第2話・とある夏の始まり

「中学二年の夏休み。最後の思い出は、最終日の八月三十一日に小学一年生の妹を連れて夏祭りに行ったことだ。屋台で所持金が大幅に削られ、妹が『らいしゅうのおわりにはなびたいかいがあるからいっしょにいこうね』と無邪気に言うのでどうにかごまかした、という他愛無いことがあったくらいだが」


 その、他愛無いことが鍵になるなんて。

 八月三十一日の『らいしゅう』は今週あたりで、その『おわり』といえば九月十日か十一日、つまり明日だ。

 簡単な論理的思考もできなかった僕だが、榊さんは責めてきたりはしなかった。

「花火大会、ですか。確かに『晴れ』が重要ですね」

 花火大会が行われるのはここから数キロ離れた河原だ。隣町からも人が来て、屋台も多く並ぶ。その川にかかる橋の竣工日が九月十日なのだ。

それらの情報は伝えたが、まだ首を傾げる榊さん。

「私は知らなかったですけど。いや、もしかしたら去年は知ってたのかもしれませんけど、一人で大勢の中に入るのはあまり好きではないから、どちらにしても行かなかったでしょうね」

 ちなみに僕も行ってない。

 友達がいないから、ではない。断じて違う。

「花火大会の中での、『勝負』。コーラ早飲み大会とかですかね」

「そんな答えで当たってたら、僕はきみを崇拝するよ」

「冗談ですよ。……ん、当たる?」

 軽い掛け合いだったのに榊さんは何か引っかかったらしく、そのまま考え込んでしまった。こういう状態の榊さんの邪魔はしないほうがいいので、言葉が返ってくるのを待つ。

 昼休みはもう半分過ぎている。残り時間で終わるのだろうか。

「時男くん。ここまで私たち、『勝負』とは戦いのことだと思い込んでましたけど。よく考えたら、当たるか外れるかの賭けのことも『勝負』とは言いますよね」

「そりれは、確かに言うけれど」

 考え込んで出てきたのは別の可能性だった。選択肢が増えると面倒臭くなる。

 それにしても、賭けか。確かに『勝負』ではあるが、花火大会まで絡んできている今、戦いであっても賭けであっても、さらに分からなくなるだけだった。

「賭けだとしたら、友達から心配されるほどの大きな賭けなんだね」

 とりあえず、思いついたことを言ってみた。

「賭け……。そういえば『人生がかかっている』とも言ってましたね。人生がかかっている賭けとは例えば何でしょう」

「いや、僕に聞かれても」

「じゃあ、賭けじゃなくていいですよ。人生で大事な局面とは?」

 少し考える。記憶を探る以外は凡人な身なので、発想力もそれほど高いわけではないが。

「色々あると思うけど。誕生、入学、卒業、就職、結婚、出産、子育て、退職、……死」

 最後の言葉は、自分で言っていて嫌になった。この話に死が絡んで来たら、一体僕らはどうすればいいのだろう。

 榊さんもそう考えたのか深刻な顔つきに……いや、違った。

 目を、瞑っている。

「榊さん」

 声をかけるが、案の定、聞こえていない。完全な集中状態だ。そして榊さんの場合、この状態に入ったということは真相までたどり着くための材料が揃ったということである。

 榊さんと僕は、違う方向性の異常な頭脳を持つという点で共通しているが、スタイルも似ている。目を瞑って、しっかり集中することで本領発揮に至るのだ。

 彼女の思考方法は専門用語では、水平思考とも言われる。一つ一つを順番に考えるさっきの方法ではなく、情報を組み合わせ、見方を根本的から変えるというもの。推理小説の名探偵などは、この方法が得意である場合が多いらしい。

 賢き、榊樫子さん。


 数分後。突然パッと目が開いた。

「分かった」

「分かった?」

 いつものことながら、天才的過ぎて驚いてしまう。

「真相が分かったってことだよね」

「はい、分かりました。でも少し待ってください」

 手を出して制してきた。もちろん、逆らわず待つ。

 そこからさらに一分経ってから、言葉を選ぶようにしながら、彼女は結果を報告する。

「これは確実ではないです。間違っている可能性もまだ残っていますし」

「いや、それは仕方ないよ。どんなミステリーの中の推理も、百パーセント真実をついているとは言い切れないしね」

「ということでこの推理は、この瞬間に話し手も完成しないので話しません」

「え」

 これは、予想外。今までには、なかった。

 真相は、おあずけらしい。

「明日、この目で吉良先生が何をやってるかを確認しに行きます」

「はあ」

 行くのか。推理した意味はあったのか。というか、これでもう終わりなのか。

「じゃあ……がんばって」

 拍子抜けしたまま、僕には応援することしかできなかった。、

「何言ってるんですか。時男くんも一緒です」

 と、榊さんから怒ったようにしながら言われた。しかし、僕は展開が目まぐるしくて反応できなかった。

「明日二人で、花火大会に行きますよ」


 現在、九月十日。不思議なほど輝いている夕焼けを横目に、僕は通学路を進む。

 ラブコメディみたいな展開、ではない。正直に言うと、榊さんと出かけたことは何度もあるのだ。

 内容は消えた紙袋の捜索や、コンビニを回っているのに何も買わない女の追跡など。簡単に言えば、それも榊さんの好きな推理のためだったのだが。これらの真相はまた後日に。

 しかし、二人だけでこういう……青春の場に行くというのは初めてだったため、少なからず緊張したのは事実だった。

 ちなみに推理が延期され数分残った昼休みは、花火大会の待ち合わせについての話し合いに費やされた。

 土曜日、校門前。午後六時半に集合。

 ということで、もう校門が見えてきた。

「時男くーん、こっちです」

 校門前の人影から、高い声が聞こえて……き……た……?

「え、ええ?」

「何か変ですか?」

 変、じゃないよ。変、じゃなくて。驚きつつも、社交辞令で応じる。

「……浴衣、似合ってるよ」

 彼女が着ていたのは、藍色の浴衣だった。裾のほうには蝶々があしらわれていて、とてもよく似合っている。藍色、というのも榊さんのクールな雰囲気に合っていた。

「ありがとうございます。それでは、行きましょうか」

 歩き始めた彼女の後ろを慌てて追いかける。

 ここから出店の並ぶ河原に向かう。僕は自転車は持っているが、彼女は持っていないので歩いていこうということになった。

 少し時間もかかるので、何か言おうと思ったら先に榊さんが口火を切った。

「吉良先生が何をするつもりなのか、情報を整理してみます。静かに聞いていてください」

 榊さんはここまでに出てきた情報を一気に並びたてた。記憶はしていたが、整理するということでよく聞いておいた。


 先生は今日、勝負をする。そして結果は、友達から心配されるくらい重要である。人生がかかっているくらい。

 先生は、何か大事なものを持ってくる。それは慎重に扱うべきもの。

 あと、日付と今日が晴れでないとうまくいかないということから、花火大会で何かをするということが分かった。また、去年の花火大会も関係していると考えられる。去年は楽しみにしていたが、今回は真剣に臨むようだ。

 さて、真相は?

 

「ところで昨日、最後に時男くんに挙げてもらった人生の大事な局面ですが、先生の今の年齢や状況には、その中のほとんどがあてはまりません」

 情報整理のすぐ後に話題が切り替わり、人生の局面についての考察が続く。

「学生じゃないので入学や卒業はしませんし、就職もちゃんとしています。例外で退職という可能性もありますけど、生徒からの人望も厚いあの気楽先生なら特に問題もないでしょう。出産や子育ては結婚していないので、できません。死は……さすがにありませんよ。はっきり言って、『楽しみ』にしていたり、『花火大会』が関係しているのでそうそうネガティブな結論にはならないと考えました」

 死が関係していないということにほっとすると同時に、消去法で残った項目に気付いた。

「残ったのは『結婚』です。この可能性も潰れるかな、と思いましたが違います。これこそが真実への道でした」

 歩き続ける中、そして夕日がもう沈むという中、彼女の推理披露が佳境に入る。

「先生の行う一世一代の『勝負』、慎重に扱うべき高価な『あれ』、今日は大切な日、そして青春の場ともいえるこの『花火大会』。キーワードの『結婚』これらを総合した結論は」

 まるで名探偵のように、溜めて、溜めて、溜めてから、その真相を一言で言った。

「真相は――プロポーズです」


 榊さん曰く、会話の真意はこうだ。

 『勝負』はプロポーズが成功するかの賭け。

 『あれ』は指輪。電話相手の友人に手に入れてもらったものを受け取るのだろう。

 そして、去年もここでデートをしたため今日をプロポーズの日に選んだのだろうということ。また、榊さんは今日という日付についてこう語った。

「今日は二人の交際記念日かもしれないです。時男くんの記憶にありましたが二人が付き合い始めたのは『一昨年の九月』でしたよね。その告白もここでやったと考えればつじつまは合います。でも、付き合い始めて二年目の日に、花火大会の中、指輪まで持ってきてプロポーズするなんて……羨ましいですね」


「少し待っててください」

 屋台の列の入り口に着いたときに、榊さんが申し訳なさそうに言った。そしてそのまま、近くの公園まで駆けて行ってしまったのだ。

一瞬戸惑ったが、トイレに入っていく姿を見て意図を察した。

 なかなかの人ごみの中、一人になった。特に何もすることはないので、近くの木に寄りかかって、少し考え事をする。

 今日の、本当の目的について。

「僕はね、榊さん。推理なんかに付き合いたいんじゃないんだ」

 独り言として、呟く。

「榊さんと、付き合いたいんだ」


『僕の場合は、目標があるんだ』

『へえ。どんな目標なんですか』

『ええと、榊さんと付き合うことなんだけど』

 そんなやり取りで、不自然なほど自然に告白するはずだった昼休みは、突如出現した謎に妨害されチャンスを失った。まあ、少し唐突すぎて驚かれてたかもしれないので、良かったのかもしれないが。

 しかし、今日こそは言うつもりだ。実際、心の準備をずっと続けてきたせいで緊張を全くしていないほどなのだ。

 言うのだけなら楽だ。状況さえ整えば。

 だからこの花火大会という場を設定されたときは、神のおぼしめしだと思った。こういう青春の場で告白できたらロマンチックになるんじゃないだろうか。神と榊さんに感謝しなければ。

 確認なんて知るか。僕は、青春をするんだ。

 ……あ。

 いや、そんな……まさか……。

 暇潰しの思考の中で、不意に浮かんだことがあった。推理でもなければ推測でもない、ただの妄想なのかもしれないが。

 僕と榊さんは脳の発達方向が違うにもかかわらず、性格や考え方は似ている。一人を好み、冷静に対応する。感情が表に出にくく、あまり緊張をしない。

 だからと言って、向こうが僕のことを好きでいてくれるとは限らない。それは分かっている。

 しかし。

 もしも、万が一、榊さんが僕のことを好きでいてくれたとしたら。

 榊さんも告白しようと思うんじゃないだろうか?

 よく考えてみると、おかしいところもある。僕がさっき聞いた推理は完璧だと思うのに、確認する必要はあるのか。あと浴衣を着てきたのも驚いた。似合っていたけど。

 そして、真相である『プロポーズ』。これがきっかけとなって、花火大会で告白するといいう好条件を思いついたのではないか。

 ……なんてね。以上が、妄想だ。

 二人が同じことを考えるなんて、小説の中でしかありえない。それに何か別のことをひらめいたのかもしれない。前提となっている両想いという時点で怪しいのに。

 ……じゃあ、なんで告白するのか。

 決まってる。夏は奇跡を起こしてくれるからだ。根拠はない。ただ、青春の季節ともいえる夏なんだから、青春真っ盛りの僕らを後押ししてくれるだろう。そうでなきゃ困る。

 榊さんが帰ってくる姿が見える。浴衣に見とれながら、僕は呟く。

「夏は奇跡を起こしてくれる」

 さあ、始まるぞ。僕だけの『夏』だ。

 

 夏休みは終わった。夏が終わったとは言えないけれど。

 だから、僕の恋も終わらせない。

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夏は奇跡を起こしてくれる ノグチソウ @clover_boy

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