Prologue
夕焼けに染まりゆく海が、眼前に広がっていた。
風が凪ぎ、鳥の鳴き声がこだまし、翼を広げた彼らはどこかへ向かっていく。
その風景を見ている僕が立っているのは、これら自然とは相容れない、浅瀬を地盤とした海岸だ。
この人造の海岸は整備、というよりは修復されてから間もないので、通路用コンクリートはてらてらと黒く光っていたし、木々も裁定されて見栄えが良くなっていた。ベンチは悉く茶色の強化プラスチックに置き換えられ、それの根っこを埋めたであろうコンクリートは汚れ一つない。そして花が無尽蔵に広がっているが、それら全ては同一の品種、カンパニュラの遺伝子組換え版だ。
この人造の海岸が、たとえ自然と相容れることがなくとも、その見た目だけは調和している風にみせている。こうして何度も整備していくことで。それら自然に擬態することで。
これこそが人類の欲の生み出した、造りものの自然。人間の感性によって蹂躙された自然の臨界点。
かねてより自然とは人間にとっての芸術の対象、すなわち蹂躙の対象だった。庭園、生花、植木。すべては人間の都合によって生み出され、加工されるための生命。
人間がいいものとすれば、身体の悉くを切り裂かれる。
不要なものとすれば焼却炉で燃やされる。
人間の両手両足をトリミングして、アイコンたる顔と胴だけのものを並べて大喜びする。
結局のところ、それが僕たちのやっていることだった。
ここにある木々は生えゆく枝と葉を切り裂かれ、遺伝子改良されたカンパニュラたちは農園で根を下ろすこともできずに身売りされ、見ず知らずの土地で咲かされる。それらの業を笑顔でやってのけるのが我々生物というものだ。
悲しくも、その鑑賞者は僕ひとりしかいなかったが。
ここはかつて、浦安市総合公園と呼ばれていた場所。
そして今は、コンピュータ工場の庭として作られた場所。
市がこうして庭を修復してみせたのは相当の皮肉だと大勢は考えた。工場は精神的に疲労するだろうから、という市議会の言葉とそれに対する反応は、もはや時代を象徴している。
なぜならばこの工場の加工対象は、生きた人間そのものだったからだ。
人間を使ったサーバ工場。それがここに大きく建造された工場の正体だ。ここでは全人類の行動パターンを収集するために使われるサーバを、日々つくっては出荷している。
この庭に誰もいないのはそのせいだ。植え込まれた花々は身売りされゆくサーバたちを彷彿とさせ、枝葉をトリミングされた木々は、両手両足を丸太にされゆく選定された者たちに容易につながる。
と、そんな投稿があったおかげで市議会は大炎上。週刊誌とワイドショーはいま、その市議会の人間性を誹謗中傷する印象論的記事を、あまねく広げることに精を出している。
それでも僕には、この人造の景色以外、何も見たくはなかった。こんなことで炎上してしまう悲しい社会に、とうてい帰りたくはなかった。
僕がここに来た理由は、サーバになったかもしれない人を見つけるためだった。
しかし、それは叶わなかった。
僕は思い出してゆく。
なぜ、人探しが叶わないのか。
なぜ、人は人を使い始めたのか。
なぜ、公園すら憎悪の対象となったのか。
「この世界は人間でできている」
高校の教室で、先生はそう切り出していた。当時の僕たちもしんとしていたけど、別に嫌な感じの静まり方ではなかった気がした。
そんな僕らの反応を見てか、先生は表情を緩めた。
「あたりまえすぎたね。今わたしの着ているパンツスーツも、みんなの服も、バックも、ぜんぶ髪の毛と皮膚がもと。
わたしたちが年に一度食べる給食は人の血と肉をつかったものだし、この建物も人の骨をすりつぶしてつくっています。そして、今社会を支えるコンピュータは脳でできている。
では皆さんに質問です。どうして人が人を使うようになったのでしょうか」
僕はみんなとともにゆっくりと手を上げる。すると先生が「
「三百年前に使える資源がなくなって、僕たちの祖先が人を使うことを選んだからではないでしょうか」
先生はうなずくけれど、
「惜しい。補足すると、世界的に深刻な資源不足が起きた時、人を使ってなかった国家が全滅した、だね」
「つまり、深刻な資源不足の前にヒューマンリソースはあったと」
先生はうなずき、
「誤解されがちだけど、わたしたちの祖先は資源不足の入り口のところで、人を食べたり使ったりする道を選んでいました。では今日はそのヒューマンリソースの歴史について説明していきましょう……」
そうして先生は僕たちに教えてくれた。
曰く、日本をはじめとした先進国では、世界的な食糧難と資源不足に対抗すべく、いち早く有機化学や遺伝子工学に着手をはじめていた。
ヒトゲノムを他の生物に投与する実験。
分子構造を重合を始めとした手法で変化をもたらし、別の機能を持たせる実験。
クローン羊の作成実験。
そのほか様々。
それに転機があったのは2050年頃。これまで予測でしかなかった、分子の化学構造の真の姿を捉えることに成功。更に高分子構造を容易に変更できるようになったことで、あらゆる科学において革命が起きた。
分子操作による機能付与。
有機半導体の発展。
量子コンピュータを超えた新型計算機の完成。
はじめにもたらしたこれらの恩恵は、二十年ほどのソフトウェアの発達に伴い、生物という莫大な情報の模倣を可能とした。
そうして人は、最終的に最も効率よく資源を、特に食べ物を生成できる材料を見出した。
その材料が、因果なことに鳥でも豚でも牛でもなく、人間だったというわけだ。
研究結果が出てからは大論争だった。
なぜならばときすでに2100年。世界は深刻な食糧難に喘いでおり、農作物の暴騰は続き、安価なクローン生物や、人造食料すらなくなっていた。
そんななかで、すべての点においてコストパフォーマンスの圧倒的な食料が自分たちだったとなっては、大論争は致し方ないことだった。
論争で引き合いに出されたのは、書かれてから実に四世紀前になろうとしていた、ガリバー旅行記で名高いスウィフトによる風刺文書、いわゆる「穏健なる提案」。
かいつまんで説明すれば、「人口抑制と経済的な救済のために、貧民の赤子を一歳まで養育、富裕層に食料として提供する」というものだ。生々しい数値で書き上げられたこの風刺が、まさか本気で議論されることになるとは、さしものスウィフトも想像してなかっただろうが。
そして、ある国家が本気ではじめた。それが研究結果を発表した日本だった。
世界は資源収奪と戦争に明け暮れ、非核運動、世界平和を訴えていた日本の影が薄まっていた。
だからだろうか、平和を訴える人間から、「穏健なる提案」をもとにして役所に申請を出すこともなく赤子を育て、加工をしてもらい、加工人肉を食べ始めた。
皮肉にも大好評だった。
なぜならば半分食べれば一年はエネルギーに困ることがないほどに行き渡り、おまけに美味だったからだ。
そこからは早かった。発言の右左を問わず口コミはどんどん拡散していき、日本はたった数年で食人大国へと至った。そこに司法の手も警察の手も、結局なかった。挙句の果てには法整備までされていく始末だった。
Crazy Japan.
日本独自の文化を輸出するために使われていた言葉を参考に、世界ではこのようにこきおろされたものだ。むろんこの当時はすでに、輸出も輸入もままならない世界に到達しつつあったのだが。
故に、人肉化技術は決してどこの国にも広まることはなく、その十年後、更なる深刻な食糧難によって世界的に内戦とテロが拡散、日本以外の世界は内戦の後にすべて滅んでしまった。
「かくしていまは世界内戦から百年後。食人国家であるわたしたちだけが文化的な暮らしを享受することとなりました。それにもいろいろ制限はあるけれど」
先生は悲しそうに微笑んで、
「みんなもわかってると思うけど、今は人口がとても増えました。豊かになりました。ものも増えています。だからこそ、今は一歳未満の子以外も、資源となる人が選定されるようになっている。必要に応じて申請がかかって、誰かがいなくなることもあるわけです」
教室から物音が消えた。
そうして、先生の涙ぐむ声だけが響く。
「昨日は
僕は先生の顔を見ていられなくて窓の外を見ようとした。窓に反射した自分が写る。目元が腫れているのがみえて、そこからも目をそらすしかなかった。
社会が豊かで健康的であるためには、現在は誰かが必要に応じて間引かれてゆく必要がある。
その礼状は電子メッセージで送られてくる。そのカラーコードは最重要とする臙脂の色で、日本国厚生省献体委員会と書かれていた。
選定を行うのは、同じく選定されて国のための力となった脳たち。脳たちは選定のために最初に最適化を施され、個体としての意識は集団の意識として飽和している。
考えることは主に次のようなことらしい。
人肉としてこれから何が必要になるのか。
どの場所が人不足となっているのか。
どの人間が消えた時、社会の影響が最も薄いのか。
言うなれば、最大にして究極の人事システム。かつての新自由主義時代を知る学者はそういった。
選定に際して年齢の制限は一切ない。七五三を乗り越えられない者もいれば、米寿寸前の者まで、肉体としての素材が必要であればいくらでも簡単に選ばれていく。
それは僕たち自身がすでに遺伝子操作をされて生まれているからこそ可能なこと。米寿であろうと血管は七五三を迎える子に限りなく近い強度を持ち、骨も密度は違えど使えないものなど一切ない。ただ一定の年齢で選定しない、そして不定期に行われるのは、その血管の長さ、そして骨の長さと僅かな組成の違いで使うところが変わるからだ。
血管が長ければ巨大な生体筋肉へのグラフト用に使われ、短くて細ければ精密機器のアクチュエータのグラフトとなる。骨が長ければ巨大構造物の骨組みとして使えて、骨が短ければ小型機器を支える素材となる。年齢が同じでも組成如何では全く別の使われ方をすることもある。
選定されるのは、現在、そして未来五十年において不要となる者だ。情報工学が人間の脳の複雑さと並んだからこそできる、技術的預言。未来を見通すレベルにまで至った技術だからこそ成せる間引きなのだ。とはいえ、明確な未来を公表されることはされてはいない。だからこそ、僕たちは自分のできることを行い続けなくてはならなかった。自分の存在証明のために。それだけが、この社会の動力源となっていた。
僕たちは常に素材として選ばれる可能性がある。
それが今日なのか。それとも明日なのか。
みんな誰かがいなくなること、自分がいなくなることを心のどこかで覚悟し、生きていく必要があった。
自殺は絶対にできない。誰かの死を止めてはならない。そして、選定の理由は知ってはならないし、選定された彼らの行く先を知ってはならない。それはいま自らが享受している豊かさを否定することになるからだ。
逆に言えば、それらへの忠誠だけを持っていれば、この世界で何不自由なく生きていくことができた。資源豊かな、素晴らしき新世界で。
だが、僕には理解できなかった。なぜ、彼らが消えなくてはならなかったのか。なぜ、僕よりもずっと優秀で、優しかった者たちばかりがいなくなってしまったのか。僕はそれだけを考えていた。
その疑問を解くためだけに、僕は暇さえあれば消えていったものたちの行先と、その理由を追い続けてきた。
その結果が、二十年経ってもこうして公園を眺めるしかないという結末だった。
消えていった人たちの行先を探すのは禁忌だ。そもそも、届けられる素材はほぼ全て、どこの誰なのかという
しかし、それでも明日はやってくる。自分の研究を実現し、少しでも誰かの不幸を減らす道標とするための時間が。
僕は人が消えゆくなかで、こう考えはじめた。
今は誰かの犠牲の上でしか生きられない。
でも、人がいなくなってしまえば、わずかでも失われるものがある。
だから、もしかしたら人がいなくなることを止めることで、失われるものをなくせる世界があるんじゃないか、と。
そんな理想を掲げて努力して、いつか達成することこそが、いなくなっていった者たちへの弔いになるんじゃないか、と。
僕はそうして色んな人と会っては別れを繰り返していき、気づけば生体工学の教授になっていた。
誰かの眼差しを感じ始めた。振り返ればそこには、これまで消えていったたくさんの者たちが、帰りの道から僕をみつめていきていた。
ある日配置換えでやってきた研究者、八宮。
研究室を変えてやってきていた学生、真小屋。
自らの出自に悩み続けてきた同僚、須藤。
そして、高校の制服を纏った女性が、一番近くで僕へとじっとこちらをみつめてきている。
幽霊。かねてよりそう呼ばれていた者たち。
テクノロジーによって束縛された、僕の脳に生きる者たちだ。
僕はそれをみて、進んでいく。自らのやるべきことをするために。すると高校生、常永は微笑み、やがて風が凪ぐとともに消えていった。
そうして工場への調査に失敗した次の日だった。不思議な官僚が僕のもとに訪れたのは。
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