第二章――ズマ・シティ
1. 教会
ドゥームセイヤーは悪夢にうなされていた。夢の中、彼女は暗闇をさまよっていた。嵐の中、体は冷え切り雨で濡れそぼっている。吐く息が白い。ふと顔を上げると、暗闇の向こうに灯りが見えた。
「あそこに灯りが……」
ドゥームセイヤーは山中の一軒家の前に立つと、扉をドンドンと叩いた。
扉がきしんでわずかに開いた。
「すまない。道に迷っている。一夜の宿を借りられないか?」
「……お前はザインの女神を信じるか?」
しばしの沈黙の後、男は言い放った。
「……信じない」
ドゥームセイヤーはためらった。
「ならば、ゾレン神は?」
「信じない。だが、ザインもゾレンも名は知っている」
屋敷の主人は彼女の顔を見ると、ふいに懐からXクロス――X字の十字架を取り出し突きつけた。
「ヒルコめ! 去れ!」
悪寒が奔った。彼女は驚きに目を見張り、怯みおののいた。
――私は……信仰を失ったのか……。
「立ち去れ!」
嵐の中、ドゥームセイヤーは足早に逃げ出した。悪夢は続いた。
※
ドゥームセイヤーは質素なベッドに寝かされていた。意識を失ったまま苦悶する彼女の額に濡れタオルがかけられた。そのひんやりとした冷たさに彼女は意識を取り戻した。
「う……ん……」
ドゥームセイヤーはうめいた。
「気がついた様だわ」
意識を取り戻すと、法衣をまとった中年の男と栗色の髪をした若い娘がみつめていた。娘の深緑の瞳は優しいまなざしである。
ドゥームセイヤーはむくりと身を起こした。
「ここは?」
額のタオルがすべり落ちたが構いもしない。
「しゃべる元気はあるのね」
娘の言葉でドゥームセイヤーは自らの体をさすった。体のあちこちが傷ついていたが、傷は薄らいできていた。
「浜辺であなたを見つけたとき、行き倒れだと思ったのよ。でも良かった。こんなに元気なのですもの」
「全く。何か事情があったのかね?」
二人の調子にドゥームセイヤーはやや怒気をこめた。
「私はここがどこか訊いている」
「あらごめんなさい。ここはズマ・シティ」
「ズマ?」
「ご存じない? この辺りでは一番大きな街だけど。正確にはここは防壁の外だからシティじゃないけれど」
「……ということは、ここはアシハラの中つ国?」
「中つ国?
男が言った。
「アシハラの中つ国……天の川銀河、アーム辺境の恒星系……ずいぶんと遠くに飛ばされたものだな」
ドゥームセイヤーはひとりごちた。
宇宙には生命の生存に適した惑星を持つ恒星系は無数に存在する。かつては恒星間を行き来する者達もいたが、アシハラの中つ国はその中でも孤立した存在だった。その僻地に自分は飛ばされたのか。
「何をぶつぶつ言ってるの?」
彼女の目の前にいるのはただの人間。かつてはドゥームセイヤーと心を通じ合わせた人の英雄もいた。が、英雄たちはとうの昔に死に絶え、彼らの記憶すら抹消されているはずだった。今の世に当てにできる人間がいるのか?
「あなた、お名前は?」
娘は尋ねた。
「名前?」
ドゥームセイヤーはしばし考え込んだ。自分の名前は何だったか?
「もしかして記憶喪失?」
「ジョセ……」
ドゥームセイヤーはそう言いかけて口ごもった。
「ドゥームセイヤー……DSでいい」
ぼそりと彼女はつぶやいた。
それを聞いた娘はくすりと笑った。
「ドゥームセイヤー?」
「そう。私はそう呼ばれている」
中つ国ではかつて偽名を使っていた。が、なぜか真の名が口をついて出た。
「それは神にたてつくヒルコの名前だな」
男が笑いながら言った。
「ヒルコ? ヒルコと呼ばれる筋合いはない!」
ヒルコという言葉は癇にさわった。彼女は声を荒げた。
「おや、何か気に入らなかった?」
男は笑った。
「気に入らん。ヒルコなどと!」
「まあまあ、神にまつろわぬものという意味だからね」
娘が一歩進み出て言った。
「申し遅れたわ。私はアギ。彼は――」
「私はここの神父を勤めてるザマだ。よろしく」
アギは栗色の長い髪と深緑の瞳が美しい娘、ザマは四十間近の眼鏡と無精ひげ、加えて後退した額の生え際が印象的な男だ。
※
「彼女にはここの手伝いをしてもらっていてね」
ドゥームセイヤーは立ち上がると、寝かされていた小部屋の扉を開けた。その先は古びた礼拝堂だった。そこに流れる空気は不快なもので、肌が粟だち、彼女は無意識に両腕で体を覆い隠した。
「嫌な空気だ……」
部屋の隅にくくりつけられている宝剣がかたり、と揺れた。アギはちらりと目をやったが、そのまま無視した。
「ここはね、ザインの女神を祀る教会なのよ。でも今はゾレン神の千年紀だから寂れてるけど」
「千年紀の終わりも近い。あと一世紀もしないうちにここは人で賑わうことになるだろうね」
「なら今は乱世だな」
「ええ」
アギはうなずいた。
「信仰は薄れ、人々は生きることに価値を見出せなくなってる」
ザマも慨嘆した。
「だが、そんな時代の方が私にとっては楽しい」
ドゥームセイヤーは強がった。
アギはそんな彼女をじっと見つめた。
「あなたには不思議なオーラがあるのね。本当にヒルコなのかも」
「だったら?」
ドゥームセイヤーは背筋を凍らせる不敵な笑みを浮かべた。
アギは動じない。彼女は微笑みながら尋ねた。
「本当の名は何なの?」
ドゥームセイヤーは拍子抜けした。この娘は自分の正体を見破っているのか、そんな思惑もあてが外れた。
「他に名などない」
「ドゥームセイヤーなんて呼びにくいわ。ハンサムさんにしましょう。あなた、美形よ」
「別にDSでいいぞ」
確かにドゥームセイヤーは美形というにふさわしい容貌であった。男ものの衣をまとってはいたが、匂いたつ美しさは誤魔化しようもない。
「ハンサム君、君は何か仕事ができるのかね?」
ザマが尋ねた。
「もし君さえよければ、ここの仕事を手伝ってもらえないかと思ってね」
「あなた、ズマの市民権はあるの?」
「市民権……いや……」
「身元がしっかりしてれば知り合いを紹介してもいいけど。ともかく当座の職は必要でしょう?」
「その仕事とは?」
「それはこちらへ」
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