第44話 共に働いた者たち③

 私が一軒目の店で働いていた時に事件は起こった。支店から本店に足りない物資を取りに来たときに、私が何か物を運んでいる最中に先輩に呼ばれたらしいのだが、考え事をしていた私は聞こえなかった。

「おい! 挨拶ぐらいしろよ! 」

 その先輩は使っていた柳庖丁やなぎぼうちょうを私に向けていた。私は呼ばれたので慌てて勢いよく振り返り、そのまま庖丁が右腹に刺さってしまった。

 服を脱いで傷口を確認する。庖丁の切っ先が数ミリだけ入っただけだが血が止まらなかった。ワインの樽から細く血が流れるようで、私は血の気が失せてしまい、その場にしゃがみ込んだ。

 その現場は仕込み場だったのだが、そこにギョウ虫検査の袋を取りに来た社長の娘さんが階段から降りてくるのが見えた。慌てた先輩は何を考えたのか、私をトイレに閉じ込めた。

「ここにいろ! 静かにしてろ! 」

 私は痛くて声が出せなかった。暗いし臭いし最悪だった。先輩は私を置いてディナー営業に行ってしまった。

 泣きそうだったがとにかく物資を持って帰らなければならない。当時の私は自分の身体よりも仕事優先だったので、傷口に紙をかぶせて、後輩にその上から直接皮膚にガムテープをぐるぐる巻いてもらい、店に戻った。

 時間が経つとガムテープを伝い、白衣にうっすらと真っ赤な血のベルト状の染みが浮き出て来た。

「これはもう隠せないな」

 上司に相談して私は近くの救急病院に駆け込んだ。幸い怪我は浅く大したことはなかった。処置を施し抗生物質を飲むだけで済んだ。

 私を刺した先輩はいろんな人間から叱られまくった。そのせいかどうか知らないが、すぐに辞めてしまった。人間不信になりそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る