第4話 殺意
ラディアとシュバルツの二人組からパーティに入れてもらい、三人パーティを結成したその日の夜、宿舎はラディアにとってもらって、同じところに泊まることになっている。その前に、少しだけ町をぶらついてみようと一人で歩いている。度々、視線を感じてなんだか気持ち悪い。
もしかしたら、転生したせいで変わってしまったこの容姿のせいかもしれない。
「居心地悪そうだね」
「まあ、仕方ないですよ」
ふと、話しかけてきた声に反射的に返答したが、思わず振り返った。白髪に灰色の肌、両方とも紫っぽく変色した部位の見られる少女。彼女を見た瞬間に、少し耳鳴りがした。嫌な存在を見てしまってストレスでも溜まったのかもしれない。
「……何か用ですか?」
「餌の様子はどうかなと思ってね」
アリアを転生させた存在、ルルフだ。
「てっきりあなたは邪悪な存在だから、こういう人目につくところには来ないと思ってました」
「異世界の人間を女神として転生させる力のあるやつが、人目程度は気にしないよ? それにしても、もう仲間ができたのは早いね」
「それがなんなんですか?」
苛立って、語気が強くなる。そんなアリアの様子を見て、満足そうにルルフは卑しい笑みを浮かべる。だんだんと、ルルフと話していると腹立たしくなってくる。
「――君の仲間、死なないといいけどね」
「――っ!?」
「私が邪悪な存在だって言ってたじゃない? その通りで、そんな私に転生させられてしまったあなたにはその影響が色濃くでちゃうの。そのせいで、君はこれからも不幸なことばっかりに巻き込まれちゃうんだ」
「……」
ルルフのせいでどこにいようと不幸に巻き込まれるなんて、呪いと言うのが一番ふさわしいだろう。これを解く術なんてものをアリアは知っているはずがない。ただ、もしかしたらルルフを倒せば解けるのでは、という考えがふと頭に浮かぶ。
「おっと、怖い怖い。そうやってすぐに誰かを殺そうとしちゃいけないよ」
「そんなこと考えてないですよ」
「嘘をついてもわかっちゃうんだなあ。だって君下手だもん、殺気の隠し方」
「……」
無意識のうちに、ルルフを殺せばなんとかなるだろうという考えが殺気となって漏れていたらしい。
「君が生に強く執着してるのは知ってるけど、そこまで容赦ない考えをしてるなんてね、予想外で面白いよ。面白いから、一つだけいいことを教えてあげるよ」
「……何をですか?」
「君は私のせいで不幸になってしまったけれど、私の加護だってちゃんとあるのさ」
「加護……?」
「本来、魔法はイメージだけでいい。でも、魔法にするほどのイメージってのは案外難しい。魔法式や魔方陣、詠唱ってのはその補助のためにも使われてる」
「まあ、そうですね」
この世界では常識の範疇のことだ。当然、アリアだって知っている。
「ただ、詠唱はともかくとして魔法式と魔方陣は普通は勝手に思い付くものじゃなくて、ちゃんとそれぞれの文字とかがどういう役割を果たしているか理解しないといけない」
「……」
アリアの使ったことのある魔法はすべて頭に魔法式が思い浮かんでいたものばかりだ。ルルフの話と矛盾する。
「君が回復、防御魔法を使うときにそういうことが必要ないのは女神だからだ。女神ってのはみんな、そういう魔法を使うときにだけはあらゆる恩恵を受ける。他はからっきしな代わりにね。でも、君はどんな魔法でもどういうものかわかったら、魔法式が思い浮かぶの。それが私の"加護"ってやつ」
「……だから、なんですか? 私は女神だから、攻撃魔法でもどうせろくに使えませんよ」
「君、私の使った"ベノム"がどういうものか見たでしょ? というか、どういう魔法かもわかってるでしょ?」
あの濁った紫みたいな色をした煙を発生させる魔法のことだ。名前やあの見た目からして毒の霧みたいなものを発生させる、というものだろう。
「でも、あれも攻撃魔法ですよね?」
「あれは効果範囲内の敵が勝手に影響受けちゃうやつだから、君でも十分使えるさ」
「そうですか」
まるで興味なさげに返事をするが、アリアは内心歓喜していた。攻撃手段があまりにも少なすぎる女神でも、攻撃できるかどうかだけで安心感が違う。
「じゃあ、私はこれで失礼するよ」
「そう」
そして、二人は別れる。ルルフはどこかへいつの間にか姿を消していた。それを追うこともなく、アリアはラディアのいるはずの宿舎へと向かった。目的の町をぶらつくのはなんだか興が削がれたのでやめた。町を歩いているだけでなんだか苛立ちが募って嫌な気分になる。ため息をついて、早足で目的地に向かった。
◆
翌日、ラディアとそのまま一夜を過ごして再びギルドに来ていた。初パーティ記念に一度何か依頼を受けてみようということになった。戦いでもその他のことでも、アリアの立ち回りなどを理解するにはやってみるのがちょうどいいだろう、ということだ。
「はぁ……」
ギルドの机にもたれ掛かって、アリアはため息をつく。ラディアと一緒にシュバルツのことを待っている。一応、待ち合わせをしていて、三人でどの依頼を受けるか決める、という話になっている。
待っている間、これからのことを考えていた。死にたくない、ということばかりアリアは考えてきたが、昨日ルルフと出会って不幸に巻き込まれるだの言われて、これからのことも考えていかないと、と思い始めた。
ひとまず持った目標は、安全に生きること。つまらない目標だが、ルルフのこともある。昨日は何もされずに済んだが、今後何をしてくるかわからない。あれに食べられるわけにもいかない。今はラディアとシュバルツに頼ることしかできない。
「いっそ、勇者でもいればなぁ」
「ヴフッ!?」
珍妙な声でラディアは咳き込む。
「ど、どうしたんですか?」
「あなたが急に話し出すからでしょ」
「あはは、ちょっと自分だけど不安になってしまうのでつい都合よく助けてくれる人いないかなあって思っちゃったんですよ」
「あまり考えすぎないの。今は私がいるでしょ。シュバルツだって、態度は悪いけれど悪いやつじゃないわ」
「まあ、そうですね」
と、喋りながら待っているものの、なかなかシュバルツはなかなか来ない。
「遅いですね、シュバルツさん」
「そうね。あいつ、どこで油売ってんのよ」
「ははっ、お前らシュバルツに捨てられたんじゃねえの?」
そう言って、鼻で笑う男が一人。どうにも柄の悪い冒険者というのもいるらしく、にやにやとしてこちらに話しかけてくる。似たような冒険者が数人、いやマスター以外の冒険者たちはみんな、その男と似たようにアリアとラディアを蔑むような視線を向けている。
「二人もこんな髪の連中の相手してられねえってなったんだろ」
「なんなら、俺たちのパーティに入れてやろうか? まあ、お前らは夜の相手をしてもらうだけだけどな」
「はははっ、確かに外見はピカ一だ。この際、この町一の娼婦にでも仕立てるのもありだな。それで、使えなくなったら養ってやるよ、奴隷としてな」
下卑た笑みをニタニタと浮かべてアリアとラディアを舐め回すように全身を見つめる。ラディアは心底気持ち悪そうに身震いして「いい加減にしなさいよ!」と怒号をあげる。
それに比べて、アリアは冷静だった。なるほど、これがラディアの言ってた迫害らしき扱いというものか、と落ち着いて状況を判断する。
確かに、体に絡んでくる視線、欲望と蔑みにまみれた言葉に嫌悪する感情は沸いてくる。
でも、ラディアのような怒りは不思議となかった。怒る前に、冷静に考えてしまった。この汚い人の形をしているだけのゴミクズをどうにか処理できないか、と。アリアの一番優先すべき事項を脅かそうとしているのだから、それを排除しなければという意識が強く芽生えてくる。ついさっき、目標と定めた"安全に生きる"ということを覆してきそうな気がして、冷たく敵意を心にゆっくりと浸していく。
「その汚い口をさっさと閉ざさないと、痛い目にあわせるわよ!」
「お前、毎回そう言うけどなんもしねえじゃねえかよ」
「そうね、今度は容赦しないわ。どうなっても知らないわよ!」
「ちょっと待ってください、ラディアさん。落ち着いてください」
「あんただって苛つくでしょ!」
ものすごい剣幕でラディアは叫ぶように返す。口論はますます激化する。
「私は、そこまで怒れません」
曖昧な笑顔を浮かべてラディアの話を流そうとする。その笑顔の裏には明確な敵意を膨れ上がらせていた。
「アリア、あんたはもう少しプライドってものを――」
「だったら、私があれを黙らせてきます」
ラディアの言葉を遮って、アリアは笑顔で告げた。
「あんたは、何を……」
それを見て、ラディアは背筋がゾッとした。アリアの底にある感情を少しだけ感じ取ってしまった。ラディアはアリアの様子を警戒する。
("プロテクト"、あの魔法はドーム状の光の膜を展開する。もしかしたら、あれの形状を弄ったりできないかな。例えば――体の表面に纏って鎧みたいにするとか)
そんなラディアをよそに、アリアは考える。そして、考えた通りに皮膚や服の表面に、防御魔法を発動させるイメージをする。皮膚と同化させるように、体の一部として馴染ませるように、そんな風に発動させるように、そんなイメージを組み立てると頭の中に文字列が浮かぶ。魔法式だ。女神がこの手の魔法にはあらゆる恩恵を受けるというルルフの言葉はきっとこういうことのだろう。
「おい、お前。いつまでボーッとしてんだ」
「……」
思考に没頭しているアリアに、一人が話しかけるが、アリアは返答をしない。頭に浮かんだ魔法式をこっそりと後ろに回した手で空中に書いていく。
「てめえ、話聞いてんのか?」
「……うるさいですね」
静かに呟くように、アリアは言う。それと同時に彼女の真下がぱぁーっと光る。誰も気づかないうちに、アリアの足元には魔方陣が作られていた。アリアが書いていた魔法式がもう魔方陣として型を成したのだった。攻撃するものではないが、まるでそういったものに見えただろう。
「ちょ、ちょっとアリア! 何する気よ!?」
「大丈夫ですよ、わた――」
「――"ファイアボール"ッ!」
そんなアリアに危機を感じるのは当然だ。攻撃魔法と勘違いしたうちの一人が、火球を放つ。ラディアと会話していて対応はできない。
それでも、アリアの魔法はすでに発動している。火球はアリアの腹部に直撃し、霧散する。近くにいるラディアにはわかった、うっすらとした光の膜がアリアの表面を包み込んでいる。
「なんだこいつ!?」
「あんな攻撃じゃ通らねえってこったろ。もっと強力なのをくらわせてやらねえとな! "シャイニングデュー"」
魔方陣と共に、小さな光の粒が大量にアリアに降り注ぐ。その数は膨大で、まるでアリアの場所だけ豪雨でも起きているのかというほど。その量で、アリアの姿さえ光の粒でかき消される。
それでも、アリアの纏った光の膜がアリアを傷つけることを許さない。それらすべてを弾いて防護する。
「こいつ、傷一つついてねえぞ!」
「どうやったら、こいつら殺せるかな……うーん……」
驚き、困惑する人々をよそにアリアは物騒なことを一人、呟いていた。敵意はいつの間にか、殺意に変わっていた。脅威を排除しなければ、と試しに近くの人を殴ってみる。
「えい」
「って、なんだこいつ。力めっちゃよえーぞ!」
女神の筋力はとても弱い。ただ今は鎧を着て殴っているような状況で、少し痛い程度だろう。ほんの少しのダメージを与えた程度済んでしまい、逆に反撃として放たれた拳がアリアにぶつかる。もちろん、アリアにダメージはないが。
この攻撃ならあるいは、と考えたアリアの最大の物理攻撃も所詮は石ころを投げるよりも弱い威力。やはり、女神は攻撃できない。
いや、違う。所詮、小さな火球をぶつける程度しかできないし、あれもきっと石ころを投げた方がましなレベルだ。
それでも、一つだけある。
「やばいぞあいつ、何か仕掛けてくる気だ!」
「なにいってんだ、あいつのパンチめちゃくちゃよえーぞ。攻撃効かないだけじゃねーか」
アリアの雰囲気が変わったことに気づいた数人が、それを伝えるが誰もそれを聞こうとしない。ただの弱い女程度にしか思ってない。
「――私は人を殺そう、化け物だって殺そう。私に命を与えてくれたものさえも、あらゆるものをすべて、邪な意思の下にすべての命を剥奪しよう」
その中、アリアは詠唱を口ずさみながら、すっと空間に横に一文字に指で線で引く。そこから文字が溢れだして魔法式となる。それらはアリアの目の前で魔方陣を形成していく。
「ちょっと、アリア!?」
魔方陣が禍々しく輝く。ラディアは必死にアリアを止めようと羽交い締めにする。けたたましい警鐘が頭の中で危機を知らせていて、すぐに止めなければ、と。
それでも、もう遅い。魔法式を書く手順は終わり、詠唱もすぐに終わる。
その様子にさっきまで余裕そうだった冒険者たちもざわめき始める。あれは確実によくないなにかで、自分達に害をなすものだと理由もなくわかってしまう。どうにかしなければ、と焦燥が渦巻く中、アリアの口が動く。
「"ベノ――っ」
パチンッ!
がやがやと、冒険者たちのざわめきが一瞬にして静まる。アリアの魔法は魔方陣が消えていて、不発に終わった。頬に痛みを感じる。思いっきり叩かれた。"プロテクト"がその部分だけ無効化されている。頬がじんじんと痛む。少しだけ赤くなっていた。
「遅れたのは悪かったが、お前は何やってるんだ」
アリアの頬を叩いたのは、シュバルツだ。一瞬の出来事だった。後少しで魔法が発動するという瞬間に、シュバルツが突然現れてアリアにビンタした。
叩かれた頬をアリアは擦る。先程までの殺意も、シュバルツのビンタで消え失せた。私はさっきまで何をしていたのだろうか。ただ、そうやって今までの行動を振り返る。不思議と冷静だったが、何かに突き動かされるように行動していた。
――私は、人を殺そうとしていた。
改めて自分のやろうとしていたことに気づいて、思い返す。なぜそんなことをしようとしたのか、なぜそれを躊躇おうとしなかったのか。
「とりあえず、来い」
シュバルツはアリアの手をぐいっと引っ張る。
「……」
それに、アリアは逆らうこともなくついていく。回りの人々は何も言うこともなく、道をあける。
「ちょ、ちょっとシュバルツ?」
「ラディア、お前は待ってろ。とりあえずこいつに話がある」
「何よ、私だけのけものってわけ?」
「いちいちうっさいなお前は。そういうことはアリアの暴走を止めてから言え」
「……わかったわよ」
痛いところをつかれて、ラディアは渋々承諾するように黙った。
シュバルツに連れられて、町の中を歩く。シュバルツに強く掴まれていて、離れることはできない。
人々が通りすぎていく。それを見ると、無意識に苛立ちが募る。なぜだかよくわからない。そういえば、ギルドにいたときもそんな気分だったような気がする。
「おい、今度なんかやったらもっかいビンタするぞ」
自然とシュバルツを強く握ってしまったらしい。
「……ごめんなさい」
俯いたまま、呟くように言う。ひどく冷静にあそこにいる人々をすべて殺そうとしていた。確かにムカついていた部分はあったが、殺すほどじゃなかった。なんで、あんなことを考えてしまったのか。アリアはひたすら、自らの行動を否定するように考える。
ふと、顔を上げると人が滅多に通らないような路地裏に来ていた。シュバルツ以外に誰もいない。二人きりで人目につかない場所、嫌な想像が頭に浮かんで腕を振りほどこうとするが、ガッチリと掴まれていて離してくれない。
「おい、逃げるな」
「こ、こんなところまで来て何するつもりなんですか!」
「さっきまでおとなしかった癖に今さらうるさいやつだな。そもそも、それを聞くならギルド出た時点で言え」
シュバルツの態度は特に変わることもなく、こちらに何かしてこようというものではない。アリアの想像もただの杞憂に終わったらしい。ただ、なんとなく納得がいかなくてアリアは言い返すことにした。
「うぐ……で、でも! こんなところまで連れてくることもないじゃないですか!」
「しょうがないだろ、人に聞かれたくない話なんだから。だいたいお前はここに来てから危機を感じても遅いだろ」
「……それで、人に聞かれたくない話っていうのは?」
このまま話していても、シュバルツに勝てそうにない。おとなしく話を聞くことにした。
「お前が使おうとしてた魔法の話だ」
「"ベノム"のこと、ですか」
「ああ。毒を撒き散らす魔法ってのはわかったが、女神がそうそう使えるものでもないだろ。そもそもあんなもの、見たことないしな」
「見たことないのに、よくどんな魔法かわかりますね……」
「魔方陣見たらだいたいわかるんだよ」
「なるほど……」
優れた魔法使いは魔法式や魔方陣を少し見ただけでもその魔法のことがわかるのかもしれない。
「で、どこであれを知った? 言え」
「……」
どこまで言っていいものか、アリアは考える。ルルフのことは伝えない方がいい気がする。
ただ、誤魔化せる気がしない。どういう言い訳をしてもシュバルツは納得してくれないだろう。
「実は――」
「あーあ、君が邪魔してくれた人か」
アリアが決心して話そうとした瞬間、急に耳なりがしたと思えばどこかからか声が聞こえる。ルルフの声だ。
「誰だ?」
「君が止めちゃってくれた魔法を教えた者さ」
スタッ、とアリアの真後ろに上から落下してきて、着地する。
「君が邪魔しなきゃアリアちゃんは人殺しになってくれたのにさあー」
無邪気な笑顔でルルフはおどけてみせる。相変わらず不気味だ。
「邪神ルルフか」
それを見て、シュバルツはポツリと呟く。
――シュバルツはルルフを知っている……?
「うん? 私のことを知って…………シュバルツ……」
ルルフはシュバルツのことを見て、目を見開いた。僅かに体を震わせて、随分と警戒している。天敵を見つけた獣のように、とても強い警戒心を抱いている。
アリアからしてみれば、実に新鮮な光景だった。不気味に自分を食べると言ってきた存在が、自分の仲間になってくれたシュバルツに怯えている。――滑稽だ、ひたすらに滑稽だった。不意に、笑みが込み上げてきそうになるのを我慢するように質問する。
「二人とも、お知り合いですか?」
「さあな」
「さあね」
二人とも、お互いを睨み合う。明らかに知人同士だ。未だ信頼できるかわからないシュバルツとルルフが互いを害する存在なのであれば、都合がいいかもしれない。
「邪魔してきたのが君なら、どうしようもないね。私はおとなしくしておくよ、シュバルツバルト」
「勝手にしてろ」
「そうするさ」
ルルフの姿は一瞬にして消える。何はともあれ、アリアの懸念のルルフはシュバルツのおかげで引っ込んでくれるというのは嬉しいものだ。内心、アリアはガッツポーズする。
「なるほど、あいつに教えられたなら納得する話だ」
「そういや邪神とか言ってましたけど、あれ結局どういう存在なんです?」
「そのままの意味だが。悪い神様、よくない願い事ばかり聞き届けてくれるって話があったな」
「でも、明らかに個人的なお付き合いある感じでしたよね?」
「知らんな」
ルルフとの関係については、話してくれないらしい。
「まあ、お前の害になるとかはどうでもいいけど、次は仕留める」
それでも、相当嫌いらしい。殺意を抱くような関係なので、ルルフの問題になればシュバルツがなんとかしてくれるだろう。
「というか、それならさっき倒せばよかったんじゃ?」
「うるさいやつだな。それよりも、話の続きだ。あいつのせいなのはわかったが、お前がまだあの魔法を使えるんだから、これからも俺はお前を監視する」
「えっ」
「当たり前だろ。お前――人を殺そうとしていたんだぞ?」
「……」
そう、その通りだ。あれが人の命を奪う魔法だ。それを気づいていながら使ってしまおうとしていた。あまりに苛立ちが募っていた。ふつふつと敵意が沸いて、それが殺意となって躊躇することもなかった。ルルフの件で少し頭から抜けていたが、それは事実だ。
あのときは――ラディアまで巻き込もうとしてきた。自分でもどうかしている、そう思う。なんであんなに怒りが沸き上がってきたのか、町を歩いているだけでもイライラしている有り様だ。そう、人の笑顔を見たら特に。
――ああ、そうか。
アリアは気づいた、その訳に。
――私、普通に生きている人に嫉妬していたんだ。私は病弱で外にもあまり出れない有り様だったから、普通に生きているだけの人でも許せなくなっちゃったんだ。
自重気味にアリアは笑う。よくよく考えてみれば結局、自分自身はクズだった。どうしようもない失敗作みたいな無力な少女だった。
「あのな、人が話をしているときに考え込むな。いいか、お前はどうしようもないアバズレだ」
「……」
その通りだ。どう言い繕っても、アリアは殺人未遂を犯した。許される話じゃない。
「いちいち落ち込むな、鬱陶しい」
「だって、私は人を殺そうとしました」
「ああ、そうだな。俺がルルフと敵対してる時に嬉しそうにしてたやつが何をそんなことで落ち込んでんだ」
「……気づいてたんですね。あのうざかったルルフが怯えてたのが滑稽でしたから」
「……お前ほんとクズだな」
「うっ……」
理解していることを改めて言われても、心にくるものがある。
「お前のクズさ加減わかったけど、なんであんなことしようとしたんだ? 歩いてるだけでやたらやたらイライラしてただろ」
「私、女神になる前は病弱で外にも出られない寝たきりだったんですよ。そのせいで、普通に生きてる人を見るだけで妬んでしまうんです」
「それだけで人を殺すか?」
「……だって憎いじゃないですか」
アリアは心の底に溜めていた、どす黒く渦巻く感情を一気にシュバルツに吐き出すことにした。
これ以上、我慢していても仕方ない。自分がどれだけクズか、わかってる人だ。もう、すべて吐き出してしまっても問題ないだろう。
「私はひたすら苦しんで、我慢して我慢して我慢して我慢して……! それでも、そのまま死んだんですよ!」
ふつふつとまた怒りが沸いてくる。
「だから、普通に生きている人が許せなかったんです。憎かったんです。特に、あの罵倒してきた人たちは許せない。人を待っているだけで、まるで生きてはいけないかのようにこちらに言ってきました」
その事を思い出して、イライラが頭の中で溜まっていく。苛立ちや怒り、というよりは憎しみだ。親でも殺されたんじゃないか、というほどアリアは物凄い形相で続ける。
「私は、ただ生きたかったんです! それを平然と叶えている人間が私の邪魔をしてくる!」
ずっと溜めてきた感情をひたすら吐き出す。一日程度で溜め込んだとは思えないほど、アリアの感情は濃厚なものだった。
「どうせこちらにとっては脅威だから、排除するしかないと思いました。……それだけです」
言い終わったアリアの顔はスッキリしていた。思いっきり吐き出して、心の中に溜まった憎しみも妬みも、すべてスッキリと静まった。心の中から消えたわけじゃないが、ふつふつと沸いてくることは当分ないだろう。ここが人の来ない裏路地で助かった。
「そうか、じゃあ戻るか」
「……ちょっと待ってください」
何か言ってくるかと思ったが、シュバルツは何事もなかったように帰ろうとする。思わず、アリアは腕を掴んで引き留めた。
「何も、言わないんですね」
「お前もぶちまけてスッキリしただろ」
「それはそうですけど……シュバルツさんの目的があの魔法ならルルフのことを知った時点で達成してました。私の話を聞くのは何か意味があるんじゃないですか?」
ただ、腑に落ちなかった。話を聞くだけ聞いて、そのままさよならというのはしっくりとこない。わざわざ自分の話を聞いてくれた、という理由をアリアは知りたかった。
「じゃあ、一つだけ話をする」
「はい」
「お前は前の自分の人生は意味のないものだったと思うか?」
「……」
思い返してみれば、外で遊べてた頃も、病院の中で色々とお喋りして楽しかった頃もあった。それを考えればまったくの無意味ではないだろう。
「私の人生に、きっと意味はなかったですよ」
それでも、生きた証なんて何一つ残していない。こんな人生に意味があるだなんて、微塵も思えなかった。
「だったら、同じように人が意味なく死んでいくっていうのはどう思う?」
「それは、嫌だと思います。たぶん、自分と重ねるから」
「――なら、そういうやつを助けるって風に生きればいいんじゃないか? 自己満足も人助けもできて丁度いいだろ」
アリアの心に光が射した気がした。この意味のなかった人生は自分に人を恨ませるだけだと思っていたのに、それを人を助ける糧にすればいいだなんて言われるとは思っていなかった。
ただただ、シュバルツの言葉に感銘した。きっと、そういう風に考えれば自分と重ねて人を助けれるだろう。
――ああ、私も心から人を助けられるっていう人生も、あるんだ。
その時はじめて、アリアは心から笑った。屈託のない、正真正銘の偽りのない笑顔だった。
「ありがとうございます、シュバルツさん」
「……」
シュバルツは返事をしない。アリアの笑顔を横目で確認するだけ確認して、そのままこの路地裏から抜け出そうと歩き始める。
きっと、シュバルツは魔法のことも気になっていたがアリアの心の中に抱え込んでいたものを吐き出させようとこんなところまで呼んだのだろう。ただ、それを吐き出させるためにルルフがどこかへ消えた後も話を聞いた。
恐らく、シュバルツはそういう人物なのだ。口が悪く、遠慮せずに文句を言ってくるが、お人好しなのかもしれない。
そんな、シュバルツの背中に向けてアリアも歩き始める。信用できない、なんて思っていたが、この人は信用してもいいかもしれない。
「ああ、一つだけ言い忘れていた」
「へっ?」
「ラディア・ハイレディン。あいつには少し注意しとけ。ただの面倒見のいいお姉さんって風に見えるかもしれんが、あいつもお前みたいになんか抱えてるぞ」
「ラディアさんが、ですか……」
言われてみれば、パーティに誘うときもやけに必死だった。それでも、回復役がどうしても欲しかった、ぐらいのものと見えなくもない。
「まあ、大丈夫ですよ」
「人がわざわざ注意してやったのに楽観的なやつだな」
「何かあったら、シュバルツさんが止めてくれるって信じてますから」
にっこりとアリアは笑う。
「お前、より性格悪くなってないか?」
「むぅ、失礼ですね」
唇を尖らせて頬を膨らませる。ふんっと拗ねたそぶりを見せて、シュバルツが不愉快そうにするのを見て、ふふっと笑う。心が軽くなって、前よりも明るく生きている気がした。
会話を終えて、シュバルツと一緒にギルドに戻る。戻った瞬間、ギルド内ががやがやと騒がしくなったが、シュバルツの後ろでおとなしくしているアリアの様子を見て、誰も何か言おうとしなかった。
最初に話してきたのはマスターだった。叱りつけたり、怒鳴ったりはしない。アリアに危害を加えようとしたり、髪のことで差別してきた人たちと一緒に、これ以上騒ぎを起こすなという風に軽い説教をされた。シュバルツに説教をされたと思われたらしく、アリアだけすぐに解放された。
「まったく、ギルドの中で暴れないの! 私だって色々ムカついてるけど我慢してるんだから!」
が、すぐにラディアからお叱りをうけることになった。
「ごめんなさい。私、ラディアさんまで巻き込もうとしてました……」
「まあ、あの魔法のことはよくわからないけどそうなんでしょうね。まあいいわ」
「いいんですか……」
「みっちりとお説教されたんでしょ? だいぶ様子違うわよ。ね、シュバルツ?」
「してるわけないだろ」
「えっ、してないの!?」
「そうですね。私が一方的に話した気がします」
「えぇ……」
説教をされて、アリアがおとなしくなったと思っていたらしく、困惑している様子だ。
「お話しして仲良くなっておしまいってことかしら。色々と巻き込んでるくせに楽しそうね、ほんと」
「ご、ごめんなさい……」
確かに、自分が加害者になりかけていたはずなのに、自分だけがスッキリとしてしまった。アリアが人を殺そうとしていたことは、結局消えない。
「まあいいわ」
きっと、あの魔法が人を殺すものであると気づいているだろうが、ラディアはその言葉だけで済ませる。
「……い、いいんですか?」
「まあね。仲間同士仲良くなってくれたことは嬉しいもの。話しただけなの? 実はキスとかしたりしたの?」
にやにやといやらしい笑みを浮かべる。
「えへへ、実はですね……」
「なんもねえぞ。勝手にでっちあげようとするな」
「えー、シュバルツさんもちょっとのってくださいよ」
「お前とキスするとか、腹いせ以外にねえよ」
「ちょっと酷くないですか?」
「お前の性格よりはましだ」
「あはは、そんなことはないですよ」
「……ほんとに仲良くなったわねあんたたち」
シュバルツとアリアの会話に、ラディアが疑わしそうな視線を向ける。本当に何かあったんじゃないの、と言いたげな目線だ。
「ラディアさんよりも先に取っちゃうかもしれないですよ?」
「いいわ、別に。そいつとは冒険者仲間ってだけだし」
「あ、そうなんですか。随分と二人は仲がいいと思ってたので」
「そこまで長い付き合いじゃないわよ?」
「まあな。一年も付き合いはないな」
「ま、ここで話してもなんだし、三人で依頼受けましょう」
「それもそうですね」
そもそもここにははじめての依頼を受けよう、という話で集まったのだ。ここで受けなければただ話しているだけで一日を過ごすことになってしまう。
「じゃあ、行くわよ」
「はい!」
そして、三人は冒険者のパーティとしてはじめての活動をすることにした。
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