第4話 Not a teller, But a terror.

 カオス・アリス達が戸惑いの谷に入ると、やはり戦いの跡が見て取れた。

 岩肌に魔法でつけられたらしき傷があり、ヴィランを狙ったらしき弓もいくつか落ちていた。

 しかし、どれくらいの規模のヴィランが赤の女王たちを襲ったのかまでは分からなかった。倒したヴィランが跡形もなく消えてしまうというのは、戦いの後始末がいらなくて便利だ。反面、何かを検証する時には困った性質になる。

「カオス・アリスの“原作”でも、赤の女王や『空白の書』の持ち主たちはここでヴィランと戦ったわ。ヴィランの襲撃だけを見れば、話は正しく進んでいたことになる」

「違うのは、カオス・アリス配下のヴィランじゃないってことかにゃ?」

「そして物語の筋書きが崩れたときに現れる、想区のヴィランでもない」

「どうして、分かるのかにゃ?」

 ダイナは試すように、カオス・アリスに言った。ストーリーテラーの描いた物語が正しく進まなかった場合にはヴィランが現れる。そして、それ以外のヴィランが現れているということは、カオス・アリスとは別のカオステラーが存在することになる。

「想区に出現したヴィランと赤の女王達が“たまたま”同じ場所で鉢合わせただけなら、それはただの偶然かもしれない。けれど、さざなみの草原から戸惑いの谷までを追跡するかように襲ってきていたわ。つまりヴィランは出鱈目に出現したのではなく、誰かの石によって動いていると言えるのよ」

 カオス・アリスが説明すると、ダイナの表情が曇った。

「うう、敵かもしれないカオステラーがいるなんて、悪い状況にゃ…」

「そうでもないわ」

「どうしてにゃ?」

「少なくとも、ここまでの台本からのズレに対しては、想区は許容していることになる。つまりこの想区は少し“緩い”。私がカオステラーとして物語を変えたりしても、すぐには崩壊しないということが分かったわ」

 分からないことがマイナス1。そして他にもカオステラーがいて、それが誰か不明。分からないことがプラス1。

 つまりイーブンなのだ。

 むしろ想区そのものが崩壊する方が、カオステラーよりも遥かに危険だ。状況はそこまで悪くない。

「じゃあ行きましょう、不健全の町へ。『怠惰の国のアリス』の通りならば、赤の女王はそちらに向かっているはずよ」

 カオス・アリスはひたすらに惰眠を貪って過ごすだけの役割よりも、本来の『アリス』に近い活発さで、次の目的地を示した。

「ふふ、楽しいものね」

「楽しいってどういうことにゃ?」

「何度も読んだ『運命の書』の物語も、それはそれで面白かったわ。けれど、これから先に何が起きるのか分からないという未決の運命もまた、面白いわ」

 新たなアリスの物語を見てみたくてストーリーテラーに背いていたのだから、当然と言えるかもしれない。

 カオス・アリスは気分が良さそうな足取りで、谷の出口へと向かう。

「アリスちゃん、注意もした方がいいにゃ。何も決まっていないということは、その先に悲劇が待っているかもしれないから――にゃ」

 釘を刺すかのようなダイナの呟きは、忠告というよりも独り言に似ていた。


◇ ◇ ◇


 不健全の町に入ると、驚くほど静かだった。

 ここに来るまで、門から半マイル(約800メートル)ほど離れた橋を渡っているときにも町の住民がちらほらと見えたので、人はいるはずだ。

 理由は簡単に察することが出来る。

 赤の女王と白の騎士、そして『空白の書』の持ち主を追撃するヴィランが、町の近くか、それとも内側で戦いを仕掛けたのだろう。

 想区の『モブ』と呼ばれる、主役とまったく関らない人間はストーリーテラーの作った出来事に触れることを極端に恐れる。ついうっかり、主役たちに話しかけてしまって物語を乱しでもしたら、どんな天罰が待っているか分からないのだ。

 だから町の住民たちは家の中に閉じこもり、主役たちに起きている問題が過ぎ去るまで息を潜めているのだろう。

 そのおかげで町の通りは見渡しやすく、大分遠くからでも広場にいた赤の女王達を見つけることが出来た。

 途中で合流したのだろう、代用ウミガメの姿も見えた。


 はっきりと表情が分かる少し前から、向こうもカオス・アリスとダイナに気付く。

 お互いの様子が分かるので、身構えはするものの戦闘態勢には入らない。

「カオス・アリス! 今何が起きているか分かるか?」

 とまず言ったのは、赤の女王だ。オッドアイの目と猫の耳を持つが、しかしか弱い少女ではない。深紅のハーフアーマーとバトルドレス戦闘衣装に身を包んでしっかりと立つ姿からは王者の威厳を漂わせている。

「私は何もしていないわ。あなたを追撃する予定の場所に行った時には既に戦いが終わった後だった」

「少し遅れていたのではないか? 我々は襲ってくるヴィランが来るまでに、待機しなければいけなかった」

「怠惰な役に入り込み過ぎてしまったのよ、ごめんなさい。眠りネズミと一緒に昼寝をしてしまったわ。時計ウサギさんに怒られてしまいそうね」

 正直に言わずに、自分の行動についてははぐらかしておく。

 話を聞いたところ、やはりヴィランが出現したのはストーリー上のギミックではないようだった。

 登場人物に、深刻な被害が出ていた。

 『調律の巫女』の役目を持つ人物が死に、彼女を守るように戦っていた白の騎士も猛攻に耐えきれず殉じてしまった。他一名も重傷を負っている。

「念のために聞くが、あれはカオス・アリスのヴィランではないのだな?」

「違うわ。それにあなたはブギーヴィラン程度じゃ倒せないでしょう? 本気でやるつもりがあるなら自分自身で出てこなくてはいけないわ」

 カオス・アリスは『カオステラー』としての役割を持つために、最も疑わしい人物になるのはもっともだった。いや、実際にカオステラーになってしまっているのだけれども、そこを自分から名乗ることはしない。

「幸いなことに、調律の巫女、白の騎士が死んでも、想区全体にヴィランが沸くことはないようだな」

「『怠惰の国のアリス』の物語であっても、不思議の国からすれば、まだ脇役がいなくなっただけにすぎないってことね」

 この想区の重要な出来事は、未来に悲観して無気力になったカオス・アリスが立ち直ることであり、調律というイベントはあくまで最後の仕上げに過ぎないようだ。

「カオステラーの心当たりはあるか? この想区を思い通りにしたがっている者だ」

「ここは不思議の国よ。思いつくだけ心当たりがいるわ」

 三月ウサギや帽子屋ハッタなどの連中は、マッドなお茶会を開くためだけにカオステラーになっても不思議ではない。

「でもハンプティ・ダンプティは違うわね。野心があるだけの小物だから」

「それは、同感だな奴は……むっ!?」

 赤の女王が軽口か何かを言いかけたときに、町の門から地響きが鳴り、木材が破壊される音が響いてきた。

 カオス・アリスのやってきた方向とは逆側の、いばらの森の方からだった。

「なっ、一体何事にゃ?」

「ジャバウォック!」

 驚くダイナに、カオス・アリスもまた動揺しながら答える。


 ジャバウォックを警戒するべし。

  顎で食らいつき、鈎爪で引き裂く。

   悩ましき呪詛に、捉えどころがないもの。

    邪舞の獄門鳥にも気を付けなくてはならない…


 ジャバウォックは不思議の国には、本当は存在しない。

 詩によってのみ語られる、混沌の怪物。不思議の国の住民が不条理で訳の分からぬお喋りを繰り返しているときに現れる。…その概念がカオステラー化し、存在を得ようとしたものがジャバウォックという個体だ。

 巨大な爬虫類はドラゴンだと思ってよいだろう。

 それは常にあらゆるものを破滅させたがっている。

 『怠惰の国のアリス』のカオス・アリスが直接手出しすることが出来なかったほどに凶暴な怪物だ。ジャバウォックがカオステラーであってもそうでなくても、対峙した者を全て引き裂こうとすることだろう。

 カオス・アリスがハートの女王の城を制圧してもすぐさま想区全体に侵攻しなかったのは、ジャバウォックの扱いに困ったからだ。特に白の騎士役の持つスキルは絶対に必要になる。

 そしてジャバウォックを倒すためだけに存在する白の騎士は、既に退場した後なのだった。

「ハートの女王が封印しているのではなかったのか?」

 という赤の女王の疑問は、カオス・アリスに投げかけられたものではない。ジャバウォックのいる方へ向けた、独り言に近かった。

 運命の書に従うのであれば、ハートの女王はジャバウォックを封印する。『元々』はカオス・アリスに操られていたのだが、その展開を模したこの想区では自主的に行われるものだった。

 だから、カオス・アリスはハートの女王に対して、何の命令もしていない。

 想定では『怠惰の国のアリス』と同じことが起こり、赤の女王達とハートの女王が交戦した衝撃でジャバウォックの封印が解け、白の騎士がスキルを使って怪物を倒す……はずだった。

 ギャオ! と鋭く恐ろしい雄叫びが耳を傷めつけてきた。

 距離があるというのに、間近で威嚇されているような錯覚さえ覚える。

 そして破壊音。

 ジャバウォックは戦いを求めている。力の振るい処を探している。

 どういう理由かは分からないが、ハートの女王の封印を破ったようだ。そしていばらの森で戦うべき敵対者を待ちきれずに、町へやって来たのだ。

「ジャバウォックは目に付くものを全て滅ぼそうとする。カオステラーでないにしても、放っておくと想区全体が危ない」

 やるしかないな。と赤の女王が大剣を持ち上げた。

「カオス・アリスよ、そなたはどれだけやれるか?」

「戦って勝てるかは…私で五分五分だと思うわ。ダイナと時計ウサギさんや代用ウミガメさんではまず無理ね、力はジャバウォックの2割くらいかしら? 他の…『空白の書』の持ち主では、なおのことね。赤の女王様は?」

「私自身も同格だと思う、一人で戦えば生き死には50パーセントだろう。運命の書の通りならば、白の騎士が遅れて駆け付けるまで、ジャバウォックの攻撃に持ちこたえるはずだった。つまり、それくらいの力関係だということだ」

 赤の女王の話を聞き、カオス・アリスは提案することにした。

「では、共闘と行きましょう。白の騎士が死に、運命の歯車がずれている今、カオステラーよりもジャバウォックの方が、倒すべき優先度が高いわ」

 カオスアリスは言いながら、白々しいなあ思っていた。聞いているダイナが吹き出したとしても気付かれないように、

「それに私はカオス・アリスの力を使えるから、ヴィランを戦力に加えられる」

 と急いで付け加え、話で気を引く。

 謎のカオステラーの正体は掴めないが、これは好機だった。

 ジャバウォックを倒せば、厄介な問題は一つ減る。

 赤の女王と共に戦えば、あの怪物にはまず負けはしないだろう。

「アリスちゃん、ジャバウォックがカオステラーの下に付いている可能性はないのかにゃ?」

 会話を聞いていたダイナが心配そうな声で割って入ってきた。

「それはないわ。尊大なジャバウォックは誰にもへりくだることはない。そういう風な性質に出来ているのよ」

 眠りネズミが憑りつかれたように寝ることを求め、時計ウサギは時間厳守に拘っているのと同じだと、カオス・アリスは検討をつけていた。

「分かったにゃ、ダイナもついていくにゃ」

「では、共にジャバウォックを倒そう。戦力はカオス・アリスと私、そしてダイナだ」

 名前を呼ばれなかった代用ウミガメが、赤の女王に顔を向けた。

「ええと、私も戦いに参加しようと考えていたのですが…」

「代用ウミガメは町を守れ、カオステラーのヴィランが沸いたらここは全滅だ。戦力外のエクスをここに残していくのだから」

 エクス、タオ、レイナといった調律の巫女の一行は、元々の『不思議の国のアリス』の登場人物ではない。後から付け加えられただけの端役に過ぎないために、彼らはほとんどモブと同じ程度の身体能力しか持っていないのだった。

「白の騎士のようには死なぬよう、気をつけろ」

代用ウミガメは「分かったよ」と答えた。怪物との戦いに参加せずに済んだせいか、少し安心したような表情をしている。

「ヴィランと言えば、私は20体ほど出せるわ。ジャバウォックに通用はしないと思うけれど、牽制や目くらましには使えるわ」

「よし。ではまずジャバウォックを町から遠ざけ、いばらの森の入り口で囲み、とどめを刺す。そこでなら誰が暴れても、被害はないはずだ」

 赤の女王が言い、カオス・アリスとダイナが頷く。


 では、いこうか。


 そう言って、赤の女王は歩きかけ、止まった。

「ところで…カオステラーは誰だと思う?」

 向きは変えずに、聞いてきた。

「さあ、分からないわね」

 とカオスアリスは誤魔化した。

「カオステラーは運命を変えたがる者だから『怠惰の国のアリス』の運命を変えることで得をする人物じゃないかしら」

 もう一人のカオステラーの正体については、カオス・アリスもそう考えるしかない。そしてこの答えは、自分から疑いを逸らす目的もあった。

 まさか衝動に突き動かされて、とは思うまい。

「そうか。ジャバウォックをどうやって倒すつもりだったのかは分からないが、現にこうして私達は、討伐に出ようとしている」

「ええ、そうして成功すれば、カオステラーの狙い通りね」

 もしや赤の女王は見当をつけつつあるのかと警戒した。指先が動き、武器を出して身構えそうになる。

 けれど、次に赤の女王が言ったことは、全く異なることだった。

「ハートの女王か」

 運命を変えることで、破滅から逃れられる者がいた。

 この想区の運命でハートの女王はジャバウォックを封印した後に、『空白の書』の持ち主の行く手を阻む。そして負けたことで力が弱まり、封印が破られるのと同時に弾け飛んでて、消える。

「いつもトランプの兵に命令を下す立場でいたが、カオス・アリスという上位者に従うことになる。さらにはロキという部外者やハンプティ・ダンプティにすら道具として使われ、爆散して終わりなのだ。カオス・アリスの物語がハッピーエンドになっても、振り返られることもない」

「そしてハートの女王の城には、私が居座り続ける…」

「『不思議の国のアリス』ではアリスを死刑にしようとしていた。つまりそのような性格なのではないか?」

 言われてみれば、納得がいく。

「ハートの女王がカオステラーなら、ジャバウォックは封印されていないだろうな」

 と赤の女王は、確信したかのように言った。

 会話はそこで、再び響いてきた咆哮と破壊音によって中断される。今考えるべきことは、ジャバウォックをなんとかすることだ。

 疑いは違うところへ向かっていたので、カオス・アリスはこのまま流れに従うことにした。

 話は終わった。そう思ったところで、


「運命を作った者がいるとするならば」


という声が聞こえてきた。ダイナだった。

「彼らからは、つつましくないように見えるかもしれない。あまりにも好き勝手にしすぎると、神々の復讐に合う…」

 カオス・アリスと赤の女王は、ストーリーテラーを意識したような言葉を聞き、ダイナに注目した。

「…なんてことを、古代の人は考えていたと、聞いたことがあるにゃ」

 恐ろしいジャバウォックの咆哮が聞こえてきたものだから、不吉に感じて思い出しただけだと、ダイナは続けた。

「もっと景気のいいことを言って欲しいわね」

 カオス・アリスは咎めるような口調で言った。あれがカオステラーに向けた言葉なら、まさしく私に言っていることじゃないか、と。

 それきり話す声はなく、3人は戦いへと向かう。


 町の出口に向かうと、ジャバウォックの巨体と、炯々けいけいと赤く燃える眼が見えた。

 赤の女王が大剣を掲げて歩み寄り、カオス・アリスは配下のヴィランを展開する。

 ダイナもまた、大型のハンティングナイフを片手に駆けていった。

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