第3話 カチカチ山

夜の闇の中を二匹の獣が駆けている。一匹はウサギ。一匹はタヌキ。ウサギは前につんのめるように走り、タヌキは幅跳びを繰り返すように大きなストライドで前に進んでいく。


暗闇の中、聞こえるのは二匹の獣の息づかいと、一匹の走るリズムに合わせて鳴り続けている奇妙な音のみ。

 

 ぽんぽこぽんぽこぽん!ぽこぽんぽこぽこぽこぽこ!ぽこ!ぽこ!ぽんぽんぽこ!ぽこ!ぽんぽんぽんぽこぽこぽこぽん!ぽん!ぽん!


「ちょっと、うるさいわよ! まじめに走りなさいよ!」


「まじめですよ!タヌキはまじめに走るとこういう音が出るんです!」


「うそよ!」


「本当ですよ!」


「走ってる時にお腹からそんな音が出るはずないでしょう!」


「それが先入観なんですよ!タヌキと言えばいつも土手っ腹をぽんぽこ叩いてると思ってるでしょう!違いますからね?」


「じゃあどっから出てるのよ?」


「関節です」


「関節?」


 二匹が目指しているのは、村のはずれにあるとある民家。数日前まで老夫婦が二人で住んでいたが、女が死んで今は年老いた男の一人暮らしだという。


「間に合うかしら」


「ええ。あちらさんは僕らが真相に気が付いたことを知らない。多分、今夜中に始末をつければよいと考えているでしょう。このペースで走ればおそらく間に合います」


「私、未だによく分かってないんだけれど、結局、何が起こったの?どうして私の義理の兄のいとこの妻のはとこのウサギは殺されてしまったの?」


「改めて聞いても本当に薄い関係性ですね……。でも確かに、それは向こうに着くまでに知っておいた方がいいかもしれません」


 そう前置きをして、タヌキは話し始めた。


「一連の事件には二名の犠牲者がいますが、あなたの、えー義理のお兄さんのいとこのはとこ、のウサギさんが殺害された事件はまだ公にはなっていません。なので、世間一般にこの「事件」の「被害者」とされているのは一名。今向かっているお宅に住んでおられた老婦人です」


「で、加害者とされているのが、あなたの、えーっと、親戚?のタヌキでしょ?」


「はい。正式には祖母の弟の後妻の連れ子の娘の旦那の兄の息子です。まぁ遠い親戚です。そして、世間一般に理解されている事件の概要はこうです。

 私の祖母の弟の……ややこしいのでタヌキと呼びましょう。タヌキは普段から被害者の老婦人と顔見知りの関係にあり、たまに餌をもらうなどしていた。しかしこのタヌキは実は邪悪な心の持ち主で、ある日老婦人を殺害してしまった。その上、殺した老婦人に化けて、帰宅した夫に「タヌキ汁を作った」と嘘をついて老婦人の肉の入った汁物を食べさせた。その後に変化を解いて真相を教え、うっかり妻の肉を口にしてしまった夫をあざ笑ってから逃走した」


「これが本当ならひどい奴よね」


「ええ。続けます。妻を殺害された老人はタヌキへの復讐を誓いますが、恨みを持っていることを相手に知られているため、自分では敵討ちの実行が難しいことを悟ります。ここで老夫婦と普段から懇意にしていた、あなたの親戚のウサギが登場します。彼は敵討ちの実行を決意し、タヌキに対して攻撃を仕掛けていく。まず、タヌキを薪拾いに誘って、相手が後ろを向いている隙に、背負った薪に火打ち石で火を付け、大やけどを負わせます。この時、火打ち石の音や背中の薪が燃える音を不審に思ったタヌキに対して「ここがカチカチ山だから」「ここがボウボウ森だから」と言ってごまかしています」


「これでごまかされる方もどうかと思うわ」


「それに関しては後で話します。ウサギの策謀によって背中に大やけどを負ったタヌキですが、ウサギは攻撃を続けます。タヌキの傷が癒えぬうちに彼の家を訪れ、薬と称してからしを塗りつけて悶絶させます。さらに、ある程度回復した頃に今度はタヌキを釣りに誘います。タヌキはウサギを疑うこともせず、その誘いに乗り、その上ウサギに勧められて泥の舟に乗って池に漕ぎ出します。当然、泥の舟は途中から溶けて沈んでしまい、水中に投げ出されて助け求めるタヌキをウサギは櫂で殴って水に沈めて殺し、復讐は完了した。というのが事件の表向きの姿です。

私は、この事件の話を聞いていくつか疑問を持っていました。あなたもそうではないですか?」


「ええ、そうね。さっきも言ったけど、ところどころ……なんて言うか、普通だったらあり得ないような愚鈍さを主にタヌキが見せている箇所があると思ったわ。まあ、でもそれはタヌキがあり得ないくらい愚鈍だったってことなんでしょうけど」

「ええ。みんなそう考えました。だいたいこの話においてタヌキは完全な悪者です。誰だって無意識のうちに悪者は愚かであってほしいと願っているものです。私もそういうものかなと思っていました。あなたの話を聞くまでは」


「私の親戚の、つまり敵討ちを果たしたウサギが、タヌキを殺した池で亡くなったって話ね」


「ええ。それも何者かに殺された形跡があるという話でしたね」


「それで、この事件の真相はどうなっているの?何かおかしな事が起こってるんでしょう?」


「ええ。それを知ってもらってから、と思ったのですが」


「ですが?」


「もう着いてしまいました」


 数十メートル先に一件の民家が見える。窓からかすかに明かりが漏れているところを見ると、まだ家主は起きているようだ。


「では近づきましょう。ゆっくりと、慎重に」


「なぜゆっくりと?」


「関節が鳴るとまずいので」


 二匹の獣が民家の裏手までやって来た時。玄関口の方から戸を叩く音と「ごめんください」という声がした。


「まずい。もう来た」


「私たちが追っていた犯人?」


「ええ。急いで玄関の方に回りましょう」


「そうね。ってあなたもう少し速く動けないの?」


「関節が鳴るので」


「うっとおしい体質ね」


◇ ◇ ◇


 老人はろうそくの光の下でわらじを編んでいた。その時、外から声が聞こえた。

 こんな夜中に誰だろう。

 疑問に思いながらも、老人は玄関に向かい、戸を空けた。

 そこに立っていたのは、一匹のウサギだった。


「なんだ、うさぎどんか。どうした。こんな夜更けに。この前はタヌキの件、ありがとうよ。まま、とりあえず上って、茶でも飲んでいきなよ」


 その言葉にうさぎは答えなかった。黙って後ろ足で立つウサギの前足には、舟をこぐ際に使う太い櫂が握られており、そして、その先は赤黒く汚れていた。まるで大量の血を浴びたかのように。


「おい、うさぎどん。それは、一体」


「あぶなーーーーーーーーいっっっ!!!!」


 ぽんぽんぽんぽこぽんぽんぽんっっっ!!!!!


 その時、どこからともなく奇妙な音と声がしたかと思うと、目の前のウサギが真横に向かって吹っ飛んだ。何者かが側面から体当たりをく食らわせたらしい。


「おじいさん!離れてください!こいつは、あなたを殺す気です!」


 ウサギに体当たりしたそれは、老人をかばうようにその前に立ちふさがり、よろよろと立ち上がるウサギをにらみつけた。ウサギは体当たりされた箇所をさすりながら立ち上がり、妙に迫力のある目つきでタヌキを見た。


「……何を言っているんですか? どこのタヌキか存じませんが、恐ろしいことを言いますね。あと、あなたの方こそ暴力はやめていただきたい」


 困惑しているのは老人も同じだった。


「何だ。一体どういうことなんだ。あんた何者だ、タヌキ。うちの女房を殺したあのタヌキとは違うようだが。なんで俺の恩人、いや恩兎をぶっ飛ばしたんだ? 」


「最初に疑問を感じたのは、死んだタヌキの知能レベルに一貫性がなかったことです。おばあさんを言葉巧みに欺き、殺害し、さらにそのおばあさんに化けておじいさんをも欺き、絶望させる。その行動は悪質きわまりないが、決して愚鈍な者にはできない所行です。しかし一方で、復讐される側になるとカチカチ山の一件でも泥舟の一件でもタヌキはあまりにも愚かだった」


 タヌキの演説をウサギは黙って聞いている。時折、手に持った櫂を握り直したり、舌で鼻の頭をなめたりしながら、その目はまっすぐにタヌキの方を見ていた。


「ならば、タヌキの知能レベルを一定だと考えると、どのような解が導き出せるか。そう考えていたところにもう一匹のウサギどんから情報がもたらされた。"敵討ちのウサギが何者かによって殺されていたことが分かった"。私の出した答えは、こうです。今ですウサギさん!」


 その時、ウサギの後方から、先端が輪になった縄が飛んで来てウサギの胴体にひっかかり、そのまま間髪入れずに後方に引き戻された。


「くっ、何をっ」


 不意を付かれたウサギはかろうじて転倒することはなく、バランスを崩しながらも自ら後方に移動することで体勢を保とうとした。その時。


 ぽんぽこぽんぽこぽこ!


 夜の闇の中で奇妙な音が響いた。


「おじいさん、ご存じでしたか。タヌキはね、関節に負荷をかけるとぽんぽんと陽気な音が鳴るんですよ」


「そ、それはつまり」


「ウサギさん。あなたはウサギではない。あなたはウサギに変化したタヌキだ。"カチカチ山のタヌキ"は死んでなどいなかったのです」


 次の瞬間、目の前のウサギの輪郭がぼやけ始め、低い「どろん」という音がするのと同時にその姿がタヌキに変わった。


「おじいさんの仇討ちの計画を既にタヌキが察知していたと考えると、全てのつじつまが合うのです。タヌキには"変化(へんげ)"という飛び道具がある。これを使えば、山でウサギにまるで自分の背中に火がついているように見せることも、その後火傷したように見せることも、舟の上で油断しているウサギを突き落としてその櫂で撲殺した後にウサギの姿で岸に戻ることも可能です。そして、ウサギを始末した今、タヌキが向かうとすればここ以外には無い」


「俺を、始末しに来たってわけかい。その櫂でもって。畜生……!」


 素早い動きで老人が懐から棒状の物を取り出した。それはすぐさま鞘から抜かれ月の光を反射して光る。短刀だ。


「殺してやる!ばあさんの仇だ!仇じゃない方のタヌキ、お前さんも手伝え!後ろで縄を投げた仲間も手伝ってくれ!三人がかりなら勝てる!わしは差し違えてでも貴様を殺すぞ!さあ!一網打尽だ!!!!」


「……差し違える気なんて無いくせに」


「何?」


 "カチカチ山のタヌキ”の後ろから声がした。そして後方の茂みの中から、前足に縄を持ったウサギが顔を出した。


「タヌキさん。あ、血塗れの櫂を持って縄に引っかかってるカチカチ山のあなたじゃなくて、さっきからかっこいい推理を披露してるタヌキさん。こっちに来て」


「な、君は何を」


「いいから!そこの血みどろの櫂のタヌキのところまで来て!」


 その勢いに飲まれてウサギに駆け寄るタヌキ。ウサギも茂みから出て"カチカチ山のタヌキ"の傍らに移動する。

 一人の老人と三匹の獣が相対する形になった。


「うさぎさん。これは一体」


「あなたの推理を聞いて私も閃いちゃったのよ」


「閃いた?」


「まずは疑問。そしてその解」


「疑問?解?何を言ってるんですか。この推理にこれ以上どんな謎があると? 」


「あるわ。まずは疑問。"なぜタヌキはおばあさんを殺したその場でおじいさんも殺さなかったのか"」


「……!!」


「タヌキはおばあさんを殺害し、その肉をおじいさんに食べさせた。その結果、おじいさんに恨まれ、敵討ちのウサギを差し向けられるも、それを殺害。そして元凶のおじいさんを殺すためにここに現れた。だとすれば疑問が残るわ。なぜ最初におばあさんの肉入り汁を食べさせたその場でおじいさんを殺してしまわなかったのかしら?」


「それは、その時は、後々恨まれるって気づかなくて」


「タヌキはそんなに愚鈍じゃないって言ったのはあなたよ」


「確かにそう言いましたが」


「そこから疑い始めると、いろいろとおかしいことが出てくるわ。そもそもタヌキはおばあさんに餌をもらったりして、可愛がってもらっていたんでしょ。そこで突然おばあさんを殺す動機は何? "邪悪だったから"が理由だとしても、なぜそこまでは偽りの姿を見せておいて突然邪悪さを表したの? おかしいことだらけなのよ」


「おかしいのは分かりました。それじゃああなたは、どんな解にたどり着いたっていうんですか? 」


「簡単よ。あ、でも真相は8割あなたの推理通りだと思うわ。ただ、スタート部分が違うだけ」


「スタート部分? 」


「あのね、"タヌキは最初からおばあさんなんか殺していない"のよ」


 小さな沈黙が流れた。


 やがて、血塗れの櫂を持った"カチカチ山のタヌキ"がぼそりとつぶやいた。


「よく気付いたな。嬢ちゃん」


「ちょっとまってください。それじゃあおばあさんを殺したのは一体」


「そんなの、決まってるじゃない。……ありきたりな話よ? 」


「……!?」


 三匹の視線が一人の老人に集まる。短刀を握りしめ、目を血走らせて、ことの成り行きを見ていたその老人は、大声でがなり立てはじめた。


「う、嘘だ!何をでたらめを言うんだ!騙されるな!そのウサギもグルなんだ!何を根拠にそんなことを」


「証人ならここにいるがな」


 "カチカチ山のタヌキ"が静かな口調で言った。


「その日、俺はいつも通り餌をもらおうと、この家に来た。近くまで来ると中からじいさんとばあさんの口げんかが聞こえてきた。ここのばあさんは優しいが、思ったことを隠さずにそのまま言うもんだから、よくじいさんと口げんかになってたんだ。これは後で出直すかと、引き返そうとしたら急に口げんかの声が聞こえなくなった。変だと思って中を見てみたら……」


「嘘だ!でたらめだ!畜生どもが適当なことぬかしやがって!」


「親戚のことを悪く言うのは嫌だけど、殺されたウサギは決して誉められたような暮らしはしていなかった。恐らくは金を握らされて、タヌキ殺しを依頼されたんでしょうね」


「ああ。俺が頻繁にばあさんのもとに通っていたことを知っていたじいさんは、俺に罪を着せて殺してしまうことを考えついた。刺客のウサギはカチカチ山でひと思いに殺しにくるかと思っていたが、そうはしなかった。おそらくおばあさんの敵討ちに奮闘するウサギの話が村人の口の端にのぼるのを待ってから殺す計画だったんだろう。誰にも知られないまま俺を殺してしまえば俺に罪を着せたことにはならないからな」


「……黙れ!黙れ黙れぇぇぇ!!!」


 老人の絶叫が響いた。老人の中で、何かが崩れたらしい。もう目の焦点も合っていない。


「あの女がいけないんだ!いつもいつも、俺をこけにしやがって!亭主は俺だぞ!ああいう手合いは力で分からせなきゃいけねえんだ!」


「何を威勢のいいことを。いつも言い負かされてシュンとしてるてめえが亭主だ?力だ?笑わせるな。あのときも苦し紛れに慣れない暴力振るって殺しちまったんだろう。小物が」


「畜生!!好き勝手ほざきやがって!畜生!もういい!殺してやる!!!!お前らみんな殺してやる!!殺してやる殺してやる殺してやる!!!!」


 老人が突進してきた。手にした短刀をめちゃくちゃに振り回しながら。とっさにウサギとタヌキは左右に散った。しかし、"カチカチ山のタヌキ"は動かない。


その胴には、彼の動きを封じる縄がしっかりと絡みついていた。


「死ねぇぇ!!」


 老人の短刀がタヌキの腹部を貫く。同時に、タヌキの櫂が老人の胸に突き刺さった。


◇ ◇ ◇


「……あんたらのせいじゃない」


「もうしゃべらないで」


 二匹が駆け寄ったとき、老人はすでにこときれていた。しかし、"カチカチ山のタヌキ"にはまだ息があった。


「しかし、どうせ、もうすぐ死ぬ、はずだ」


「そんなこと言ってはダメです。希望を」


「希望、なんか、ない」


 "カチカチ山のタヌキ"は力なくつぶやいた。


「あのばあさんが、死んだ時点で、俺には、この世に、希望なんか、なくなった。俺はもう、死んでたんだ。幽霊だったんだ。それがいま、恨みはらして、成仏する。それだけさ。だか、ら、あんたらの、せ、い、じゃ……」


 その言葉の続きを口にしないまま"カチカチ山のタヌキ"は静かに息を引き取った。


 その夜、二匹の獣が一匹の獣を火葬にした。


 涙で湿った火打ち石にはなかなか火が着かず、夜の静けさの中に「カチカチ、カチカチ」と、石を打つ音が何度もこだましていた。

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