第10話「西へ」

 首都イースタンに到着したヴィクトリアとカーサスは堅い座席に長時間座っていたためか尻と腰が痛かった。また寝転がることも出来なかった上、長いこと風呂に入れなかったためふたりはホテルに泊まることを決めた。

「すごい賑わってるな」

「イーストラインは漁業が盛んでその中でも漁師さんたちは元気が有り余っているからね」

 ふたりが会話しながら歩いているとホテル街に出た。何軒ものホテルが立ち並ぶ中で一軒の古めかしいホテルの前で足を止めた。

「あっちの方が綺麗だぜ」

「ここにしよう」

 カーサスの意見も聞かないまま玄関を入ってロビーを見回すと客は殆どいなかった。受付で部屋を取るとボーイが荷物を持って案内する。

 客はいないわけではないが周りのホテルの方が良いのかそちらばかり入って老舗であるこのホテルにはめっきり人が泊まらなくなったという。

「ここです。ではごゆっくり」

 海も見え、日当たりも良好で好条件なその場所にヴィクトリアは満足していたがカーサスは不満だった。

「あっちホテルの方がもっと高くて良かったのに」

「まぁまぁ、高いからと言って良いわけでもないよ」

 その後もぶつくさ文句を言う彼を放っておき彼女はバスルームで旅の疲れを癒した。ドア越しでカーサスがまだ別のホテルに泊まりたいとしつこく言ってくるため彼女は仕方なく、

「じゃあひとりで行って来て。ボクはここで十分だからさ。1週間後の24時にセントラルステーションで待ち合わせね」

「OK」

 そう言って彼は荷物をまとめるとそそくさと出ていってしまった。

「はぁ……」

 ヴィクトリアは溜め息を吐いて湯船に顔まで浸かる。

「まぁ30年ぶりにシャバへ出られたんだからヒャッハーしたくなる気持ちは分かるかな」

 顔を火照らせながら疲れを癒す。暫く長湯をして風呂から上がると寝巻を着てバルコニーで涼んだ。

「お風呂上がりの天然水は一番美味しいのだ」

 そう呟いて片手にはチンクエテッレ産の天然水が入ったグラスを持っている。

 久し振りにゆっくりと寛ぐことが出来て満足のヴィクトリアだが一方でカーサスは重大な局面に合っていた。それは彼が彼女と別れてから数十分後のことだ。

 大通りを歩いていると売店で売っていた新聞の記事を見て目を疑った。その記事にはアーク連邦政府軍が北の国にあるアリコという多民族国家を侵攻するものであった。それだけでは何ら目を疑うほどでもないがそのアリコの指導者に彼が世話になった人物の名があった。

「おばちゃん、この新聞を一部くれ」

「あいよ。150ライン」

 精算して細かく記事を読み上げる。彼の世話になった人物は36年前に父親代わりとして軍人に育ててくれた友人の父、ゲン・ゲパルトであった。

 最後に会ったのは30年前で当時は基地の司令官だった。しかし今では敵国の指導者とはどういう訳か。カーサスは真相が知りたくて堪らなかった。

「おばちゃん、アーク連邦に行く方法は無いかい?」

「そいなら大陸横断鉄道を使うとえぇよ」

「ありがとう」

 駅の場所を教えてもらい直ぐに向かった。駅は彼がヴィクトリアと一緒に降りたところから数百メートル先にあった。

 かなり大きな駅でホテルも兼用していたようで気付かなかった。

 彼は構内に入り案内板を探した。現在の時刻は32時で大陸横断鉄道の出発時刻が迫っていた。

「すんません、アーク連邦に行きたいんですが」

 駅員に切符の購入を求めた。連邦のどこに行きたいのか訊ねられ首都コールスマンウィンドウを希望する。

「席の空きがありませんね。次の列車で案内することが出来ますが」

「いつです?」

「明日の36時頃ですね」

 それではダメだった。一刻も早く現地に到着したい彼は何とか乗ることが出来ないか迫る。

「わかりました。一応、キャンセル待ちに登録しておきます。しかし乗客の数が多いので期待はしないで下さいね」

「わかった……」

 待つ他無かった。彼はベンチに座りキャンセルされるのを待った。1分、また1分と時間が過ぎて行き列車の発車アナウンスが流れ始めた。

「32時32分発サザンクロス行き、大陸横断鉄道12号にお乗りの方は急ぎましょう」

 蒸気機関車の汽笛が谺する。後10分ほどで出発してしまう。彼は無賃乗車をしてでも行ってしまおうかと悩んだ。

「間もなく発車します」

 3分前になり発車ベルが鳴り響いた。その中で駅員がやってくると彼の分のキャンセル待ちが取れたようだ。

「イースタンからコールスマンウィンドウまで15万ラインです」

「高いっ」

 ギリギリ持ち合わせており何とか支払うことが出来るとホームへと向かった。

「えぇっと16号車は……」

 5号車の前でうろうろしているとベルが鳴り止み駅員が笛で出発の合図を行う。長い汽笛が鳴ると重々しい音を立てて列車が動きだした。

「いいや、ここから乗り込もう」

 彼は6号車に飛び乗り夕日に染まるイースタンを出発した。

 この大陸横断鉄道は惑星アーク内の主要国の首都や一部の都市や港に停車する謂わば動脈のようなものだ。約100年かけて作られ、今も尚延び続けている。

 アーク連邦にはコールスマンウィンドウの他にマン港、スコット・L・ヤードなどの停車駅がある。彼の降りるコールスマンはイースタンから2番目の停車駅だ。

 取り敢えずカーサスは自分の席の16号車に向かった。6号車目のドアを開けてから気付いたが全ての客車は寝台列車のような個室になっていた。

 通路を歩いて16号車に辿り着くと3番目の個室のドアを開けた。室内は2段ベッドが右にあり、向かいにソファーと折り畳み式のテーブルがあった。

「トイレは偶数車でシャワーは12号車か」

 パンフレットを読み上げる。他に図書館車は17輌目、食堂車は20輌目、売店は8輌目と18輌目と28輌目にあり最後尾の展望車は32輌目にあった。

「かなり長い列車なんだな」

 するとノック音がしてドアを開けるの車掌が現われた。

「イースタン駅からお乗りのお客様ですね。切符を拝見しに来ました」

 切符を渡してコールスマンまでどのくらいで着くのか訊ねると、

「そうですね、予定では明日の12時に到着致しますです」

「今から約27時間後!?」

「そうなりますね。何せ次の駅の停車時間が8時間なものですから。ではごゆっくりと」

 敬礼を贈るとドアを閉めて行ってしまった。

 カーサスは1日以上もかかるとは思いもしていなかった。飛行船の方が早かったかもしれないと思いつつも恐らく手持ち金では足りない位の値段だという考えに辿り着いた。

「待っていて下さい、ゲンさん」

 新聞片手に握り締めて彼は窓を開けると車窓を眺めながらゲンとの思い出を勤しんでいた。

 一方、ひとりイースタンに残されてしまったヴィクトリアは食事中にフロントから電話がかかり行ってみると一通の手紙が届いていた。部屋に持ち帰り中身を読んでみると彼女は憤った。

 文面には、親愛なるヴィクトリアとカーサスの文字が綴ってある。差出人はミレイからだった。

 『親愛なるヴィクトリアとカーサスへ、この手紙が届く頃、私は既に亡き者となっているでしょう。もし気があるのならば、このことをあなたの妹さんに告げて国を滅ぼしてください。今の国では最早統制を立て直せません。さようなら』

 同封されていた詳細な手紙を読んで彼女は食事を終えてから支度をし始めた。

「カーサスには悪いけどボクひとりで行ってくるよ」

 フロントにキャンセル料を支払い、もしもカーサスが尋ねてきたら言伝を伝えるようお願いして彼女は駅へと向かった。そしてエステを目指して旅立った。ヴィクトリアはエステ基地から飛行船か何かを借りようとしているのだ。果たしてうまくいくのだろうか。

 彼女がエステに到着する頃、カーサスは次の停車駅であるナフタレンにいた。小さな港町だが大陸横断鉄道の創設者の出身地だからか停車駅に指定してあるそうだ。

「閑かな街並みだが今はそれを楽しんでいる余裕はない……」

 ひとり窓から見える景色を眺めていると外から車掌が訊ねてきた。

「殆どのお客様は外出なさってますよ。停車時間は後6時間はありますから楽しんできてはどうですか」

 懐中時計を確認しながら勧めてくるが今はそんな気分ではないため遠慮しておいた。車掌は会釈しながらホームの周りを清掃していた。

「はぁ……」

 彼は何となく外に出ると車掌と共に清掃を手伝った。最初は客に清掃をさせるなどもっての他だと断られてしまったが好きでやるということで付き合った。

「お客さん、私が見た中で一番おかしいですね」

「そうかい」

「いやね、将来車掌や機関士になりたい子供がやりに来たりすることはあってもあなたの青年が……っと失言です」

 慌てて口を押さえて謝る。気にもしていないカーサスはそのまま作業を続けた。

 ホームの清掃が終わると機関車の方へ向かう。蒸気の音が凄まじく聞こえてくる。

「すげぇ」

 彼の目の前には巨大な機関車が3台も連結されていた。その大きさは今まで見た列車の中では最大の物だ。

 6-16-8の軸数に炭水車は18もの車輪がある。怪物とも呼べるその巨体は大陸横断鉄道のみに作られた専用の機関車ということだ。

 1時間に190キロの速さで運行が可能なように設計された模様。 但し、出したことはないという。

 機関士と共に点検の体験をさせてもらうこととなった。熱い中で巨大な車輪をひとつひとつ点検して行くこと3時間、漸く終えると次は列車を客車から切り離して石炭と水を入れに支線へ移った。

「この先にホッパーと給水所がある」

 機関助手が保線もままならない場所を通りながら説明してくれた。暫く走っていると小型の機関車たちが石炭を運ぶ姿が見受けられた。

「ここからずっと奥に質の良い石炭が取れる炭坑があるんだ」

「創設者はその炭坑が何かに生かせると思って大陸横断鉄道を?」

「素晴らしいね君は」

 創設者は主要都市を結ぶ路線の間には必ず石炭や水が得られる町を指定したという。現在の停車駅は創設者の出身地というだけではなく大陸横断鉄道の生命線とでも言われる場所なのだ。

「さぁ石炭をテンダーに入れるぞ」

 作業は全て人力だった。自動のホッパーは未導入らしい。最も電気など首都ですら普及していない事もある。

 汗水垂らしながら重い石炭を炭水車に入れていく。一歩間違えれば自分も落ちてしまうため慎重且つ迅速に作業を行った。

「出発まで1時間だ早くしろ」

 機関士が怒鳴る。2両の機関車は作業を終えて順に駅へと戻って行く。最後の1両はカーサスとふたりの機関士だけで作業をしていく。

 数十分後、漸く作業を終えると急いで駅に戻った。そして連結をすると数分の休憩を入れている間に乗客が帰ってきた。彼らは先ほどの作業をやっていたことなど全く知るよしもない。このような裏方作業があり、大陸横断鉄道が成り立っていることにカーサスは感動しながら感謝もした。

 そうして全ての点検項目と補給を終え、乗客を乗せるといよいよアーク連邦は首都コールスマンウィンドウへの旅が始まった。

「時間良し、出発進行!」

 動輪が1、2回空転してから機関車はゆっくりと動きだした。コールスマンまでは約18時間の旅だ。

 彼は30年間、牢獄に入りつい先日出て来たばかりなのに再びその地へ足を踏み入れることになるとは思っても見なかった。だがゲンとは約束を誓っている。もし彼の身に何かあれば、例え死んでも助けに行くとカーサスが旅立つ前に約束していた。

「待っていて下さい。今行きますから」

 そう心の中で呟き彼は深い眠りに着いた。


 それから列車に揺られること約18時間、コールスマンに到着したカーサスは車掌にお別れの挨拶をしに車掌室へと向かった。

「車掌さん、ありがとう」

「いえ、此方こそありがとうございます」

 そして互いに名前を言い合って別れた。車掌の名前はハウ・ヨークという。もう二度と会うことはないかもしれないが旅の途中で体験したことは永遠に心の中に残る。カーサスは見えなくなるまで車掌に手を振り彼もまたそれに答えた。

 それから巨大な駅舎で迷子になりながらも案内所を見付けてアリコに行く方法を教えて貰おうとするが不穏分子と思われ軍に連行されてしまった。そして取り調べの後、素性が不明だったことから彼は再び30年もの間に過ごした牢獄と同じ場所に入れられた。

「これはきっと運命なんだな」

 そんなことを言っているとファイアフライがやってきた。数日ぶりに会う姿に彼は戸惑っていた。

「なぜ戻ってきたんです」

「ゲン司令の元へ行きたいんです。彼に会わねばならない」

 事情を説明し聞いてもらったがこればかりはどうしようもなかった。ファイアフライの立場上、敵国の指導者を支援することは自らの首を切ることだけではなく国を裏切ることになってしまうからだ。

「申し訳ない、力になれそうもない」

 しかし彼は誰にも聞こえないようにこっそりと囁いた。

「あと30分後にアリコ付近まで行く偵察隊を飛行船で送る。中央発着所から飛び立つ。君が隠れて乗れば行けるかもしれないな」

 そして彼は監守に気付かれないように牢獄の扉の鍵を外すとカーサスにウインクして、

「旅の無事を。お元気で」

 と言い残して去っていった。カーサスは直ちに行動を移すことにし、監守を扉のところまで呼び寄せると力強く開けた反動で監守を気絶させると制服を着せ替えて牢獄に入れて鍵を掛けた。そして何食わぬ顔で彼は中央発着所まで向かうと飛行船を探した。

 幾つもの飛行船が並んでいたためかどれがアリコに向かうものか分からなかった。

「クソッ、どれだ?」

 すると彼の前に緑色の制服を身に付けた数人の兵士が横切った。彼らが偵察隊の連中かもしれないと思ったカーサスは後を付いていくと1隻の小型飛行船が現われた。

 その飛行船は緑色と茶色の迷彩を施しており偵察隊を輸送するには持って来いの艦形だった。しかし例えそれがカーサスの望みの物だったとしてもどうやって乗れば良いか考えものだ。

「どうしよう……んっ?」

 そこに4輪トラックがやってくると荷物を飛行船に積み始めた。遠くからではよく聞こえなかったが箱の中身を確かめる際にそれが何か分かった。

「武器か……よし、ならば」

 カーサスはトラックに近付くと荷物をチェックする隊員に上官が呼んでいたことを告げると今度は荷物を積み降ろすドライバーに自分がやっておくと言ってその場を離れさせた。そしてチェック項目欄に全て確認済みの印を記入し、積み荷を全て降ろし終わるとその中で一番大きな箱の中に入り込んだ。中には迫撃砲が入っていたがトラックの荷台にこっそりシートを被せて隠し通した。

 丁度良いタイミングで隊員が帰ってくるとチェックの続きを始めようと荷物に手を掛けるが全て確認済みだったことに疑問を抱いたのか再び自らの手で確認しようとしていたが仲間の隊員らが駆け付け時間が無いと言われて仕方なく荷物を運び出す。もう少しで見付かる所だったカーサスはほっと胸を撫で下ろした。

「重いな、これ……」

 隊員らが彼の入った箱を持ち運んでいる。迫撃砲が入っているからだと思っているからだ。最初からそんなものは入っていないというのに。

「早くしろ。出航するぞ!」

 飛行船のエンジンが掛かる音がするといよいよ出発だ。貨物室に入れられた積み荷とカーサスはじっとその時を待つ。

 そして振動と同時に体が浮き上がる感覚がすると飛行船は出発したのだった。アリコまではどのくらいで到着するのか分からなかったが気楽に待つことにした。

 出発してから約5時間ほど立つと貨物室に男たちの声が聞こえてきた。

「もうすぐで到着だ。パラシュートの装着を行おう」

「よしきた」

 ふたりの会話を聞いたカーサスは自分がもうすぐで投下されることを知った。男たちは木箱にパラシュートを取り付け始めていく。最後に彼の入った箱にも施し手作業を終えた。

「迫撃砲は重いな」

「全くだ」

 幸い今回もバレることはなかった。

「冷や汗もんだぜ」

 そして再び彼は待ち続けた。出発からさらに約数時間経った頃だ、貨物室のブザーが鳴り響くと軋む音が聞こえてきた。さらに振動していき気付いた頃には体が斜めになっていた。

「来たかっ!」

 その時だった、凄まじい振動と爆音で体が揺さ振られ彼の入った木箱はまっ逆さまに落ちていった。暫くしてからパラシュートが開傘すると緩やかに降下し始め次に感じた振動は地面に当たる衝撃だった。

 蓋を一蹴りして開けると辺りは暗かった。夜らしい。

「夜は動かない方が良いかもなぁ」

 すると周囲が突然明るく輝き始めた。日の出かと思いきや空を見上げると飛行船が燃えながら墜落してくるではないか。

「マ、マジかよ!」

 辺りに隠れる場所はないか探すが見当たらない。そうしている内にみるみる飛行船が迫ってくる。

 もうダメだと思った直後に彼は足を滑らせ崖から落ちてしまった。途中で木に頭を打ち気絶し崖下まで転落したカーサスは翌朝まで目覚めることはなかった。

 目を覚ました頃には本物の太陽が燦々と輝き周囲は物が燃えた後の臭いが漂っている。

「結構な高さから落ちたようだな」

 崖の上方を見上げて立ち上がるとここが何処なのか知ろうとした。しかし森の中というだけで全く検討が付かない。

「参ったなぁ。取り敢えず崖を登って飛行船を確かめるか」

 彼は崖を登り始めた。だが途中から掴むものもなく滑落してしまった。仕方なく遠回りで道を探すことにし、やっとこさ見付けた斜面も急勾配で且つ草木が生い茂り行く手を阻む。

「クソッ面倒くさいなぁ」

 漸く登ったものの息が上がり少しの間休憩を取ることにした。

 森の中はそよ風が心地よかったがひとりでいると不気味にも感じた。時折囀る鳥の鳴き声で彼の心臓が飛び跳ねる。長居したくなかった彼は休憩を切り上げ先を急いだ。

「飛行船だ」

 漸く墜落した飛行船を見付けた近寄ると焼け焦げたゴンドラや損傷した遺体が転がっていた。

「アリコにやられたか」

 彼は食糧と地図や武器になりそうなものを探し物色した。1時間ほど捜し回り見付けたものは乾パンと少量の水が入った水筒だけだった。

「後はこいつらの携帯食料でも頂いておくか」

 カーサスは横たわる遺体からも物色していると不気味な声が森の奥から聞こえた。

「な、なんだ?」

 彼の心臓は高鳴り一先ず飛行船の残骸に身を潜めた。その不気味な声は近付いて来る。

「なっ……」

 彼が見たものは身体中が腐りふらふらと歩く死体たちだった。それらは横たわる遺体に何かを入れていた。入れ終わると死体は糸が切れたかのようにその場で倒れこんだ。そして今度は遺体だった彼らが動き始めた。

「まさか、体を移し替えた!? そうか、ここは禁断の森」

 アーク連邦北部の一部に立ち入りが禁じられている森があった。そこは軍が管理する一帯で彼が兵役時代もその名は知られていたが何があるのかは知らされていなかった。噂に過ぎなかったが死体が死体を食うと言われてきた。

「でもなんてこんな所に偵察隊を……。アリコはここから行くのか?」

 幸い携帯食料を物色中に将校の遺体から地図も手に入れていた。

 小さな光を頼りに地図を見ると偵察隊の投下地点を印したところに目をやった。しかしそこは禁断の森ではなかった。

「誤ったのか?」

 すると外にいた遺体たちは森の奥深くへと帰っていった。それを見計らって彼は死体を調べようと近づくと鼻を突くような死臭と骨と皮だけになった人間のなれの果てだけが残るだけだった。

「生体反応はない……」

 死体の隅々まで動いていた痕跡を調べるが何も掴めず途方に暮れた。現在地がはっきりしない今、無闇に動いても仕方がなかった。

 取り敢えず太陽の位置とを照らし合わせ現在地を探る。

「禁断の森、不気味な森だ」

 草木が揺れ、葉が擦れる音や飛行船の残骸が燃える音、そして風が切る音だけが森を包み込む。カーサスは怯えながら現在地を特定した。

「アリコ側の禁断の森だったのか」

 尾根は既に越えており、この場所がアリコ側だと確信した。最も飛行船が撃墜されたということは領空を侵犯したからだと思われる。

「しっかし、この燃えカスの後から察するにドラゴンじゃないとこんなにはならねぇぞ」

 まさかとは思いつつ危険であったが今夜はここで一泊することにした。残骸をかき集めバラックのように組み立てた。なるべく日没まで今夜の晩飯を探していたが木の実とキノコくらいしか見付からなかった。

「食べられるのか?」

 知識が無いまま採ったキノコを火を焚き炙り、木の実と共に食べたのがいけなかったのだろうか食中毒を起こしてしまった。

 ひどい腹痛と吐き気、さらに発疹まで現れ高熱に浮かされた。おまけにまた森の奥から不気味な声がする始末。

 焚き火を消し、バラックに退避し身を潜めた。音を立てたくなかったが彼の腹はそれを許さない。凄まじい腹痛が襲い何度も嘔吐し耐え凌ぐこと数十時間、やっとこせ日の光が昇り辺りを照らし始めると次第に症状が和らぐ気がした。

「ひどい1日だったぜ」

 この場に留まることも考えたが水や食料も尽きかけていたために山を下りることにした。しかし問題はアリコ側に行くとなると死体たちが去っていった森の奥深くへ向かわなければならないということだ。

「行くっきゃないか」

 掻き集めた小銃や投擲武器を持って遂に彼は墜落した飛行船を出発した直後だった。山の天気は急激に変化するといった言葉は良くあれど、燦々と照り付く太陽と青く広がる大空があるにも関わらず土砂降りの雨が襲う。

「ヤベェ、武器が」

 小銃は雨に打たれ使い物にならなくなってしまった。拳銃と投擲武器はバッグに入れており難を逃れたが全身びしょ濡れになった彼は文句を言いながら足を進める。

「この先に川があるはずだが……」

 耳を澄まそうとしても雨音で掻き消されてしまう。周囲を良く確かめながら下山すること数時間、崖下に轟々と流れる濁った川を見つけた。

「これがスー川か」

 どうやって向こうまで渡るか考えていると突然地面が揺れ始めた。

「何だか嫌な予感がするな」

 その通りである。地面が裂けると粉々に砕け始める。そしてカーサスもろとも川へと流れてしまった。どうやら彼のいた崖は下の方が流れにより抉られた形となって雨と重みで崩れたようだ。

「誰か助けてー」

 濁流の中で必死に助けを求めるが付近に人影は当たり前のようにおらず彼は気を失ってしまった。

 次に目を開けることになったのは石造りの壁と天井が見える小さな一軒家だった。

 起き上がろうとすると全身が痛みに襲われて起き上がれなかった。代わりに腕を上げるとアザがたくさんあり血の気が引いた。濁流に揉まれて所々でぶつかったのだろうか。

 そう考えていると白髪と白髭を伸ばした仙人のような老人がやってくると暖かなスープを無言で勧めてきた。有難く頂くとここはどこなのか尋ねるが怪訝な顔をされた。

「言葉が通じないのか……」

 言葉の壁にぶつかる中、突然ドアを突き破る音がすると老人が悲鳴を上げひざまづく。彼の前に現れたのは鳥の頭蓋骨を頭に乗せ、勾玉や鳥の羽を身に纏った太った大男だった。

 何やらカーサスを指差して老人らを責め立てていると大男は外にいた部下たちを部屋に入れると横になっていた彼に数発の拳を入れられて気絶させた。そして彼は気を失ったまま何処か人里離れた場所に連れていかれるのだった。

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