第9話「東へ」
ヴィクトリアとカーサスが獄中生活を始めた日から早くも30年が経ったある日、10年振りに食事を配る兵士以外の来客があった。その客を見てふたりは笑いが込み上げた。
「お久し振りです。ファイアフライです。今は空軍元帥ですが」
30年前はドラゴン飛行部隊隊長だった彼も今では空軍の元帥まで上り詰め、後任の陸軍元帥と海軍元帥との協議の結果、ふたりを解放すること決断したのだった。
「遅くなりました。貴重な30年、本当に申し訳ない」
「あなたの謝罪は聞き飽きたよ。それより30年も“同じ姿”じゃまずいよね」
確かに30年間、17歳の姿のままでは不自然であった。食事を配る兵士も何度か気になり上に報告し、上官が来る騒ぎがあったもののなんとかやり過ごしていた。
「こっそり逃げ出すか」
カーサスが提案するがファイアフライは謝罪の言葉があるそうで逃げることは不可能だった。
「仕方ない。ならば……」
ヴィクトリアは自分とカーサスに魔法を掛けると30年分歳を取った姿になった。
「これで安心じゃろうて」
「ヴィクトリアが婆さんになってる」
失笑するカーサスを置いておく彼女はファイアフライと共に広間へと向かった。おじんとなった彼も後を付いていくと陸軍元帥と海軍元帥が待っていた。
「この度は不当な罪で牢屋に入れてしまったことを申し訳なく……」
「長い話は良かろう。すまなかったなぁ」
海軍元帥が正座をして謝った。早く去りたかったふたりはもう結構と言ってファイアフライに関所まで案内するように求めた。
快諾すると30年前に使った発着場に来ると飛行船が待っていた。
「関所ではなく行きたいところまで送りますよ。せめてもの償いをさせて下さい」
「じゃあイーストラインまで頼みます」
「わかりました」
ふたりは元の姿に戻ると飛行船に乗り込みコールスマンウィンドウを離れた。ドラゴンよりも遅く、数時間が経過したにも関わらず、まだ関所を通過して少し行ったくらいだった。
「すみません。何分旧式の輸送船なもので」
なんとこの飛行船は初めて目の当たりにしたベンソンであった。30年前は新品だったこの船も今では第一線を退き、こうして短距離の輸送手段として従事している。
「でもね、これでもこいつは3回ほど改修工事をしているんですよ」
当初は100馬力のエンジンが2つしか無かったが、最終的に560馬力級のエンジンが4つも付き、最高時速は90キロで約1万キロの飛行が可能になった。尚、1万キロ未満のために分類上は短距離輸送船である。
「アーク級から始まったバトルシップも今や三代目になりました」
「ベンソンはバトルシップですか?」
ヴィクトリアが素朴な質問をすると笑いながら答えてくれた。
「今はトランスポーターだがこいつはいつまでもバトルシップですよ」
数時間後、ハーミス川上空を飛行すると夕暮れが彼女たちを迎える。現在地からイーストラインの首都、イースタンまではまだ数十時間はかかる見込みだ。
「簡単な食事しかありませんが、どうぞ」
食パンに何やら得体の知れない生物が乗っかった料理が出されてカーサスは血の気が引いた。
「こりゃなんなんだ」
その横でファイアフライは甲殻類の殻を音を立てて食べている。勿論ヴィクトリアも眉ひとつ動かさずに食していた。
「食用カタツムリの一種ですよ。殻に鉄分が多く含まれていて保存にも利くので重宝しているんです」
ファイアフライの説明で漸く分かったがこう見えてカーサスは気持ちの悪い虫や生き物が苦手であった。
「カタツムリなんて食えるかいな!」
ヴィクトリアにあげてしまうと空腹のままその場で丸まって寝転んだ。
「じゃあ缶詰めフルーツは?」
「なんの?」
「パイナップル」
「じゃあ食う」
しかしそのパイナップルは5年位前の物だったらしく彼は腹痛に襲われてしまった。
「胃がキュラキュラするんら……」
痛みで何を言っているかも分からない。腹痛を和らげる薬を飲むが全く効果が無く、船医すらいないこの船内で彼は藻掻き苦しんだ。
「もう二度とパイナップルなんて食うもんか」
「いや、あれは5年も前の物だからだよ」
「いいやパイナップルは敵だ。俺の敵だ!」
こうしてパイナップル事件と呼ばれる事件が起きたのだった。これ以降、飛行船に積み込む際、缶詰めフルーツはパイナップルだけ規制されることとなったという。代わりにパインアップルという見た目はリンゴだが味はパイナップルという果物が缶詰めとなって積み込まれた。
「うぅ……首切りより痛いぜ」
早い話、首切りが永遠にループされる痛みであろう。こればかり、ヴィクトリアにはどうすることもできない様子だ。
「痛みが続くなら死んでやる!」
「落ち着け」
果物ナイフを片手に自らの首元に当てる。慌てて彼女がナイフを取ろうと彼の手を掴むと、
「痛いてっ……」
ヴィクトリアの指から真っ赤な血が滴る。
「わ、悪い」
正気に戻ったカーサスはナイフを置くと船員からガーゼをもらい手当てをする。
「そう簡単に死ぬって言わないでね」
「うん、悪い」
手当てをしている最中は申し訳ない気持ちでいっぱいだった為か腹の痛みなどは無くなっていたが途端に痛みだして情けない声を船室外に溢した。
始めは我慢していたヴィクトリアだったが唸る彼に少し黙るように言った直後自らも腹痛を訴える。また頭痛もし出しファイアフライに他の船員にも変化が無いか調べるように言うと機関室とブリッジの船員たちにも彼女と同じ症状を訴えていた。
「これは食中毒かも」
「しかしカタツムリはちゃんと焼いたぞ」
「他の要因かもしれない」
その場に倒れこむヴィクトリアを抱えるとかなりの高熱を出していた。次第にファイアフライも気分が悪くなり、直ちに近くの基地へ着陸するよう下令する。所が付近に基地などなく、あるのは砂漠だけだった。
「ここから一番近い基地は?」
「リゾット基地です」
「どの位だ」
「約……うっ、ひゃ、150キロ先でふ」
既に全船員が食中毒に犯され満足な飛行もままならないほどだった。それでも気力だけでなんとか操縦し無電でリゾット基地に緊急着陸した。
アーク連邦外の基地だったらしく危うく攻撃されそうになったがある乗員の搭乗をして受け入れを快諾した。そして全船員を病院へと収容してベンソンは洗浄されることとなった。
「ぐぅ…」
痛みの中でヴィクトリアはうなされる中女性の声を聴いた。聞き覚えのある声だ。しかし今は痛みでそれどころではない。再び深い眠りに就いて、次に目を覚ましたのは2日後の朝だった。
「ここは一体……」
「起きた? ここはイーストラインよりにあるリゾット基地よ」
「君は、ミレイ?」
「よく分かったわね」
ヴィクトリアの前にいたのは歳を取るも昔の面影が残ったミレイだった。
「どうしてこんなところに」
「それはこっちの台詞よ」
聞くと、ミレイは結婚して息子を生んで今は夫が大統領としてチンクエテッレを納めているそうだ。彼女は大統領夫人として丁度最東端のリゾット基地を視察しに来ていた。
「そして偶然にもあなたたちが来たってことよ」
「変わってないね」
「そう? でも変わったわ。あなたたちのお陰でチンクエテッレは栄えたのよ」
「ところでバルカンさんは?」
すると咳払いをして空気の入れ替えをするために窓を開けた。そして優しい風が室内のよどった空気をきれいにする中、ミレイは答えた。
「父は殺されました」
「だ、誰に!? あ、勿論言いたくなければ良いけど」
彼女は胸に提げていたロケットを取ると写真を見せてくれた。
「この人は?」
「私の夫です」
「?」
「父は夫によって殺されました」
衝撃的な事実を聞かされたような気がした。ヴィクトリアはもう一度彼女に聞くがやはり事実のようだ。
ではなぜ知っているのか訊ねてみるとバルカンと夫のピサが言い争っている場面を目撃した模様。しかし実際に殺されたのは言い争いから数週間後で殺害現場を見ただけらしく本当にピサが殺したのかは分からなかった。
「因みに何で言い争っていたんです」
「神様に毎年捧げている供え物をやめるように」
「なぜ?」
「馬鹿らしく、彼には信仰心が無いみたいね」
それでバルカンの怒りを買って口論になったようだ。しかしそれだけで殺害するとは思えなかったヴィクトリアは考え直すように言うと、
「結局、第三者に話してもこれなのよね。ピサの味方に付く。……良いわ、この話は忘れてちょうだい」
そう言ってミレイは部屋をあとにした。それから数日の間、回復の兆しが見えるまで介抱されていたが長居すると迷惑が掛かると思ったファイアフライが出発する旨をミレイに伝えると直ぐに準備を行った。
ヴィクトリアはもう一度ミレイに会って話を聞きたかったが会うことは出来ずそのまま出航してしまった。カーサスも話したかったようで出航時、何処かにいるのではないかと思い周辺を見るがいなかった。
「ちぇ、話したかったのに」
「今や大統領夫人だから忙しいのかもね」
離れゆくチンクエテッレとリゾット基地を見つめながら彼女は何か心に詰まっていた。そしてそのまま数十時間が経った翌朝、イーストラインの最西端基地に到着した。
本来ならば首都イースタンまで行くつもりだったが食中毒事件のため航路が確保できなくなりこの基地が選ばれた。ここからは鉄道を使ってイースタンへ行くことになる。
「私の役目はここまでだ」
遂にファイアフライとの別れがやってきた。数十年、良き理解者そして友人とし共にいた人との一生の別れになるかもしれない。
「私はあなた方のことを決して忘れません」
「ボクたちも忘れません。良い後生を」
「ありがとう。来世でまた会いましょう」
そう約束すると燃料補給したのちに彼とベンソンは基地を離れていった。見えなくなるまで見届けるふたりは消え去ったベンソンを確認すると鉄道の駅の場所を教えてもらった。
基地から数キロ離れたところに小さな駅があるそうでそこから乗ると一本で首都中央部まで行けるようだ。基地でライン協和国通貨を換金するとお礼を言ってふたりは早速駅へ向かった。
基地周辺は深い森に閉ざされているが幸いにも整備された一本道を通り町まで出た。その町の外れに駅はあり次の列車を待つことにしたが凡そ8時間も待たなければならなかった。
「各駅停車しか止まらないみたいだ」
「随分と辺境な地なんだな」
最初は駅の待合室で列車を待っていたが次第に苦痛を感じるカーサスにひとつ提案をした。それは町を見て回ることだ。大賛成の彼を連れてヴィクトリアは駅を出て小さな町を散策した。
「エステっていう町らしいね」
「それより腹が減った」
ふたりはコジャレたレストランに入り食事を取ることにした。食中毒事件の後の久々の料理に不安と期待が半々のふたりはメニューを開いた。
「ボクはこの海鮮丼にするよ」
「じゃあ俺は海鮮パスタで」
ウェイターに注文をすると数分後に出来たての料理がやってきた。今朝方イースタンで取れた新鮮な魚をふんだんに使った海鮮丼とパスタらしく食欲をそそる一品だ。
「見たこともない魚だな」
カーサスはフォークで突いているとウェイターが説明してきた。
「海鮮パスタには全部で6つの魚とエビが入っております」
魚にはマグロとタラにキス、カツオ、アンコウ、そしてエビには大きく太ったロブスターが使われているそうだ。丁度ロブスターだけ店頭の水槽あるものがそうらしい。
「海鮮丼にはマグロ、イクラ、カツオ、マダイ、スクイッシュ、オクトパがあります。生がお嫌いな方のためにフライも可能です」
「メニューに書いてあったね。ボクは生でも良いけど」
「それではごゆっくりと」
お辞儀をすると去っていった。味は非常に美味しく素材の足が引き立っていた。特にイクラは特性ソースを掛けることによって一層味が深まっていく。またパスタの方もまろやかな舌触りだった。ロブスターはぷりぷりの身にアンコウは食べたことのない食感で海の魅力を感じさせる一品だ。
完食しデザートにアイスクリームとイーストライン名産の特性ジュースを味わった。ジュースには7種類のフルーツが入っているのだがそれは企業秘密で教えてもらえなかった。不思議な味で美味しいというわけでもないが決して不味いというわけでもない代物だった。
総計額は少し高い37ラインでこれは円に直すと3700円くらいになる。因みにアークドルに直すと3アークドルと7アークセントになる。
ゆっくりしていたにも関わらずまだ2時間しか経っていなかった。
「まだ5時間はあるぜ」
「何かしたい?」
しかし特にしたいこともなかったため駅の待合室で仮眠を取ることにした。早速駅に向かうと列車が着いているではないか。
「あり?」
駅員は見当たらないので車掌に訊ねようと先頭の機関車の方へ向かう。
「客車は繋いでるけど殆ど貨車だね」
「じゃあ貨物列車ってこと?」
「かもね」
先頭に付くと駅員と機関士が機関車の炭水車部分に給水塔から水を入れる作業を行っていた。
「すんません」
地上で指示を出していた機関士にカーサスが話し掛けた。
「この機関車さ、首都に行かない?」
「あん? そりゃ行くが」
「じゃ乗せてもらえない?」
「ふざけんなや!」
ひどく怒られ勢いで尻餅を付いてしまった。駅員が給水塔から降りてくると何やら怒鳴った機関士に囁いている。
「なに、水が出ない?」
「はい……詰まっているのか水が流れていかないのですわ」
するとカーサスが閃き給水塔を修理する代わりに乗せてもらうよう頼むが、
「出ないなら次のステーションで入れるさ」
そう言って機関室に入ると汽笛を鳴らして出発してしまった。駅員だと思った男は車掌であり、最後尾の車掌車に飛び乗るとそのまま彼方まで行ってしまった。
仕方なく待合室に戻り暫く経つと駅員が昼休憩から帰ってきた。取り敢えず給水塔が使えなくて列車が1両補給せずに行ってしまったことを報告しておいた。
「今すぐ修理してもらおう」
駅員は修理業者に電話を掛けようと受話器に手を置くとヴィクトリアが代わりに直すと言ってきた。最初は戸惑う駅員も修理費用はタダだと聞いてお願いした。
「へぇ、お前って優しいな」
「何言ってるの? あなたが直すのよ」
「はぁあ?」
最終的にカーサスが有言実行のためひとりで修理している間、ヴィクトリアと駅員は待合室で楽しく談話していた。
「なんで俺が、こんなことを、せにゃ、ならんのだっ!」
トンカチで叩いていると手の甲に誤って当たり悶絶しながら給水塔を直していく。
数時間後、漸く修理を終えたカーサスが待合室に行くとヴィクトリアはすやすやと眠っていた。愕然とした彼は腹が立つと彼女に殴りかかろうと近付くが、
「終わったの?」
寸前のところで起きてしまい実行できなかった。彼は横に座ると鼾をかいて寝てしまった。
「お疲れさん」
再び数時間が過ぎた頃、遠くから蒸気機関車の音が聞こえてきた。低い汽笛の後、プラットホームへ軸数が4-8-4、炭水車は12もある青色を基調とした大型の蒸気機関車が滑るように入ってきた。
「お客さん、首都イースタン行きの旅客列車ですよ」
寂れた駅舎に初めて人の活気が現われた瞬間だった。数多の人々が降りて来ると改札口を通り、またここから乗る客もやってくると列車に入っていく。
「さぁ行こうか」
「あーはいはい」
ふたりは二等6号車に乗った。客車自体は鉄製だが車内の床は木で出来ている。空いている席に座ると窓を開けて町を見渡した。
「さらばエステってか」
発車ベルが鳴り響き列車はゆっくりと出発した。エステから首都イースタンまでは約8時間の道程だ。
「食堂車に展望車、ティールームもあるね」
「うわぁ、結構値段が高いぞ。ぼったくりだなぁ」
小冊子に載っている案内を見て驚いていると車掌が切符の拝見をしにやってきた。
「ぼったくりとはひどいですね。最高の食材に最高のシェフの腕によりをかけて作った最高級の一品でありますぞ」
切符のチェックが終わると会釈をして去り際に、
「お客さまも一度お召し上がりになっては如何でしょう。きっとご満足になりますよ。それでは良い旅を」
その自信はどこからやってくるのか気になったカーサスは食ってやろうと10号車の食堂車へとヴィクトリアを無理矢理連れていった。
「シェフおすすめの一品を」
ウェイターにそう告げる。ヴィクトリアはビーフステーキのミディアムを頼む。ライスかパンを選べるのでパンにした。
「美味くなかったら金は払わんぞ!」
「はいはい」
あきれ気味に彼女は料理を待った。暫くすると前菜の海鮮サラダがやってきた。
「これ、別料金なのか!」
ヴィクトリアは溜め息を点いてサラダを食べた。まわりの乗客は笑っているようにも思え恥ずかしかった。
「メインディッシュのラザーニャです」
彼には肉と野菜がふんだんに使われたラザーニャを、彼女にはジューシーな薫りのビーフステーキが配られた。
「ごゆっくりと召し上がり下さい」
猫舌のカーサスは中々ラザーニャを食えなかった。一方、ナイフでステーキを切ると肉汁がこぼれるのを見て彼はよだれが垂れる。
「少しくれよ」
「良いよ」
取り分け皿によそってあげた。熱々のビフテキを頬張り噛めば噛むほど肉汁が滴り頬が落ちるほど美味しかった。
「ラザーニャあげるからステーキをおくれ!」
「えぇ……」
その後もしつこく言ってきたため仕方なくラザーニャと交換したのだった。食事が終わるとカーサスはシェフに掌を返したように賞賛していた。
「先に戻ってるからね」
ヴィクトリアだけ先に席の方へ戻る途中、突然非常ブレーキが掛かって扉に叩きつけられた。
「な、なんだぁ!?」
暫くすると車掌が慌てて走ってくると彼女は呼び止めた。なんでも前方に別の列車が立ち往生しているらしい。
「どういうことなんです?」
「さぁ……それを今から確認するところです」
車掌は別れると彼女も状況が知りたくて先頭の方に向かった。一方、カーサスは未だにシェフと話をしていた。
ヴィクトリアが先頭に到着すると車掌が窓から身を乗り出して前方を見ていた。丁度両者とも橋の上で止まっており、その端の構造上、降りることは出来ないでいた。
「機関車に行ってみてはどうです?」
「はい。そうしてみます」
ドアを開けて炭水車後部の手摺りを昇って石炭の上をよろよろしながら歩き機関車に辿り着く。彼女も気になり着いていくと機関助手が危ないから客車に戻そうとすると前方の列車の車掌車から誰かが叫んでいた。生憎、蒸気の音で何を言っているのか分からなかった。
「何か連絡する手段は無いんですか?」
「何もないんですよ」
頭を抱えていると危険を顧みずに前方の列車から車掌が橋の上を歩いてやってくるではないか。
「はわわ、落ちたらとんでもないですよ」
車掌は神に祈りを捧げ機関士と助手はもう一方の車掌を見る。こちら側の機関車に辿り着き、後一歩のところで足を滑らせ橋梁から転落した。
「はわー!」
車掌が目に手を当て叫ぶとヴィクトリアは咄嗟に魔法を使って落ちる車掌を浮遊させると機関車まで運んだ。
「助かりました……」
前方の列車の車掌は胸を撫で下ろすと彼女が声を上げた。
「さっきの車掌さん」
「あなたはさっきの」
エステ駅で水の補給が出来ないでいた列車の車掌であった。
「察するに、タンクの水が空になったとか」
「お察しの通りであります」
次の給水塔へ到着する前に水が空になってしまったようだ。このままでは上下線共に遅れが出てしまう。
「いやぁ、困りました。あなた様の言う通りにしておけばこんなことにはなりませんでした」
「過ぎたことは仕方ないね」
頻りにこちら側の車掌が懐中時計を持って時間を気にしている。
「どうしたんです?」
「このまま遅れてしまえばお客様が船に乗り遅れてしまいます」
非常にマズい状況だった。旅客列車側が貨物列車を押して給水塔まで行くことも検討されたが出力が足りないとのことだった。
「せめてクラスT4がもう一両あれば良かったのですが」
旅客列車を引いている方の機関車はクラスT4という。貨物列車を引いている方はクラスT3らしい。
「客車を置いて引っ張りますか?」
「いや、そうしたら乗客に影響が出ますよ」
給水塔に送り届けたら再び戻らなければならないからだ。そんなことをしていれば確実に乗り遅れが発生するという。
「押し出しますか?」
「やるだけやりましょう」
「いやボクがなんとかするよ」
その言葉に機関士は、
「お前みたいなガキがどうこうできる問題じゃない。それよりさっさと客車に戻れ」
冷たく当たるが車掌は魔法を使えることを思い出してもしかしたら本当になんとか出来るのではないかと思ってお願いした。
「ちょっと、こんなガキがなんとか出来るのか?」
「浮遊術ぐらい魔法使いなら誰でも出来るんじゃないんですか?」
助手もそう掛けるが貨物列車側の車掌の願いでもあったために一先ず貨物列車へ向かうことにした。
「ちょっと待って下さい」
機関室から橋梁に降りようとした車掌を止めると彼女は自分よりも大きい彼を抱えると炭水車の上にジャンプして乗り、そのまま機関車の上を通って力強く再びジャンプをして前方の車掌車までひとっ飛びした。その光景に抱えられた車掌のみならず旅客列車側の車掌や機関士たちはポカンと口を開けていた。
「さぁ、先頭列車に向かいましょう」
彼女たちは貨車の上を通って機関車の方に行くと先ほど会った機関士らが途方に暮れていた。彼女の姿を見ると驚き、そして目もあてられない状況だった。
「えぇと……」
「ヴィクトリアです」
「そう、彼女が今からなんとかしてくれるそうです」
「本当か!?」
旅客列車側の機関士とは違う対応でまた、先ほどとは打って変わって彼女を頼った。
「こちとら時間も残ってねぇんだ。次のステーションまで行かねぇと荷物が無駄になる」
「エステで給水しておけばこんなことにはならなかったのにね」
「なんもいえねぇ……」
ヴィクトリアは炭水車の上に昇り給水口の蓋を開けた。そして大きく深呼吸をすると川に向かって何かを念じ始めた。両手を翳して目も閉じて集中する。
「一体何が起きるんだ……」
その時だ、川の上に竜巻が発生した。大きさ小さかったが直撃したら一溜まりもない。
「トーネードだぁ……」
「もうダメだ!」
機関士たちが弱音を吐く一方、その竜巻は川の水を巻き上げると先端が炭水車の給水口に注がれる。
「なんと!?」
「ブラボー」
みるみる内に炭水車のタンクの水が潤っていき、数秒後には満タンの状態になった。
「ふぅ……」
両手を下ろすと竜巻は消え水が霧状になって水面に落ちていく。すると機関助手が叫んだ。
「虹だ」
水面上には小さかったが虹が架かっていた。彼女の素晴らしい魔法と技術をその場にいた男たちは賞賛の声を送った。
「じゃあボクは戻るから後は頼みます」
「もう一度、名前を聞いても良いか?」
「ヴィクトリア。ヴィクトリア・ギャラクシー」
「いい名前だな。俺は機関士のヘンリー。こっち助手のダン。んで車掌のスタンリーだ」
彼女はダンと共に車掌車へ戻るとそこで別れた。
「ご恩は生涯忘れません」
「大袈裟ですよ。さようなら」
ヴィクトリアが旅客列車に戻ると同時に貨物列車の車掌車から発車の合図である鐘が鳴り響き長い汽笛と共に列車は走りだした。
旅客列車側も数分後に距離を取ってから出発した。途中の貨物専用の駅で支線に入って荷物を積み替える列車の姿を見ると互いに汽笛を鳴らし別れを告げたのである。
それから特に変わった様子もなく長いようで短い列車の旅が終えた。
「長らくのご乗車、誠にありがとうございます。終点、首都イースタンでございます。当列車は約35分の遅れで到着しております」
謝罪の言葉の後に匿名ではあるがヴィクトリアへの感謝の言葉を述べて、列車はイーストライン最大にして首都のイースタン・セントラルステーションに到着したのだった。
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