第2話 カオステラーとストーリーテラー
ダイナ はいい奴だ。
カオス・アリスが台本を外れ、ハンプティ・ダンプティとロキを地下牢に閉じ込め、これまでと同じように友達として付き従ってくれる。たとえこの先に破滅が待っているかもしれなくてもだ。
『運命の書』から外れ始めているので、ダイナはカオス・アリスの仲間であり手下という設定を律儀に守る必要はない。
ダイナはアリスとお友達でいることが『運命の書』に書かれていたから、そうしているに過ぎなかった。
この友情は、偽りであったはずだ。
想区世界では誰と出会い、誰を愛するかも、物語を成立させるためにあらかじめ決められた筋書きなのだから。
けれども毎日のように顔を突き合わせ、幼い頃からお友達として暮らしていれば、それはもはや切っても切れない縁になる、ということなのだろう。
カオス・アリスの物語をぶっ壊す。その道へと進み始めた友達と、ダイナは共にいてくれごる。
一方で眠りネズミは、いつものように暇さえあれば眠っている。これもまた『運命の書』に記された通りに生きてきたことから、怠惰が身に沁みついているようだ。ぐうたらの許可をあえて捨てることなど誰が出来ようか。
元いた部屋に一度戻ると、すぐさまダイナが口を開いた。
「なんでハンプティ・ダンプティまで閉じ込めたにゃ? あいつはカオス・アリスちゃんの側じゃなかったかにゃ?」
「あいつは途中で寝返える」
「それは『運命の書』に書かれていたことだにゃ」
「知っているわ。カオス・アリスの想区で予定外のことが起き始めたとき、アリス側に着いた者とストーリーテラー側に着いた者がいた。この想区でも同じようなことが起きているけれど、それで『今回の』ハンプティ・ダンプティが運命を無視する側に味方するかどうかまでは分からない」
特にハンプティ・ダンプティは『誇り』の象徴と名乗り、ジャバウォックの尊大な態度を嫌ってストーリーテラー側に寝返った人物だ。誇りがあるのならば、初めからカオスサイドにつかなければよかったというのに。結果的に、ストーリーテラーとカオス・アリス、二人を裏切っている。
というわけでハンプティ・ダンプティは日和見、あるいは気紛れに組する勢力を変える可能性がある。だから、仲間には入れない。
カオス・アリスは、
「さて、そろそろ赤の女王の所へ行こうかしら。逃げた先で待っているだろうから」
とダイナに伝えると、部屋の中に10体ほどのヴィランを出現させた。煙が空中に噴出して晴れると、そこには光沢のある黒い肌を持つ子鬼がいるのだった。
これは純然たるカオステラーの能力ではなく、カオス・アリスの能力だ。ややこしいことにカオステラーを演じる役目を持つ者なので、配下のヴィランを呼び出すことが出来る。
「あれ? もう運命の書に従うのはやめたんじゃないのかにゃ?」
ダイナが疑問を口にする。
赤の女王を始末しに行き、そこで女神キュベリエと空白の書の持ち主達に邪魔されて撤退するなどという出来事は、もう起こす必要がないはずだと。
「強く、そして誰にも与しない存在がいる。カオス・アリス風に言うと“めどい”奴だね。そいつを何とかしないといけない」
「カオス・アリスちゃんより強い奴?」
「ジャバウォックよ」
不思議の国の想区には、アリスの夢の中の出来事だという設定があるために、想区を支配する力に目覚めたカオス・アリスの影響力は絶大だ。乱発は出来ないにせよ、チェシャ猫のようにテレポートまで出来る。
だが、カオス・アリスを上回るほどの力に『設定』されている上位存在にジャバウォックがいる。あまりにも強力なために倒すことを諦め、ハートの女王の内部に封印しているのだ。カオス・アリスが最初に現れた想区では、ジャバウォックは白の騎士に扮した創造主が一撃で倒していた。
この想区でもそれは再現されているが、
「白の騎士の役割を持つ者と、いばらの森にいるハートの女王を戦わせる。その後、中から出てきたジャバウォックに、消滅攻撃が使われることになる」
「なるほど、ジャバウォックの倒し方は、分からなかったにゃ」
カオス・アリスの説明にダイナが感心した。
他にカオス・アリスを邪魔するような能力を持つ者には布告ウサギがいるが、戦闘能力は脅威ではない。赤の女王は強いが、せいぜいがカオス・アリスと同格で、想区の支配を進めてカオステラーの力に目覚めれば、まず困る相手ではないだろう。
敵対すれば死闘となる可能性が高いのが、ジャバウォックなのだ。
今でこそハートの女王がその身の内に封印しているが。あまりにも強力な力のため、長くは閉じ込めていられない。
「でも白の騎士は、ちゃんとジャバウォックのことを倒してくれるかな?」
ぽつりと、床で寝ていたはずの眠りネズミが言った。
「ええ、でも倒さざるを得ないのよ。尊大なジャバウォックは封印を解かれた瞬間、見境なく目に付くものに襲い掛かる」
起きている状況を把握する間もなく、ジャバウォックと戦うしかないのだ。
「そう。それで、それでどうするの?」
「ジャバウォックさえいなくなれば、この想区の運命は私が支配できる」
「それで」
珍しく瞼の上がりきった眠りネズミが、床から上体を起こした姿勢で、さらに聞いてくる。
「それでって、どういうこと?」
「眠りネズミは、カオス・アリスちゃんが想区の物語をどうしたいかを聞いていると思うんだにゃ」
「どうしたいか?」
「どのように、書き換えたいか」
原典となるカオス・アリスは、未来に絶望し、物語を進めるのをやめるため。他のカオステラーも、自らの持つ運命を拒否し、違う運命を選択するためにストーリーテラーに抗ったのだった。
「そうだね、それは……」
答えようとして、言葉が切れる。
「それは、何なんだにゃ?」
「考えていなかった」
しん。と部屋の中が静まる。ことで、整列したヴィラン達の「クル、クル…」という微かな鳴き声が聞こえてきた。
「あ、アリスちゃん…それでカオステラーになるのは、いいの…?」
とダイナは開いた口の塞がらないでいる。
カオス・アリスは『運命の書』を顕現させた。
トントンと、表紙を叩いてみせる。
「そうね…。ここにはアリスの物語や、この想区で起きる運命が書かれている。主人公の私向けに、ストーリーテラーやカオステラーの情報もね。そして他の登場人物よりも、多くを知っている」
特殊な想区の運命の書は、カオス・アリスをただ馬鹿正直に役割に生きるだけではなく、してしまった。
「何度も読んだわ。そのうちに、運命の書の通りに話し、冒険をしていることもまた、物語を読むことと、変わらないことをしているように思えてきたの」
「だから…その、飽きた、のかにゃ?」
「そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。ただ、決まった運命と違うことをすれば、何が起きるのかを、見てみたくなったのかもしれない」
物語を無理に破壊すれば、ストーリーテラーの目的を達成できないため、想区が存在意義を失い、自壊する。
それは分かっていたが、そうはならないだろう、とカオス・アリスは考えていた。なぜならカオステラーもまた
想区を打ち壊してしまうタイプのカオステラーは概ね、物語を破壊する力を持ってしまった何も知らない役者なのだ。制御の効かない力で無茶をすれば、想区も無事では済まない。
しかし、カオス・アリスには想区とストーリーテラー、物語の関係性の何たるかを知っている。最悪の結果にはなるまいと、直感していた。
「運命から解放された世界。ダイナ、あなたも今、何にも縛られずにいる」
「あ…」
「でも、この不条理の世界でみんなが勝手に生きるのでは、かえって騒がしくもなりそうね。決められた通りに過ごしている方が、不幸は起きないのかも」
とカオス・アリスは遠くの窓の、そのまた先の空を見た。
でも、とカオス・アリスは思った。
誰もかれもが勝手に生きることに不都合があるのならば、運命を再構築すればいいだけなのだ。なぜなら自身は想区を支配できる
「こんなところかしら、満足した?」
カオス・アリスが眠りネズミに尋ねると、こくりと顎が傾いていた。それは返事ではなかった。次に、
「スヤァ…」
という寝息が聞こえてきた。既に目をつぶり、意識を眠りに持っていかれているようだった。
「いきなりアリスちゃんが頭がよさそうに話すから、寝ちゃったにゃ」
「ここはルイス・キャロルの物語を元にした想区なのよ? 難しい話はたくさん出て来るわ。眠りネズミも、慣れているのかと思ったのに」
「なんかアリスちゃん、カオス・アリスになってから考えが鈍そうだったから、きっと、一言で話を終わらせると思ってたんだにゃ」
そういえばカオス・アリスの『役』は成長も恐れた主人公で、ずっと子供でいたい願望が現れたかのように幼く振る舞い、口数も少なかった。
カオス・アリスは手を握り、ただ一本伸ばした親指を咥えた。これはもはや『役』を演じていたがために、癖になってしまっている。
「はあ、眠りネズミの『ずっと寝ていたい』は、運命から解放されて自由にしていいと言われても、変わらなそうね」
「何が起きても悩み事なんか無さそうで、羨ましい限りにゃ」
「いいえ、少なくとも、ひとつはありそうね」
とカオス・アリスはチャールズ・ドジソン風に言ってみせた。
「どういうことだにゃ?」
きっと眠りネズミが困るのは、この幸せな眠りの最中に、いきなり叩き起こされるような時だろう。
さて、ハートの女王の城でいざこざを起こし、その後のおしゃべりが少し長くなってしまったせいで、眠りネズミは不幸になる。
どんなに大きな声で起こされても深い深い夢に入っているけれども、魔法じみた力を使われたらたまったものではない。
「わああーっ! 大変ですうっ!」
とバカでかい声で城に入ってきたのは、布告役の時計ウサギ。
この場所の元となった想区では、空白の書の持ち主たちにガン無視を決め込んで寝ていたカオス・アリスを眠りから引き釣り出した『覚醒させし拡声』。
それが城に響き渡ったものだから、眠りネズミもたまらず、
「優しく起こして…」
と何者かに許しを請うかのように呟きながら、目を開くのだった。
どうやら何か事件が起こってしまったらしい。どうやら赤の女王に絡んだ内容のようだ。城から出るのが遅れたがために、カオス・アリスが『それ』に気付くのもまた遅れた。
時計ウサギ(布告役)なら、
「時間厳守は基本ですよ!」
と言いそうなものだが、カオス・アリスにとって今回の遅れは身を助けることに繋がったのだった。
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