勅使河原くんと一人目の魔姫 Ⅸ

 僕はマリアをエルフの森、そして彼女の両親がいるかもしれない首都アウロペまで送って欲しいという村長さんからの頼みを快く引き受けた。

 村長さん達と村で唯一の料理屋にて今後の事に関しての説明を受けながら、簡単な送別会を兼ねた昼食をおごって貰った。

 午後からは、マリアに教わりながら旅の支度をして、彼女の家で夕飯を一緒に食べた。

 そして、彼女に先に風呂に入って貰って、僕も風呂を頂いて、後片付けを済ませる。

 水晶玉の置かれた机を挟んだ彼女のベッドの隣にある、おばあちゃんのベッドを借りて眠ろうとした。


 そして、気が付いた。


 一昨昨日さきおとといの夜は、彼女は泣き疲れていて、僕はホブゴブリンを倒す手段を考えていて、それどころじゃなかった。

 一昨日おとといの夜は、彼女と一緒に陽が落ちるまで『対の門』による質量兵器もどきの練習をして疲れていたので、それどころじゃなかった。

 昨夜も彼女は泣き疲れていて、僕はホブゴブリンの洞窟を探索する為に朝早く起きなければならなかったので、それどころじゃなかった。


 今、マリアは泣き疲れる事もなく、普通にスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。

 僕は現在ひとつの部屋で家族以外の女性と初めての二人っきり……。

 幼馴染が我が家に、お泊まりに来た事はあるけれど幼い頃の話だ。

 変な気分になってきた。

 明日も朝早く起きなければならないのは、昨日と一緒なのに……別の意味で、それどころじゃなかった。

 意識しちゃったせいで、心臓がドキドキしてきた。

 顔が火照ほてってきた。

 彼女の、おばあちゃんのベッドで横になりながら、必死で目を閉じて眠ろうとする。


 ……えっへん……と、大きな胸を張った彼女を思い出した。

 ホブゴブリンがせまってきた時の、少し髪に隠れながらも、赤く染まっていた彼女のうなじを想い浮かべた。

 泣きながら僕の胸に飛び込んで来た時に当たった、彼女の双丘の感触を反芻はんすうしてしまった。


 ──ダメだ。

 ──目を閉じると、なおさら眠る事が出来ない。


 ──そうだ、羊を数えてみよう。


 (マリアが一匹、マリアが二匹、マリアが三匹……)


 マリアが僕の頭の中にある牧場の左から現れる。

 真ん中の柵を軽々と飛び越える。

 おっぱいを揺らしながら……。

 そして、右へと去ってゆく。

 新たなマリアが左から現れる。

 その繰り返しになった。


 ──眠れない。

 ──何で羊じゃなくて、マリアで数えちゃったの?


 ──ホブゴブリンなら眠れるかな?


 (ホブゴブリンが一匹……)


 ホブゴブリンが左から現れた。

 ──良かった、今度は眠れそう。

 ホブゴブリンは柵を飛び越えると、右側にいたマリアをつかまえて……。


 わあああああああああぁーっ!


 僕は思わず目を開けてしまった。

 声は立てなかったと思う。

 ──我ながら、なんてものを想像してしまったんだ。

 ……現実にならなくて良かった……と、心底思う。


「マサタカさん……」

 ──どきっ!

 幻聴じゃない。

 マリアが隣のベッドから僕に声をかけてきた。

 どうやら起きてしまった様子だ。

 ──僕のせいじゃないよな?

 僕は声を立ててはいないし、横になったままで起き上がってもいないから、振動音も立てていないはずだ。

「な、なあに?」

 僕は多少、うわずった声で訊き返した。

「マサタカさんの御両親って、どんな方達なんですか?」

 ……。

「どんなって……普通だよ?」

 僕は家族の顔を思い出した。

「普通だから……普通に悲しんでいると思う」

 涙が滲んできた。

「ぼ、僕って……変な所で生真面目きまじめだから、崖から飛び込む前に遺書を書いて、石で地面に抑えて置いてきたんだ……」

「……」

 マリアは黙って聞いてくれていた。

「だから、きっと両親は……僕が死んでしまったと思っている……と、思う……。遺体は見つからないだろうから、かすかな希望は抱いているかも知れないけれど……」

 ──堪えろよ?

 ──男だろ?

 僕は何故か……マリアの前で涙を見せたくは無いな……と、強く思っていた。

 マリアは尋ねてくる。

「どうして……崖から飛び込もうと思ったんですか?」

 ──それ、聞いちゃうかー……。

 ──ま……そりゃそうだよね……。

 そう思いつつも僕は、素直に自然と、その理由を彼女に伝える事が出来てしまう。

「好きだった女の子に告白したら……振られちゃったんだ……。遺書には書いていないけどね……」

 彼女は最初から、こちらを向いていたらしい。

 ゆっくりと起き上がる彼女の顔が、月の光に照らされている。

 申し訳なさそうな、悲しそうな、複雑な表情だった。

「それで、衝動的に……ね?」

 僕は何とか微笑む事が出来ていたと思う。

 その顔が彼女に見えたのかは、分からない。

 でも彼女は微笑み返してくれた。

「その女性は、もったいない事をしたと思います。私なら、きっと……」

 胸に手を当てながらマリアは消えゆく様に呟いた。

 ──それって、どういう事?

 僕が、そう尋ね返そうとした時に、彼女から新しい質問が飛んできた。

「どんな女性だったんですか?」

 ──どんな? ……か……。

「幼馴染だった」

 僕は続ける。

「昔から仲が良くて、告白する直前も仲が良くて、お互いに何でも言い合えて、一緒に二人きりで出掛ける事も沢山あって、バレンタインのチョコレートも義理だからとか言われつつも毎年貰っていて、初詣はつもうでなんかも元旦の度に家族ぐるみで行ってて……」

 これだけ並べると……もう恋人なんじゃなかろうか? ……という気は、今でもしている。

 マリアは静かに話を聞きながらもバレンタインと初詣で、という異世界の行事に関しては、分からない様子だった。

 ……当然か。

 僕は細かい説明を入れずに話し続ける。

「でも告白だけは、していなかった。受験で一緒の大学へ進学したかったから、告白して誘おうと思っていたんだ。……受けてくれるものだと思っていた。自惚うぬぼれていたんだ……。結局……一緒の大学へ進学しよう……と、誘う事も無く振られた……」

 僕は、また涙が出そうになった。

「でも今は……彼女に悪い事をしたな……と、思っている。遺書には詳しい事は書かなかったし彼女との事には触れていないけれど、きっと彼女なら気がつく……。それも所詮は、自惚れの延長なのかも知れないけれど……」


「マサタカさん……」

 そう呼び掛けるマリアと、僕は目が合った。


「だから僕は、なるべく早く元の世界に帰りたい。この世界も君の事も、もっと知りたいけれど……僕が生きているって事を、残してきた大切な人達に伝えたい。そして安心して貰いたいんだ……」

 いつの間にかマリアは、ベッドに腰掛けて座っていた。

 彼女は机の上に手を置いている。

 その手に僕は、そっと自分の手を重ねた。

「僕は君に助けられた。……死にたくない……と、考えを改めた。……生きていて良かった……と、今は心から思える」

 僕は彼女の手を握りしめる。

「だから君が……生贄にされて運が悪いと死ぬかもしれない……と、聞いた時は……なんとかしたい……と、思った。君がホブゴブリンを殺せなかった理由も、なんとなく理解できた。命が大切なものだって改めて君に気づかされていたから……」

 それだけ伝えると僕は、最後に彼女の目を見ながら一つの感謝の言葉で締めくくる。

「マリア、ありがとう……」

 マリアは照れながらも、意外な事を僕に訊いてくる。

「マサタカさん、幼馴染の女性に会いたいですか?」


「そ、そりゃあ会いたいけど……どういう事なの?」

「占ってみませんか? これから先、幼馴染の方に出会える事があるのかどうか?」

 ──いや、それで会えないとかいう結果が出ちゃったら、どうすんのさ?

 ──僕、二度と立ち直れないよ?

 そう言おうかどうか悩んでいる僕の返事を待たずにマリアは、そそくさと水晶玉を準備している。

「もしかしたら、マサタカさんの世界が映り込む可能性だってあるかもしれませんよ?」

 ──え?

 ──それは気になる。

「で、でも……それじゃ君を送り届けるっていう村長さんとの約束が……」

「きちんと事情を説明すれば大丈夫です。なんでしたらエルフの森に友達がいるのでエルフの森まで一人で行って、そこからは友達に付き合って貰いますから……」

 そう言うと、彼女は微笑んだ。

「……そ、それなら、お願いしてみようかな?」

 やっぱり気になってしまった僕は、マリアに占いを頼んでしまう。

 ……何も映らない可能性の方が高いだろうから、期待はしない事にしよう……と、考えながら……。


 ベッドに腰を掛けたままでマリアは、彼女の太腿の上に乗せた水晶玉に両手をかざし始める。

 マリアとは思えないおごそかで神聖な表情が、印象的だった。

 僕は向かいのベッドに腰を掛けたままで、その様子を眺めていた。

「それではマサタカさん……先ず、幼馴染の女性の名前を私に教えて下さい……」

 ──ええっ!?

 ──恥ずかしいな……。

 でも、それじゃ占いが進まないのも承知している。

 僕は少しだけ照れながらも幼馴染の名前をマリアに伝えた。

「……美恵……立木美恵たちきみえだよ」

「ミエさんですね……?」

 マリアは、そう応じると両のまぶたを閉じた。


 しばらくすると……驚いた事に水晶玉には、何処かの街の風景が映り込んだ。

 しかし僕は、それを見て落胆する。

 一瞬、ヨーロッパか何処かの外国が映ったのかと期待したけれど、違う。

 これは、この世界の風景だ。

 水晶玉に映り込んだ街の空に浮かぶ月の模様が、雄弁に語っていた。

「これは、首都アウロペ……」

 マリアの呟きが、それを確定的なものにした。

「ここに、マサタカさんがミエさんに再び巡り会う為のヒントがあると言うの?」

 ──え?

 俯いてしまった僕は、慌てて顔を上げてマリアを見た。

「マサタカさん……ここに……アウロペに、あなたが元いた世界に戻れる方法が、あるかもしれません……」

 彼女が、そう言った瞬間に水晶玉に映り込んでいたアウロペの映像は、かき消えてしまう。

「あれ? あれれ?」

 そして彼女が何度試しても……水晶玉は二度と、その街の姿を映し出さなかった。


 マリアと僕の目的地……。

 この世界にある……ユピテル国の首都アウロペ……。


 ──そこに、僕が元いた世界に帰る為の方法があるかもしれない。


 僕の心に希望の灯が、密かに点いた……。

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