勅使河原くんと、お父さん Ⅳ

「僕は十中八九じっちゅうはっく、自分の元いた、この世界には戻らない積もりです」

 ──美恵が僕の恋人になって、彼女が帰りたいと願った場合以外は……。

 心の中でだけ、そう付け加えた。

「時々、帰れる様になった場合には、帰省するかも知れないけれど……生活の基盤は異世界に置こうと思う……」

 父さんは厳しい表情で僕を見つめた。

 母さんは信じられないといった顔で目を大きく見開く。

 姉さんは目を閉じて耳の穴を小指で穿ほじっていた。

「とても大切なもの達が向こう側の世界で、たった一月ひとつきにも満たない、この間で沢山できてしまったんだ……。もう、捨てられない……。ううん、僕が離れられない……」

 僕はマリアを見つめる。

 彼女も静かに見つめ返してくれた。

「後悔は、しないんだな?」

 父さんが僕に尋ねた。

 母さんは、今度は父さんを見つめる。

「なんかの映画の台詞でさ……後悔は、しないでするより、やってからしろって……今は、そんな気分だよ」

 僕はマリアを見たままで父さんに答えた。

「アニメ映画のセリフじゃないのよ。それ……」

 姉さんが呆れた様に言ったけれど、その顔は微笑んでくれていた。


 不思議だった。

 僕は家族に生きている事を伝えたいだけだったのに……。

 気が付いてみれば自分の、これからの生き方を決めて、それを報告する機会になった。

 でも、これで覚悟が出来た。

 僕は新しい世界で生きる。

 今、そう決めた。


「私は反対よっ!」

 母さんが椅子から立ち上がって叫ぶ。

「まだ未成年なのよ!? 社会に出るまでに学ばなきゃならない事が、沢山残っているのよ? 自分だけで将来を判断するのは、まだ早すぎるわっ!?」

「俺も、反対は反対なんだが……」

 父さんは後頭部を掻きながら目を閉じる。

「しかし、政孝本人が消滅するかも知れないとなるとな……。田舎に移り住む事を提案してみたが、それで美恵さんへ情報を完全に遮断できるとも思えんし……」

 父さんは静かに目を開けると、母さんに顔を向ける。

「今日の事は、狐に化かされたとでも思って、忘れるしかないかもしれないな……」

「そんな……」

 母さんは崩れ落ちる様に椅子に座り直した。

「私は自信が無いわ……。美恵ちゃんに黙っているだなんて……」

「政孝がいないのであれば、多少は口を滑らせた所で美恵さんは、そう簡単には生きていると信じないだろうよ」

 母さんは父さんを見つめて言う。

「あなたは平気なの? 跡継ぎが我が家からいなくなるのよ? 孫の顔だって見られなくなるかも知れないのに……」

「それは……」

 母さんの質問に父さんは、言葉を詰まらせる。

「あ、それなら……」

 僕は、うっかり口を滑らせそうになった。

「何だ?」

 父さんが先を促す。

「ううん、何でも無い」

 僕は口を抑えながら答えた。

「なによ? 気になるから言いなさいよ?」

 ──あんたのことだっちゅーねん。

 僕は少しだけ姉さんを恨めしそうに睨む。

「なに? 母さんにも言えない事なの……?」

 そう言うと母さんは、泣き出してしまった。

 ──いや、今は母さんだけじゃないし、全員いるし、聞いているし……。

「ちょっと! 母さんが泣いちゃったじゃないのよ? 大した事じゃないんでしょ? さっさと言いなさいよ!」

 弟の気持ちを知らずに、姉さんは勝手な事を言う。

 しかし、流石の僕も母さんに泣かれると思わなかった。

 ──仕方がないか……。

「姉さん、いま付き合ってる彼氏とか、いるんでしょ?」

 途端に姉さんの顔が、真っ赤になる。

「な、な、な、何を言い出すのかしら、この愚弟は……」

 姉さんは明らかに動揺していた。

『ちょっ!? 政孝っ!? そ、それは聞いたらダメよっ!?』

 異世界から美恵の驚いた声が聞こえてくる。

 その焦って上ずった彼女の声が、結局は駄目押しの様になってしまった。

 父さんと母さんが、一斉に姉さんの方を見る。

 姉さんは、その視線から逃れようと二人から顔を逸らした。

 確かに美恵の言う通り、この情報は過去や未来を改変する力を持つ可能性のある、伝えては駄目な情報かも知れないけれど……。

「気になるから話せって言ったのは、姉さんの方だし……」

 僕は半ばヤケクソになっていた。

 過去や未来の改変なんて、母さんに泣かれてまで説明を避ける理由には、僕の中ではならなかった。

「姉さんは近々結婚する予定だから、孫の心配は要らないと思うよ?」

 僕は、しれっと両親に伝えた。

「まさたかあぁーっ!?」

 姉さんは絶叫した。

「ほ、本当なの!?」

 母さんがテーブルに覆い被さる様に身を乗り出して、姉さんに顔を近付ける。

「まだ! まだよっ!? つい、この間プロポーズされただけで……まだ、はっきりとは答えていないわっ!」

 両手で母さんを制しながら、姉さんが言い訳っぽく答える。

「どんな奴なんだ?」

 本当に娘に結婚を約束するかも知れない彼氏がいると分かって、父さんも姉さんに顔を近づけて質問をしてきた。

「それを今回の帰省で、ゆっくり相談しようと思っていたのにっ! 政孝っ! なんで、あんたが知っているのよっ!?」

「未来人から聞いたんだよ」

「美恵ちゃんんっ!?」

『すいません! ごめんなさい! 堪忍してください!』

 姉さんは黒い円に再び上半身を入れようとしたけれど、父さんに止められた。


「マリア、黒い円を床に移動して貰える?」

 マリアは僕の指示した通りに『対の門』を移動してくれた。

「こんな、お別れの仕方で何なんだけど……そろそろ異世界に戻るよ。……姉さん? 今から謝っておくけど、式には出られなくてゴメンね? お幸せにっ!」

 僕は姉に向かって片目を瞑ってみせた。

「むぅわぁさぁたぁかあぁ〜っ!?」

 父さんに抑えられながら姉さんは、鬼の形相で睨んでくる。

 ──くわばら、くわばら。

「マリア、先に戻っていいよ?」

 僕が、そう言うと……マリアは父さん達に向かって、お辞儀をした。

 それから胸を右手で軽く抑えて、三人に話し掛ける。

「ありがとう……ございました……」

 彼女にしては辿々たどたどしい口調だった。

 家族三人の動きが、ピタリと止まる。

「どういたしまして、政孝を宜しくね?」

 姉さんが微笑んでからマリアに答えた。

 ──まさか?

 僕はマリアを見る。

 彼女は僕を見返す。

「予めミエさんに少しだけ日本語を教わっていたんです」

 彼女は笑顔で、そう言った。


 マリアが黒い円に入った後で僕も家族に向かって、お辞儀をした。

「本当に心配を掛けて、ごめんなさい。向こうの世界で元気にやっているから……僕は大丈夫だから……」

「政孝」

 父さんが声を掛けてきた。

「俺は、お前の子供だって見たいんだからな?」

「……」

「必ず、また帰って来い。ここは、お前の家なんだから……」

「うん、ありがとう……必ず、また帰ってくるよ」

 僕は床にある黒い円に向かって飛び込んだ。


 白い円を抜けて異世界に戻ってきた僕は、気が抜けてしまって暫く放心状態だった。

 マリアは役目を終えた『対の門』を消してくれる。

 レアは少しだけ瞳を潤ませながら、僕に抱きついてきた。

「レア?」

「ごめんなさい……。やっぱり少しだけ心配だったものですから……マーくんが元いた自分の世界に帰ってしまわないかと……」

 僕は彼女を受け止めて背中を摩りながら答える。

「もう、この世界が……君達のいる世界が、僕の世界なんだよ」


「なあ? 感動の再会をしている所で申し訳ないんだけど……ひとつ質問して、いいか?」

 イアが僕に話し掛けてきた。

「なんだい、イア?」

「どうしてもテシのいた世界に移動しちゃ駄目なのか?」

 イアは不思議そうな顔をして質問をしてくる。

 僕は彼女が何を言いたいのか分からなかったので、同様に不思議そうな顔をして見返した。

「いや、だってオレ達、教会軍から逃げている最中だぜ? もしテシの世界に全員で避難できるなら、完全に追手をく事だって可能だっただろ?」

 ──忘れてた。

「でも、た、た、た、たんぼでせっ……」

 マリアがイアに異論を唱えようとする。

「タイムパラドックス?」

 イアが尋ね返した。

「そう、それです!」

 マリアがドヤ顔をした。

 しかし、イアの疑問は止まらない。

「ミエが翻訳していてくれたから、大体は向こうの会話を把握していたけれど、テシの親父さんの言っていた親戚の田舎に全員で厄介になる訳には、いかなかったのか?」

「この野営地にいる全員を? 流石に、それは無理でしょ? ねえ、政孝?」

 イアの質問に答えた美恵が、僕に確認してきた。

 僕は子供の頃に父さんと親戚の家に遊びに行った事がある。

 かなりの大地主で山を幾つも持っていると、自慢された。

 気さくで優しい初老の夫婦だった。

 とはいえ、この多人数で押し掛けて受け入れてくれるかどうかは、正直いって分からない。

 分からないんだけれども……。

「もしかしたら、可能だったかも知れない……」

 あの広大な土地と山林なら、この人数でも匿って貰う事だけなら可能だろう。

 僕は、そう結論付けた。

 ゆっくりとマリアに首を回して顔を向ける。

「ごめん、マリア……」

 マリアは少しだけ後ずさった。

「もう一度だけ占って貰えない?」

「そんなあぁーっ!?」

 彼女は情け無い声で絶叫した。


「ダメです……。同じ事を占っても映りません……」

 マリアは、がっくりと項垂うなだれた。

「美恵がタイムパラドックスどうこうなんて、変な事を言い出すからっ!?」

「なによっ!? あたしのせいだって言うの!?」

 千載一遇のチャンスを棒に振ってしまった僕達。

 その夜は深夜までマリアの水晶玉に掛ける声と、僕と美恵の口喧嘩が野営地に木霊こだました。


 翌朝。

 僕は朝食を頂いて歯磨きをしている。

 昨日の事はミランダさん達には内緒にすることを五人で話し合って決めた。

 結局マリアが、やり直した占いでは僕の世界を映す事が二度と無かったからだ。

 教会軍の追撃を躱す機会を逸してしまった。

 到底、村長さんやミランダさんに報告できる事では無いだろう。


 美恵も隣に来て歯磨きをしている。

「昨日はゴメンね。僕が、うっかりしていたのに美恵を責める様な事ばかり言ってしまって……」

 僕は彼女に謝った。

「ううん、いいのよ……。久し振りに家族に会えたんだから興奮していても、しょうがなかったかも知れないわ。こちらこそ、ゴメンね?」

 美恵は、そう言って許してくれた。

「元々マリアちゃんの占いで、あたし達が全員助かる為に映し出されたのは、これから向かう島だったわけだし、元いた世界へ帰って助かる未来は、最初から無かったのよ……。きっと……」

「そうなのかもね……」

 僕は、そう説明してくれた美恵の言葉に少し救われた気がして、彼女に深く感謝し同意もした。

「でもマリアが占い直して映らなかったって事は、もしかして僕が余計な事を言ってしまったせいで未来が変わって、姉さんが結婚できなかったからなのかなあ?」

 そうだとしたら、物凄い申し訳ない事をしたと思う。

「大丈夫よ。あたしが仁美さんのウェディングドレス姿を、ちゃんと憶えているもの……」

 そう言って美恵は、彼女の穿いているズボンの後ろのポケットから古い手帳を取り出した。

「写真も持っているのよ? ほら!」

 彼女は手帳の間から写真を取り出す。

 その写真には、もう既に眼鏡を掛けている美恵と、父さんと母さん、それに姉さんと新郎らしき若い男性が写っていた。

 姉さんは白いウェディングドレスを身に纏い、とても綺麗だったけれど、笑顔が姉さんらしかった。

「とても素敵な結婚式だったわあ……」

「へえ、呼ばれたんだ?」

「うん! わざわざ米国アメリカまで結婚式の招待状と往復の航空機のチケットまで送ってくれたのよ? 行かない訳にはいかないでしょーが?」

 美恵は、そう言って楽しそうに笑う。

「ありがとう。僕は式には行けないみたいだけど、姉さんの晴れ姿が見られて良かったよ……」

 僕は写真を美恵に返す。

「結婚式の後は、政孝の実家で旦那さんと四人一緒に暮らしているらしいわよ?」

「へえ……」

 僕は美恵のもたらした情報から、未来も僕の家族が幸せそうだという事が分かって、とても嬉しかった。


 ──あれ?


 ──そういえば僕とマリアは、どうやって東京なんかに降り立つ事が出来たんだっけ?

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