第3話「契約」
カーサスがヴィクトリアと共に旅を始めてから1週間ほどが経った。初めは楽しくてしょうがなかった旅も1週間経つと苦になりつつある。どんなに歩いてもあるのは森と時たま現れるウサギやイノシシなどの動物だけだからだ。
「疲れた、少し休もう」
人ひとり分が座れる角張った石の上にカーサスが座り込んだ。彼女は溜め息を吐いて歩いてからまだ1時間も経っていないと言う。
「いいや、もう10時間は歩いたね」
するとヴィクトリアに喉が渇いたと水を催促する。自分のがあるのではないかと訊ねると既に飲んでしまったらしい。しょうがなく彼女は手提げ鞄から水筒を渡すと彼はぐびぐび飲み干してしまった。
「全部飲んじゃったの?」
「あぁ。飲みたかったか?」
「いや、別に良いけども。次の川まで後100キロはあるんだよ」
それを聞いて水筒を地面に落とすとヴィクトリアの胸ぐらを掴み、
「そういう事はもっと早く言えっての!」
取り乱す彼に疲れた彼女は自らも腰を落とす。実はこのやり取り、3回ほど繰り返しているのだ。
「まだ旅が始まってから1週間、君はこの調子でやっていけるの?」
沈黙のあとに口を開いた。
「正直、無理かもしれん。軍隊で長距離移動の時に水や食糧の大切さを知っても内勤になるとそれを忘れちまう」
どうやら自覚はして治そうと努力はしているようだった。しかしそれが上手く行かない。因みに内勤へ異動となったのは旅に出る半年前のことだ。半年間、育った街の副司令官の任につき、至福を肥やしていた。
「俺はお前の足手まといになっちまうな」
「うん、確かに」
正直に頷く。この3回のやり取りで彼女は水筒や食糧を渡して自らの分は本当の休憩やキャンプの時にでしかとっていない。
「まぁ、これからボクと旅を続けていけば変わるよきっと」
「だが、いつになるか分からんし、第一この旅の終わりって一体……そもそもお前は何のために旅をしてるだ」
今さらそんなことを聞くのかと言わんばかりの表情でカーサスを見つめる。
「そう言うのはもっと早くに聞いてほしいかな」
「悪い、お前と一緒に旅がしたくて一生懸命に生きてきたからな」
ヴィクトリアは内ポケットから地図を取り出した。この惑星の世界地図だ。
「へぇ、世界ってこんな風になっているんだな」
「世界地図は初めて見る?」
彼は小さく頷く。地上から見た景色の地図しか見たことがなかったからだ。
「今ここにいるんだ」
指差す先は緑一色に塗られた大きな平原だ。
「グラス平原。広大な森林と草原が入り交じる大平原地帯。広さは、そうだねぇ――」
何か比較できるものを考えていると思いついたようで話を進める。
「広さは大体、君がいた駐屯地の約7万個分かな」
「うん、よく分かんねぇな」
「だろうね」
グラス平原、比較するならば地球の北海道と同じくらいの大きさである。北海道が丸々大平原となっているわけだ。
「なんでこんなところを通るんだよ。しかも歩きで。馬があるじゃん」
「馬だと餌代が掛かるからね。それにここを抜ければイーストライン帝国があるからかな」
イーストライン帝国。アーク連邦の東に位置する海洋国家。漁業を生業として海産物やスパイスなどを各国に売買している。ライン協国と呼ばれる同盟を結んでおり、同盟国にウェストライン帝国、サウスライン帝国、ノースライン帝国、セントラルライン皇国がある。
「そこに行って何すんだよ」
「この目で見たいんだよ。人間の成長を」
突然カーサスに悪寒が走る。気温が下がったわけではない。辺りを見回すが特に変わった様子はない。しかしヴィクトリアの様子が今までと違う気がした。
人間の成長とは何か、踏み込んではいけない気がしたが男なら度胸、当たって砕けろと思い聞いてみた。
「それは……あまり言いたくない」
「なんでだよ」
悪寒がまた突然今度は無くなった。カーサスは確信した。ヴィクトリアは何かを隠している。それは誰にも明かしてはいけない何かを。
「俺はお前に救われた。命を助けてもらったんだ。旅を出たのもお前と一緒に行きたくて、無我夢中だったんだ」
顔を赤らめると話を続けた。
「お前、言ったよな。強くなれって。だから強くなってお前を守りたいんだ。つまり……あれだ、お前に命を捧ぐ。だから――」
「知っておきたい? ボクのことを」
先に言われたが正にその通りだ。土下座までして頼み込むが彼女の口は堅く閉ざされている。
「頼む!」
「分かった。全て話すよ」
喜びが込み上げたのも束の間、彼女は地図を再び取出し、
「――今ここにいる。君が先導し、100キロ先の川まで日が明日の朝、日が昇る頃までに辿り着けたら教えるよ」
今の時刻、と言っても時計を持っているわけではないので太陽の傾き具合からして正午24時を回った頃だろう。ここから次の日の出まで約半日あるかないかといったところであろう。
「急いだ方が良いんじゃないかな」
「分かってるよ! 成功したら教えてくれるんだろうな」
ヴィクトリアは答えなかったが彼女のことだろうから教えてくれるだろうと勝手に思い込み足を進めた。
出発してから数時間が経つも一向に進んでいる気がしなかった。ヘトヘトで今にも倒れそうになるくらいだが彼女は全く疲れていないように見えた。
「くっ……」
そして再び歩き始めてついには日の入りを迎え辺りが暗闇に包まれる。松明に明かりを灯し前に進む。時より獣の鳴き声で心臓が縮み上がる。
「はぁ……はぁ……」
息は上がり、フラフラする中でも彼は歩き続けた。ヴィクトリアはその様子をただただ見続けている。
「休もうか?」
休みたかったが間に合わないとの一点張りで決して休むことはなくただひたすら歩き通した。だがもう限界を通り越しついにはその場に倒れこんでしまった。
「まだだ、まだ」
「っ……」
カーサスはそのまま気絶しヴィクトリアは溜め息を吐くと座り込み彼の頭を自分の膝に置いて枕代わりにした。しかし彼女は休むことなく起きて周りを警戒している。夜の森は危険がたくさんあるからだ。
言っているそばから夜行性の肉食動物リオーネと呼ばれるオオカミのような獣が群れをなして現れた。その数、約10匹。
彼女は短剣を取り出すとカーサスを寝かせたままその場で構えた。
1匹のリオーネが彼女の腕に飛び掛かるが短剣で見事一突きして殺してみせた。今度は3匹が同時にカーサスとヴィクトリアに飛び掛かった。掌をカーサスに飛び掛かってきたリオーネに向かって差し出すと目を見開いて呪文を唱えることなく敵を風のようなもので吹き飛ばした。そして2匹のリオーネの首を短剣で斬り込み見事撃退した。
リオーネは威嚇すると残った6匹全てで襲い掛かった。2匹を衝撃破で吹き飛ばし、木々に叩きつけて殺すが残り4匹の防衛に間に合わず、1匹のリオーネが彼女の左腕に食い付いた。
「っ……」
無理に引き離そうと腕を引っ張ると肉が契れ酷い痛みが彼女を襲う。しかし敵は臨戦体勢を崩すことはなく再び同時に攻めてきた。するとヴィクトリアは1匹のリオーネに向かって眼ガンを飛ばすと敵は怯えて逃げ去ってしまった。
残った3匹はそれに気付いて攻撃を止め、少し離れたところから喉を鳴らし威嚇を続けるがヴィクトリアの睨みで恐ろしくなったのかニャンニャンと吠えながら逃げ去った。
「ふぅ……」
一難去ったものの彼女の左腕は骨が見えており出血も酷かった。右手を使って自分の胸に巻いていた晒で包帯代わりに止血と応急処置を施した。そして静かに目を閉じて彼女は少し休んだ。
地平線に朝日が少し顔を出し暖かい陽射しがカーサスの頬に照らすと彼は眠りから覚めた。と同時に飛び起きて辺りを見回した。
辺りにはリオーネの死骸がちらほらと見掛ける他、川はないようすだ。
「しまったー!」
大声で叫び辺りを右往左往しているとヴィクトリアも目を覚ました。
「あ、おはよう」
「お、おはよ……」
やっと彼女の左腕に気付くと横たわるリオーネとの因果関係を理解した。
「お前、ひとりで撃退したのか?」
「怪我、しちゃったけどね……っ」
晒は真っ赤に染まり出血は止まっていないように見えた。よく見るとカーサスの体や服にも彼女の血が飛び散っていた。
「ごめん、汚して」
「気にすんな。それより腕を見せてみろ」
「大丈夫だよ。ボク、不死身だから」
「それでも良いから見せてみろ」
晒を取ると骨とズタズタにされた皮と肉が現れた。カーサスは鞄からモルヒネと抗生剤を彼女に与えた。そして包帯を巻き直した。
「その鞄にはそんなものが入っていたんだね」
「そうさ、医学だって少しだけ噛ったくらいだが、応急処置くらいは出来るぜ」
「ありがとう」
「礼を言うのはこっちだぜ。後な、たどり着けなくてすまねぇ」
血で染まった晒を巻きながら謝った。辿り着けなかったことについてだろうか、自分が不甲斐なく思ってのことだろうか。はたまたそのどっちかなのだろうかヴィクトリアは聞かなかったが、
「良いよ。君の頑張りが見れたし。それにしっかり辿り着いたし」
「ふぇ?」
肩を貸すように言われ立ち上がって歩きだし、暫く小高い丘を登って行くと眼下には横幅が3キロほどもある大きな川に辿り着いた。
「お、大きいなぁ!」
「ハーミス川だよ。ちょうどここがアーク連邦との境で対岸からはデボン公国だよ」
カーサスは安堵するとそのまま座り込んでしまった。ヴィクトリアも隣に座ると彼によく頑張った、と声を掛けて労った。しかし素直に喜べなかった。最後の最後で彼女を守れなかったからだ。
「ボクのこと、知りたい?」
「っ……良いのか?」
聞きたかったが聞いても良いのだろうかと悩んでしまう。折角ここまで来られたのだが、いざ聞こうとすると抵抗がする。しかし、
「いや、なんでもない。知りたい。俺はお前の全てを知りたい」
少し自分が何をいっているのか分からなかったが取り敢えず彼女の返答を待った。
「いいよ。教えてあげる。だけど誰にも言わないでね」
「もちろんだとも」
「それから信じてくれないかもしれないけど」
「信じる。絶対に、信じる」
彼の言葉の後にヴィクトリアは自らのことを隠すこともなく全て話した。
「ボクはこの星、アークを創世したアーク神族の10番目『スコーピオン』。数多の生物の成長を見るために星暦0年からアーク連邦を起点として旅を続けている。終わりはない、永い旅。不老不死というのもこういう訳なんだよ」
この話を聞いてカーサスは黙ってしまった。そして視線を川向こうにやり暫くしてから口を開いた。
「俺は宗教や伝説や神話なんか信じねぇタチだ。けどな先生が唯一俺に教えてくれたのがアーク神族の話だ。俺は信じなかった。でも今は信じられる」
彼がヴィクトリアの方を向くと、
「いいぜ、お前の話を信じてやる」
そういって彼女はお礼を言ってきた。するとカーサスが正座すると、
「折り入って頼み事がある」
「かしこまっちゃって、どうしたの?」
「頼む、俺にどうすれば不老不死になるか教えてくれ!」
「!?」
深々と頭を下げてヴィクトリアを困らせた。
「どうして? ボクの話、聞いたでしょ。終わることのない旅。永い旅。それに不老不死になるってことはそれだけ長い苦しみを味わうことなんだよ」
「それでも構わない。俺は一生お前を守って生きたいんだ。死んだら何もかも終わり。寿命がなければずっとお前を守れる。お前が好きなんだ。……逢ったときから」
カーサスの心臓は早鐘のように鼓動をし、言い終わると更に早くなった。そして顔を真っ赤にし再び黙ってしまった。
ヴィクトリアは小さく溜め息を吐くと彼に聞こえるのがやっとの声で囁いた。
「後戻りは出来なくなるよ。それでも?」
「良いんだ。それでも良い」
彼女は鞄から注射器を取り出した。それを自分の腕に当て血液を取り出した。400ミリリットルほど取り出したところでそれをカーサスに渡した。
「これを飲み干して」
「飲めば、なれるんだな」
「……」
彼は一気に飲み干した。そして気を失った。
〇
「ここはどこだ」
四方を暗闇に包まれしその場所はこの世とは思えないものだった。出口はないか先へ進もうとも後へ戻ろうとも自分が今、どこにいるのかすら分からずついにはその場に留まってしまう。
「一体ここ……」
すると突然頭に声が響いた。カーサスは頭を押さえて苦しんだ。
「なんだ、一体なんなんだ」
「お待ちして申し訳ありません」
痛みが和らぐと目前にヴィクトリアが立っていた。彼は名を呼ぶと彼女は首を横に振りこう答えた。
「私は式神です。名などありません」
「どういうことだ」
訳が分からず再び頭を抱える。必死になって今までの出来事を思い出そうとするが不思議なことに自分とヴィクトリアのことしか思い出せなかった。
「俺は、一体、何者なんだ!」
「それではこれより、108つ質問を致します」
「108つ!?」
どんな質問か身構えた。
「1問目です。あなたのファーストネームは?」
「バーンだ」
「2問目です。あなたのミドルネームは?」
「ない」
「3問目です。あなたのラストネームは?」
「カーサスだ」
最初は自分の名前を質問され次に生年月日や生まれた時間、場所などを答えさせられた。初めの方は記憶が全くなかったが質問される度に、どういう訳か取り戻されていく感じであった。
「74問目です。あなたの初恋の人の名前は?」
「うぐっ……。ヴィ……エリーだよ」
「そのようですね」
ここに来て式神が初めて質問以外の言葉を発した。そのことに愕然とする中で再び質問が再開された。
気の遠くなる質問も気が付けば100問目に差し掛かっていた。
「100問目です。あなたの攻防技術を見せて下さい」
「攻防? つまりそれは攻撃と防御の技術ってことか?」
式神は頷き、頭で念じると武器や防具が現れると言って彼は目を閉じて思い浮べた。次に目を開けたときには彼の手にリボルバー式の拳銃があった。そして突然現れた巨大なサーベルタイガーがカーサスに向かって突進する。
彼は寸でのところで交わし銃口を敵の頭に向け引き金を引いた。サーベルタイガーは急所を撃たれ、そのまま横たわった。
「防御は?」
どこからともなく現れた式神に少々驚きながらも、
「無いよ。一撃必中。やられる前にやっちまえば防御なんていらない。だろ?」
冷静にそう言う彼を見つめて式神は少し微笑んだように見えた。早速次の質問が言い渡され答えていく。
「それでは105問目です」
「やっと後4問か」
「あなたは不老不死になって後悔はしませんか?」
ここで初めて自分が不老不死になるためここへ来たことを悟った。そして彼は決意を固めたように拳を握り、
「後悔なんて有り得ねぇ。俺はお前含めてヴィクトリアを守る!」
式神に指差し誓いを告げる。彼女は平然としながら106問目に移った。
「あなたは不老不死となり、主君『ヴィクトリア・ギャラクシー』の僕しもべとして尽くしますか?」
「僕……ね。奴隷でも構わないぜ」
「答えは?」
「イエス」
ついに後2問となった。カーサスはこれで不老不死になれる、そう思っていた。
「107問目です。この質問はあなたへの最期と質問となります」
「最期?」
「不老不死になるためにはこれら108つの質問の他に、あなたの勇気や意志、力、そして命が必要なのです」
息を呑みどんな質問か待ち構えた。
「不老不死の成功率は1%です。そしてこの質問で拒否をなさった場合、“死”あるのみです。それでもあなたはなりますか?」
彼女の言葉が言い終わった後カーサスは黙っていた。一瞬の出来事であったが辺りは静かに彼を見守っている。
「それでも俺は不老不死になる!」
ここで式神は両手をいっぱいに広げると無の世界に明かりが灯る。あまりの眩しさに目が失明するかと思うほどだ。彼は慣れるのを待っていると足元に何かが当たる音がした。
目が慣れて足元に目をやると純白の剣つるぎが落ちていた。
「これは……」
「拾いなさい。そしてその剣でボクを殺しなさい。それが108つ目です」
「なっ……」
自分には出来ない、そう思った。主君になる人を殺めるなど出来る訳がない。それに彼女は命の恩人であり、恋人だ。しかし、
「それがお前の望みなのか」
式神のヴィクトリアは何も答えない。
震える手を押さえてカーサスは一度だけ大きく深呼吸をした。そして剣を構えると、
「僕なら主君の命めいは絶対服従。ならばその望み、応えるまで!」
剣は彼女の胸に食い込み返り血がカーサスにも飛沫する。彼の目には涙が伝う。
ヴィクトリアは息を切らして彼の頭に手を置くと優しく、ありがとう、と言った。刹那、カーサスは飛び起きた。
「ゆ、め?」
辺りを見回すと暗く陽は落ちていた。またせせらぎが聴こえ、冷たい風が頬を撫で空気が澄み切っているその場所は夢を見る前に見た川原の光景だ。
どのくらい時間が経ったのかすら分からず頭に少々痛みが走り、押さえながら立つと近くでたき火の音が聞こえる。そばに近寄ってみると誰かが胡坐あぐらを掻いて座っていた。
その後ろ姿には見覚えがある。ワインレッドの髪を束ねて継ぎ接ぎの衣服を着た男のようで女の、
「ヴィクトリア……」
彼は擦れるような声で呼び掛けると振り向く彼女は、
「おかえり」
優しく声を掛けるとカーサスは何故か自分でも分からなかったのだが抱き付いてしまった。
「ちょ、ちょっと」
炎で分からなかったがカーサスには分かっていた。顔を赤らめて引き離そうとするヴィクトリアの姿を。
「そうだったな。お前はハグが苦手だった」
頬をぽりぽりと掻く彼女を見て微笑んだ。カーサスは隣に座ると夢のことについて訊ねた。
「あれは一体なんのためだ?」
「試験だよ。不老不死になるための。それには幾つかの質問をして覚悟を知りたいんだ」
覚悟。確かにそれは最後の方で明らかになった。生半可な気持ちで不老不死にはなれないというものだ。だがしかし、もし覚悟がなければどういうことになるのだろうか。やはり“死”か。訊きたかったがもう済んだことだと思い気が付いた。
「俺、不老不死になったのか?」
するとヴィクトリアは短剣を素早く抜くと彼の喉元を切り裂いた。鮮血が迸り、彼は苦しみで藻掻き暫くすると動かなくなった。
「起きなさいよ、夜だけども」
「っ……俺は一体」
目覚めると喉元に手を当てた。傷口はない。しかし痛みは覚えている。尋常ではない激痛、気の遠くなる景色と記憶。だが生きている。
「なっ……」
地面を見ると血溜まりが出来ており、着ていた服にも血が付いていた。
「君は今日から不老不死だ。そしてボクの僕でもある」
彼女が腕を見るように言い見てみると何か紋章のようなものが浮かび上がっていた。その紋章は小文字のアルファベット、“m”のような形をしていた。
「蠍さそり座の紋章だ。ボクの証でもある」
眼帯を外すと蒼色に輝く瞳の中に蠍座の紋章が確かにあった。これはアーク神族ひとりひとりにあるものだという。
「これが証……これが在る限りお前の僕っていうことだな」
ヴィクトリアは頷く。そして眼帯を付け直すと彼に向かって謝った。
「なんで謝るんだ」
当然の反応を見せる。
彼女は理由を説明した。
「不老不死になるために僕にしてしまって……最初に話すべきだったね」
「何行ってんだ。こうも簡単になれるなら僕だろうがなんだろうがなってやるだけさ」
しかしそれだけ痛みや苦しみがあると夢の中でも言われたことを再び言われてカーサスは流石に怒った。
「くどい! 俺は自分の意志でお前の僕になった。もう何も言うな!」
その言葉の後、彼女は最後に質問をした。それは本当に後悔はしていないか。
「していない」
はっきりと言い切ると彼女は分かった様子で昼間に取ってきた木の実を勧めた。半日以上何も口にしていなかったため空腹を満たすには丁度良かった。
「さて、問題はこの川をどう渡るかだ」
ヴィクトリアが木の実を割って中の実を噛かじりながら言った。
ハーミス川は比較的緩やかに見えるが中心部は逆流しているらしい。その証拠に中心部だけ対岸との色が違っていた。対岸側は深緑色に対し中心部は赤茶色になっている。
「それにこの川、意外に深いんだよ」
水深は最大で200メートルにも及ぶ。近くの岸からうっかり入ると100メートル超えの水深すらあるくらいだ。
「ハーミス川の上流はあのランカスター連峰に続いていて水源は一年中雲に覆われているガリア高地にある」
今は夜で見えないが連峰の奥に1万メートル級のガリアと呼ばれる平らな高地がある。一年中雲に閉ざされ、頂きは雨風により膨大な水が溢れ滝となりハーミス川や様々な水域の源となっているのだ。
「水源の水は美味しいよ。ミネラルが多く含んでそれを葡萄園で使うと美味しい葡萄酒が作れるだ」
ガリア高地の近くには葡萄酒“ガリアテッレ”を造るための広大な施設がワイン公国によって管理されている。但し大元の統治している国はアーク連邦である。
「飲んでみてぇ」
「だけどボクたちには問題がひとつ」
それは不老不死は年を取らない。ヴィクトリアの年齢は17歳であり、酒が飲む事が可能になるためには国によって違うが大体18歳くらいであろう。
ヴィクトリアやアーク神族の僕になると主君と同じ年齢となる。例え100歳で契約しても、中身は老人でも外見は17歳ということだ。つまり、カーサスは17歳のままで一生飲むことができない、ということになる。
「でもお前、美味いって言ってたじゃん」
「公おおやけでは飲めないからね」
「まさか、盗んで……」
「んなわけあるかいな。ちゃんと買ってるよ。少し高いけど裏市で売ってるよ」
それに世界を放浪しながら商人で生計を立てる人たちからもごくたまに売ってくれる時があるそうだ。
「飲みたいなぁ」
「当たり年は星暦100年と123年ものらしいよ」
カーサスの生まれた年が当たり年なんだそうで益々飲みたくなった彼はワイン公国へ行くことを頼んだ。
「ここから公国まで250キロはあるよ。連邦の奥だから山も越えないといけないし」
「俺たちには限られた時間があるわけじゃないし良いじゃん」
「まぁそうだけど。じゃあ、その中途にある街で馬でも買おう」
地図を見せると現在地から北東に30キロ行ったポテという街を指差した。ここで馬と物資を調達して公国へ向かうのだ。
「お金、あるのかよ」
「なければ作るだけだよ」
そうですかと言わんばかりの表情で彼女を見ると腹ごしらえも終わりゆっくり休むことにしたふたり。
ヴィクトリアとカーサスの永い旅は今、始まったばかりである。
〇
「敵襲!」
大きな石造りの倉庫らしき建物の前で甲冑を身に着け槍を持った大男が城壁から侵入する黒い影に向かって槍を放つ。しかしその直後尖った飛び道具が大男の首を貫き絶命、人影は城壁から倉庫までやってくると中を物色する。
仲間の甲冑を身に着けた男たちがやってくるが新手の人影によって悉ことごとく始末される。
倉庫にいた人影が外へ出てくると何かを担いでいる。月の光に照らされたその何かは“123年産ガリアテッレ”と書かれている。
ここはワイン樽の置いてある倉庫であり、この場所こそワイン公国なのだ。
「ガリアテッレは我ら、チンクエ族のものだ。汚れしアーク連邦貴族のものではない」
尖塔に立つ黒服を身にまとい忍者のような格好をした男がそう呟き、仲間が城壁を登りきるのを見届けてから去っていった。
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