第11話「洗脳」

 川に流され気を失ったカーサスは老人に助けられ安堵した束の間、突然現れた謎の大男に捕まり人里離れた場所に囚われてしまった。

 再び目を覚ますとそこは牢獄であり、腕と足には枷が繋がり壁に吊り下げられていた。横には白骨となった囚人や石畳の床には頭蓋骨やボロボロになった衣服が散らばっていた。

「あらら、先客がいるよ」

 暫くしていると老人を責め立てていた大男がやってきた。彼の他にもうひとり将校のような男がいた。

「ゲ、ゲンさん!?」

 牢の扉を開き、近付いて蝋燭の灯りが闇を照らし彼の顔をはっきりと見るまで気付かなかったが、それは約30年前に別れた上官のゲンだった。しかしなにやら雰囲気が違った。彼から生気を感じられないのだ。

「おい、しっかりして下さいよ」

 いくら声を掛けても反応を見せることはなかった。寧ろ隣の大男が何か彼に囁いて頷いているだけである。

「どうしちまったんだよ……」

 するとゲンが呻き声を上げカーサスは身が竦んだ。人間ではない何か別の獰猛な猛獣のような声だった。

「貴様、連邦の使者か」

 呻き声の後に漸く言葉が理解できる言語で話し始めるゲンに向かって質問とは違う答えをぶつける。だが別の返答に対して彼はカーサスの髪を握りしめて真面目に答えるよう指図した。

「俺は連邦の使者でも軍隊でもない。あなたを助けに来たんだ」

 その答えをそのままアリコ語に翻訳して大男に伝えているようだ。再びゲンがカーサスに質問をする。

「助ける? 誰を助ける。助けてどうする」

 ゲンは今やアーク連邦を裏切った重罪人だ。もしも再びアークの地を踏めば死刑、いや、その場で銃殺刑になるだろう。従って彼はどこにも変える場所が無いのだ。だが、

「あなたを助けてどっか他の国に行く。それもあなたのことを知らない世界へ」

 すると突然にゲンが咆哮を垂れカーサスの髪を掴んでいた手を離して狂ったように暴れた。大男が宥めるように介抱してやるが全く意味もなく暫くして彼はひざまづくと、

「カーサス、俺はもうダメだ」

 その声は先程の話し方と違い、昔のような和らぎ尊敬していた時代の声だった。『ダメ』とはなんなのだろうか。それを訊ねようとすると三度咆哮を上げ近寄る大男を跳ね飛ばす。彼が兵士を呼んでいるのか辺りが騒がしくなるとゲンが口を開く。

「良く聞け、カーサス。俺は奴らに……取り付かれてもう長くはない――」

「奴ら……って!?」

「奴ら……は――」

 次の言葉に耳を傾けた瞬間、ゲンはカーサスの目の前で木っ端微塵に吹き飛んだ。息の上がる大男の隣には坊主が立っており数珠を握り締めて祈っているように思えた。

 カーサスの体には木っ端微塵になったゲンの内臓がこびり付き悪臭をもたらしていた。また彼の足元には心臓だろうか、未だに弱々しく脈打っている。次第に一拍もう一拍、そして完全に止まるとカーサスの頬に一途の涙が伝う。

「き、貴様ら……」

 自分でも分からない力が込み上げてくる思いの中で気が付けば頑丈な鎖を引き契っていた。大男は右往左往しながら坊主に語り掛けると彼が静かに口を開いた。

「気を静めよ。我が名はタケカ」

 数珠を頑なに握り締めカーサスの目の前に翳す。しかし彼の怒りは収まらず大男たちを襲う。一瞬の隙を突いてタケカが彼を術で弾き飛ばすと、

「我はうぬを殺生しとうない」

「黙れ、ゲンさんを殺しておいて」

「奴を殺したことは詫びを入れる。しかし事情があるのだ、分かってくれ」

 その事情を聞きたかったが大男から口止めされているか単に言いたくはないか、何れにせよ拒むタケカに憎悪が湧く。

「許さねぇ!」

 カーサスは眼にも止まらぬ速さで彼に近付き拳を握り締め坊の眉間にぶちこむ。と思いきやそこにタケカはおらず、動揺している間に気が付けばカーサスの腕に彼が胡坐を掻いているではないか。

「なに!?」

「怒りに任せ戦おうと我には十年速い。戦闘の基本は――」

 すると中空に無数の数珠が舞い経を唱え始める。途中でタケカが奇声を上げると数珠が弾丸のようにカーサスを襲い始める。しかも一つ一つが鉄球のように重く翳していた腕が折れてしまう勢いだ。

「腕がぁぁぁ!」

「腕がどうしたのだ」

 折れた腕を必死に押さえて痛みを堪えているとタケカが近付いてくる。彼はこいつに適わないと悟り直ぐに降伏した。カーサスなりの考えでもあった。殺す機会などまだ充分にあり、敵の情報も知りたかったのだ。

「で、いつうぬの腕がぽきりと折れたのだ」

 その言葉の意味が分からなかった。現に腕が折れ痛みを感じるというのに。

「あ、れ?」

 視線の先には折れている筈の腕が正常に繋がり機能している。痛みも気が付けば全く無い。あるとすれば鎖を引き契ったときに出来た痣が痛むくらいだ。

「戦いの基本は精神攻撃だ。うぬが見た光景、それ即ち幻影だ。我が見せたただの幻に過ぎぬ」

 タケカの攻撃は確かに凄まじかった。本当にあれが現実だったと思うほどに彼の幻術は完璧であった。カーサスは彼を恐怖として見るようになってしまった。これも、タケカの罠だとも知らずに。

 カーサスは今のいる施設からタケカと共に別の施設へと移った。そこはアリコ祭壇の真っ只中でありアリコ信教のメッカだ。

 アリコを繁栄し、人々から崇あがめられた人物こそ初代皇帝のニョライである。彼はタケカの先祖であり信教の教祖でもあり、偉大なる仏即ち神なのである。

「けっ、神はアークに決まってる」

 世界広しと云えど、宇宙やこの星を創造した神はアーク神族だと決まっている。それはカーサスが良く知っているわけだがタケカは事実を歪曲していると真っ向から否定していた。

「アーク神族はただの神話に過ぎんのだよ。事実、彼らが存在したなどという証拠もない上、古文書にも記されておらん」

「だけど俺は知っている」

「うぬ如きが何を知っておる。偶像の産物に何をそんなに拘っておる」

 ふたりは大きな扉の前に到着するとタケカが解錠しギシギシと音を立てながら扉が開かれた。そこには真っ暗な空間が現われ、彼が先に入り壁伝いを進み端まで来ると両手を広げ、

「火の精よ、闇を照らし給え」

 呪文のようなものを解くと辺りが真っ昼間の如く照らされ思わず両手で目を覆ってしまった。彼は火術で室内の柱の篝火に火を点けたのだ。

「これは幻術じゃないよな」

「当たり前じゃ。そしてあれも本当にあるのじゃ」

 カーサスは思わず息を呑んでしまった。彼の目の前には5体のミイラがこちらを睨んでいたからだ。どのミイラも静かに正座をして手を合わせながら佇んでいる。ひとつ違いを挙げるならば、身に纏う服装の色が違うことだろうか。

「不気味だな」

「この方々こそ先代の皇帝陛下で在らせられるぞ」

 なぜミイラの姿か疑問を抱くカーサスはその答えを訊ねた。

「うぬは即身仏を知っておるか」

「いいや」

「即身仏とは本当の仏になるために我々の先代が修行をして修行をして、漸く成られたものなのだ」

 ざっくり説明すると、1ヶ月もの間、水分のみを補給しつつこの広間の台座で絶え間なく経を唱え悟りを開くことで仏になるということらしい。もっとも、並大抵の気力では失敗に終わり苦しみながら死ぬか後遺症を患い生涯苦しむことになりかねなかった。

「これで仏さんになるなんて、こっちの方が信じられんね」

 するとタケカは嘘ではないと、証明してみせると言ってカーサスを即身仏となったニョライに近付かせると突然彼は呻き声を上げてその場に蹲ってしまった。そして暫くするとゆっくり立ち上がり、

「本当だ。タケカ様の仰った通りだ。ニョライ様のお力は素晴らしい」

 狂ったように崇拝するカーサスを目の当たりにしたタケカは薄気味笑いを浮かべ、

「洗脳完了」

 と小さく呟くのであった。

 時同じくして、ミレイからの手紙を読みチンクエテッレ行きを決めたヴィクトリアはエステ基地を訪問後、事情を説明したものの取り合ってもらえず路頭に迷っていた。そもそも一般人且つ個人が軍に助けて貰おうなどと考えていること自体無謀なことである。しかしアーク連邦の伝手つてで、もしかしたら可能ではないかと思っていたようだがそれは儚く散った今、彼女はどうやってチンクエテッレまで行くか考えているところだ。

「状況が分からない今、迂闊に魔法を使うわけには行かないからなぁ」

 神でも迷うことはある。好き勝手にやりたい放題出来る神でもあるが彼女は違う。争い事は嫌いなのだ。それにヒト同士で解決できることを知っており、力でねじ伏せることは好きではないようだ。

「どうしようかなぁ」

道端の倒木に腰掛けていると一台の荷馬車が通り過ぎた。彼女は目を盗みその荷台に入り込み、まんまと基地内に潜入することが出来た。

 荷主が門番で手続きをしている間にこっそりと荷台から出ると物陰に隠れる。

「確か飛行船で着陸した時に小型の飛行機があったような」

 人に見付からないよう気を付けながら基地中を探し回るが目当ての物は見付からなかった。

「使ってるのかな」

 強硬手段を取るか否かを模索していると遠くの砲から風を切る音がする。それは近付いて来ると基地の頭上をループを描いて飛ぶ小型の飛行機があった。

「あった、あれだ!」

 その飛行機は飛行船が着陸した所から少し離れた場所に降り立った。物陰から飛行機の様子を探りいつ踏み込めるか検討する。

「なるべく人が少ない方が良いな。間引くか」

 駐機場にいる5人の内、3人を間引くことに成功した彼女は搭乗する機体を探すため近くに駆け寄った。因みに間引かれた人たちはぐっすり眠っている様子だ。

「燃料が多く入ってるのが良いかな」

 こそこそと操縦席に昇っては燃料計を見て回る。そうしている内に漸く燃料が多く入る機体を見付けると車止めを外して離陸準備に取り掛かる。

 彼女が乗る機体はイーストライン空軍の主力戦闘機、EL/F-2“シャーク”と呼ばれる。尾輪式のその機体は三葉機に分類され、エンジンは400馬力の液冷を持つ。最高速度は時速230キロメートルを誇り、武装は5.56mmのL1弾を使用し2挺を胴体と翼の付け根に装備し、給弾装置は操縦席の背面に設置し、1挺当たり最大1200発を秒間120発で射出可能だ。燃料はエンジンと操縦席の間に入っており、航続距離は過重装備で580キロメートルに及ぶ。投棄不可能な増槽を付けることで900キロまで飛行できる。

「チンクエテッレの近くまででも良い、取り敢えず出発だ」

 2翅のプロペラを魔法で少しずつ回転させるとエンジンを吹かして駆動させた。流石に夢の中にいた間引かれた兵士たちは目を覚まし拳銃を片手にエプロンまでやってくるとヴィクトリアが既に滑走路内へ侵入していた。

「あいつは誰だ?」

「飛行予定なんかあったかいな」

 ただ何もせずに目の前を通り過ぎる彼女をじっと見ていると彼らの上官と先程降り立った飛行機のパイロットたちがやってくるなり怒号を上げているのが操縦席越しからも見ていて分かった。しかし何と言っているのかまでは分からなかったがパイロットたちが駐機している飛行機に駆け寄っていることで大体の想像がついた。

「誰だか知らんが奴を撃墜せよ」

「も、もしかしたら先程チンクエテッレがどうとか言っていた女かもしれません!」

「くそう、あのアマがぁ」

 彼らの前を急ぎ足で飛び立つ3機の戦闘機は直ぐ様ヴィクトリアを追うために空中で編隊を取った。

前述の様に、彼女は争い事は好きではないようだが争い事を作ることに関しては大分好まれているようだ。

「3機、アーク連邦かチンクエテッレまで出れば問題ない」

 最高速度を維持するために高度500メートル前後で水平飛行する。因みになぜ操縦出来るのかというと大体の人間が作った兵器は触るだけで使い方が頭の中で思い浮かぶのだそうだ。全てではないそうだか、こういった簡易な乗り物に関しては大体分かるらしい。

「燃料満載だから少し重いや」

 後から飛び立った敵機は燃料が少ないためか近付いてきているようにも思える。流石に最高速度を維持するため、エンジンの回転数を最大にして飛行していると爆発してしまうらしく冷やすために一度回転数を通常に戻さなければならない。

「時速は207キロ……追い付かれるかもしれない」

 その言葉通り、追っ手の機体は220キロを維持して追尾して来るためにこのままでは追い付かれてしまう。しかもかなりお怒りのようで射撃までしてくる模様だ。

「回避してたら速度が落ちちゃう」

 ただひたすら真っ直ぐに水平飛行するが5.56mm弾が主翼や尾翼に小さな穴を明ける。万が一給弾装置に辺りでもすれば幾ら小口径の弾丸であろうと誘爆は免れない。なんとか当たらないように祈るしかないのだ。神が神に祈る様は誠に滑稽なことでもあった。

「魔法……使う、か?」

 彼女自身、魔法はあまり使いたくはない様子だ。争い事が起きた今、使う使わないなどと言っている場合ではないが彼女は非力な人間に対して使いたくないらしい。同程度の対人ならば使用しても受け身が出来たり反撃してくれるが、カーサスのように魔法が使えない人に攻撃してもしものことがあればと思うと使えなくなるようだ。

「人にはそれぞれの生活がある。やたらめったら殺生してはいけない」

 ヴィクトリアは人の死を見たくはない。もちろん誰か大事な人が殺されるようなことがあれば相手を殺める場合もある。神なのに、無敵なのに、彼女は不思議で滑稽な少女なのだ。

「ぐぅ……っ」

 夕焼け色に空が染まる頃、豆鉄砲が彼女の右肩を貫き血が飛沫する。操縦席内は赤い血で塗りたくられ彼女の右腕は糸が切れた操り人形のようにだらんとぶら下がる。機体は姿勢を崩し左に降下していく。

「神経が逝ったか」

 咄嗟にスロットルを押さえていた左手で操縦桿を握ると再び水平に戻した。高度は150メートル下がり速度は増したがスロットルを操作出来ないためこれ以上上げることは高度を下げること以外不可能だった。

「せめて国境まで行かせて」

 興奮状態のせいか心拍数が高まり、脈動する度に出血しており中々治まることはなかった。次々に豆鉄砲が交差する中で彼女は必死に操縦桿を握り、遂に国境を越えることに成功した。

 ところが追っ手は国境越えに気付かず執拗に追い掛けていものの暫くすると銃弾が飛んでこなくなり気が付けば追っ手がいなくなっていた。そして夕闇の中、彼女は後方や周囲を確認した。振り切ったのか弾が無くなって帰ったか、はたまた国境越えに気付き帰投したか分からなかったが漸く落ち着くことが出来る。そう思った矢先、彼女は意識が遠退いて行き闇夜に消えていくのだった。

 肌に感じる風切音、耳の中で微かに聴こえる心臓の音、右肩に残る激痛。気が付けば彼女は墜落していた。しかも断崖絶壁のほんの数十メートル手前に不時着している。

「良く降りられたな」

 周囲は薄暗く靄が掛かっており風も時折強く吹いていた。墜落した日時は不明だが、少なくとも夜の間は完全に意識を失っていたようだ。

 彼女がゆっくりと足元に気を付けながら地面へと降り立つと次第に辺りが明るくなっていった。朝日が昇り始めたのだ。

「ここはどの辺りだろう」

 周囲を簡単に散策してみたが皆目見当もつかなかった。突然胸を鉄球で殴られたかのような激痛が走るとその場に倒れこんでしまった。

「ぐっ……こんなところで」

 顔面蒼白になり痛みを堪えながら飛行機に近付くと視界が朧気になる中で発煙筒を取出し近くに投げるとヴィクトリアは気絶してしまった。投げられて地面に2、3回転がった発煙筒からは次第に救難要請を示す黄色の煙りがもうもうと天高く昇った。それから暫くすると墜落現場に数人の人影が現われるのであった。

「っ……ここは?」

 どうやら彼女は救けだされ気が付いた先は埃が舞う古い小屋だった。胸の痛みは消えており、右肩に関しては神経が繋がったのか動かせるまでに治っていたものの若干の痛みはあった。

「包帯が巻かれてる。誰かが手当てしてくれたのか」

 すると小屋のドアが音を立てて開くと小さな女の子がこちらを覗いた。ヴィクトリアが左手で手を振ると驚いてドアを閉めてしまった。

「あらら」

 数秒後、再びドアが小さく開き女の子がこちらの様子を窺っていると大きくドアが開いて老婆が現われた。起き上がっている彼女に対して何も言わずに室内へ入ってくると懐に入っていた傷んだパンを渡してきた。

「食べていいのかな」

 しかし酷い臭いが立ち込めており傷んでいるのはカビであり虫も集っていた。流石に食欲が失せてしまい遠慮すると老婆は女の子にパンを渡すと彼女は腹が減っていたのか凄い早さで完食してしまった。

「ここはどこの国ですか?」

 取り敢えず惑星内共通語とされるアーク語で訊ねてみるが反応は無く、次にライン協和国特有のアクセントで話すものの無駄だった。最後にダメ元で古代、アーク神族が使っていた紀元語で訊ねたところ老婆は驚いた表情をして、

「お前さん、儂たちの言葉が分かるのか」

 初めて互いに会話を交わした瞬間だった。女の子は意志疎通が出来たことに喜んでいるのか分からなかったが会話が成立した途端ヴィクトリアに抱き付いてきた。

「お兄ちゃん」

「お、お兄……ちゃん?」

 老婆の話によると小さな女の子は兄と一緒に孤児として生きていたが数ヵ月前、彼女の目の前で殺されてしまったらしく口も聞くことが出来なかったという。だがヴィクトリアが話すことによって何故か言葉が出てきて老婆自身も驚いていた。

「それにしてもお前さん、よく儂らの言葉が理解できるのう。学者か何かかい」

「えぇと、まぁ古代について興味があるので」

 自分が古代から生きているということを知られてはいけないため、ここは適当にあしらっておいた。

「若いのにすんばらしいことだねさ」

「ところでここはどこの国ですかね?」

 老婆は窓を開けるとそこには大きな絶壁が見える。それは以前にも見覚えがある。

「ガリア高地」

「そうさね。じゃがここはさらに南東のガリア大地というところじゃねさ」

 ガリア大地とはガリア高地からさらに南東のところ位置し、チンクエテッレよりも東、イーストラインよりも北にあるどこの国にも所属していない一帯のことだ。しかし、現在は飛行技術の進化により各国がこぞって領有権のない土地を我が物にしようと躍起になっているらしく、女の子の兄も調査中の軍団に原住民という名目で殺害された。基本的に原住民がいる場合、国土は彼らのものだがいなければ良い話しであり、各国の軍隊は原住民を敵と見なして殺戮をしているようだ。

「おかしな話だ」

「全くだわさ。土地は皆、シルヴィア様のものなのに」

 突如ヴィクトリアは顔色を変えてもう一度老婆に誰の者なのか訊ねると、笑みを浮かべてシルヴィア・ナチョスと答えた。血相を変えた彼女はベッドから立ち上がると畳まれていた服を身に付け外に出た。

 周囲は古びた家々が連なり、家の隅には餓死者が横たわっている始末だった。また各家には必ず何も紋章が掲げられている。

「緑色の円の中に赤色の十字架……そうか、ここは――」

「お兄ちゃん」

 女の子が抱き付いてきたが咄嗟に振り払いよろけて倒れる女児に老婆が駆け寄りヴィクトリアへ怒声を浴びせる。

「あなた方はナチョスの、いや堕落民族ですね」

 すると穏やかだった老婆は突然鬼の形相に豹変すると女の子を小屋に入れ、

「お前さん、儂らは堕落民族じゃないさ。アーク神族よりももっと高等で威厳のある民族さ」

 野晒しにされていた錆付いた釜を拾うと今にも襲い掛かりそうな剣幕をしてゆっくりと近付きながらぶつぶつ囁いている。

「堕落民族はアーク神族。彼奴きゃつらさえいなければ今頃は幸せな生活を……。憎い。全てが憎い」

 すると老婆は腰を屈めて小走りで彼女の間合いに入る。が、次の瞬間には老婆の両腕は血飛沫と共に草むらの中へと飛び込んだ。

「ひぃぎゃぁぁぁ!!!」

 ヴィクトリアは短剣を振り払って付着した血液を地面に落とした。そして彼女もまた見たこともない剣幕で老婆に近付くと、

「ナチョスは、シルヴィアは今どこにいる!」

「お前さんごときに教えるものか」

 抵抗する彼女の両足を切り落として再び同じ質問をする。

「シルヴィア様、ナチョスの繁栄を゛っ――」

 無言でヴィクトリアは老婆の首を刎ねると頭は小屋のドアを突き破った。女の子は震えながら目の前に立つ悪魔とも思える彼女をただただ見つめるだけである。

「堕落民族は危険な存在だから」

 そう呟くと小さな女の子の目に手を当てると短剣で彼女の首を落とした。血飛沫が迸り、ヴィクトリアには返り血が飛び散った。

「シルヴィア……」

 また小さく呟くと彼女は村中を走り回り、気が付けば身体中真っ赤に染まりながら大きな岩の上に座ってガリア高地を眺めていた。息はひどく上がっており、心臓も早鐘のように高鳴っている。

 彼女の背後には無数の斬殺された死体が転がっており、家屋は倒壊し放し飼いにあっていた動物たちが残るだけであった。

 堕落民族とは、かつてアーク神族だけが惑星にいた時代に彼らが造った最初の民族であることだ。無論、最初から堕落民族という名前ではなかった。

 民族を造るにあたりひとつの神を設けることにしたそうだ。その神は人類の神様であり未来永劫、人類のために子孫を増やし、育て、知恵や知能を付けていくことを義務付けられる管理者だ。紀元語では“ゲスチオンヌ”と呼ばれている。

 ゲスチオンヌはアーク神族によって生み出され彼らと同じ不老不死だった。知恵と知能を与えられ人類の管理者として惑星を繁栄していくはずだった。しかし知恵と知能を持った彼らは反乱を起こし、彼らの造った子孫もアーク神族に謀反を企てたが大敗を喫し惑星内に散々になった。

 それ以降、度々ゲスチオンヌはアーク神族と対峙することとなり、何時からか自らをナチョスと名乗るようになったという。そしてナチョス側に着いた民族は堕落民族と呼ばれるようになった。

 これが惑星アークの歴史であり神が残した最大の汚点だ。神族らはナチョスと堕落民族を見付けしだい葬ることとしている。無論ヴィクトリアもそれに従ったまでだ。

 この出来事を気に民族の育成や繁栄はライフという神に委ねられ現在に至るという。

「今後、人類が進化して法や兵器が充実していったらナチョスや堕落民族を倒せにくくなる」

 その前に絶滅させるため彼女は旅に出ているということでもあるのだ。他人から見ればただの大量殺戮者にしか見えないが、彼女はこの星の未来と神が残した汚れを掃除しているだけなのである。

「さて、この地は永遠の眠りにつこう」

 ヴィクトリアは魔法で大地を崩壊させるとともに集落は跡形もなく粉々にしてしまった。

「ほうら、次はちゃんとした飼い主に捕まるんだぞ」

 放し飼いにあった動物を野に放すと当初の目的地であったチンクエテッレ共和国へと向かった。ガリア大地から行けば1日程で到着できる距離だ。

 彼女は小川を見付け服と身体中に付着した血液を綺麗に洗い流してから出発した。

「久々に気持ちが良い」

 それはひとつの小さな汚点を綺麗にしたことか、身体を洗い流したことか、彼女自身にしか分からない。また、例え洗い流したことであっても幾人もの命を奪い、未来を奪った罪は決して消えることはない。彼女はそれを胸にしまって歩み続けるのだった。

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