2. 創世神話

 ザマは別の小部屋に案内した。そこは書斎で、書庫やコンピュータが所狭しと並んでいた。蔵書が壁の片隅に積み上げられている。


「今にも崩れそうだな」


 率直な言葉にザマは苦笑いした。


「いつか整理しようと思ってるんだけど、なかなかできなくてね。アギ君にもよく怒られてるよ」


 ドゥームセイヤーは机の上に無造作に置かれた論文と思しき書類を手にとった。やや硬い文体で書かれていたが、彼女はそれを読みはじめた。


 ――いにしえの記憶によれば<唯一なるもの>が混沌から、<存在>を司る女神ザインと<当為とうい>を司る男神ゾレンを生み出した。ザインの女神とゾレン神は<唯一なるもの>の周りをまわりながら混沌を切り開き次々と宇宙の星々を創造していった。銀河もそのとき生まれた。だがあるとき、男神ゾレンの千年紀にザインの女神が誤って『存在よ、あれ』と唱えてしまった。そのとき生まれたものはとても醜いもの、すなわちヒルコだった。ザイン神とゾレン神はその醜いものを中つ国に封じ込め、人に監視させることにした。そのとき神の目を逃れたものがいる。それがドゥームセイヤーだ。彼女は神にまつろわぬヒルコとして記憶された。彼らは千年紀の終わり、末法の世になると封印が弱まり、うつし世に現れるという――


「ああ、それは私の論文。書きかけだがね。宇宙の創世神話を書きとめたものでね」

「ドゥームセイヤーなんてマイナーな超越者がでてくるのは、その論文くらいよ。その意味ではあなた、神話学に詳しいわね」


 ドゥームセイヤーは、ヒルコ? 私も醜いヒルコなのか? と疑問が脳裏に浮かんだが、質問することはやめ、代りに論文のページをめくった。


「――こんなものを調べてるのか」

「馬鹿にしちゃだめよ。私たちはどこから来てどこへ行くのか、論理的なものだけでは推し量れない何かが神話にはあるの」

「死生観、宇宙観、全てのものが神話に」


 ザマも言い添えた。


「私はこの神話は嫌いだ。だが少し興味が湧いてきた。<唯一なるもの>とは何だ? 私はそれが知りたい」

「<唯一なるもの>は宇宙の究極原理。<唯一なるもの>に人格の様なものはないというね。その下の天つ神はこの宇宙を統べる神。<存在>をつかさどるザインの女神と<当為とうい>をつかさどるゾレン神の対なる主神がこの宇宙を治めてる訳」


 ザマが言った。


「<存在>と<当為とうい>は違う。その違いを理解すべしっていうのが天つ神の教えなのよ」


 アギが説明した。


「<存在>と<当為とうい>を平たくいえば、<ある>と<あるべき>ことかな、その二つの原理で宇宙は動いている訳」


 ドゥームセイヤーは記憶をたぐった。


「では国つ神は? 宇宙にはもっと多くの神がいたはずだ」

「国つ神とは……信仰を失った神のことよ」


 アギの口調はどこか寂しげだ。


「信仰を失った神ほど惨めなものはないの。落ちぶれて闇から闇へと彷徨うことになる。それがたとえかつて栄華を誇った神であっても」

「……」


 ドゥームセイヤーは『信仰を失った神』という言葉を噛みしめた。彼女自身、遥かな永い歳月をさまよっていた。心は空虚で喪失感によって占められていた。が、何を喪失したのかすら記憶が薄らいでいた。心の空白に耐えるには戦い続けるしかなかった。


「私はヒルコが国つ神のことではないかと仮説を立ててるんだ」


 ザマが言い添えた。


「はあん」


 しかし、あまり関心がない風である。


「国つ神はどこに消えてしまったのか、それも研究テーマなんだよ」

「消えたのではなく、姿を変えたとしたら?」


 ドゥームセイヤーは意味深な問いを投げ掛けた。


「例えば?」


 ザマの瞳が興味深いものを探り当てた様にきらりとした。


「かつて中つ国には世界帝国と呼ばれる強大な国家があった。その帝国は燎原の野火のごとくまたたく間に大陸を侵略・征服したという。なぜそんなことが可能だったと思う?」

「さあ、優れた騎兵の力や情報ネットワークの力かな」

「それもある。が、事は単純だ。強いものに右へならえしたのさ」

「右へならえ。面白い考えだね」

「逆らうものは見せしめで徹底的に破壊・殺戮する。それを怖れたものは降伏せざるを得ない。それがザインとゾレンのやり方だ」

「君の考えは我々が学んだものとはずいぶん違うんだね」

「異端というのかしら」


 アギが割って入った。


「いや、異端というのは正統があっての話だからね」

「そう。私はザイン・ゾレンの教えなぞ認めない」


 ドゥームセイヤーは低くささやいた。ザマとアギはその言葉に不気味さを覚えた。


「しかし、君の知識は面白い」


 ザマは気を取り直した。


「ふん、私の記憶はまだら模様だから役にはたたんよ」


 ドゥームセイヤーは自嘲気味だ。記憶の欠落は知識と知識を結びつける妨げになった。理解力・判断力はその欠落によって大きく力を削がれた。目を転じれば、神にまつろわぬものたちの記憶は信仰が失われるに従って薄れていった。そも超越者が生命をはぐくんだのではなかったのか? それとも原始的な生命から知性が育ち、それがやがて超越的意思に結実していったのか、今となってはそれすら定かでない。

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