第10話 思い出⑤

 オーナーの息子である専務の紹介で、妙な人がうちの店で働き始めました。Tさんは飲食店の助っ人として渡り歩いている専門の人です。飲食店専門の人材派遣会社のような組織に所属しているらしいです。契約にもよりますが日割り現金支給で働きます。キャリアも長いらしく和食の知識もあります。初対面から妙な感じでした。私服でやって来るのはいいのですが、五十代の割には派手な格好です。レインボー柄のスリッポンシューズ、ドドメ色のシャツ、茶色のダメージジーンズでやって来ました。

「よろしくお願いします」

 笑った前歯の歯が欠けていました。不安がよぎります。ランチ営業の後、私はTに小声で呼ばれました。店のことでわからないことの質問かな? 以外に真面目なんだなと思いましたが

「金を貸してくれないか? 」

 話を要約すると

「Tのいっしょに暮らしているルームメイトが、貴重品の入ったバッグを盗んでトンズラしてしまった。そこには財布も通帳もハンコも入っていた。なので手持ちの現金が少ない。実は病院に入院しているTの友人が癌で入院している。そいつは頼れる身内もなく入院費が必要だ。病院代を支給振り込みたい。知り合いにも無心したが少し足りない。あんたの仕事ぶりをみればわかる。真面目で誠実そうだ。少しだけでも用立ててくれないか?大将には内緒にしてほしい。ここで働いて日銭を稼がないと生活ができない。あんたを見込んで恥を忍んで頼んでいる。お願いします」

 普通に考えれば絶対に貸しません。しかしTは嘘とわかっていても、「貸してもいいかな? 」と思わせる話術を持っていました。文章にすると「そんなバカな? 」と思いますが、現場で面と向かって聞くと違います。すごい話術です。しかも今は店の評判も良くなり、忙しすぎて人手が全く足りていませんでした。フルタイムで入ってしかも使えるのであれば、猫の手も借りたい状況です。僕の仕事の許容量もストレスも破裂しそうでした。精神的にも肉体的にも参って正常な判断を下せなかったのです。人間て弱いです。

「いくらで足りるんですか? 」

 七万円貸しました。「帰ってこなくてもいい。この人にあげたんだ。後悔しないぞ」その後半年近く私は誰にも相談しないまま、苦しむことになります。

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