勅使河原くんと二人目の魔姫 Ⅶ

 レアの描いた精霊の姿。

 それは涙の形というか雫の形というか、下側が半円状に膨らんでいて、上側が三角形の頂点の様に二本の線が閉じていた。

 中央にはアーチ状の線が二つ並んで描かれていて、笑っている様に見える。

 そして、その雫から線が四本だけ外に伸びていた。

 ──この線は、もしかして両手足なのだろうか?

 テミスもヨアヒムさんも、ミランダさんもマリアも、レアの絵を見て目を丸くしていた。

 レアは両手で顔を覆っているが、外から見ても真っ赤なのが分かる。

「これ一匹だけが見えるの?」

 僕は、なんとなく質問をしてみた。

 レアは両手で顔を覆ったまま、頭をフルフルと横に振った。

 彼女は少しだけ指の隙間を開けながら、涙で潤んだ瞳を僕に向けて答える。

「いっぱい見えます。まるで沢山の小さな蟻さんみたいに……」

 テミスが絶望した表情のままレアの方を向いた。

 どうやらテミスも、レアに見えていた精霊の姿を確認したのは、初めての事らしい。

 妹に、この世の終わりみたいな顔を向けられたレアは、再び指の隙間を閉じてしまう。

 ──えーと、まさか?

 僕はレアが精霊魔法を使おうとしていた時の事を想い出していた。

 彼女のコップの中にある水が、沸騰していた時の事を……。

 ──でも仮にそうだとしても、蟻並みの大きさにまで見える筈が無いんだよなあ…。

 ──本体では無く、なんらかのイメージとして現れている……という事なのだろうか?

「ミランダさん」

 僕は確認したい事が出来たので、ミランダさんに頼み事をしようと声を掛けた。

 でも返事が無かった。

「……あなた、どうしよう? ……あなた、どうしよう? ……」

 ミランダさんを見ると、そんな事を小声で繰り返し呟きながら天井を、じっと見つめていた。

「ミランダさん?」

「え? あ、はい……な、なに? テッシーくん」

「すみません。パンが一つあれば、水と一緒に持って来ていただけませんか?」


 テミスの部屋の真ん中にあるテーブル。

 今、そのテーブルの上には、皿に乗ったパンとコップに入った水が置かれてある。

 そしてテーブルの周りを全員で正座しながら取り囲んでいた。

 僕はレアに訊いてみる。

「水の中にいる精霊が、パンや皿、コップにも見える?」

 レアはテーブルの上を凝視した。

 どうやら精霊魔法を行使する前段階として、精霊を感じようとしているらしい。

 すぐに彼女から答えが返ってくる。

「お皿やコップには、ほとんど見えません。パンには水よりも少ないですが、精霊さん達が見えます」

 皿やコップは乾燥させた木材で作られているみたいだ。

 ほとんど水分の無い物に彼女が見た姿の水の精霊は、あまり存在しないのだろう。

 コップの中の透明な水とは違い、不透明なパンでも中にいる水の精霊が、レアには見えるという事は……彼女は、物体を透かして内部にある水の精霊の存在を確認できるという事だ。

「精霊さん達は、動いている?」

「はい……水の中もそうですが、細かく動いています」

 ──よし。

「それじゃあ……パンの中にいる精霊さん達に、ほんの少しだけ速く動く様に指示して貰える?」

 僕はレアに、そう頼んで見た。

「……やってみます」

 そう言うとレアは、パンを真剣に見つめながら呪文を唱える。

「精霊さん? 精霊さん? ちょっと、走ってみて貰えませんか?」

 しばらくするとパンから、湯気が出てきた。

「もう、いいよ? 魔法を止めて」

 僕はレアに、そう言ってからパンを取ってみた。

 パンは結構な高温になっていて僕は、それを少しだけ千切ちぎると口に運んでみた。

 冷めていたパンが、まるで焼きたての様な柔らかさを取り戻している。

 周りの、みんなにも食べて貰うと一様いちように驚いてくれた。

 まるで電子レンジで温め直した様なパンの変化……。

 ──間違いない。

 ──レアには水の分子そのものが、水の精霊というイメージとして見えている。

 ──そして、そのイメージを通して水の分子に直接、働きかける事が出来るんだ……。

 ──もし、これがパンでは無く生き物だとしたら?


 ぞわっ……。


 僕は背筋が寒くなって来るのが、抑えられなかった……。


 次に僕は、レアにコップの中の水を見て貰った。

「それじゃあ、この水の中の精霊達に動かない様に伝えて貰える?」

 レアは、こくりと頷いて呪文を唱えた。

 その瞬間からコップの中の水が、凍り始める。

 僕以外の周りのみんなは、その様子を見て驚いていた。

「水……じゃなかった……氷の中にいる精霊さん達の様子は、どう?」

 僕はレアに尋ねてみた。

「みんな動かずに、じっとしていますけど……寒いのか、ガタガタと震えています」

「……やらなくて、いいよ? やらなくて、いいんだけど……その震えを完全に止める事って出来そう?」

「かわいそうですけれど、出来ると思います。……やってみましょうか?」

「いえ、ホントに結構!」

 ──こんな小さなコップの中で絶対零度の再現とか洒落にならないよ……。


「つまりレアさんに見えるのは、普通の精霊魔法における精霊とは異なる存在で……」

 僕は、みんなの前でレアの精霊魔法に関して、自分の分かった範囲の他に推測を交えて説明をしている。

 ──正直しんどい。

 僕だって理系とは言え熱運動とか電子レンジの原理に、そんなに詳しいわけじゃない。

 きちんとした説明は、高校二年生には荷が重すぎる。

 ましてや講義を受ける生徒達は、ファンタジー世界の住人達だ。

 まず彼らは、電子レンジどころか分子の存在すら知らないのだから、理解できる筈もない。

「水の精霊と区別する為に、レアが見える水の精霊を水分子の精霊とします。テミスが水の精霊に手元に来る様に願うと、その通りに手元に来ます。むしろ僕は、こっちの原理の方が理解できませんが……」

 僕は、そこで一息つく。

「レアさんが水分子の精霊に手元に来る様に言うと、彼らはレアさんの手元に行こうと運動を始めます。彼らの動きが激しくなると、水は高温になるので沸騰するんです。逆に先ほど見せた様に止まれと願うと、彼らは動くのをやめて低温になっていくので凍り始めるわけです。」

 みんな……ボケーっと、していた。

「なるほど……我々も走ると、体温が上がる……それと似た様な事が起こるわけだね?」

 ヨアヒムさんが納得して言った。

「厳密に言うと違います」

 そう僕が答えると、ヨアヒムさんは腕を組んで悩んでしまった。

 ──誰か僕を助けて……。

「分かったわ、テッシーくん!」

 ミランダさんが自信満々の笑みで僕の方を見た。

 ──え、本当に?

 ──僕の今の説明だけで理解できたの?

 ──流石ミランダさん……精霊魔法を使うエルフ達の族長を務めるだけの事はあるなあ……。

 僕は感動しながらミランダさんを尊敬の眼差しで見た。

 ミランダさんはニコニコしながら僕の肩に手を置くと、こう言った。

「娘の精霊魔法の事は、君に任せたから……宜しくね!」


 ──は?


「そうね……。お姉ちゃんの精霊魔法の使い方に関しては、どう考えてもテッシーが、一番良く理解しているみたいだし……」

 テミスがミランダさんに続くかの様に言った。


 ──いやいやいや……ちょっと、待ってよ?


「そうだな。自分の方からもお願いするよ、マサタカ」

 ヨアヒムさんまで、そんな事を言って来た。

 流石に命の恩人からの頼みとあっては、断れない。

「……考えておきます」

 しかし事が事だけに、僕は即答を避けてしまった。

「あの……マーくん先生……」

 避けたつもりだったのに、早速レアが質問をしてきた。

 ──いや、マーくん先生って……。

「な、なにかな? レアくん」

 うっかり調子に乗って先生風に答えてしまった。

 レア以外の周りの人達からクスクスと笑い声がする。

「その……私が精霊魔法を使う時に主に注意すべき点は、ありますか?」

 ──そうだな。

「僕の身体の中に水分子の精霊達は、見える?」

「はい、はっきりと……」

「それなら絶対に人へ向けてレアさんの精霊魔法は、使わないでね?」

 まるでエアガンの注意事項みたいな事を、僕は言った。

「はい……母から以前より、そう教わっています」

 レアは、にこやかに言った。

「元々、生き物の中に住む精霊達は、その生き物が死ぬまでの契約を交わしている様なものだから……外から使役するのが難しいから、そう教えているのよ?」

 ミランダさんが理由を僕に説明してくれた。

「でも、お姉ちゃんの魔法って、かなり特殊みたいだよねえ……。万が一、お姉ちゃんの精霊魔法を人に向けて使って効果があったとしたら……どうなるの?」

 僕は思わず真面目な顔をして、真剣にテミスの質問に答える。

「最悪、全身の血が沸騰するか凍結するかして死に至ります」

 それを言った瞬間、場の空気が凍りついた。

 レアの向かいに座っていたテミスが、レアの視界からはずれ様として、横に座ったまま移動する。

「テミスちゃん?」

 レアが移動するテミスを片手を上げながら目で追った。

「いやあああっ! こっち見んなっ!」

「そんな……酷いわ……」

 妹の冗談だか本気だか分からない行動を真に受けて、姉は涙目になっていた。

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