ドニ、きみの歌う歌は

merongree

口閉じてきみに銀河をおくる夢

 さあドニの番だ、と零助は促した。その声には、彼が手加減して子供の頬を叩く時の労わりが既に滲んでいた。少年の列はドニで最後だ。

 ドニと呼ばれた少年は、この辺りで虐められる元になる縮れた髪を垂らし、ようやく掛かって外套のポケットのボタンを剥がした。彼の指が離れた途端、黄金色の金属が辺りに散らばった。

「嘘だ」

 気の早い少年は、地面に転がった夥しい金貨を数える前から「負けた、」と口にした。それは遊びか窃盗しかすることのない少年たちにとっては「死んだ」と同じ単語だった。実際、彼ら同士の会話では、これらは同じ単語で通じた。

「ひいふうみい……足りてる。君が『銀河』だ、ドニ」

 だが今回のゲームの勝者に、彼らの多くは異議を唱えた。

「げえ、ありえねえ」「ドニに取られた」「ズルしたんだろ」「ギッたんだ絶対」

 零助は合図の手を上げて子供たちを制した。

「じゃあ君たちのルールを確認するよ、盗むのは?」

「ありー」

「殺しは?」

「なしー」

「じゃあドニ、俺と話をしよう」

 そう言って零助はドニの白い手を引いた。貧しい男たちは裸で過ごすことも多いこの暑い国で、この少年だけはどこから拾ってきたものか、ぼろの外套などを着ていた。零助は初め、この変わった少年の洒落気のようにも捉えたのだが、時折袖口から覗く、顔よりも白い皮膚を見て考えを変えた。縮れた髪、彫の深い顔立ち、まるで病の斑点のように、ドニにはこの港にはない特徴が見られた。

「ダーなら一回、ニェットなら二回、だよ、覚えてるだろ」

 そう言って零助は大人の男にするような握手を、この外套の少年とした。彼は生来の身体的特徴に加えて、声を発することが出来ないために、他人とは合図でしか話せない。そのうちの大半は、零助がここに来てから考えて与えたものだった。

「殺しは?」

 少年の目は早くも陰った。零助はまさかと思い、周りにいる子供たちの視線を案じて、ふざけるように少年の手を握りしめた。もう片方の手を重ねようとすると、ドニはするりと中指を抜き、握りしめている零助の掌の内側を摩った。あるところでふと指を止めた。

「どうした、」

 と零助がつい顔を覗くと、長く垂らした髪の間から、明らかに血の匂いのする目つきで見返してきた。この辺りでは少女が八歳で覚えることが珍しくない目つきを、この少年はどうしてかこの三日で身につけてしまっていた。

 彼は零助と目が合った瞬間、相手の親指と人差し指の間を鋭く抓った。

「痛たたた、……次、盗みは?」

 ドニは満足げに口の端で笑うと、後は零助におもねるように否定の合図を繰り返した。見物していた子供たちは退屈さに耐えかねて街の方へと消えていった。


 深夜になると、路上では海風に晒されて身体が冷える。零助は自分で集めた半紙や、読めない新聞紙を身体に巻きつけて深く眠りに沈もうとした。

 ふと口のなかに、冷たい石のような感触が来た。口のなかに現れた冷たい抵抗同士が歯にぶつかり、どうやら夢ではないらしいと知れた。

「ドニ、」

 零助はなぜかはっきり見ないうちに、今自分に覆い被さっているのが、顔見知りの女でなく彼だと分かった。外套を頭から被り、彼なりに人目を避けているつもりらしかった。零助が身体を起こすと、いつの間にか襟や胸に零れていた硬貨同士がぶつかった。

「君のか、」

 零助はそのうちの一枚を拾った。かつてここを植民地にしていた国の、縮れた髪の妃の怜悧な銀色の横顔があった。朝に彼が外套から出したのは金貨だったが、どうやら金貨だけで勝てると踏んで隠していた分がこれだけあったらしい。

「どうしたんだよ、こんなに」

 そう言うと、ドニは返事する代わりに、零助の首を抱きしめて、まだ口に含んでいるらしい銀貨を口移しで押し込んできた。

「ドニ、……じゃなかった『銀河』、『雷鳴』と『吹雪』は? 君はもう勝ったんだ、あいつらのボスだろう? 部下はどこへ置いてきた?」

 ドニは構わずに零助の唇を指で押さえ、二本の指を使って無理に開かせてきた。強引な割に、その手つきには、既に知っている手順を辿るような冷たさがあった。零助は日頃大人しい少年の変化に、鮮やかな火傷の痣を見たような思いがし、引き下がって彼の唾液に濡れた銀貨を受け入れた。

 遊びのなかでルールが変わることは、子供たちの間でよくある。ドニが舌の先で銀貨を操り、押しつけるのみならず、時に素早く奪い返すのをみて、零助は初めて少年としての彼にぶつかったような気がした。彼はしばしドニに対する想像を中止して、前歯で銀貨を噛んで奪われるのを妨げたり、わざと身体を抑えたりして、ドニがこの三日で覚えてきた奇妙な遊びの相手になった。

 やがてドニが同意を促すような目つきをしたが、零助は黙殺した。少年が首に手を回してしがみついてきた時、零助は「連れてかないよ」と言った。その時船が鳴くように汽笛を発した。恐らく少年は、船の出発時刻まで調べて来たのに違いない。

「仲間のとこに帰りな、銀河」

 零助がそう言ってドニの外套の背を叩くと、彼がまだ隠していた銀河に触れた音がした。

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