第12話 思い出⑦
「お前、アホだな。なんで相談しない? 」
その通りです。何も言えません。協議の結果代わりの人間を見つけてから、クビにすることになりました。それまではオーナーにも黙って、とにかく催促をし続けて金を取り戻す方針です。しかし事態は急変します。年末のある日、ランチ営業後に誰かが訪ねてきました。
「あのー、すみません」
その方はTが所属している飲食店人材派遣の元締めでした。すぐにTを見つけ
「お前、ここで何してんだよ? 」
Tは数日前に人材派遣をやめて、フリーでうちの店に再度雇ってもらうように相談していました。大将が
「いいよ。そっちの派遣の会社とは話はついてんのか?」
「はい。大丈夫です」
そういう話で改めてオーナーと契約し直したばかりでしたが、実は元締めには無断で、しかも一度派遣された会社に所属する場合は、一度契約を打ち切ってから一年間は同じ店の再雇用を禁止する契約を人材派遣会社と結んでいたのです。
「お前、ベテランだろ? わかってやってんだよな? 俺のことなめてんのか? 」
元締めは元ヤクザらしく、ドスの利いた声が店内に響き渡ります。
「ここじゃなんですから」
Tが元締めを外に連れ出して行きました。私と大将は苦笑いするしかありません。一時間後に元締めが戻り騒がしたお詫びと、事の次第を語りました。元締めが帰った後、どこかで見ていたのでしょう。Tが戻ってきました。
「大将。今日はもう上がらせて(帰らせて)もらっていいですか? 」
「夜は予約も少ないし、いいよ。」
手荷物をまとめてから私に
「金は必ず返す。絶対逃げないからこの包丁は人質としてここに置いていく。だから信じてくれ」
使い込まれた柳刃包丁でした。最後に挨拶して、店のドアを閉める後ろ姿に向かって大将が言いました。
「お前が何しようと勝手だけど、金だけは返してやれよ」
振り向いて、イタズラを友人にバラされたような、非難したいような、切ない悲しそうな表情で私を見た眼が未だに忘れられません。
後で知った事ですが、Tは他の店に派遣された時にもカモを見つけては同じように金の無心をしていたそうです。私と同じような被害者が多数存在しているようでした(ちなみに十万円が最高額)。またその派遣会社もいい加減で登録者の履歴書も必要なく働けるような会社でした。Tが年末調整で書いた住所も架空でした。
一度だけ私に電話がかかってきたことがあります。
「お金振り込みたいから銀行の口座番号教えて欲しい」
ショートメールで伝えましたが、一度も振り込まれることはありませんでした。ケータイも繋がらなくなり、彼は行方不明になりました。彼の経歴も、年齢も、名前も嘘なのか本当なのか証明する手立てはありません。元締めは
「こっちもコネを使って奴を探します。連絡を取り合いましょう」
と言ってきますが仕事は忙しく、週一回の休みしかない身分では限界があります。
「お前は十万円で人生の勉強をしたんだ。今後の人生に生かすしかない」
大将は言います。オーナーも息子である専務の監督不行届けを謝ってきました。私には苦い記憶が残りました。
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