第4話「ワインテッレ」

 朝10時頃にハーミス川を出発してから約8時間後の18時過ぎ、ポテという小さな街に到着した。昼時だったためヴィクトリアとカーサスのふたりは腹ごしらえをするためにレストランへと入った。

「リオーネのステーキ1つ」

「ボクもそれで」

 ふたりは脂が乗ったこの地方で食べられている肉食動物リオーネのステーキとパン、コーンスープを頼み飯に有り付いた。

「飯を食ったら武器屋にいかねぇとな」

「ボクは剣と短剣があるから」

「俺は弾薬を補充しねぇと」

 懐に入れてるリボルバー式の拳銃を見せながらそう言っていると彼女に注意された。無闇に武器を見せると気性の荒い連中が絡んでくるそうだ。

「面倒ごとは嫌だよ」

「わかってるよ」

 パンを契って頬張った。すると隣座る老夫婦がワイン公国について話していた。

 なんでも昨夜、賊が侵入して123年物のガリアテッレを盗んでいったそうだ。抵抗した公国兵の7割は死亡し、今はアーク連邦政府軍が護衛しているらしい。

「政府軍が護衛とか、あんな連中に任すんなら正規軍の方がマシだ」

「貴族が絡んでるから政府軍だと思うよ」

 正にその通りで、老夫婦も貴族国家だから政府軍がしゃしゃりでているのではないかと予想していた。

「正規軍は誰でもなれるが政府軍は正規軍の中から頭がお花畑の連中でしかなれないからな」

 肉にフォークを突き刺した瞬間、男がふたりのいるテーブルにやってくると突然カーサスに鉄槌を下し怒号を飛ばした。

「貴様、我が連邦政府軍を愚弄するか」

 テーブルは倒れヴィクトリアの料理までもが犠牲となった。カーサスは口の中を切ったようで血を吐き出すと、

「何度でも言ってやるぞ。無能どもが」

 怒りを買った男は胸ぐらを掴み高々と持ち上げる。流石にそうなると店主が慌てて駆け寄り喧嘩なら外でするようにお願いするが、

「これは喧嘩ではない。愚弄した罰を与えているのだ」

「やめてくだされー」

 泣きながら頼み込む店主を余所にヴィクトリアは席を移動しカウンター席で同じ料理を注文していた。

「政府軍の力、知るが良い」

「人様に迷惑かけるのが政府軍かよ」

 問答無用にカーサスを反対側の老夫婦が食事をしていたテーブルに投げ飛ばすと彼らは怯えながら店を去った。店主が入口まで行って代金を支払うように求めている。

「今ここで謝れば許そう」

「謝らなかったら?」

「その時は逮捕する」

「侮蔑罪ですかい」

 しかしカーサスは謝る気は毛頭なかった。彼は男を挑発すると怒り狂い、店の椅子や皿や植木鉢を投げ飛ばしていた。

「ははっ。これが政府軍のやることかよ。行こうぜ、ヴィクトリア」

 華麗に避けると店主が放心状態になる横で彼女に声を掛けると出ていってしまった。

「すみませんね。少ないですがこれを」

 店主の頭に巾着袋を置くと彼女も店を飛び出した。男は走り去るふたりを見て怒声を上げ、指名手配をすることを叫んだ。

「指名手配だってよ。どうする」

「あなたが暴れたからでしょ。まぁ簡単に指名手配ができるとは思ってないさ」

 ところが武器屋に行くと締め出されてしまった。その他にも防具屋や薬局に行っても問答無用で引き取るよう言われてしまい街から追い出される気がした。

「しまった。この街は政府軍管轄だったか」

 カーサスはそれに気付いて今さら奴に謝っても許してくれないだろうと思い途方に暮れていると、

「もしよければ私たちの馬をあげましょうかぇ」

 声のする方を見ると先ほどの老夫婦がいた。馬をくれると聞こえたためもう一度訊ねると確かにくれるそうだ。

「でもなぜ俺たちが馬を欲してるって分かったんだ」

「武器屋や防具屋に立ち寄ったんでしょう。最後に行くのは牧場当たりかねぇ」

「でもあなた方はこの街で指名手配されておる。どこ行っても、帰ってくれと言われるじゃろうて」

 それが分かっていて何故馬をくれるのか再び訊ねると、

「政府軍に楯突いたからかねぇ」

「そうじゃ。今まではっきりと政府軍やつらに言った者はいるまいて」

 そう答えると政府軍が嗅ぎつけて捕らえられてしまうと言って彼らの家に足早で向かった。

 老夫婦の家は街から数百メートル離れた、辺り一面雑木林に囲まれた森の中にあった。小さな一階建ての家の横に馬小屋があり、2匹の馬が大事に育ててあった。

「この馬の名は、シェリーとジャックです」

「さぁ、これはあげます。良い旅を」

「本当に良いのか?」

 ふたりは首を縦に小さく振ると馬を小屋から出してヴィクトリアにジャック、カーサスにシェリーを渡した。

「それでは借ります」

「あぁ、必ず返しにくるぜ」

「あげたのです。返して頂かなくて結構」

「シェリーとジャックをよろしくのぅ」

 老夫婦は肩を寄り添い遠ざかるふたりを見つめて呟いた。

「幸せにな」

 老夫婦の家から街中へ入ると政府軍が待ち構えていた。

「いたぞ、奴らだ」

 彼らも馬に乗っていて互角のようだった。しかしシェリーとジャックは華麗に敵を交わして検問所に向かう。すると先ほどの男が大きな馬に乗りふたりに叫んだ。

「貴様ら馬まで盗むとは、不届きな奴らだ。成敗してくれるわ」

 剣を抜いて大きく振りかざす。

「盗んだなんて人聞きの悪い、これは――」

 カーサスが言い掛けた間にヴィクトリアが割り込んで、

「そうだよ。盗んだんだ。少し脅しただけで簡単に奪えたよ。あなたがボクたちを捕まえられないくらいにね」

 男はさらに激情するとところ構わず斬り付け始めるが暴れた馬から落ち、馬の一蹴に合い気絶した。

「ざまあみろ」

「はっ!」

 検問所を飛び越えて小さな街、ポテを去った。カーサスは彼女の横に着けると、何故男に盗んだのか訊いたらこう返された。

「わからない? あの情勢下なら盗んだといえば老夫婦に迷惑が掛からないからだよ。頂いたと言ったらどうなると思う?」

「逮捕……協力者として逮捕。もしくは」

「その場裁断される可能性もある」

「でもよ爺さん婆さんがあげたことを言い続けたら」

「その時はその時さ」

 ふたりは無茶はしないでくれと願いながら最初の難関、ランカスター連峰へと向かった。

 一方でポテでは男がふたりの行方を探すとともに盗まれた馬について調べていた。

「将軍、ホルスト将軍。ポチ森林の老夫婦宅の馬であると判明しました」

「そうか、早速その夫婦に話を聞こう」

「それが、憲兵隊によると老夫婦は斬殺されすでに……」

 ホルストは許すまじ行為と拳を握り締めると連邦政府にこの一件を報告。議会はヴィクトリアとカーサスのふたりを指名手配し、賞金まで付けてしまった。

「これで奴らはもう逃げられまい」

 そんなことは露知らず、ふたりは2日程でランカスター連峰の登頂口までやってきた。頂上は雲に覆われており雷鳴が悪魔のように呻いていた。

「夜になるから登頂は明朝にしよう」

「うへー、2日も馬に乗ってると跨が痛くなるぜ」

 ヒリヒリする患部を押さえながら茂みに入るとテントを張った直後、大粒の雨が降りしきる。

「降ってきたか」

 雷の凄まじい光量で辺りが真っ昼間のように明るくなったと思い気や稲妻が走る。夜になっても勢いは収まることを知らず暴風雨がテントを凪ぎ払わんとする。

「吹き飛びそうだぜ。シェリーとジャックは無事かな」

「仕方ない」

 ヴィクトリアはそう言って胡坐を掻くと手を胸の前に置くと目を閉じて深呼吸をする。彼は何をする気なのか固唾を飲んで待っていると突然暴風雨が止んだ。

 外に出てみると風が木々を倒さんばかりの勢いで吹いているのが見える。目を凝らしてみるとテントとシェリーとジャックを含めた部分だけ何も起こっていない。

「これが魔法!」

「一応結界の一種だよ」

 テントから出てくるとシェリーたちにもっとテント側へ近寄るように誘導する。詠唱していなくて良いのか訊ねるとある程度はコントロールが出来るらしい。

「これが神の力か」

 その言葉に彼女は失笑した。聞けば魔法使いや術使いの人ならやり方さえ知っていれば出来るとのこと。初級魔法の一種で自己防衛手段の項で習うらしい。

「まぁ応用力が問題だね。カーサスも出来るよきっと」

 テントの中に戻ると彼は後ろで無理だと連呼している。カーサスは生まれたときから今までに魔法を触れたことはなく使っているのを見たことは指で数えられるくらいだそうだ。彼女に救われたときに驚いた様子を見ればよく分かるだろう。

 その後、軍隊に入っても魔法を使う部隊との交流もなく、常に実戦では飛び道具が主流だった。

「それに魔法なんて自分には似合わない」

 そう言って愛用する拳銃を取り出して眺めた。彼の銃はナーワルという愛称の付いた正式名、ガバメント社製『TYPE-23N GUN BULLETE』である。

 これは星暦123年に製造されたTYPE-23Aが元となって改良に改良を重ねた信頼ある拳銃である。

 50口径13ミリの銃身にリボルバー機構をそのままにし火力と命中精度を維持しつつ装填速度や耐久性を向上させたナーワルは3種の弾丸を撃ち分けることが出来る。

 1つは貫通弾で、発射された弾丸は人体を貫くと言うもの。最大で13人程貫けるという。但し人体の骨や内臓で軌道がそれる恐れがあるため一概に何人もの体を貫通させられるとは言えない。

 2つは貫通散弾で、発射された弾丸は人体に入った瞬間、体内で無数の破片を散弾しながら突き抜ける弾のことである。衝撃が加わると散弾されるため持ち運びに危険が伴う。こちらも貫通力重視のため何人でも貫通することは出来るが最初のひとりにしか散弾の能力が発揮される。

 3つは榴散弾だ。これは体外に当たった瞬間に爆発し、散弾を表面に命中させて対象者を粉々にするという弾丸である。熱が加わった状態下で発揮するため持ち運び時に注意することは特にないが、寒冷地での運用はお薦めしない。

 これらの弾を使い分けることによって1丁で戦局を変えることも不可能ではない。

「魔法も覚えておけば損はないと思うよ」

「何故だと思う?」

 魔法力を込めた弾丸を使えば威力や特殊技能など様々な物に変化出来るからだ。貫通散弾を幾人もの人の体内で効果を発揮させることが可能になる。

「でもそれじゃ自分も疲れるじゃん。魔力を込めて、戦闘で体力を消費。俺はやりたくないね。逃げるときへばっちゃ意味ないし」

 彼に魔法学を理解させることはまだ無理なのかと思ったヴィクトリアは仕方なく話に終止符を打った。疲れもあってかカーサスは寝転がるとそのまま眠りについた。

「ボクも休もう。おやすみジャック、シェリー」

 馬は彼女の言葉に答えるよう鳴くと夢の世界に入った。

 翌朝、曇り空が広がっていたものの食糧が無くなって来たために先を急ぐことにした。ふたりは馬に跨ると山を登り始めた。

 低地では草木が覆い茂っていたが公国に繋がるためか山道が出来ている。しかし高地になると砂利や岩、崖などが目立つようになった。また風が強く一歩でも踏み外してしまうと真っ逆さまに墜ちてしまう。

「気を付けて歩けよ」

 だが馬たちは道を知っているかのように危険な箇所や公国へのルートを把握していた。自分たちが案内されているかのように先に進むと大きな崖に辿り着いた。

 シェリーが悄気しょげているような仕草をしている。カーサスがあることに気が付いた。

「橋が架かっていたらしいぞ」

「そのようだね」

 吊橋の破片や杭が見掛けられた。暴風雨の影響だろうかカーサスはそう思っていたがヴィクトリアはそうでなかった。

「この崖の向こう側はワイン公国だ。もしかしたら故意に破壊したのかも」

 つまり先日公国を襲った輩の仕業かもしれないということだ。ふたりは途方にくれていると来た道から無数の馬の足音が聞こえてきた。

「まさか……」

「おいおい、冗談じゃないぜ?」

 音の正体は政府軍であった。

「今度こそ捕まえるぞ」

 先頭にはホルスト将軍の姿が見える。彼がふたりに近付くと崩れた橋に気が付いた。

「昨晩の暴風でやられたか。だが幸い別のルートで公国警備隊は向かわせている。問題ないだろう」

「お早いお着きだな」

 カーサスが煽った。ホルストは自信満々に吐き捨てる。

「舐めてもらっちゃ困るぜ」

 彼や部下たちも含め、全員防水加工の施された高価な布を使った所謂合羽を着用していた。あの暴風雨の中をやってきたのだ。

「おかけで10人くらい負傷して帰させたけどな。俺たちは精鋭揃い。さぁ、堪忍しな」

 部下に逮捕するよう命令すると後ろが崖にもかかわらず突撃してくる。

「クソッ。どうするんだよ」

「どうするって。仕方ない」

 ヴィクトリアは両腕を前に向けると瞳を閉じて何かを詠唱し始める。彼女とカーサスを包み込むようにして黒い霧状のものが渦巻く。

「魔法使いか。殺せ! 魔法使いは殺すんだ!」

 小銃を持っていた部隊が構えると引き金を引き、渦巻く霧の中に発砲する。しかし銃弾は谺するだけで命中したか分からない。気が付けば霧は晴れてふたりの姿はない。

「逃がしたか」

 悔しそうに辺りを見回していると反対側の崖にふたりの姿があるのに気付き、

「これで逃げられると思うなよ。おまえたちの行き先は分かっているんだ。次は逃げられないと思え!」

 カーサスは手を振ると彼の怒りを更に買うことになり聞くに堪えない罵声が聞こえてくる。

「行こう。あの様子じゃ死んでも捕まえに来そうだ」

 ふたりは先を急いだ。辺りは濃い霧に包まれて有視界距離が5メートルまで狭まった。

「もう少しでガリア高地だと思うんだが」

 暫し馬を走らせていると妙な感じに襲われヴィクトリアは足を止めさせた。カーサスが前へ出ようとしたときだ、

「動かないで」

 彼女が制止させると大声で叫んだ。

「何者だ。姿を見せろ」

 彼は辺りを見て回すが特に何も感じなかったが何処からか声が聞こえた。

「我々の気配に気付くとは貴様、何者だ」

「ボクたちはただの旅人だ」

「抜かせ。ただの旅人が崖を越えて行ゆけるわけないだろう」

 徐々に霧が晴れると左右絶壁に囲まれた一本道にふたりはおり、その絶壁の頂上に黒色の装束を身に纏った謎の部族たちが取り囲んでいた。

「どのようにして崖を越えた。言わねば貴様たちを殺さなくてはならない」

 弓を引く音が聞こえカーサスが戸惑った。

「こいつら何なんだよ」

「ボクが知るわけないでしょ」

 兎にも角にも先ずは話し合いということで彼女は魔法を使ってここまでやってきたことを明かした。すると辺りが騒めき頭かしららしき人物の声が轟く。

「お主、魔法が使えるのか」

「そんなに魔法使いは珍しいかい」

 突然彼女たちの前に声の主が現れた。男は灰色の装束を身に纏い、長い刀のようなものを3本帯刀している。意外と小柄で背丈は170センチのヴィクトリアと同じくらいだろう。

「儂はチンクエ族の長、バルカンじゃ」

「ボクはヴィクトリア・ギャラクシー。こっちはバーン・カーサス」

「頭、良いんですかい、こんな得体の知れない輩に名前などを教えて」

 ふたりを殺そうとした張本人が背後からやってきた。

「構わんよ、ミレイ。こやつらは今までの奴らと少し違う」

 顔まで装束を身に纏っていたため気付かなかったがミレイは女らしい。ドスの聞いた声とは裏腹に彼女は頭を出すと意外と可愛く見えた。

 茶髪のショートヘアーに緑色の瞳、胸は装束で分からないがヴィクトリアよりも可愛く、そして気が強い女の子だった。

「ミレイ、こ奴らを連れていきなさい」

「おじいちゃん……」

 バルカンは彼女の祖父らしく彼は睨むと、

「分かりました。直ちに連行致します」

 そう言ってふたりを誘導させた。道中、ずっと弓を引かれていつ殺されるか分からない状況の中で彼女たちはチンクエ族の集まる砦まで案内させられた。

 周囲は太い木の幹で囲まれたその砦を前にミレイが叫ぶ。

「ここが我らチンクエ族の砦にして、本部ロームだ」

 門番がミレイとバルカンに向かって敬礼をすると門が開き、中へ入ると幾つもの木造の小屋が立ち並び石造りの倉庫や耕された畑なども見られた。奥へ進むと3階建ての大きなレンガ造りの立派な館がたたずんでいる。

「入れ」

 馬を厩舎に入れると館の中に入らされる。内部は豪華でお世辞でも似合わない、というより不釣り合いな造りであった。

「ここ……本当は貴族の館だね」

 歩きながらヴィクトリアがカーサスに耳打ちした。黒装束を身に纏うチンクエという部族は一体何者なのか不思議に思ったふたりだったがある部屋の前でその答えが分かることとなる。

「入りなさい」

 部屋に入るとテーブルと椅子が並び料理の支度が出来ている。バルカンが装束を脱ぐと驚くことに貴族が着こなす正装であった。

「身なりを整えてきます」

 ミレイはそう言って奥の間に消えていった。バルカンは一番奥の席に座ると立っていたふたりに座るよう勧めた。

「それではお言葉に甘えて」

 ヴィクトリアが席に着くとカーサスもそれに習って椅子に腰掛けた。暫くしてからミレイがドレス姿でやってくるとふたりを愕然とさせる。

「チンクエ族はワイン公国の一民族でしたか」

「左様。我々は公国のためになにもかも尽くしてきた」

「でも、奴ら……ラフランだけは許せないわ」

 二人の前に座るミレイはテーブル掛けを握る。

「少し、話を聞いてもらえないだろうか」

 食事をしながら彼はふたりに説明した。

 チンクエ族は5つの民族が集まって出来た総称である。また彼らは公国のワイン製造の大部分を任されていた。

 公国の長、ラフラン公爵はそれをよく思っておらずチンクエ族に国外追放を言い渡す。しかし大部分の製造を任していたため工程は全てチンクエ族の者だけが知っている始末。

 そこで彼らの各製造工程を取り仕切る長だけを捕まえ、他の者は国外へと追いやった。そしてアーク連邦から人員を増やして今のガリアテッレが出来ている。 ミレイの父と母は長だったため捕まり、未だに帰ってこないという。国外追放となったチンクエ族だったがバルカンの案により国の端でこっそりと住まいを造り反乱の時を伺っていた。

 しかしラフラン公爵はあろうことかガリアテッレの名を変更し、新名称『ガリアボルド』というものにすると公表した。このままではテッレの名前が消えてしまうと思ったチンクエ族はとうとう反乱を起こした。それが先日起きたガリアテッレ123年物強奪事件である。

「テッレってそんなに重要なものか?」

 カーサスがスープを啜っているとミレイがテーブルを叩き憎悪の目付きで彼を睨んだ。

「テッレは島っていう意味で恐らくチンクエ族にとって国を意味してるんだと思う」

 ヴィクトリアが説明するとミレイは落ち着きを取り戻して睨むのを止めた。

「国がなくなることを黙って見過ごせないわ。あなたたちには分からないと思うわね」

 ヴィクトリアは横目でカーサスを見る。彼は黙っていた。彼女と同じ境遇だというのに料理を食べている。

「それをなぜボクたちに話してくれるんです?」

「うぅむ。実はお主たちに我々の協力者となってほしいのじゃ」

 真っ先に拒否したのがカーサスだった。アーク連邦を敵にし、ワイン公国も敵に回しては居場所が無くなるという。

「やはりアーク連邦に終われていたんだな」

 ミレイが嘲笑しながら呟いた。そしてバルカンにふたりを数に入れても厄介なことになるし、何より関係のない奴らと組むことは出来ないと言って願い下げる。

「じゃがな、数は多いほうがえぇ」

 それでも彼女はふたりのことを拒否し続け、バルカンはとうとう諦めた。そしてふたりに今日はゆっくり休み、泊まっていくよう言われてカーサスは乗り気ではなかったが甘えることにした。

 2階の部屋に案内され彼と同室だがヴィクトリアは男のような振る舞いでいた。部屋の鍵を掛けてひとり裸になって備え付けのシャワーを浴びる中、カーサスはずっと窓の外を見ている。何かを考えているようだ。

 シャワーから上がるとタオルに身を包み彼に折角なので浴びたら良いのではと勧めるも反応はなかった。

「カーサス、シャワー浴びなよ」

 だが何も答えない。死んでいるかのようにただ窓の外を見ている。

 彼の前に立ちふさがると大きく名を呼んだ。すると彼の目の前に彼女の裸体とふたつの中くらいの実が見えて顔を真っ赤にし、

「な、なにしてんだ!」

「何って、あなたが無視するからだよ」

「ふ、服くらい着ろよ」

「そう?」

 ヴィクトリアは晒しを胸に巻くと畳んであった継ぎ接ぎだらけの黒い服を着た。ロングコートは帽子掛けに掛けると彼女は珍しく髪を下ろしたままふかふかのベッドの上に飛び込んだ。

 その様子を横で見るカーサスは咳払いをしてバスルームへと向かいシャワーを浴びた。

 戻ってくる頃にはベッドの上で大の字になって寝ている彼女を見て微笑んだ。こんな一面もあるのかと思うとまだまだ彼女を知らないことがたくさんあるんだと実感した。

「無防備に寝やがって。俺が性欲に塗れていたら襲っちまうぞ」

 彼女に羊毛で出来た掛け蒲団を掛けてやると自分もベッドで横になり照明の蝋燭を消した。室内は暗かったが窓から蒼白い月の光がカーサスを照らして中々寝付けない。おまけに話し声が聞こえて完全に寝られぬ状況だった。

 声の主が気になっていたので窓を開けると広間でバルカンとミレイが何かを話していた。その風を頼りに会話を盗み聞く。

「ポーロのところもやられたのか」

「うむ、後はチンクエ族の中で我々のフォルゴーレと西に砦を構えるカルロだけじゃ」

「今にでも公国へ乗り込もうよ。そしてラフランを殺してチンクエ公国の建国を宣言しようよ」

 それ即ち、謀反ん起こすということとなり大国アーク連邦を敵に回すということにもなる。小国が大国に適うはずもなくバルカンはそれに悩まされて大きなことは出来ないでいた。

「この世には神なんていないんだね。何故私たちは迫害されなければならないのかしら」

 ミレイはそう言い残して館に入っていった。それから少し経ってからバルカンも立ち去った。

 カーサスはヴィクトリアのことを侮辱されて快く思っていなかったが彼女はそうでなかった。

「神なんて万能じゃないからね」

 起きていたのかと逆に驚いていた。

「人間が生まれてこうなることは予測出来たよ。人間同士が話し合い、仲良く暮らしていけば起きることはない世の中なのに大体神のせいにする」

「それを正すのも神の仕事なんじゃないの」

 そう言われてクスっと笑うと、

「ボクがそんなことをすると思う? 人間同士でやれって言いたいね」

 カーサスは少し幻滅した。彼女ならこの自体を少なくとも良い方向に正すことは出来るはずだと思っていたのだ。

 彼女は馬を借りた時に罪を着せるまいと老夫婦から盗んだと主張して彼らを助けた。何も取り柄のない彼すら快く旅に誘い、こうして旅を続けさせてくれる上、駄々を捏ねられたり、失敗しても許してくれる彼女にカーサスは、

「所詮、人間は神にはなれないし、自分たちでどうすることも出来ないんだな」

 そう呟き蒲団に包まった。彼女は聞いていないふりをして何かを思いながら再び眠りについた。

 その翌日、ふたりは砦を出発することにしミレイたちと別れた。別れ際彼女とバルカンに無事でいるよう伝えるた。

「それではまた、いつか」

 ヴィクトリアはお礼を言って馬に跨りカーサスと共に砦を後にした。

 暫くするとカーサスはあることに気が付いた。

「どこへ行くんだ?」

 来た道を戻るわけでもなく公国へと行くわけでもなく、ただひたすら山林を進んでいた。

「ワイン公国首都は反対側だぞ。おーい」

 耳が遠くなったのかと思っていると立ち止まったので傍に行ってみると目前に大きな絶壁が立ちふさがっていた。

「これはなんなんだ」

「登るよ」

 馬鹿なことを言うなとカーサスは頂上付近を見ようとするが雲に覆われて麓が見えない。

「絶壁、雲……ここがガリア高地か」

 漸く気付きヴィクトリアは登山の準備を進める。冗談で言っていたわけではないと思っているとロープを腰に巻くよう言われ従った。

「馬はどうするんだよ」

「ここに置いていくよ」

「大丈夫なのかよ」

「大丈夫だよ」

 その自信はどこから出て来るのか気にしていると彼女はコートを脱いだ。そしてそれをカーサスに渡して持っておくように言った。

「荷物運びね……」

 自分の役割を理解するとヴィクトリアは何か呪文のようなものを唱えている。

「風よ、汝の力となり世界を護られよ」

 息を呑んで見守っていると、今まで無風状態だったにも関わらず風が吹き始めた。

「これで良し」

 ヴィクトリアが大きく深呼吸をした瞬間だった。彼女の背中から純白に輝く大きな翼が現れた。突然現れた翼に弾き飛ばされたカーサスは壁に頭を強打して1回死んでしまった。

「ごめん……」

 慌てて駆け寄る彼女の姿を見て天使だと思ったのは言うまでもない。だが彼は理解できなかった。

「なんで翼が生えるんだよ」

「話せば長くなるよ。簡潔に言えばボクは神の中でも最も異端だったことかな」

 そういわれても全く理解できなかったが、これ以上訊いても理解できそうにないと思った彼は諦めた代わりに本物の翼かどうか触ってみるとふさふさして気持ちの良い感触だった。

「ちょ、ちょっと……断りもなしに触らないで下さい。翼はデリケートなんだから」

「悪い悪い」

 彼女は翼を広げると腰にロープを巻き付けている間、彼女の尻の辺りにも尾っぽのようなものが生えているのに気が付いた。

「まるで鳥だな」

 その部分も翼を触ったときと同じように触ると驚いた口調で喘ぎ声を出して彼を突き飛ばした。そして木に頭を強打し、首の骨が折れてもう1回死んでしまう。

「尾は性感帯なんですから触っちゃダメです! キミは通り掛かりの女の子のお尻を平気で触るんですか?」

 絶命したカーサスは生き返り自分がしたことを謝った。彼女は翼を閉じると、膨れっ面になりながら馬たちに御札のようなものを張り付ける。そして再び翼を広げると、

「行きますよ」

 ツンとした言い方で翼を羽ばたかせ飛び上がった。

「うわっ」

 体が宙に浮かびカーサスは少し怖くなった。今まで大木や塔などに登った経験はあるが空を飛ぶことは初めてだからである。

 気が付けば地面から100メートルほど昇っており鬱蒼と生い茂る山林の頂上辺りを飛行している。

 カーサスは上を見上げ彼女が必死に翼を羽ばたかせながら飛んでいる姿を見て不思議な気持ちになった。

「まるで……昇天!」

「変なこと言わない」

 地上500メートルまで昇り冷たい風が肌身を撫でる中、だんだん速度が増してきたようにも思えた。それもそのはず、上昇気流に乗り、また彼女の魔法属性である『風』の力が味方している。

「雲の中に入るよ」

 薄暗い雲海に飛び込むと霧を濃くしたような世界が永遠に続いていた。朝にもかかわらず薄暗いこの雲海の中は一緒陽が照らさないと思うと恐怖を覚える。

「適応魔法をかけるね」

 高度が上がるにつれ酸素が薄くなってくるため酸欠にならないよう魔法で対策した。この適応魔法は対象者の半径50センチ以内に酸素の層を作る。これによって対象者は酸素の無い地域でも酸素を吸って生き長らえることが出来る。しかし、宇宙空間や水深の深いところでは効果が無いため注意したい。

「お前は?」

「ボクは大丈夫だよ」

 そう言って益々上昇速度を上げていくと冷たく、暗い雲海の中に太陽の温もりと日射しが射し込んできた。上空にいるのにもかかわらず、不思議と暖かく思えた。

「今、高度7000メートルくらいかな」

「7000? どんくらい昇るんだよ」

 見上げると雲海を突破し太陽が彼の眼を襲う。危うく失明するところだ。

 カーサスはほっとしたのも束の間、ガリア高地の高さに驚くこととなった。

「まだ頂上が見えないのかよ……」

 さらに遠くの方では水しぶきを上げて水が落ちているのが見えた。あれがハーミス川の水源となるガリア高地から流れ出る滝だ。

「感動物だな」

「まだまだこれからだよ」

 先を急ぐと遂に高度が1万メートルを超えたところでガリア高地の頂きが見えた。

「俺たちが初めて降り立つ地……なのか」

「それはどうかな」

 頂きには鬱蒼と生い茂った草花がふたりを迎えた。低い木々が目立ち、ブナやスギなどの高い木は無かった。

「ここがガリア高地。またはヘルベチカ皇國こうこくだよ」

 無限に広がる草花の中に幾つかの白い建造物が視界に入る。目を凝らすと遺跡のようだ。

「国ってことは人がいるってこと?」

 彼女は頷くと翼を再び広げると腰のロープを解いた。そして翼が閃光に包まれると消失し、いつものヴィクトリアの姿に戻った。

「疲れた……」

 流石に重労働だったのか息が上がっている。胸に手を押さえて深呼吸をするとカーサスから預かっていたコートをもらい身に付けた。

「ふぅ、さぁ行こうか」

「どこに?」

「目的を達成するためだよ」

 そもそもなぜガリア高地に昇ったのか理由を聞いていなかった彼は知るために後をついていった。彼女はここへ来たことがあるみたいで道なき道を進み、白い遺跡のような建造物まで辿り着いた。

「デカい建物だな」

 チンクエ族の館の十数倍もの大きさの遺跡は荒れていて人が住んでいるようには見えなかった。彼女は先へ進むため、その遺跡に入っていった。

「ちょっと待てよ」

 中は薄暗くて得体の知れないものがいる気がして怯えるカーサスに、

「わっ!」

 と驚かせると彼は大変激怒しヴィクトリアを笑わせた。ふたりは遺跡の奥に辿り着くとカーサスは目を疑った。

「こ、子ども?」

 ふたりの目の前には小さな子ども。そう、若かりし頃のカーサスのような子どもが大きな石製の椅子に座っていた。

「あなたは何者ですか」

 子どもは彼に質問したと思うと横にいたヴィクトリアの姿を見て眼を丸くするなり、

「あ、はわわ、はわっ」

 非常に驚いた様子で立ち上がり彼女に駆け寄った。

 カーサスは昔、この手で警護対象の貴族を暗殺されてしまった経験もあってか内ポケットから拳銃を抜くと子どもに向かって銃口を向ける。刹那、激痛と共に拳銃が手中から離れて石畳の床を転がっていく。

「誰だ!?」

 カーサスは辺りを見回すと15歳位の女の子がクロスボウを構えて立っていた。

「アリスに向かって野蛮なものを向けるでない」

 アリス、子どもの名前かとヴィクトリアの方を向くと彼女は今までに見たことの無い笑顔で苦手な筈なのに抱き合っていた。

「なにこれ」

 状況が全く理解できない中で弓矢を放った女の子が近付くと、これまたヴィクトリアを見て驚嘆した。

「お姉様!」

 そう言うとアリス同様に抱き合いカーサスは空気と化した。そして小さく息を吸うと、

「どう言うことか説明しろ!」

 遺跡内に響き渡る大声て言うと女の子がクロスボウを向けて威嚇する。

「キャルロット、彼は“私”の大事な下僕だよ」

 彼の扱いはあっているのだがストレートに言われると惨めな気持ちになるカーサスだった。

 アリスが遺跡のさらに奥へと案内するとそこには大広間が待っていた。そして適当な石畳の上に座り込むとヴィクトリアは彼女たちを始めた。

 アリスというのヴィクトリアの妹でアーク神族の12番目の神である。姿は8歳位の子どもだが知識は20歳並みもある。ショートカットの水色の髪の毛は美しい湖畔のようで透き通った蒼い瞳もより一層美しさを彩っている。

 そしてキャルロットとはアリス同様、ヴィクトリアの妹であり11番目の神でもある。緑色の三つ編み姿に赤色の瞳は不思議な気持ちにさせる。心配性もあってかシスコン気味のところがある。胸は全くなく気にしている節がある。

「あ、アーク神族って全部で何人いるんだ?」

「12人です、カーサス様」

 アリスが真っ先に答えた。しかも彼のことを“様”付けで呼んでいる。

「あれ? なんで俺の名前を知っているんだ」

 初対面の筈なのに、と不思議そうにしているとヴィクトリアの顔が赤らんだ。

「それはお姉様が話してくれました。カーサス様が英雄で格好良かった、と」

 その言葉に彼は有頂天となった。そしてキャルロットに自慢話をする始末。見兼ねた彼女がヴィクトリアに、

「なんでこんな奴を下僕に選んだの? 頭おかしいよ、こいつ」

 可愛らしい女の子に見えるが意外と口調は荒く、彼が勿体ない視線を送ると気付いたのか殴りかかってきた。

「まぁまぁ、カーサスは良いところもあるし悪いところもあるってことだよ」

 膨れっ面になるキャルロットを見てヴィクトリアは頭を撫でる。アリスもして欲しい様で催促にやってくる。三人仲が良いところを見たカーサスは少し寂しげだった。

「ところでお姉様は何をしにここへ来たの?」

「そうよ、旅をするって出て行ったきりどこにいたのよ」

 ふたりの質問にカーサスも気になった。苦労してここまで来たということは何かしらの理由があるはずだ。彼は息を呑んで彼女の言葉を待った。

「それはね、アリスとキャルロットに会いたかったから」

 それを聞いた途端にカーサスは石畳を華麗に顔面をぶつけながら転がった。

「――っていうのは冗談で、アリスにひとつ頼み事があってね」

 鼻血を垂らしながら彼女の方を向くとキャルロットに汚い面つらを見せるなと、また叩かれた。

「お姉様の頼み事ならなんでも聞いちゃいます!」

「それで何よ、頼みって」

 彼女はワイン公国の状況を説明した。チンクエ族が迫害され生れ故郷を追い出されようとしていることや名産のガリアテッレがガリアボルドに名称が変更されるということ、チンクエ族が謀反を起こして公国を奪還しようとしていることなどを細かく話した。

「つまり、お姉様はワイン公国をチンクエ族の皆様に変換してあげたいということですね」

 そう頷くと彼女は立ち上がり拳を握り締めて、

「分かりました。ワイン公国にこの國の水で大洪水を!」

「馬鹿ね、そんなことやったらチンクエ族まで死んじゃうでしょ」

 キャルロットが意見して大洪水の案は無くなったが、

「やるならワイン公国の連中を皆殺しにするのよ!」

 嬉しそうに怖いことを言ってカーサスを苦笑させた。そしてヴィクトリアが間に入ってやってもらいたいことを話したのだった。

「なるほど。それなら馬鹿な人間も言うこと聞くかもね」

「でもよ反発したらどうするんだ?」

「神の雷の鉄槌を食らうデス!」

 アリスが意気込み突然雷鳴が轟いた。

「それも良いけど最後はやっぱり、彼らの力でなんとかするの」

 誰もが納得すると直ぐに実行を移すべくヴィクトリアとカーサスはチンクエ族の砦に向かうことにした。

「今度は降りるのかよ」

「君に魔法を掛けたからこのままでも大丈夫だよ」

 そう言い残して彼女は崖から大空に飛び込んだ。見る見るうちに小さくなっていく彼女の後を追い掛けるように彼は岩肌に激突しないために助走をつけてから飛び込む。

 時速が600キロを超えているにもかかわらず魔法のお陰か苦しくともなんともない。ヴィクトリアが見えると彼にこちらへ来るよう手を振るとふたりは手を繋ぎ厚い雲海へと突っ込んだ。そして地上が見えると体が急に浮かび上がるようにして宙を漂いながらシェリーとジャックのいる草地に降り立った。

「さぁ行こう」

「う、うん」

 彼女の手は温かく柔らかく、そして小さかった。

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