勅使河原くんと二人目の魔姫 Ⅷ
「もう夜も遅いから、今からじゃ宿を見つけるのも難しいでしょう? 今夜は泊まっていきなさい」
テミスの部屋でレアが持つ特殊な精霊魔法に関する僕の講義が一段落した後で、ミランダさんは僕とマリアに優しく、そう言ってくれた。
僕たちは、お言葉に甘える事にした。
「せっかくだから、みんなで少しお話しながら一緒に寝ましょう?」
レアが、そう提案してきたのでヨアヒムさんも泊まる事になって、一緒に寝る準備をしている。
テミスの部屋では全員は無理だし、女の子の個室に男女で雑魚寝は不味いだろう、という事で大きな部屋をミランダさんが提供してくれた。
そこにベッドの上からマットレスと掛け布団、それに枕だけを運んできて、みんなで横になる事になった。
とても広くて立派な部屋だったので僕は、ついレアに質問してしまう。
「この部屋は?」
「元は父の部屋だったんです」
「……お父さんは?」
「亡くなりました」
──地雷を踏んでしまった。
「……ごめん」
「いいんですよ? もう随分と昔の事ですし……。母が族長をしている理由も族長だった父が他界して、他に後を継げる適任者がいなかったからですわ。それも、ヨアヒムさんがテミスと結婚して婿養子になれば、彼に引き継がれる事になりますし……」
テミスとヨアヒムさんが、レアの話を聞きながら照れている。
僕はヨアヒムさんと初めて会った時にテミスとレアに……この人が君達のお父さん? ……と尋ねなくて良かったと、心の底から思った。
ミランダさんは少しだけ寂しそうに自室に戻っていく。
明日はホブゴブリンの掃討作戦を決行しなければならないので、しっかり休んでおきたいとの事だ。
ヨアヒムさんも作戦に参加するのだけれど、自分も話したいからと残ってくれた。
「レアさんも婚約者とかいるの?」
僕は、そう質問していた。
「わたくしは……この目が、どうやら人を遠ざけるみたいで……」
──いけない、また地雷を踏んでしまった。
「そんな事はない。外見だけで人を判断するような者は、この森にはいないよ? 僕みたいなハーフエルフだって受け入れてくれたんだから……」
──ああ、ヨアヒムさんって……やっぱり、そうだったんだ……。
僕は、ヨアヒムさんの少しだけ短い耳の事を想い出していた。
「……そうでしたわね。冗談です……」
そう言って、レアは笑った。
「後は、あれですね。精霊魔法が、みんなと違って上手に使えなかったから……。生まれてきた子供にまで引き継がれてしまったら……と思って、皆さん敬遠なさっているのかも……?」
レアは笑って冗談めかしていたが、彼女が少し自虐的な物言いをしてしまうのは、その件で相当に悩んできたからなのかもしれない。
「なーに言ってんだか……。その件はテッシーのおかげで解決の糸口が見えてきたでしょ?」
今度はテミスがフォローをしてくれた。
「うふふ……そうね」
「お姉ちゃんは自分から相手の男の人に告白した事も無かったじゃない。
レアは尋ねてきたテミスにではなく、なぜか僕に微笑んで言う。
「そうね……。確かに今までは、これといった方に巡り会えていなかったと思うわ……」
そう言って微笑む彼女のオッドアイは
「テミスちゃんとヨアヒムさんは、どうやって巡り会って、どうして婚約しようと思ったの?」
「あ……わたくしも、詳しくは聞いていないから話して欲しいです」
「僕も聞きたい」
マリアの質問を皮切りに、僕とレアもテミスに尋ねた。
ヨアヒムさんは苦笑いをしている。
「そういう……人を恥ずかしがらせて喜ぶような質問をするなら、もうアタシ寝るからねっ!?」
テミスは、そう言って真っ赤になった顔を隠すように掛け布団を被った。
彼女に、そう言われつつも、その夜の会話は、まだ少しだけ楽しく続いた。
翌朝になって朝食を皆で食べた後でミランダさんとヨアヒムさんは、ホブゴブリン掃討の為の準備にとりかかった。
革製の鎧を着て剣を携えたミランダさんは、とても凛々しくて美しかった。
ヨアヒムさんは、いったん準備のため自宅に戻って、後で合流するらしい。
「それじゃ、留守番をよろしくね?」
「はい、お母様」
「……」
レアは、きちんと返事をしたけれど、テミスは黙ったままだった。
そんなテミスの頭をミランダさんは、優しく撫でる。
「大丈夫……お母さんは、ちゃんと帰ってくるわ……約束する」
「……うん」
ミランダさんはテミスを両腕でしっかりと一度だけ抱き締めると、おでこにキスをした。
そして外に出たミランダさんは、玄関の扉をそっと閉めるのだった。
ドワーフが閉鎖した筈の坑道を占拠するホブゴブリンを掃討しに行くのは、ミランダさんとヨアヒムさん以外は、ホボス司教と十数人のエルフの戦士達だった。
ホブゴブリン達の別働隊による奇襲を考慮して、デモス司祭と警備担当のエルフ達も数十名ほどエルフの森にある、この村に残ってくれている。
僕らも、掃討が済んでミランダさん達が戻るまでの間は、念の為に革製の鎧を装備していた。
どのくらいの時間が、過ぎた頃だっただろうか?
四人で待機していたミランダさんの家の外が騒がしくなった。
警備のエルフ達が、一つの方向に向かって慌ただしく走って行くのが見える。
レアが外に出て、通りかかった一人に事情を尋ねた所、やはり別働隊による奇襲があったらしい。
デモス司祭も今は、現場に向かっているという話だった。
僕たち非戦闘員は、現場とは反対の広場に向かって避難して欲しいとの事だった。
広場に来ると数十世帯の母親や子供、そして女性のエルフ達が集まっていた。
広場は警備のエルフ達が別働隊と戦っている現場から離れていて、反対方向の森の先には大きな川が流れている。
敵のゴブリン達に現場を突破されない限り、広場は安全な筈だった……。
「川のある方の森から、この広場に向かって何名か近付いて来ています……」
最初に気がついたのは、レアだった。
彼女は、その方向の森に視線を向けると奥の方を睨んでいた。
テミスはレアを
──あの大きな川を渡った?
──それとも気付かれない様に現場から森の中を慎重に迂回して来たのか?
村に残った非戦闘員を人質にでもしようと別働隊を更に分けたのだろうか?
そんなに知恵が回るとしたら、近づいてくるゴブリン達の中にはホブゴブリンがいるかもしれない。
それも坑道にいる奴とは別の……姉御と呼ばれていたホブゴブリンが……。
僕は、他の人達に警備の人が向かった方向に静かに逃げて、助けを呼んでくるように頼んだ。
他の人達は全員が頷くと、静かに広場を離れようとする。
「他の人達が逃げる先に、気配は感じる?」
「いいえ……囲まれてはいない様子です。おそらく大丈夫でしょう」
僕の質問にレアは、即座に答えてくれた。
みんなが少しずつ後ずさりをして、広場の外へ出ようとした瞬間だった。
レアが睨んでいた方向の森の中から、ゴブリン達が数匹出てきた。
「みんな! 走って!」
僕が叫んだと同時に、僕とマリア、レアとテミスを除いた全員が走り始める。
逃がすまいとゴブリン達が、一斉に吹き矢の筒を口に付けた。
──人質を取るつもりなら、毒では無く睡眠薬だろうか?
──いや、全員を人質にする必要は無い。
──あれは、毒だ!
「マリア! 白を僕の側に! 黒をゴブリン達の目の前に!」
「分かりました!」
マリアが『対の門』を僕の指示通りに出現させる。
僕は広場の砂を握ると、次々と白い円の中に投げ込んだ。
敵の目の前を横移動する黒い円から出た砂粒が、ゴブリン達の目に直撃する。
目を潰された彼らは、悲鳴をあげて顔を抑えると森の中へと退却していった。
森の中へと逃げる彼らを目で追うと、ひときわ大きな存在が森に隠れている事に気がついた。
「ホブゴブリン……。やっぱり、もう一匹いたんだ」
ゴブリン達は森の中へ隠れたままで吹き矢の筒を構えていた。
「風の精霊よ! 我が身を守れ!」
テミスが短く、そう言うのと同時に、彼女の身体の周囲に風の渦が巻き起こった。
その瞬間、森の中から一斉に吹き矢が飛んでくる。
しかし吹き矢は、テミスに当たる前に強い風に流されて逸らされていった。
「あーははははは! アンタ達の、へなちょこ吹き矢なんて、
テミスは自信満々に、そう叫ぶ。
──やだ……この娘、ちょっと格好いい……。
僕は少しだけ胸がキュンとなった。
──とはいえ、テミスには反撃する為の攻撃用途の精霊魔法も、普通の弓も無いらしい。
しかし、この状態から逃げようとすればゴブリン達に追いかけられて、あっという間に捕まってしまうだろう。
警備の人たちが戻ってくるのを期待するしかないが、あっちもゴブリン達の別働隊に苦戦しているかもしれない。
時間が掛かり過ぎて、こちらが攻撃手段が無いから防御に徹しているという事に気が付かれたら、ホブゴブリン達に力で押し切られてしまうだろう。
──火力が欲しい。
そこで僕は以前から考えていた方法を試す事にした。
マリアを呼んで手順を素早く説明する。
「分かりました!」
彼女は作戦を理解して、そう答えてくれた。
マリアが上下に出してくれた『対の門』の間に、しゃがんだままで拾った石を次々と入れていく。
沢山の石たちが、その間で落下し続ける『対の門』を、エンダ村の時と同様に上に移動して貰った。
テミスに反撃する手段が無いと察したゴブリン達が、ちょうど一斉に森の中から出てきた時だった。
沢山の石たちは既に『対の門』の間で十分に加速済みだ。
「今だ!」
マリアは『対の門』を消した。
沢山の石たちが下に向かって高速で落下する。
地面すれすれにマリアは、再び白い円を出した。
そして、黒い円はゴブリン達に向けて地面と垂直に立てて現れる。
白い円に吸い込まれた沢山の石たちは、黒い円から水平に次々と撃ちだされた。
そのまま黒い円を横に回転させる。
発射された石たちが扇状に拡がって、横一線に向かって来たゴブリン達に次々と直撃した。
彼らは悲鳴をあげて当たった場所を手で押さえながら、再び森の中へと逃げて行った。
「……これなら殺さないで済むでしょ?」
「はい!」
僕の問い掛けにマリアは、嬉しそうに微笑んで返事をしてくれた。
──まぁ落下時間が長いと殺傷能力も上がるんだけどね……。
「やるじゃない! テッシー! マリア!」
テミスが嬉しそうに、こちらを少しだけ振り向いて、僕らを褒めてくれた。
「マーくん、わたくしにも何か出来る事はないですか?」
レアが、そう尋ねて来た。
「ちょうど良かった。第二射の準備を手伝って下さい。手ごろな石を、そこら辺から拾ってきて貰えませんか?」
「分かりました」
そう言ってレアは、石を拾いに行こうとして立ち上がってしまう。
「駄目だ! しゃがんで!」
「えっ?」
僕はレアに注意したが、彼女は逆に立ったまま振り向いてしまう。
そして敵が、そんな隙を見逃してくれる筈が無かった。
ホブゴブリンが森の中から撃ち出した吹き矢が、真っ直ぐレアに向かって飛んでくる。
「危ない! お姉ちゃん!」
テミスが必死に手を伸ばしてレアを突き飛ばした。
風の守りの範囲外に出てしまったテミスの指先に、無情にも毒矢が刺さってしまう。
そのまま、テミスは倒れてしまった。
「……テミス?」
レアは呆然と妹を見て呟いた。
その時、森の中からホブゴブリン達が、ゆっくりと現れた。
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