第5話「神の雷の鉄槌」

 馬を駆ってチンクエ族の砦へと急ぐヴィクトリアとカーサスだったが道中でホルスト将軍が率いる1個中隊がいた。

「もう橋を架けたのか」

 茂みに隠れていたカーサスが雑草の隙間から様子を伺うと見るからに軍人ではない姿の男が将軍と話し合っている。ヴィクトリアにこのことを知らせると彼女はその男を見て呟いた。

「あれはチンクエ族の服に似ているな」

「まさかスパイか?」

「まだ分からないけど厄介なことになる前に急ごう」

 再び馬を走らせ遠回りであったが彼らよりも先に砦へと向かう。すると突然ふたりに向かって無数の矢が飛んできた。なんとか交わして馬を落ち着かせていると聞き覚えのある声がすると思えばふたりの前にミレイが現れた。

「ここから先は行かせません」

 刀を鞘から抜いて身構えた。背後には弓を構える兵士たちが見える。

「なんでだよ」

 カーサスが懐に手を突っ込みながら問い質した。

「これから我々の存亡を賭けた戦いが始まります。無関係のあなた方は立ち去って下さい」

 彼女の覆い隠された装束のたった一点の瞳を見て本気で刃向けていること感じたヴィクトリアはひとつ質問をした。

「それはバルカン氏の命めいですか?」

 その言葉に首を横に振る彼女は自分の意志で動いていると答えた。

「分かりました。退きましょう」

「さようなら」

 ふたりは仕方なくその場から立ち去った。去り際にホルストの件を言い残すと何も言わなかったがふたりが見えなくなると急いでどこかに行ってしまった。

「どうするんだよ」

「あとは戦争になってからかな」

 ホルストと鉢合わせにならないよう迂回してから彼らが通ってきたとされる山道を辿り崖まで着いた。そこには立派なつり橋が架かっている。

「壊そう」

 ヴィクトリアは剣を抜くと大きく振りかざして綱を斬る。音を立ててつり橋は谷底へと落ちていった。

「これで奴らは増援を送れまい」

 カーサスが笑っていると次のつり橋へ行くと誘う。彼は戸惑っているとホルストが言っていたことを思い出すように言われ少ない脳みそを使い彼の言葉を探った。

「そうか、別の部隊が違うルートで公国に向かっているって言ってたな」

 やっと思い出したのかと溜め息を吐くと彼女は馬に跨り先を急ぐといって彼を急かした。

 ふたりがその場を離れてから数分後、異変が起こった。落ちた筈のつり橋があろうことかひとりでに再生していくのだ。そして元通りの形になり人が通ってくれることを待ち続けている。

 そのことを知らずにふたりは崖沿いを数時間ほど走り回り数名の歩哨が立つつり橋を見付けた。彼らには単発式の小銃が手渡されており、腰には手投げ弾や発煙筒が提げている。

「これは戦争だ。堪忍しな」

 カーサスは自慢の拳銃を取り出すとカバンから細長い筒状のものを取り付けた。これは消音効果のあるもので威力は落ちるが敵に発見されにくくなる。

「待ってカーサス、本当に良いんだな」

 彼の身を案じるヴィクトリアに疑問を抱いた。彼女は小さく呟いた。

「彼らは元々君の仲間たちだ。相手さんは政府軍だけどアーク連邦軍の括りでは君たちは同志になるんだよ」

 人間同士に興味がない発言をしていたり、事あれば人を殺める彼女にしては珍しかった。

「お前は良く分からん」

 矛盾しているが分からないわけでもなかった。銃口を歩哨に向けると、

「俺は国を捨てお前を護ることを誓ったんだ。後悔なんかしねぇ」

 気が付けば歩哨は全員地面に倒れて血溜りが出来ている。ヴィクトリアが再び剣を抜いてつり橋を叩き斬るとあることに気が付いた。

「これ、魔法がかかっている」

「なんだと!?」

 崩れて崖に散らばったつり橋だったが瞬く間に再生される。

「しまった。さっきの橋にも」

 次の瞬間、大きな爆発音が遠くから聞こえた。とうとうワイン公国軍とチンクエ族が衝突したのだ。

「クソ、どうする」

「仕方ない。この橋は落として公国に向かおう」

 橋にかかっていた魔法を解除すると再び破壊してからふたりは公国へと急いだ。

 公国の入り口である城門付近ではチンクエ族による大砲が火を吹き城壁や城門に穴を開けている。弓兵が監視塔にいる兵士をひとりずつ殺していくと黒装束の部隊が侵入していく。

 砲兵隊の指示に当たっているのはバルカンで黒装束の部隊はミレイが指揮しているようだ。

「第2派、撃て」

 砲撃音が谺して周りの音が聞こえにくい中で彼らの後方から増援のアーク連邦政府軍が駆け付けた。

 気付いた頃には砲撃している場合では無くなっており中に侵入したミレイの部隊だけで戦況を維持するのがやっとだ。だが彼女は笑っていた。

「砲兵隊は大丈夫さ」

 バルカンが信号弾をあげると政府軍のさらに後方の山中からチンクエ族の増援が現れた。軍旗にはカルロ族の紋が描かれている。

「我らチンクエ族、カルロはバルカン率いるフォルゴーレを絶対掩護し、勝利を掴むのだ!」

 大きな白馬に跨り先陣を切る。カルロ軍の指揮官はバルカンの友人でもあるミケランジェロだった。

「増援、感謝するぞ」

 ホルスト側の戦局は挟撃に合い悪化しつつも場内では数に勝る護衛政府軍がミレイらを圧倒する。

「第3砲兵隊、角度修正15度、右旋回21度。目標、敵弾薬庫!」

 合図とともに撃ちだされた砲弾は目標を逸れてワインの元となる葡萄園に着弾してしまった。しかし公国の奪還を目論むチンクエ族たちはこの際ワインなどどうでも良かった。国さえ取り戻せば自分たちでワイン作りを一からやり直せるからだ。

「ファイヤ、ファイヤ!」

 次々に放たれる砲弾はワイン倉庫や兵舎に命中するが敵には全く影響を与えていない。

「第1砲兵隊、弾込め!」

 すると城門から数十人の異様な装束を身に纏った男たちが現れると内ポケットから杖を取り出した。

「魔法使いだ。あいつらを殺せ」

 しかし命令する前に男たちが詠唱を終えて火の玉を砲兵隊に浴びせた。

「退却!」

「どこにですかぁ」

 火の玉が火薬の入った袋に当たると大爆発が起こりバルカン側の被害は半数にも及んだ。また政府軍は傭兵を雇っているようでてだれの男三人衆がカルロ軍を追い詰めていた。

「クソ、神はやはりおらぬのか」

「助太刀しますよ」

 バルカンの横に突然現れたのはヴィクトリアだった。

「お主、なぜここに」

「あんたらを助けに来たんだ」

 カーサスも彼女の後を追ってやって来た。ふたりが通った道には切り刻まれたホルスト側の兵士が横たわり地獄絵図と化していた。

「それに、あなた方は必ず勝ちます」

「そうだぜ」

 バルカンはふたりの登場と助言に喜んだが辺りを見回してそれは不可能だと漏らした。

「やはりこれは無謀だったのか」

 彼の部隊を50としたらホルスト側は100、カルロ軍は40で護衛政府軍は700くらいであった。この状況からどうすれば良い方向に行けるのか甚だ疑問だった。

「隊長、敵の新兵器です!」

 馬車の車輪のようなものが火を吹きながら走ってきた。車輪には鋭利な刃物が付いており砲兵隊員を切り刻みながら進み弾薬箱に飛び火して爆発を起こす。

「火車だ。あれは火車だ」

 逃げ惑う兵士たちが口々に叫ぶ。それでヴィクトリアは火車の前に立つと一刀両断にし破壊した。カーサスは車輪の接合部を撃ち抜いて脱輪させて対策した。

「戦況悪化は止まりません。第3砲兵隊、壊滅です。第1砲兵隊の指揮官、やられました」

 伝令兵が悔しく報告するとバルカンは信号弾に何かを詰めている。ヴィクトリアはそれが何か気付いた様で取り上げようとしたが遅かった。天に放たれた信号弾は爆発したと思った瞬間消え去った。

「カーサス……」

 撃ち落としたのだ。彼もまたそれが何か分かっていた。

「ここまで来て降伏はあり得ませんよ」

 先程の信号弾は降伏を知らせるためのものだったのだ。だがヴィクトリアたちがそれを止めてしまいバルカンは彼女の胸ぐらを掴み言い放った。

「儂たちはこれからどうすれば良いんじゃよ」

 そしてヴィクトリアは優しく答えた。

「建国するのです。今ここに建国を宣言するのです」

 すると突然、天から声が聞こえた。その声はアリスのようだ。

「愚かなアーク連邦軍とワイン公国軍兵士に告げる。無駄な争いを止めなくば貴重な水源を止めるぞよ」

 彼女の話し方に失笑しそうなヴィクトリアは堪えながら大声で付け足した。

「嗚呼、あれはこの世を創造した神、アーク様の声だー」

 棒読みの口調にカーサスは苦笑いを浮かべる。

「神がお怒りになる前に争いをやめないと、神の雷の鉄槌が食らってしまうー」

 まずその口調をやめるように彼は忠告するが聞く耳を持たない彼女は、

「アーク連邦軍の皆さーん、どうかここにチンクエ族の建国を認めて下さーい!」

 両手を天高く広げるとホルストが大声で反発した。

「いやいや、待て待て。その理屈はおかしいだろ。っていうか貴様ら!」

 その話は後でするようカーサスに銃を向けられ脅かされてあっさり降参する将軍様。

「どうしたのですか? じゃなかった、どうされた。神の雷の鉄槌を下してしまいますぞうよ」

 明らかに口調がおかしくなってきていたためホルストは笑いだすと、

「お前たちも罪深いな。神を語って争いごとを鎮めようとするなど。さらにチンクエの建国だ? ふざけるな。我々政府軍はお前たちを滅ぼすためにやってきたのだ」

 言い終わる前にヴィクトリアは無言で片腕を天に突き出すと同時に凄まじい轟音と共に電いなづまが公国議事堂の屋根に命中するやワイン国旗が燃え上がる。

「神、なめるなよ」

 いつの間にか彼女は眼帯を取っており右目にスコーピオンの紋章が光るとバルカンは震えが止まらなくなった。そしてひざまつくと深々と彼女に頭を下げた。

「神様ぁ」

 ホルストは信じることが出来ず咄嗟にカーサスの銃口を彼女に向け発砲した。

「ヴィクトリア!」

 弾丸は胸を貫き鮮血がカーサスやバルカンに飛び散った。彼女はその場に倒れ動かなくなったのを見てホルストは狂ったように笑い声を上げると、

「この世に神なぞいない。この世は全て我々強き者のためにあるのだ」

 敗者や弱者に向かって言うようなことを公言した。

「それは違うね」

 一瞬にしてホルストの顔色が変わった。死体となった彼女から声が聞こえたからだ。

「ば、馬鹿な」

「言ったでしょ。神をなめるなって」

 口から血を流して、心臓の脈動に合わせながら胸から血を流すヴィクトリアがゆっくりと立ち上がった。

「ば、化け物……」

 確かに化け物であるがそれは違う。彼女はれっきとした神であるからだ。

「ラフラン公爵、姿を現せ。そして建国を認めよ。互いにもう血を流したくはないだろう」

 城内にも聞こえるよう彼を呼び付けると暫らくしてから城門にラフランと側近や護衛の姿が見えた。

「来たか」

 カーサスは意外とすんなり指示に従って出て来たことに感心するもホルストが雇った傭兵三人衆が突然カーサスを組み倒すと彼の首にナイフを突き立てると断首した。

「っ……」

 ヴィクトリアは剣を構えるが自らの血溜りに足を取られ右腕を切られ血が飛沫する。彼女は腕を押さえると今度は腹部にナイフが刺さり痛みで前屈みになったところで首に剣が迫った。

「やった!」

 ホルストがガッツポーズを見せると剣を持っていた男はそのまま地面に倒れこんだ。彼の背中にはクナイが刺さっている。

「どこからだ」

 警戒していると男の頭に弓矢が刺さり絶命した。最後に残った男は手に隠し持っていたナイフで彼女の首を刺すと背後からやってきた黒装束を着た人影に殺された。

「ミレ……イ」

 血が吹き出る首を押えてヴィクトリアが見つめるその先には血だらけのミレイの姿があった。

「大丈夫、帰り血だから。それよりあんた」

 ヴィクトリアの心配をしているとカーサスが首を拾ってくっつけると、

「俺たちは不死身だから大丈夫だぜ」

 そう言って銃口をラフランに向けた。今にも撃ちそうだったためヴィクトリアがそれを制止した。

 治癒魔法を使ったのか傷は完全に治っていた。

「カーサス、待って。まだ撃たないで」

 彼の元に行くと銃を下げさせラフランに視線を向ける。彼はひどく怯えている様子だ。無理もない、人が斬られてもまた復活する様は常人では理解しがたい光景であろう。

「ラフラン公爵、今すぐ彼らの建国を許可して下さい。あなた方のやっていることは人種迫害です」

「い、嫌だといえばどうするつもりだ」

 すると彼女は指を差した。その先には流れ落ちるハーミス側の水源がある。

「こうなります」

 暫らく滝は溢れる勢いで流れ落ちていたがそれは突然起こった。全く水が流れなくなったのである。

「こうなればワイン造園も不可能になるでしょう」

「なんたることだ」

「許可するのか自分たちが苦しむのかどっちかにしろ」

 カーサスの煽りにラフランは悩まされていたが側近が断固拒否するよう言うと彼もそれに従った。

「全く、自分では何も出来ない奴だな」

 彼が再び銃を構えると今度は彼女の制止も入ることなく引き金に手を掛けた。護衛が守りに前へ出るがお構い無しのカーサスは笑みを浮かべて、

「貫通弾だから意味ないよ」

 引き金を引くと数人の護衛を貫通した後避けた側近の真横を通過しラフランの体を突き抜け城門に命中した。

「貫通力、有り過ぎだな」

 ラフランと側近は崩れ落ちると患部を押えて必死に助けを求める。これを狙ってかヴィクトリアは彼に講和を持ちかけた。側近の否定的な意見は聞く耳持たずしてラフランはチンクエ族による新国家の建国を許可した。

「ありがとう」

 彼女はお礼を言うと彼らを治癒魔法で助けた。カーサスはわざと急所を外したわけであったが、そのまま地獄に落ちることを願っていたので彼女の行為にあまり関心を持たなかった。

「クソ、このぉ」

 ホルストが自軍の兵士から護身用の拳銃を取り出すとヴィクトリアに向けて撃ち放った。しかし銃弾を手で虫のように払い除けると、

「同じ手は食わないし、死ぬつもりもない。あなた方の負けなんですから。早く国に帰りなさい」

 そう言って彼は落胆しその場に座り込んだ。

 終戦だ。チンクエ族は新国家の名をチンクエテッレと称し共和制にすることを宣言したのだった。



 ワイン公国の人民はアーク連邦へ移された。反発する者も多くいたが皆チンクエ族の迫害に加担していた。そのため迫害していた者だけが連邦に送還され、共存の道を選んだ者だけが残された。

 ラフランとその側近とホルストは裁判にかけられチンクエテッレへの立ち入りを永久に禁じられた。

 3日程過ぎてからアーク連邦の大統領とその一行が訪れると正式にチンクエテッレの独立権が認められた。また仮に認められなかった場合はヴィクトリアが手を出そうとしていたが回避された。

「我々はアーク神族のもとに生きています。神のご意向ならばそれに従うまででございます」

 大統領は彼女にそう言い残すとラフランとホルストらと共に国を去った。当分はアーク連邦との交易や良からぬ者の襲撃から防衛するためにつり橋は落とされた。

 万が一仇なす敵が現れた場合、アリスがこの国を守ってくれると約束した。但し代わりにガリア高地の滝近くに祠を造り、年に一度最高級のワインを纏るように約束を交わした。もし言い付けを守らない場合は見限り、天災や戦災に遭おうとも助けることはないと言い放った。

「これも皆様のお陰であります」

 バルカンはアリスと握手を交わした。そしてヴィクトリアにも再度お礼を言った。

「ところで誰がトップになるんです?」

 その言葉にバルカンは躊躇いもなくミレイを指名した。彼女は驚き拒否をしようとするも周りから拍手が起こり全員一致の様子だ。

「待って。女のトップだなんて」

「いいやミレイ、お前がなるんだ」

 チンクエテッレ共和国の首相はバルカン・コロッセウスの孫、ミレイ・コロッセウスが務めることとなった。

「ヴィクトリア殿、カーサス殿。ミレイの祝賀パーティーにご出席して下さいませぬか」

 カーサスは出席するつもりだったがヴィクトリアは拒否した。

「あ、じゃあ俺も」

 彼が断ろうとすると参加しても良いと言われた。別に出発するわけではないという。ただやることがあるようでひとりになりたいのだ。

「そうか、じゃあ遠慮なく」

「皆の衆、宴の準備じゃあ!」

 議事堂前の広場では祝賀会の準備が行われている。元ワイン公国民も参加している。

 カーサスは早くワインが飲みたくてしょうがなかった。新国家の建国でまだこの国には憲法がない。つまり子どもでも赤子でも酒が飲み放題ということだ。

「今回出しますワインは全て公国のものですので飲み切ってくださいね」

 樽を配る女性たちが言う。公国のワインは必要ではないからだ。これからはチンクエテッレのワインが必要となる。

「飲むぜ」

 早速樽の天面を破壊してビールのように一気飲みを行う。周りの男たちも負けない早さで飲み始める。

「何をしている」

 ミレイが彼らに怒鳴った。そしてワイングラスを持ってくると樽から注ぎ、

「ワインはビールなどではない。香りと味を嗜むものだ」

 貴族のように振る舞う光景を見てカーサスは大笑いした。

「性格変わっちまってるぞ」

 そして皆は好きな飲み方で約400万本相当ものワインを堪能したのであった。

 議事堂前がアルコール塗れになり一歩でも立ち入ると酔いが襲ってしまう空間と化してしまった。幾人もの人々が救護所に運び込まれカーサスは空の樽に戻してしまっている始末。

「飲み過ぎちまったぜ、うぷっ」

 樽の中身が半分ほど溜まる頃には全てを出し切ったようで樽に持たれかかって夜風に当たっていた。火照っていた体に少し冷たい風が心地よい。

 辺りでは未だ祝賀会を催していたが時間が経つにつれて静かになった。アルコールと嘔吐の悪臭が辺りに立ち込め始めるとカーサスは居場所を変えるため破壊された城壁を乗り越え森の奥へと入り込む。

「静かで休める場所は――」

 すると小川に出た。これは葡萄園に引き込まれる小川で城壁の下を通り園内の貯水池へ運ばれる。

「ここならいいかも」

 土手に寝そべり休んでいると遠くから声が聞こえてくるではないか。しかも聞き覚えのある声だ。

「耳に障るなぁ」

 ゆっくりと立ち上がり声の元を辿ると滝に近い川辺で誰かが何かを話している。

「誰だ……」

 生憎、月の光が弱く顔までは分からない。がヴィクトリアではない様子だ。小さな子どもで服装はローブに包まれていてよく見えない。

「何語だ?」

 普段話している言葉ではなかった。聞き取れない、聞き慣れない言葉ばかりである。

「まさか戦争孤児……!?」

 そう思うと益々その小さな子どもが孤児に思えてきてしまい、遂には意を決して声を掛けてみた。すごく驚いた様子で立ち去ろうとしたが自らのローブに足を取られて転んでしまう。

「大丈夫か?」

「シ、シー」

 やはり聞いたことのない言葉だ。何を言っているのか分からない。

「お前、戦争孤児か?」

 どうせ伝わらないだろうと思った単刀直入に質問すると、

「失礼な、私はただの……修道士じゃ」

 突然聞き覚えのある、というよりも普段話している言葉だった。

「なんだよ、普通に話せるのか」

「うむ?」

「ていうか、そんな小さな修道士がいるかよ」

 突っ込みが遅れてしまうが一応しておいた。すると子どもは、

「小さくとも修行を積めばなれる」

 そうは言っても見るからに12、3歳くらいのまだまだ子どもの姿であり、いくら修行を積んだからといって長年積んでいるには見えなかった。

「で、お前の名前は?」

「まず自分の名前からいうものじゃ」

 ジジ臭い話し言葉で逆に言われて少し腹が立ちながら彼は自己紹介をする。

「カーサスというんだな。私はネクロス・ギザーロフだ。この国で戦争が終わったと聞いて魂を供養するために来た。因みに女じゃぞ」

 少女にしては男のような振舞い方でなにより発育していない気もした。

「む、胸など無くても良い。君は女子おなごの乳房で人を見るのか」

「そうではないが、俺だって男だ。気にはするし、そういう生き物だ」

 真面目に答えると少女は笑った。そして彼を面白い奴だと言う。

「そうだ、供養の途中だったんだろ。邪魔したな」

 少女と別れて立ち去ろうとすると、

「うむ。またいつかどこかで会おうぞ。今度は、本当のことを」

 彼女はそう言い残し彼が振り向いた時にはもういなかった。代わりに冷たい風が吹き付け冷や汗が出たカーサスは酔いのせいだと言い聞かせ城に戻った。

「どこ行ってたの?」

 議事堂の前に戻ってくるなりヴィクトリアが片付けをミレイと共に行っていた。

「あれ、いたの?」

「キャルロットたちと話してただけだよ。そらさっさと片付ける」

 もう夜が更けているから明日にしようと催促するが翌朝からは国の再建のために戴冠式と新憲法の制定が行われるらしく旅人であるふたりには無縁なもので早朝には旅立とうと考えていた。そのためカーサスが参加した祝賀会の後始末くらいはやっておこうと手伝っている状況である。

「分かったよ……それよりな、さっきな、おばけが出たんだよ」

 ワイン樽を持運びながら彼女たちに話すとミレイから笑われ、ヴィクトリアも半信半疑だ。どのような幽霊か説明するとバルカンがやってきて、

「きっと先の戦で無くなった者がお前さんに語り掛けたかったんじゃな」

 そう言って益々恐怖が湧くと急に催してきたため地下のトイレへと向かった。

 地上のトイレは戦争で破壊され、残ったものもあるが排水環境はズタズタであり無事な地下で用を足すことにしたのだがその場所、実は死体安置場の真横に位置している。しかも蝋燭で明かりを灯しているランタンも数十メートルに1つの間隔に置いてあることから、殆ど真っ暗に等しかった。進めば明かりが照らされる中で彼はトイレに着いた。

「うっ……なんか、いやな予感しかしない」

 恐る恐る用を足すため個室しかなかったドアに手を掛けようとすると、

「熱い、痛い、水を……」

 耳元で囁くように聞こえてきて振り向くが誰もいない。意は決したくはなかったが漏れてしまいそうだったので個室に入ると下半身を脱いで用を足す体勢を取った瞬間、ドア付近に人のような何かがいる感じがした。それだけではない、水のような何が滴り落ちるのが分かった。

「いやいやいやいやいやいやいやいや……おばけなんてこの世に」

 ふと天井を見ると青白く光る目が垂れ、顔中血だらけの甲冑を着た男が床に血を滴らせながら身を乗り出していた。

「こんにちは……」

 カーサスは我を忘れて快く挨拶をすると死体はその場で3回転ほど骨が折れるような音とともに回ると彼に近付くと叫び声とともにカーサスはトイレから飛び出して地上へと向かった。

 彼の悲鳴は城中に響き渡り、ある者は亡霊の叫び声だと、またある者は戦争で死んだ戦士たちの断末魔であると口々に伝えられる中、小さい方と大きい方を失禁した状態で現れたカーサスにミレイは運んでいた嘔吐樽をぶつけ気絶した。その様子をヴィクトリアは苦笑しながら見守り後片付けの続きを行った。

 使い物にならなくなった彼を議事堂前の階段に置いておくと臭いが強烈で誰も近寄らなかった。片付けが終わり、ミレイが井戸で汲んだ水を彼にぶっかけると目を覚ましヴィクトリアに抱き付いて震えた。

「恐かった、恐かったよう」

 甘えん坊のように抱き付くカーサスを見てミレイが、

「男同士で抱き合ってるんじゃないよ。さっさと体を洗って寝な」

 と吐き捨てると議事堂の中へと入っていった。彼女はヴィクトリアのことを男だと思っているようだ。髪を伸ばす男は幾らでもおり、また胸もない彼女は振舞い方からしても男と判断されてもおかしくはない。逆に彼女は男のように見てもらえる方が良いらしい。しかし決して女を否定することはない。

「男って言われて良いのかよ」

「男も女も違いはないよ。あるとすれば、どちらもオカマになれることかな」

 良く分からないことを言ってその場を濁し彼女は彼を井戸の前に連れていき体を洗ってから1日の疲れを取ることにした。

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