勅使河原くんと、お父さん Ⅲ

 僕の家のダイニングテーブルに五人で座る。

 僕の右隣にはマリア。

 僕の向かいには父さん。

 父さんの左隣には母さん。

 僕の斜向はすむかい、ちょうど僕と父さんの間に姉さんが座った。


「政孝、先ずは彼女が誰なのか教えてくれないか?」

「彼女の名前は、マリア。異世界の女性で日本の言葉は、まったく理解できないんだけど……何故か僕とは会話が通じるんだ。」

 僕はマリアを見ながら説明して、視線を父さんへと移す。

「崖から飛び込んだ僕を魔法で救ってくれた、命の恩人だよ」

 僕は父さんを見て微笑んだ。


「……母さん、救急車を呼んでくれ」

「え? ええ、そうね……少し待ってて……」

 厳しい表情で伝えられた父さんの指示に、母さんは従おうとして席を立つ。

「ちょっ!? ちょっと、待って!」

 受話器を上げて電話を掛けようとする母親を止める為に、僕は慌てて静止の言葉を投げ掛けた。

 ──ええ、ええ、そうでしょうともさ……。

 父さんの反応は、当たり前で充分に想定の範囲内だった。

 ──こういう場合に、いきなり救急車を呼んで解決するのかは、疑問の余地があるけど……。


「マリア、テーブルの上に黒い円を移動して貰える?」

「分かりました」

 マリアは緊張した面持ちで手提げ袋の口を開く。

 すると中から、黒い円が浮かび上がって来た。

 黒い円は浮いたままでテーブルの上へ移動する。

 流石に三人とも目を丸くしていた。

「この黒い円が異世界と繋がっているんだ」

 ──この際、実物を見せた方が手っ取り早い。

 僕は、そう思った。

「何かの手品じゃないの?」

 姉さんが、そう質問してくる。

「ならトリックを見破ってみてよ」

 僕は先ず黒い円をテーブルの上に浮かばせたまま、垂直に立てて回転させて貰った。

 表から見ると黒く、裏から見ると透明な『対の門』の片割れに、三人とも不思議がる。

 僕は片手を黒い円の中へと入れて、三人に反対側を見せて、手が突き出てこない事を確認させた。

「なんなら、この黒い円の中に首を突っ込んで、向こう側の異世界を確認して貰ってもいいよ?」

 僕は最後に三人に、そう告げると、みんな顔を見合わせた。

「まあ、それは後にするとしよう」

 父さんが軽く咳払いをして、僕からの提案をかわした。


「この不思議なマリアの魔法のおかげで、僕は崖から飛び込んだにも関わらず、異世界に強制転移させられて助かったんだよ」

「……崖から飛び込んだ……」

 母さんが額を片手の甲で抑えて椅子の上で座ったまま少し、ふらついた。

「崖から海に向かって飛び込んだ事は、飛び込んだんだ?」

 姉さんが確認する様に尋ねる。

「いったい、どうして……?」

 父さんが質問を重ねてきた。

「何が不満だったの? 遺書には……世の中がイヤになった……としか書いてなかったけど?」

 母さんも尋ねてくる。

 ──我ながら、大雑把な文面の遺書だよなあ……。

 僕は自分の書いた物の事なのに少し呆れた。

 でも、仕方が無い。

 当時も美恵に振られたからという理由を、はっきりと残す事は、流石に躊躇われたのだ。

 でも……今は……。

「ある女性に告白して振られたんだ」

 三人とも再び目を丸くした。

 こういう言い回しをしたとしても、姉さんや母さんには気付かれるかもしれない。

 黒い円の向こう側で美恵が、聞いているであろう事も承知している。

 彼女を責めたい訳では無いけれど、他に原因を家族に伝えようが無かったし、何より肝心な部分で嘘はつきたくなかった。

「結局それは誤解だったって、後で分かったんだけど……」

 姉さんの表情に疑問符が現れた。

 僕の振られた女性が美恵なら、後で誤解だと分かるのは変だという顔をしていた。

 僕は取り敢えず姉さんには構わずに話しを続ける。

「とにかく、それが原因で、この世の全てに絶望しちゃって……衝動的に……」

「高い崖から海に飛び込もうとしたのか?」

 父さんの疑問に、僕は素直に頷いた。

「何て軽はずみな事を、してしまったんだろうって……今は物凄い反省している」

 僕は会釈をする感じで家族に向かって頭を下げる様な動作を、つい、してしまった。

「マリアに助けられて異世界に来て、今日まで元いた、この世界に戻る方法が見つからなくて……でも、どうしても迷惑を掛けた、みんなに会いたくて……会って、僕は生きているって……無事だって、伝えたくて……」

 ──あ、駄目だ。

 ──目が潤んできた。

 僕は、それでも何とか涙を零さないで家族に伝える。

「心配を掛けてしまって……本当に、ごめんなさい……」

 ──ああ、やっと言えた。

 僕は自分でも少し変だなと思ったけれど、なぜか心地良い達成感に包まれていた。


 母さんはハンカチで涙を拭いていた。

「事情は大体分かった……。にわかには信じ難い事だが……」

 父さんは母さんに先に泣かれてしまったせいか、少し冷静なままで腕組みしながら考える。

「それで、いつ頃に帰ってくるんだ?」

 そして父さんは、何気なく僕に尋ねた。

「ごめん、今は帰れないんだ……」

 母さんが椅子から立ち上がる。

「どうしてなの!? 美恵ちゃんだって悲しんでいるかも知れないのよ? 政孝の……貴方の葬式にすら来られないくらい……」

「その美恵なら、実は異世界で僕と一緒にいるんだ……」

 家族全員が……は? 何言ってんだ? こいつは? ……みたいな視線を僕に向けた。

 しかし、その時……。

『ちょっ! ちょっと、政孝っ! なんで言うのよ!?』

 黒い円の中から、声が聞こえてきた。

「きちんと僕の家族に事情を説明して、この世界にいる今の美恵には、僕が生きていた事を内緒にして貰わないと、いけないだろ?」

『そ、それは……その通りだけど……』

 姉さんが目を丸くして、黒い円を指した。

 僕は大きく頷く。

 姉さんは母さんを見る。

 母さんは姉さんに両手を合わせて片目を瞑ると、御願いのポーズをした。

 姉さんは、今度は父さんを見る。

 父さんは姉さんに向けて拳を握ると、親指を立てた。

 姉さんは溜め息をついた。

 姉さんは黒い円のふちに両手を掛けると、息を止めて首を突っ込んだ。

 しばらくしてから、姉さんの声が聞こえてくる。

『はーっ……確かに、これは異世界だわ……。エルフがいるなんて……』

 どうやら姉さんは、レアを見つけたようだ。

『はじめまして……マサタカさんには、いつも御世話になっております』

 レアの声で、そう聞こえた。

 ──マサタカさんだなんて改めて言われると、照れるなあ……。

 僕は顔を紅くする。

 レアと姉さんの間で、言葉は通じていないのだろうけど、美恵が通訳していてくれたのかも知れない。

『美恵ちゃんが、いないわよ?』

 ──は?

 ──ああ、そうか。

 姉さんの疑問に一瞬だけ訳が分からなくなった僕だけど、直ぐに異世界の美恵の容姿が、この世界の美恵と大分異なる事を思い出した。

「眼鏡を掛けている女性がいるでしょ? 彼女が美恵だよ」

『……うっそだあ。美恵ちゃん、こんなにオッパイ大きくないもん』

 ──こらえろ、僕……。

 ──いま笑ったら、後で確実に美恵に殺されてしまう……。

「ご、ごめん、美恵……ちょっと眼鏡を外して髪を下ろして貰えないかな?」

 僕は美恵に震える声で、そう伝えた。

 しばらくすると、姉さんの驚く声が聞こえる。

『うわあぁ……ホントに美恵ちゃんだあぁ……大きくなったわねぇ……』

『きゃっ! ちょっ!? ちょっと、仁美さん!? 何処を揉んでいるんですかっ!』

 ──揉む?

 よく見ると、姉さんは既に両腕を黒い円の中に突っ込んで腰まで異世界に入っていた。

『なんだよ、ミエ。オレが触った時は、何とも無かったのに』

 イアの声が聞こえてきた。

『仁美さんは触り方がイヤらしいのよっ! あ……ダメ……う……んぅ……』

 美恵の艶かしい吐息が、異世界から聞こえてきた。

 ──いいぞ、姉さん、もっとやれ。

 ──いや、違う、そうじゃない。

『なんで美恵ちゃん、そっちにいるの? こっちに来なさいよ!?』

『だ、だめ! 引っ張らないで下さい! ちょっ! 政孝!? 助けて!?』

 僕は溜め息をついて席を立つと、姉さんの背後に回る。

 両手の親指を立てて、姉さんの脇腹と言う名の経絡秘孔を突いた。

『きぃにゃああああああああぁっ!?』

 姉さんが思い切り奇声をあげた。


「彼女は訳あって未来から来た美恵なんだよ」

 僕は頬をヒリヒリさせながら家族に説明をする。

「道理で大人になっていた訳ね……。はあぁーっ……後は宇宙人と超能力者が揃えば憂鬱になれるわ……」

 姉さんは右手を、ぶらぶらと揺らしながら答えた。

「異世界が未来世界だって事なのか?」

「ううん……異世界の時間の流れは、こちらの世界と共通みたい。美恵だけが未来から来たみたいなんだよ」

 僕は父さんの質問に答えた。

「美恵ちゃんは、どうして帰って来ては、いけないの?」

「……タイムパラドックスか……」

 母さんの疑問には、姉さんが答えてくれた。

 姉さんも僕とは傾向が違うけれど、漫画やアニメは好きな方だから、こういう話題の時は話しが早かった。

「異世界で一緒にいる美恵は、この世界で僕が死んだと思っている美恵の存在があった上で現れた美恵なんだ」

 僕は真剣な表情で家族に説明する。

「だから、父さんと母さんと姉さんには、今日僕と会った事は美恵には……ううん、彼女だけじゃない、他の人達にも言わないでおいて欲しいんだ」

「……それでいいの? 今の美恵ちゃんに、政孝が死んだままだと思わせる事になるけど?」

 御願いをする僕を、姉さんが厳しい顔で睨む。

『あたしなら……大丈夫ですから……』

 返事に詰まってしまった僕をフォローする様に、異世界から美恵が言葉を姉さんに投げかけてくれた。

「……美恵ちゃんが、そう言うなら……いいけど……」

 そう言いつつも姉さんは、納得しかねる様子だった。

「……僕だって辛いけど、ヘタをすれば異世界で再会できた美恵との出来事が、全て消えて無かった事になってしまうかも知れないんだ。……そっちの方が、もっとイヤだよ……」

 僕は俯いて言い訳を重ねる。

「それに実は向こうの世界で、彼女には色々と助けて貰ったんだ。その事実が消滅すると、下手をすると僕やマリアが、ここにいる事象すら無かった事になりかねない……」

 僕の話が理解できたかどうか分からない父さんや母さんも、この言葉には息を呑んでいた。


 本当の所は、僕にも何が起きるかは分からない。

 いや、ここに僕がいる時点ですら、何かの影響が起こりうる可能性すらある。

 もしくは何かの強制力の様な辻褄を合わせる為の出来事が起こるかも知れない。

 ──いずれにせよ、現時点では予測不可能だから、回避できそうな事柄は、慎重に避けた方がいい。

 そう思った。


「美恵さんに会わなければ、いいんだろう?」

 いきなり父さんが、そんな事を言ってきた。

「遠い田舎の親戚の家に、美恵さんが異世界に移動し終えるまで、滞在して過ごす訳にはいかないのか? 死亡届けの取り消しとか、戸籍を元に戻すのは、どうにか出来るだろう……。いずれ異世界の美恵さんと一緒に、こちらの世界に帰ってくる気があるのなら、そのまま異世界で過ごすよりは、この世界で学校に通って進学して、きちんと就職した方が良い筈だ」

 母さんの顔が喜びに満ちる。

「そうよ! そうしなさいな!? それがいいわ!」


 目から鱗が落ちる思いだった。


 全てが終わった後で、最終的に美恵を僕のパートナーとして選ぶのなら、現代社会の方が暮らしやすいのは間違いない。

 四年経って、この世界から美恵がいなくなったのを確認してから戻ったら、僕は高校中退扱いの成人になってしまう。

 大検を受けるという手もあるが、社会人になるのが遅れてしまうのは避けられないだろう。

 思わず美恵のヒモになって生活する自分を想像してしまい、その暗澹あんたんたる未来に絶望してしまった。


 僕は真剣に悩んでしまった。


 その結果……。

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