大将と私

第6話 思い出

 私は2軒目に働いていた大将と喧嘩別れして店を出ました。大将とは一軒目の店の時に一緒に働いていた大先輩です。個人店でオーナーが別にいて雇われですが店長になる時に声をかけられました。ちょうど一軒目の大きな店で六年間働き伸び悩んでいた時期だったので、私には渡りに船でした。今度は少人数でしかも二番手としてカウンターに立てる話でした。給与も若干上がります。一軒目を三月いっぱいで退職して、そのあと一ヶ月半はのんびりと沖縄旅行などして英気を養い過ごしました。

 先に店を辞めた先輩はもう一人の和食出身のMさんと、バイトと3人で働いていましたが、私の投入で最初は四人で働きました。オープン仕立ての店というのは最初の頃は物珍しくお客様は来てくれますが、しばらくすると閑古鳥が鳴きました。それでもネタの仕入れには築地に行かなくてはなりません。ネタの種類も鮮度も味も妥協は許されないのです。仕入れ代、ガソリン代、諸経費、給与、少ない売り上げ。赤字が続きます。まずバイトが辞めました。

 次にMさんと先輩の仲が悪くなり、八月いっぱいで辞める事になりました。この方はどこかの和食の店で頭を張っていたらしいのですが、よくよく聞くと接客が酷すぎて、その店をクビになってしまったような人でした。その代わり掃除とか伝票整理とかには強い人でした。ちなみにオーナーの紹介です。

「和食の人間もいるからお前には勉強になる」

 先輩の誘い文句は嘘でした。いや、先輩も知らなかったのかもしれないのですが、私に声をかけてきた時には、修復不可能なぐらい仲は最悪だったので私を誘ったらしいのです。聞いてない。なんだそりゃ。

 やる気のないMさんは料理も全然手を抜きます。

「どうせ客なんて来ない。食材が腐るし、里芋なんか冷凍食品でいいよ」

 キャリア十数年の人がいう言葉とは信じられません。お通しや煮物、お椀の味も今ひとつです。その代わりコース料理につく甘味と伝票整理と掃除には力を入れていたように思います。そこだけは勉強になりました。

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