勅使河原くんと二人目の魔姫 Ⅸ

 ホブゴブリン達が近付いてくる。

 テミスは毒に倒れてしまった。

 僕達を守る風の盾は、もう存在しない。

 絶望的な状況だった。


 だけど、奇跡は起こった。

 でも、そんな奇跡だったら、僕は望んでいないかった。


 呆然としていたレアが、ゆっくりとホブゴブリン達に向き直る。

 その真紅の左目が憎悪の炎の様に輝いていた。


「よくも妹を……」


 呪文なんて、彼女は唱えなかった。

 だが、そう言った瞬間に、ホブゴブリン達が一斉に悲鳴をあげる。

 地面に倒れると激しく、のたうちまわった。


 僕は何が起きたのか一瞬で理解した。

 彼らの血は恐らく温度が上昇している。

 内側からの火傷の痛みに苦しんでいる。


 レアの持つ精霊魔法の力による復讐。

 それを止める権利なんて、僕にあろう筈もない。

 でも……。


「やめるんだ! レア!」

 僕は彼女の事を初めて呼び捨てにした。

「なぜ? 止めるの?」

 彼女は僕の方へと振り返る。

 ……邪魔をするなら殺す……とでも言いたげな顔を向けて……。


「テミスの解毒が先だ!」


 僕が、そう叫ぶとレアは、ハッとなって魔法を止めた。

 ホブゴブリン達は、何とか起き上がって逃走してくれた。

 ──助かった。

 その自分の気持ちは、何に対してなのだろう?

 僕には分からなかった。


「マリア! 警備の人たちの所に行ってデモス司祭を呼んできて! 僕達はテミスを診療所まで運んで行くから!」

「分かりました!」

 そう言ってマリアは、慌てて走ってくれた。


「レア! テミスを僕の背中に乗せるのを手伝って!」

 レアは呆然として、ホブゴブリン達の逃げて行った森の中を見ている。

「早く!」

「……は、はい!」

 正気を取り戻した彼女に手伝って貰って、僕はテミスを背負うと一目散に診療所に向かって走り出した。


 診療所に辿り着くと診察台のベッドの上にテミスを乗せる。

 先生に解毒用の薬草を塗布するなどの処置をして貰ったが、進行を遅らせただけで完全な治療には至らなかった。

 やがて、デモス司祭が部屋の中に入ってきてくれる。

 彼は素早く解毒魔法をテミスに向かって唱えてくれた。

 ──これでテミスは助かる。

 僕は、この時に安易に、そう考えていた。

 遅れてマリアが、やって来る。

 テミスが目を開けた。

 片手を上げて呟く。

「お姉ちゃん? どこ?」

 テミスの片手を両手で握り締め、レアは叫んだ。

「お姉ちゃんは、ここよ!? 頑張ってテミス!」

「いや……痛い……怖い……お姉ちゃん……アタシ……死にたくない……」

 テミスは、そう呟くと涙を流した。

 デモス司祭が一心不乱に呪文を唱えている。

 涙を流したままでテミスのまぶたが閉じられていった。

 デモス司祭の詠唱が止まってしまう。

 僕は……解毒魔法による治療が終わったんだ……と思っていた。


「駄目だ……毒の回りが速すぎる……この娘は、もう助からん……」


 デモス司祭が悔しそうに呟いた。


 嘘だと思いたかった。


 マリアが口を両手で覆う。

 レアがデモス司祭を目を見開いたままで見つめていた。


 まるで時間が止まった様な感じがした。


 掃討から戻ってきたミランダさんが、部屋に入って来る。

 ヨアヒムさんも、ホボス司教も……。

 ベッドに横たわるテミスと横で泣くレアを見て、ミランダさんは倒れるように壁にもたれかかった。


 僕には何も言えなかった。

 僕には何も出来なかった。


 レアが泣き叫んだ。

「いや! 連れて行かないで! 妹を連れて行かないで!」

 僕には、その慟哭を聞くだけしか……。


 ──連れて行かないで?


「レア! テミスの身体の中に何が見えているの!?」

 僕は夢中で叫んだ。

「黒い……真っ黒な子達が……妹の中に拡がって……」

 ──毒素だ!

「そいつらが動くのを止めるんだ! 今すぐにっ!」

 レアは一瞬だけ戸惑ったが、僕の言うことを理解してくれる。

 その瞬間に彼女の右の青い目が輝いた様に僕には見えた。


「レア……その黒い子達は今、テミスの……どの辺りにいるの?」

 僕は冷静さを保つように心掛けながらレアに尋ねた。

「ここから拡がって、この辺りです」

 レアはテミスが毒矢を受けた左手の指から、お腹の辺りまでの範囲を両手を使って示した。

 少量の毒が、そんなに拡がる筈が無い。

 おそらく、毒のせいで駄目になった細胞などの体組織まで黒い子のイメージで見えてしまうのだろう。

「他に見える子達は、いる?」

「赤い子達や白い子達が見えます」

 ──赤血球や白血球のイメージだろうか?

「じゃあ、黒い子達以外の邪魔はしない様に少しずつ黒い子達を、ここに集めて?」

 僕はテミスの左上腕を指した。

 レアが頷くと僕の指を差した場所は、徐々に黒くなって膨らんでくる。

「あああああっ! いやっ! 痛いっ! 痛いよっ! 助けてっ!」

 テミスが暴れだした。

 多分、毒素だけでなく、毒に侵された細胞までも引き剥がしてしまっているせいだろう。

 欠損した細胞を補わないと内出血などで、テミスは死んでしまう……。

「ミランダさん! ヨアヒムさん! テミスの手足を、しっかり抑えていて下さい! ホボス司教! テミスに回復魔法を唱えられませんか!?」

「……やってみよう」

 ミランダさんはテミスの両足を、ヨアヒムさんは両手首を抑えてくれた。

 ホボス司教は呪文を唱え始めてくれる。

「……レア、テミスの身体の中に何かが増えていくのが見える?」

「……はい、見えます。黒い子達がいなくなって出来た隙間を別の様々な色をした子達が埋めていくのが見えます」

 僕はレアの肩に手を乗せる。

「よし……。じゃあ、ゆっくりでいいから、それに合わせて黒い子達を、さっきの場所へと誘導して?」

 僕は村長さんから貰った小刀をズボンの後ろポケットから取り出した。

 ──ごめん、テミス……。

 ──なるべく、あとが目立たない場所を斬るから……。

「いいかい、レア? 僕は、これからテミスの腕の黒い子達が集中した部分を斬る。そうすると他の子達も外へ出ようとするだろうけど、彼らは抑えるんだ。黒い子達だけを絞り取るように外へと引きずり出して? いいね?」

「はい……分かりました」

 僕は彼女の返事を確認するとテミスの左腕の下に洗面器を置いて、上腕の内側を小刀で斬った。

 瞬時に泥の様な腐った何かが彼女の腕から溢れて洗面器へと流れ落ちてくる。

 テミスの腕が黒から肌色に変わっていった。

 やがて黒い物が全て出終わると、僕はホボス司教に頼んだ。

「ホボス司教、彼女の傷口を回復魔法で塞いで下さい」

 ホボス司教がテミスの腕に自分の手をかざすと、彼女の腕の傷は、みるみる内に塞がっていった。

 ──凄いや……傷跡も残っていない……。

 ──本当に良かった。


 テミスも落ち着いた様子で、先ほどまで暴れていたのが嘘の様に大人しかった。


 ──いや、大人し過ぎる?


 テミスの胸を見ると上下の運動が止まっていた。

 ──呼吸が止まっている?

 ホボス司教が彼女の胸に耳をあてた。

 そして静かに離れるとミランダさんに向かって、こう告げる。


「……心臓が止まっている。……残念ですが、娘さんは帰らぬ人となりました」

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