第四話

勅使河原くんとホボス司教 Ⅰ

 僕は今、絶望的という言葉が、ぴったりな状況にいた。

 マリアの占いによって水晶玉に映し出された島。

 僕達全員が助かる可能性のある未来が、約束された島。

 その島が見える浜辺に僕達は、ようやく辿り着いた。


 だけれど島が……見えないのだ。


 ──僕達のいる浜辺は、とても良く晴れているのに……。

 恐らく島があると思われる手前は、分厚い雲で覆われていた。

 マリアは顔面蒼白になってしまっている。

 僕は自分を呪った。

 こうなるであろう可能性は、あらかじめ考えておくべきだった。

 僕は教会軍から逃げる事ばかりを考えていた。

 逃げ切れさえすれば……島が見える浜辺に辿り着きさえすれば、『対の門』で何とかできる……と、安易に決め付けていた。

「マリア……やっぱり、これじゃ……?」

「はい……『対の門』の片方を島へと出現させる事は、できません……」

 マリアは項垂れた。

 僕は浜辺から海の向こうにある雲の壁を睨んだ。


 マリアは『対の門』を複数出せる様になった。

 だから多人数でも島が見えて『対の門』で浜辺と島の間を繋げる事さえ出来れば、移動は短時間で済むと思っていた。

 円の大きさが座布団くらいまでという条件は、変わらないので円を通れないであろう馬は、放してやる必要があると思っていたのだけれど……。

 放した馬は教会軍が回収して適当に使ってくれるとも考えていた。


 ──こちらの浜辺で『対の門』を出して、島のありそうな場所に向かって黒い円だけを移動させようか?

『対の門』は最後に出した一対の白い円と黒い円の組合わせだけ移動可能だ。

 次の組合わせを出したら、その前の組合わせは、固定されて移動できなくなってしまう。

 消す事は出来るが、一対ずつの消去は無理で、消す時には纏めて消すしかない。

 異物が挿入されている場合は、消えないけれど……異物が円から離れた瞬間に消えてしまう点は、一対しか出せなかった時と一緒だ。


 ──複数の『対の門』の黒い円達を一緒に移動させられるなら、何も問題は無いんだけどなあ……。


 一対だけの『対の門』による全員の移動だと時間が掛かりすぎる。

 黒い円を移動させながら島への着地点を探す時間を含めるなら尚更だ。

 教会軍は、かなりの距離まで詰めてきている筈だ。

 今はイアのレギオンに、また橋を壊して貰って、ペイルに乗った美恵が、教会軍の馬を操って混乱させている頃だと思う。

 その結果次第で時間が稼げたのなら、一対での移動も可能だろうけれど……。


 ──ペイルか……。


 ペイルにマリアを乗せて美恵に飛んで貰って、雲が薄くなって島が見える距離にまで近付いてから、島に黒い円を、こちらの浜辺には白い円を、それぞれ複数の対で出して貰うのは、どうだろうか?

 こちらの浜辺側は無風に近いが、島の近くは風も強そうだ。

 でもペイルなら島の近くまで飛ぶのに、何も問題は無いだろう。

 島に近付くと逆に雲のせいで、こちらの浜辺が見えなくなる可能性はあるけれど……。

 美恵が戻ってきたら試してみる事にしよう。


 ──でも、その前に……やれるだけの事は、やっておかいないと……。


「レア?」

「はい」

 僕はレアに声を掛けた。

 彼女は返事をすると、僕の側へと来てくれる。

 僕は彼女に、ある御願いをした。


「やっぱり駄目か……」

 僕は残念に思った。

「はあはあ……すみません……ん……はあ……」

 レアは息を荒くしながら答える。

 浜辺から眺める僕の視線の先で、巨大な流氷が崩壊しながら流れ去っていく。

「レアが悪いんじゃないよ……」

 僕は彼女に海を凍らせてみる様に頼んだ。

 全力の彼女の精霊魔法によって、氷の橋が海上に作られ伸びていったのだが、やはり潮の流れが強い為か、出来た氷が直ぐに流されてしまった。

「自然の力は、偉大だなぁ……」

 魔姫の魔力は無限だと言っても、やはり一度に出せる力が限られているみたいだ。

 もしかすると彼女達の成長と共に、それは変化していく類いのものかも知れない。

 マリアが今現在『対の門』を複数出せる様になったみたいに……。

 後ろから見ていたテミスと、ヨアヒムさんと、ミランダさんが、目を丸くして驚いていた所を見ると、レアの精霊魔法は怖ろしい程に強大な力だったのだろう。

 それでも海を凍らせるには至らなかった。

 正直僕も、ここまでレアの力が凄いとは思っていなかった。

 ……氷の塊が海面に、ぷかぷかと浮かぶぐらいかな? ……と思っていた。

 だから巨大な流氷が現れた時は、とても驚いた。

 そのせいで少しだけ期待してしまった。

 しかし流石に、そう上手くいく筈も無かった。

 ──海は本当に広くて大きいんだな……。

 僕は溜め息を漏らした。


「政孝ーっ!」

 僕が自然の力に感心していると、美恵の声が遠くから聞こえてきた。

 僕は声のする方を向いてペイルに手を振ると、騎乗している美恵を見る。

 彼女の表情は焦っていた。

 嫌な予感がする。

「大変よ! 教会軍が馬を捨てて、こちらに歩いて向かってくるわ!」

 予感が当たってしまった。

「イアちゃんが橋を壊してくれたけれど、人が通れるだけの丸太を倒して置いて、直ぐに渡ってしまったの!」

「イアは!?」

 僕は美恵にイアの無事を尋ねた。

「無事よ! 小さなゴーレム達と一緒に、こっちに向かって来ている筈だわ! 教会軍に追いつかれる事は無いと思う! 私は先に急いで報告しに戻ってきたの!」

 僕は取り敢えず、ホッとした。

「教会軍は何隊かに別れて、こちらを包囲する様に向かって来てるわ!? 私達は袋の鼠よ!? ねえ、政孝っ!? どうしよう!? どうしたら、いいのっ!?」

 教会軍の到着には、まだ余裕があるとは言え、これで一対による全員の移動は、時間が掛かりすぎる為に不可能になった。

 マリアをペイルに乗せて島が見える所まで飛んで、こちらの浜辺との間を複数の『対の門』で繋げて貰う方法でも恐らく間に合わないだろう……。

 僕は直ぐに別の方法を考える事を始めた。


 僕は海を睨みながら別の方法を懸命に考えていたが、良い方法が思い浮かばないまま、教会軍が浜辺に到着する時間へ刻一刻と迫ってきていた。

「政孝……」

 美恵が沈痛な面持ちで僕に話し掛けて来た。

「なに?」

 僕は作り笑いを浮かべて彼女を安心させようとする。

「村長さんと、ミランダさんと、コンバさんが話し合った結果を伝えるわ……」

 ──そんな会議をしていたんだ……。

 ──僕抜きで?

 僕は再び嫌な予感がしてきた。

「政孝と、あたし達四人の魔姫……それにテミスちゃんとヨアヒムさんをペイルに乗せて、他の人達にバレない様に島へ逃げて欲しいそうよ……」

 僕は全身の毛が逆立つくらいの不快な憤りを感じた。

「みんなを見捨てて逃げろって言うの!?」

 美恵は僕の顔を見ながら驚きの表情をした。

 きっと僕は、相当に怖い顔を彼女に向けてしまったに違いない。

 でも美恵は、僕の顔を真剣に見つめ返すと、話を続けてくれる。

「あたし達が逃げた後に全員で投降する気だって……首謀者の首を三人分も差し出せば、魔王や魔姫は無理でも、他の人達は許してくれるかもしれないって……」

「甘過ぎるよ!? 僕らの世界でだって歴史上の狂信者達が、どんな行いをしてきたかなんて、美恵だって世界史で学んだ事くらいあるだろう!?」

 僕は大きな声で美恵を怒鳴ってしまった。

 彼女には何の罪も無い事なのに……。

「……それがイヤなら、もう戦うしか無いわ」

 彼女は哀しげな瞳で僕を見据えた。

「相手は千人ほど……ペイルのブレス、イアちゃんのレギオン、レアさんの精霊魔法……コンバさんやライデさん、ヨアヒムさんとミランダさんやエルフの戦士の人達だっている……勝てない相手じゃ無いわ……」

 確かに美恵の言う通りかも知れない……。

 でも……。

「向こうには聖騎士パラディンだっているんだ。犠牲者は必ず出てしまう……」

 それに……。

「レギオンはデモス司祭に簡単に分解されてしまう。彼を抑えつつレギオンを上手く運用しないと……勝てる見込みが無いよ……」

「見晴らしの良い場所からレアさんの精霊魔法を使って貰えれば……」

 確かに、その手ならレア一人だけで教会軍を殲滅できるだろう。

 しかし……。

「それじゃ虐殺だ……。そんな事をレアにだけ任せたくない……」

「綺麗事ばかり言わないでよっ!」

 俯いて顔を逸らした僕の胸ぐらを掴んで、美恵は苛立ちを隠さずに詰め寄った。

「じゃあ、どうしろって言うの!? 他に、どんな方法があるって言うのよ!? レアさんの精霊魔法ですら、海を凍らせきって渡る事が不可能だったんでしょ!? 他に島へ渡れる方法があるのなら今すぐ、あたし達を導いてよ! あのモーゼみたいにっ!」


 ──モーゼ?

 ──十戒の?


 ──そうか……。

 ──その手があった!


「ははっ! そうだよっ! 今の状況は、まるで十戒みたいじゃないかっ!? 何で気が付かなかったんだろう!?」

 哄笑する僕を美恵が、驚いて見つめる。

 僕は美恵の顔を見た。

 彼女は若干、引いていた。

 でも僕は構わずに喜びのあまり美恵に飛びついて、彼女を抱き締めた。

「ありがとう! 美恵のおかげだ! 上手くすれば全員が助かるかも知れない!」

「……え? ええっ!?」

 僕は美恵から少し離れると、彼女の両肩を掴みながら感謝の言葉を伝えた。

 僕は美恵の顔を真剣な眼差しで見つめる。

 彼女は頬を赤くしながら瞼を閉じると、唇を少しだけ寄せてきた。


 僕は彼女のサインに気が付かずに両手を離すと、後ろを振り返った。


「マリアーっ! お願いがあるんだーっ!」

 僕は嬉しそうに手を振りながら、マリアに向かって走って行った。


「……結局、マリアかーい!」

 目を開けた美恵のツッコミが後ろから響いたけれど、僕は気が付かなかった。


 それから数分後に、マリアは海を目前にして浜辺に立っていた。

 その直ぐ後ろには、僕がいる。

 そして、その後ろに全員がいた。

「……じゃあ、始めて貰えるかな?」

 僕は緊張しながらマリアに優しく声を掛けた。

「はい……」

 マリアは静かに返事をしてから目を瞑り、一度だけ大きく深呼吸をする。

 そして目を開くと、島があるらしき雲の壁を見詰めながら、両手を海に向かって突き出すように水平にかざした。

 マリアを中心に左右で十メートル程の距離を空けて一番大きな白い円が、横並びに五つずつ……彼女から海に向かって少し前の地面に左右の合計で十個ほど現れる。

 そして更に海に向かって、同じ様に十個の白い円が現れた。

 その白い円に波が被ると、海水が吸い込まれる。

 吸水された海水は、遙か左上空に浮かぶ黒い円から排水された。

 潮の流れは浜辺から見て右から左へと流れているので、そう配置する様に予め僕が、マリアに指示をしている。

 白い円達が、ゆっくりと地面を這って海底に向かって伸びる様に続けざまに出現していく。

 海水が次々と白い円に吸い込まれていく。

 そして遙か遠くの黒い円から排水された。

 白い円で挟まれた海底が、徐々に剥き出しの姿を晒していく。


 マリアの使う『対の門』の力によって、海が割れ始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る