勅使河原くんと一人目の魔姫 Ⅶ

 帰り道。

 ひとしきり笑った後に、襲ってくるのは後悔だけだった。

 これから事の顛末てんまつを村長さんの家で待っている、みんなに報告しなきゃならない。

 マリアを連れて……。

 村長さん達が待っているのは、無事に彼女をホブゴブリンに生け贄として引き渡せた報告だ。

 僕が予定していたのは、ホブゴブリンを打ち倒せた報告。

 現実は連中を逃してしまった報告になる。

 わずかな希望は残っているものの、その蜘蛛くもの糸よりも細い願望にすがる気持ちにはなれない。

 今夜辺りは大丈夫だろうけど、いつかはホブゴブリン達が報復に来るだろう。

 それまでに応援が間に合う事を願うしかなかった。

 村長さんの家の前に辿り着いた僕達は、その重い扉を開いた。


 足取り重く村長さんの家に入って報告を済ませた僕達は、さらに重くなった足取りでマリアの家に帰る事になった。

 別に何か村長さんの家で揉め事があったわけじゃない。

 むしろ、その逆だった。

 僕からの報告を聞いた村の人達は、村長さん以外とても驚いていた。

 たぶん村長さんは、なんとなく僕の目的を察していたのか……あまり驚かなかった。

 ただ結果に関しては、残念そうな顔をしていた様に思う。

 でも、誰一人として僕達を責めようとはしなかった。

 ……疲れただろう? 今日は、もう家に帰って、ゆっくり休みなさい……。

 村長さんや村の人達は、そう言って僕らをねぎらってくれた。

 その事自体には、とても感謝していたけれど……僕の心は返って重くなってしまった。

 申し訳ない気持ちで一杯になった心を引きずりながら、帰路についた。


 マリアの家までの帰り道は、何故か僕が先頭になって歩いた。

 彼女は、僕の後ろをトボトボと付いてくる。

 きっと責任を感じてしまっているのだろう。

 確かに……彼女が覚悟さえ決めておいてくれたなら……と、思ってしまう自分もいる。

 でも同時に、彼女のせいでは無い事も理解している僕がいた。


「政孝は人の気持ちが分かってないよね」


 僕は自分を振った幼馴染に言われた事を思い出していた。

 マリアの魔法のテストで石を砕く事に成功した時に僕は、その魅力に取り憑かれてしまった。

 ──この力で、ホブゴブリンの脳天を砕いて殺したい……。

 ここまで具体的では無いが、似た様な高揚感があったのは事実だ。

 マリアの優しい性格や、彼女の気持ちなんて微塵みじんも考えていなかった。

 自分の事しか頭に無かったのだ。

 彼女の言う通り……他にホブゴブリンを殺さずに倒す方法もあったかもしれないのに、手段を模索する事を放棄してしまった……。

 僕は、あの方法を見つけた時に喜んで試してみたくなっていた。

 殺してみたくなっていた。

 恐ろしい気持ちだ。

 自分の心の中に、こんな大きな悪魔が住んでいるとは、思っていなかった。


 自分が生きる為に、相手を殺して命を奪う。

 当たり前の行為だ。

 そうしなければ生きていけない様に、生き物達はつくられている。

 マリアだって、お魚さんをさばく時には……どんな美味しい料理にしようかな? ……と考えながら、喜んで捌いている事だろう。

 おばあちゃんと一緒に暮らしていた時は、きっと優しい彼女は、おばあちゃんに栄養をつけて貰いたいと考えながら、ニワトリを絞めた事だろう。

 僕達の世界の菜食主義者が、そんな彼女を見たら……野蛮で残酷だ……と、罵倒するかもしれない。

 しかし、そんな彼らだって植物の命を取らなければ生きていけないのは、一緒だ。

 僕らの心の中に住む天使と悪魔の境界は、いつだって曖昧で、僕らは時に、その位置を忘れたり、その縄張りに閉じ込もったり、互いの線引きで争う原因になったり、重なり合って喜び分かち合う。

 ──もし神様がいるのなら、何故こんな風に生き物達を創ったのだろう?

 時々、そんな中二的ちゅうにてきな考えに、今でもとらわれてしまう。


 僕は、神様はと思っている。

 でも、嫌いだ。

 だから、信じてはいない。

 その存在では無く……。

 その善意を……。


 そんな事を考えていると、やがて僕らはマリアの家に近づいて来た。

 ──気落ちしたマリアをなぐさめたい。

 そう思うんだけど……なんて声を掛けたら良いのかが、分からない。

 一生懸命に彼女に掛ける言葉を頭の中で探していたら、関係ない事だけ見つかった。

「あ……」

「……どうしました?」

 いきなり声をあげた僕に、マリアは少しだけ心配そうに声を掛ける。

 僕は、ばつの悪そうな顔をして振り向いたと思う。

「村長さんに借りた小刀を返すのを忘れてた……服も……」

 マリアは微笑むと、僕に提案してくる。

「服は私が洗ってから、お返しします。小刀は……宜しければ、私が今から村長様に、お返ししておきましょうか?」

「そんな……悪いよ」

「大丈夫です。ちょうど村長様と相談したい事も出来ましたし……」

「そう? それなら……」

 僕は素直に彼女の厚意に甘える事にした。

 さやに納めたままで抜きもしなかった小刀を彼女に手渡す。

 彼女は村長さんの家へと戻る様に少しだけ歩くと、一度だけ振り返って僕に向かって手を振ってくれた。

 僕も手を振ると、村長さんの家へと向かって行く彼女を小さくなるまで見送ってから、反対方向の彼女の家へと再び歩き出す。

 後で分かった事だが、この時の彼女は、僕だけでも村から……ホブゴブリン達の報復から逃す事が出来ないか? ……と、村長さんに相談する積もりだったらしい。

 でも結局マリアが、その相談を村長さん相手に出来る事は無かった……。


 マリアの家に帰って来た僕は、台所で料理をしながら彼女を待っていた。

 待っている間にホブゴブリン達を相手にする方法を考えていた。

 色々と思いついたので、マリアが帰って来たら相談しようと思っていた。

 ──まだ諦める様な局面じゃない。

 色々と、アイデアが思い付く内に楽しくなって来た。

 ──この方法なら、彼女も承諾してくれるだろう。

 ──あの、やり方なら……ホブゴブリン達と対等に渡り合えるだろう。

 ピンチだと言うのに……思い付いた様々なアイデアに、僕はワクワクしていた。


 冷めてしまった夕食を前に、僕は頬杖ほおづえをついている。

 ──遅い……。

 マリアの帰りが遅いのだ。

 そう思っていた矢先に玄関の扉の開く音が、聞こえてきた。

 僕は出迎えようと玄関に向かう。

「どうしたの? 遅かったじゃないか? 心配し……」

 僕の言葉は、そこで途切れてしまった。

 マリアは帰って来た。

 俯いたまま、涙を流しながら、玄関口に立っていた。

 村長さんへ返す筈だった小刀を握り締めたままで……。

「……何があったの?」

 僕は尋ねた。

 マリアは、ゆっくりと答える。

「村長様の家の前で……中から声が聞こえて来て……村長様が……やっばり、マリアには、村から出て貰った方がいい……って、仰っていて……」

 ──そんなっ!?

「それは……マリア一人でホブゴブリン達の洞窟に行かせよう……とか、そういう事なのかい?」

「たぶん……」

 彼女は、そう言うと頷いた。

 ──なんて事だ!

 裏切られた気分だった。

 村長さんだけは、違うと思っていた。

 でも当然だ。

 みんなが、そうだ。

 自分は生き残りたい。

 当たり前の話だ。

 ──だけれど……それでもっ!

「わ、私……私は、もう……どうしたらいいのか……」

 彼女は、そう言うと僕の胸に飛び込んで来て、大きな声をあげて泣いた。

 僕は村長さんに苦情を言って村の人達を説得しようと思い、マリアを取り敢えず引き剥がそうとして……やめた。

 今の段階では、村長さん達を説得できる材料が全く無いからだ。

 僕は泣きじゃくるマリアの頭を抱き締めて、そっと髪を撫でながら考えた。

 ──説得する為の材料なら、あるかもしれない……。

 ……もし、それが駄目だったら、彼女を連れて逃げよう……と、僕は決意した。


 ──藁にも縋る思いとは、この事だな……。

 僕はマリアを玄関先で、いつまでも抱き締めながら……垂れてきているかどうかも分からない蜘蛛の糸を昇る決心をした。

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