勅使河原くんと、お父さん Ⅱ

「そんなに遠くまで?」

 タクシーの運転手さんは、そう尋ね返してきた。

 最寄駅に着く前にタクシーを拾えてしまった僕は、それに乗り込む事にしたのだった。

 ──目的地を告げて断わられたら、降りればいいか……。

 そう考えていた。

「……お金は大丈夫なのかい?」

「足りない分は、着いたら両親に払って貰えると思います」

「自宅へ帰る所なんだ……?」

 運転手さんは少しだけ考える。

「高速、使っていい?」

 早く着けるのなら、それに越した事はない。

「むしろ、お願いします」

 僕が告げると運転手さんは、会釈をして車を出した。


 隣に座ったマリアは、かぶりつく様に窓の外の景色を見ている。

「ごめんね。もう少し時間的にも、心にも、余裕があったら、僕の世界の都会を案内したかった所だったんだけど……」

 僕は彼女に話し掛けた。

「いいえ、まずは御両親に、お会いする事が先決ですから……。それに、余りウロウロすると……た、た、たいこ……?」

「タイムパラドックス?」

「そう、それです。……それが起こると大変な事になるかも知れないって、美恵さんが仰っていましたし……」

 現在時間に存在している僕達に、タイムパラドックスの効果が起こり得るというのも変な気分だけど……美恵という未来から来た人物が、今までの僕達の行動に深く関わっているのだから仕様がない。

 元の世界にいる、まだ僕と同じ高校生の美恵に異世界から帰って来た僕が、出会って何も影響が無い筈もないだろうと思う。

 僕が亡くなったと思っている美恵に、実は生きていた事を伝えたら、きっと喜んでくれるだろう。

 結局、僕達は両想いだったのだから……。

 でも、それでは高校生の美恵が、勉強に傾倒する事も、米国アメリカに留学する事も無く、時をさかのぼって異世界に転移する未来が、消えてしまうかも知れない。

 それは四年間を生きて大人になった、異世界にいる美恵の存在の消失を意味する。

 もし、偶然にも出会った高校生の美恵に……異世界に戻らないで欲しい……と懇願されたら、僕は断る事が出来るのだろうか?

 ホボス司教達に追撃されている皆を放ってしまう事は、絶対に許されないのだけれど……。

 でも何も伝えなければ、今この僕達の世界にいるであろう美恵は、今後四年間も辛い想いをしなければならなくなる……。

 僕は胸が張り裂けそうな気持ちに襲われた。

 それでも心を鬼にして彼女に会う事は、避けるつもりだ。

 それが結局は、全員の為になるのだと信じている。

 ──家族にも僕が生きていたという事実を美恵には、黙っておいて貰える様に念を押さないとなあ……。

 僕はマリアを見て伝える。

「四年後に、また機会があったら……みんなで来ようね? 僕自身が君達を色々な所へ案内するよ」

「お願いしますね?」

 彼女は、そう言って微笑んでくれた。


 高架上の高速道路にタクシーが乗ると、低い建造物は眼下へと移り、周囲には高層ビルが目立つ景色に変わる。

 マリアは目を丸くして驚いていた。

「マサタカさん……あの塔は、どのくらいの高さがあるのですか?」

 たまたまスカイツリーが見えていた。

「ヒュージデューンと戦った時のレギオンの高さ、その二十倍以上かな?」

「ふえぇ……?」

 マリアは驚く以前にピンと来なかったらしく、ゆっくりと呆れる様に溜め息をついていた。

「……お嬢ちゃんは外国の人かい?」

 運転手さんが尋ねてくる。

「そうですね。ずっと遠い国から来たんです」

 僕は適当な国名を選んでの嘘を言わずに、お茶を濁すだけにした。

「やっぱりね……。でも英語でも無いみたいだし、珍しい国なんだろうね?」

 ……?

 ──あ、そうか!

「マサタカさん……運転手? さんは、何と仰っているんですか?」

「マリアの出身について訊かれたんだよ?」

 僕にはマリアが日本語を話している様に思えても、それは僕のチート能力のおかげで、運転手さんには違う言葉に聞こえる。

 そして当然マリアも運転手さんの話す日本語は、理解できない。

 僕自身は日本語でマリアに話し掛けているのだが、運転手さんは、そこは余り気にしなかった様だ。

 多分、日本語の聞き取りだけ、マリアは出来るのだと勘違いされているのだろう。

 ──元の世界に戻っても僕のチート能力は、有効のままなんだ……。

 僕は、ふと英語で書かれてある看板を確認してみる。

 それは日本語に変換されずに、普通に英語の文字として見えた。

 ──他の言語を日本語に変換するチートではなく、異世界の言葉を僕の世界の言葉に変えてくれるチートなのかな?

 ……まだまだ、自分の力も分からない事だらけだな……と、僕は思った。


 ──もう一つのチート能力の方は、どうなんだろう?

 神の意志の介入から人々を解き放つ力……。

 それは僕の世界の神様相手でも有効なのだろうか?

 運転手さんに効果はあったのだろうか?

 これから先、このタクシーに乗る人達にも伝播していくのだろうか?

 ホボス司教とデモス司祭は、僕に出会った瞬間から自分達の意識が変わってしまった、と言っていた。

 その時に僕は、まだマリアとレアにしか出会っていなかった筈だ。

 美恵は元の世界でとっくに出会っているという見方も出来るけれど、イアに会う前だったのは間違いない。

 ナメクロさんは……四人が揃った今、世界の変革は揺るぎないものになった……と、言っていた。

 チート自体は魔姫が一人か二人でも発動するが、完璧に世界中に伝播させる為には、四人が揃う必要があるという事なのだろうか?

 ──魔姫の魔力は無限だと言っても、一度に僕へ送れる魔力の量が一人当たりで決まっているのかな?

 僕は何となく、乾電池一つだと光が弱い豆電球が、四本の乾電池を直列で繋ぐと強く輝く様子を想像してしまった。

 ──四人の魔姫が僕と一緒に、この日本のある世界へ来たら、どうなってしまうんだろう?

 今考えてもしょうがない事なんだけれど、思わずにはいられない。

 僕は、もう少し慎重になるべきなのだろうか?

 今回の帰郷に関しても、もしマリアが僕の世界で魔法が使えなかったら彼女が、こちら側に来た瞬間に『対の門』は消えて、二度と異世界へ戻れなくなっていたかも知れない。

 他にも、このまま家族に会いに行ったら、家族に掛かる神の意志の介入を打ち消してしまうかも知れない……。

「マサタカさん?」

 マリアが心配そうな顔で僕を見てきた。

「なに?」

「なんだか怖い顔をしていました……」

 僕の訊き返しに彼女は、そう答える。

「……なんでもないよ?」

 僕は笑顔を作って彼女を安心させようとした。

 何処か疑問に思う表情を返しつつも微笑みながら、マリアは座席に深く座り直す。

 ──魔姫は四人揃わなければ完全な効果が現れない筈だ。

 僕は、そう思う事にして難しい事を考えるのは、やめた。

 今は、ただ家族に会いたい。

 会って僕が生きていた事を伝えたい。

 それが何よりも優先される僕の正直な気持ちなのだから……。


 そしてタクシーは、僕の自宅前に着いた。

 玄関のチャイムを押す。

 しばらくしてインターホンから、声が聞こえてきた。

「はーい? どちら様ですか?」

「ね、姉さん!?」

 スピーカーから聞こえてきた声に、僕は驚いた。

「と、東京にいた筈じゃ!?」

「お盆休みに入ったから帰省してんのよ……って、ええっ!?」

 お互いに頓狂とんきょうな声を出した。

 玄関の扉が勢いよく開く。

 姉さんが、がばっと外に出てきた。

 彼女は僕を見た。

 続いて目線を下げて僕の足を確認する。

 そして家の中へと戻った。

「父さん! 母さん! 大変よ!? 政孝の幽霊が来たわ!」

 ──今、足を確認しなかったっけ?


「ああ……」

 母さんは、そう溜め息を漏らすと、何も言わずに僕を抱き締めてくれた。

「本当に、政孝なのか?」

「うん、心配かけてゴメン……」

 父さんが近付いてくる。

 僕は殴られるのを覚悟していたのに、優しく肩に手を置いて父さんは言う。

「よく、帰って来てくれたな……」

 父さんは僕の隣にいたマリアを見た。

「そちらの、お嬢さんは?」

「後で詳しく説明するよ」

 僕は父さんの疑問に対して取り敢えず、そう答えた。

「分かった。玄関で立ち話も、なんだ……。取り敢えず上がってくれ。ゆっくりと今迄いままで経緯いきさつを聞きたいから……」

 父さんは母さんの肩に手を置き直した。

 母さんは、それに気が付いて頷くと、そっと僕から離れた。

「あの……ゴメン、外でタクシーを待たせていて……出来れば、料金を代わりに払って欲しいんだけど……?」

「なんだ、そんなこと……分かった、幾らだ?」

 父さんはポケットから財布を取り出すと、中身の紙幣を出そうとした。

「二万五千円くらい……」


 僕は自分の頭に父さんのゲンコツを軽く貰った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る