第29話 ハウスエッジとリスク
バカラ――それはホロが以前に大博打を打って、そのゲーム性を極限まで堪能させられた半丁博打。
一週間も姿を見せない原因を作った、ホロにとってトラウマなゲーム。
イスに座ろうとしたホロの膝が、かすかに震えてることに俺は気がついた。
「緊張してるのか?」
「緊張……というよりは怯えでしょうか……」
「安心しろ、今日は俺がサポートしてやる」
ホロがリラックス出来るように、俺は強気な言葉をかけた。
あの時のように一発勝負を前にしては、カジノプロに出来ることは何もない。
ただ神に勝負を託し、結果を見守るだけ。
何かできるとしたら、それは
しかし、今日は一発勝負の大博打ではない。
地道に勝利を積み上げチップを勝ち取るのは、俺みたいなカジノプロの領分だ。
「お願いしますね、ツクバ」
俺はそのお願いにシッカリと頷く。
カジノプロは神様ではない。だからお願いされたところで運が悪ければ、どんなに善戦しようと負けてしまう。
それでも……負けた時に傷を浅く済ませるのがカジノプロだ。それくらいの仕事は果たしてみせよう。
もっとも、今日も勝たせてもらうつもりだがな!
ホロがバカラの卓へと座った。
それから自分の手前にチップの山を築く。
バカラは単純なゲームだ。
勝つほうが『プレイヤー』か『バンカー』かを予想するだけで、難しいことは何一つない。
ちなみにもう一つ、
バカラで一番還元率がいいのは『バンカー』の98.9パーセントだ。そして『プレイヤー』の98.7パーセントがあとに続く。
ところが、引き分けのタイに賭けた場合の還元率は約86パーセント。これは日本のパチンコの還元率よりも低い。なのでタイに賭けるなど問題外だ。
「まずは好きなようにベットしてみろ」
「……最初は青チップ1枚にしておきます」
賢明な判断だ。
儲けたいと思う気持ちが強ければ強いほど、多くのチップを賭けてしまう。
しかしそれは、破産のリスクを高める諸刃の剣。
だから欲に走らず最低ベット額に収めたホロの判断は、とても理想的な判断と言える。
「……やはりバンカーに賭けるべきですか?」
「当たり前だ。僅かな差だとしても、自分からリスクを高める必要はない」
「…………」
ホロが押し黙った。何やら逡巡している。
頭のいいホロのことだし、しょうもない事を考えてる訳ではないだろう。
「つまり、還元率が悪くなればなるほどリスクは高まる……ということですよね?」
「そうだ」
「……それがわからないんですよ。私たちはいつ、還元率分のお金を負けているんですか? なぜ、リスクが高まるんですか?」
「ふむ……」
これはとても大切なことだ。
還元率というものを正しく理解するために。
「まず用語から整理しよう。還元率ってのは一回のプレイ辺りで、どれくらいの『損』あるいは『得』をしてるかという平均を示したものだ。還元率95パーセントのゲームで100シリン賭けたら、平均して95シリンになって返ってくる」
ここまでは、ホロも正しく理解している。
だが、その先については理解が追いついてないようだ。
「この取られる5シリンを『ハウスエッジ』と呼ぶ。ハウスというのはカジノのことで、エッジとは有利という意味だ。つまりハウスエッジとは『カジノの有利』という意味で、もっとわかりやすく言えば『カジノの勝ち分』だ」
「ハウスエッジという名前は知りませんでしたが、それについては還元率を教えてもらったときに聞きましたよ?」
「まあ待て。このハウスエッジをいつ払ってるかというのがホロの質問なんだが、毎回払ってる訳じゃないのはわかるな?」
「そりゃわかりますよ。バカラで100シリン賭けて当たったら、200シリンで返ってきます。バカラの還元率は99パーセントなのに、99シリンで返ってくるわけじゃありません」
そう、だからほとんどの人間は見落としてしまうのだ。
数学的に見て、ハウスエッジは確実に存在している。そしてこの『カジノの勝ち分』がなければカジノが運営出来ないのは、小学生でも理解できる。
それをわかっていて、なぜ、ほとんどの人間が見落としてしまうのか?
目に見えない、体感出来ない、だからハウスエッジを軽視してしまうのだ。
いや、ほとんどの人間にとってハウスエッジなど、存在しないのかもしれない。
それは還元率を知っているはずのホロでさえ……
「んでな、ハウスエッジを払う時ってのは――負けた時なんだよ」
もっとも、負けた時と一言でいっても、一試合ごとの話じゃない。
大敗――これ以上はもう勝負できないと、プレイヤーが諦めたときだ。
「まとめて払ってるのさ。今までのプレイ代として全てな」
「そうだったんですか……」
「逆に言えば、負けなければハウスエッジを払わなくていいとも言える。……と、ここまで言えば、リスクが高まるって意味もわかったか?」
「……はい。還元率が悪いってことは、ハウスエッジを払う機会が早く来る……つまり破産のリスクが高いってことですね?」
「そういうことだ」
やはりホロは頭がいい。
ハウスエッジとは『リスク』という目に見えない形で、負債を積み上げている。
見落としがちなソレに、ホロは気付くことができた。そして、より還元率の大切さを知ったことだろう。
「ルーレットからバカラに流れた理由はココにある。同じ金額を使うなら、リスクの少ないゲームに行くのは自然なことだ。リスクが少ないということは、同時に稼ぎやすいという意味でもあるしな」
とはいえ、バカラはルーレットよりも初心者向きではない。
それはルーレットを選んだのとは逆の理由――勝率の低さに由来する。
バカラが半丁博打と呼ばれるように、一試合ごとの勝率はほぼ50パーセント。ルーレットで使ったWストリート5ベット法の81パーセントには遠く及ばない。
「No more bet」
俺たちが話をしている間に、賭けの受け付けが終了した。
ホロは宣言通り青チップ一枚をバンカーへと賭けている。
「3、Q、2、5」
ディーラーがめくられたカードを読み上げながら、カードを配っていく。
プレイヤーに配られたのは3と2で、合計5だ。
対するバンカーも、ゼロ扱いの絵札Qと数字の5なので、合計は5となる。
「プレイヤーにカードを一枚」
バカラのルールに従い、ディーラーがプレイヤーにカードを一枚追加する。
このプレイヤーに追加されたカードによって、バンカーはカードを引くか引かないかが決まるのだが
「4……プレイヤーの勝利です」
今回、ホロが賭けてたバンカーには3枚目のカードが配られぬまま、勝敗が決した。
「負けてしまいました」
「たかが青チップ1枚くらい気にするな。それよりも、ホロはこのあとどう賭ける?」
「……とりあえず青チップ2枚賭けようかと」
「…………」
「……あれ? マズかったですか?」
「いや……」
別に問題はない。
まだ最低ベット額から一枚上積みされただけだ。
ここで勝てばチップ2枚を獲得し、チップ1枚のプラス収益となる。
(だが、そう甘くはないぞホロ)
俺は心の中で忠告をする。
それを裏付けるかのように――悪夢が始まった。
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