えてきた。
僕は彼女の覚悟に感謝して頷いた。
そして僕らは、全員が無事に島の浜辺に上陸した。
僕は割れている海を見るために振り向く。
しかし、レギオンを形作っていた小さなゴーレム達は、聖騎士達に弾かれ全て左右の海中に没してしまった。
イアは呆然としながら、膝を屈して両手を地面に着き、海を見詰めていた。
そしてホボス司教達は、といえば……未だに進軍を止める事が無く、今は海底に出来た道の中央辺りにいた。
──もう、間に合わない。
今、『対の門』を消したら、ホボス司教達は確実に溺れ死ぬだろう。
僕はマリアを見る。
マリアは恐怖に震えながら、首を左右に振った。
……私には無理です……。
彼女の瞳は、そう僕に訴えかけていた。
たった三十人の聖騎士……。
だが、その命の重みはホブゴブリン一体の比じゃない。
いや……。
例え、そこにいるのが一体のホブゴブリンだけだったとしても、同じ命には変わらない。
彼女には溺れさせて殺す事なんて無理だろう。
僕はマリアに向かって……分かっているよ……という風に微笑むと、再び海の底から向かってくるホボス司教達を睨んだ。
そして、彼らをマリアに頼らず殲滅する為には、どうしたらいいのかを考え始めた。
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