第2話



【1】


 西の最果てのそのまた森の奥。

 そこに白魔女リカ様は暮らしている。

 俺は太陽の街にエルフの皮を被った魔物が現れ襲われたこと、退治したことを報告に、そしてシエラのことを相談するため、二人でリカ様の家に行った。


「そうか、ご苦労であった。しかし、こんなにも早く現れるとは。探査が行き届いていなかったために、お前や、お前の友達を危険な目に遭わせたな。済まなかった。

 お前にも、魔物を検知するための何かが必要かもしれぬな……考えておこう」

「ありがとうございます、よろしくお願いします。あ、それと……」

 俺はシエラが俺の従者になりたがっていることもリカ様に話した。不老の白魔法使いに付き従う従者。契約を結べば周りの親しい人たちとの時間の流れが変わってしまう。それだけじゃない。いつだって魔物に襲われる危険に晒される。俺はシエラに考えを改めるよう説得したけれど、シエラの意思は固く全く俺の話を聞き入れない。そこで、リカ様の元へ連れてきたのだ。シエラは、従者になる決意をリカ様に話して、白魔法使いのことを色々教えてもらうって言っているが、リカ様ならうまく説得してくれるかもしれない。シエラは身内のいない俺ーー母さんは白魔法使いの従者として生きていることがわかったけど既に違う時間の人だーーとは違うのだ。

 リカ様は話が進むにつれどんどん眉をきつく寄せ、お美しい顔を険しくされた。

「娘、シエラと言ったな。白魔法使いとその従者がどのようなものかわからぬであろうに。何故にそのようなことを言い出した?」

「ヨークを、護りたいんです。わたしの大切なひとなんです」

 シエラの返事を聴くと、リカ様はご自分の額に手を当てた。

「……シエラ、一緒においで。夕食を作る。手伝ってくれるかの。

 今日はもう遅い、二人とも泊まっていくと良い。ヨーク、お前が作った小屋もまだあるのだし」

「ありがとうございます」

 リカ様はシエラの背中に手を添えて家の中へと促した。

 俺は小屋へと向かう。

 キイスとの修業の始まりはまず俺の住む小屋を建てることだった。

「くれぐれも俺とリカちゃんの生活を邪魔するんじゃねーぞ」

 そう言ったキイスの顔を思い出して俺は苦笑いをした。



 小屋の屋根の上。陽はすっかり姿を隠し、かわりに満点の星空が俺の上に広がっている。

 ガタガタ音がすると思ったら、キイスが登ってきて隣に座った。手にはワインの瓶とちょっとしたおつまみの皿を持っていた。

「よぅ。色々と、面倒事があったらしいな」

 俺の隣に腰掛け、キイスはワインの瓶と皿を二人の間に置いた。

「師匠が愚痴聞いてやってもいいぜ」

「キイス……」

 自信たっぷりに笑うキイスが頼もしかった。俺はシエラのことを話して聞かせた。



【2】



「母さ……ファナのこともあるけど、俺はシエラを……シエラのいるこの世界を護る手伝いがしたいから白魔法使いになるって決めたんだ。シエラが俺を護ってくれるって、そういう気持ちがありがたくないわけじゃないけど、……シエラを危険に晒しながら魔物と戦うなんて俺には考えられない」

「なるほどなぁ。気持ちは分かる」

 従者になるって……。

 シエラの考えに戸惑っていた俺は、ふと従者である当人の考えを聞きたくなった。

「そうだ、キイスはどうしてリカ様の従者になるって決めたんだ?」

「俺?」

 キイスはおつまみのチーズをもぐもぐしながら、にやりと笑った。

「俺はさ、気がついたら従者になってたんだ」

「へっ?」

 気がついたら従者になってただって?

 思いもかけない回答に俺は狼狽える。

「俺さー、魔王斃しに行ったんだよな。ところが、魔王直前に出てきた右腕みたいな奴にボッコボコ。魔瘴だらけで虫の息のところを、リカちゃんに助けて貰ったんだ」

「魔王を……斃しに? ひとりで?」

 キイスはにやにやしながら頷いた。

 キイスの語り口は軽いがよく聞けば壮絶な話じゃないか?

「リカちゃんは瀕死の俺に従者契約を施した。その後俺は三百年後に目を覚まして、それからは二人でずーっと今まで戦ってきたんだ」

 三百年。

 今までの俺にとっては勿論、エルフにとっても短くはない時間だ。

 人間のキイスの知り合い……なんて、誰も残っちゃいなかったんじゃないだろうか。

「選択の余地がなかったってことか。リカ様、余程キイスを死なせたくなかったんだな」

「リカちゃんがまだ小さい時に一度プロポーズされてたからな」

「えっ!」

 あのリカ様がプロポーズ!?

「確かに選択の余地はなかったけど、俺は生きてまたリカちゃんに会えたことに感謝してるし、こうしてリカちゃんを護れる立場に居られることは幸せだし誇りに思ってるよ」

 キイスは目を閉じて心から幸せそうに笑う。そして、ゆっくりとまぶたを開けると星空を見上げながら言った。

「シエラって子……俺と似たような気持ちなんじゃないかな」

「……!」

 その言葉に驚いて固まった俺の頭を、キイスが突然わしづかみにした。

「やべ。伏せろヨーク」

 屋根に顔面から伏せさせられた、と思ったら、どかんばりばり、と耳をつんざく音が響いて、雷鳴が降ってきた。



【3】



 小屋はぐしゃりとつぶれて、俺とキイスは木材と家具の山の中に突っ込んだ。


「あーっはっはっは! 相変わらず間抜けなのねピンク頭!」

 次に降ってきたのは、そんな高飛車な、女の子の声だった。パリパリと先ほどの雷撃の名残りに照らされて、女の子は空中に浮かんでいた。



「相変わらずたぁご挨拶だな、ミリ。ヨークの小屋、どうしてくれんだよ」

 ピンク頭と呼ばれたキイスが凄む。

「しーらなぁい。あたしはケンカ売りに来てんのよ。さっさと買ったらどう? 今日はとっておきの魔法をプレゼントしようと思って来たんだから」

 挑戦的な言葉が返ってくる。ミリと呼ばれた女の子は、大きく胸元の開いた、恐ろしく短いワンピースに腿まであるブーツ、赤紫色の髪はツインテールの、ちょっと派手だが、街にいれば普通の女の子のように見えた。手にしたほうきと、ワンピースの腰のあたりから生えている、かぎ付きの尻尾を除けばだが。

 しかしなんだか普段の魔物襲撃と雰囲気が違う。

 どうなってるんだ? あの子は何なんだ?

「とっておきの……?」

 キイスは崩れた小屋から立ち上がり、前に進み出た。

 俺はリカ様の家へと走る。

 人型の魔物? それとも女の子の皮を被った魔物なのか? でも、白魔女のリカ様ではなくキイスを狙っていたみたいだし。なんだかよくわからんがあの子は危険だ。




「ミリ!」

 家の中からリカ様が杖を持って出てきた。シエラは家の扉の陰から外の様子を覗いている。

「なっ……お前はまたそのようなはしたない格好をして!何度言ったら分かるのじゃ! 女は木に登る時以外はくるぶしの上までは隠すものじゃ!」

「だっさぁい。あたしはあたしのやりたいようにやるの、そう言ったでしょう?」

「聞き分けのないことばかり……! 」

「それぇ!」

 ミリはほうきの先をキイスの方向にぴたりと合わせて、素早く詠唱を始めた。

「!?」

 キイスの身体を黒煙が取り巻いた。

「キイス!」

 リカ様が叫ぶ。俺は、リカ様が走り出し、黒煙を掻き分けてキイスの身体に飛びついたのを見た。次の瞬間、二人の姿は消えていた。

「リカ様……!?」

 シエラが力なくその名を呼んだ。

「リカ様……! キイス……!?」

 どうなってるんだ。

 あたりを見回す俺。

「え? ……え? リカちゃん……?」

 呆然と立ちすくむミリ。

 俺たちは顔を見合わせ、三秒。

 俺はミリに詰め寄っていた。

「おい、何をした! お前は何者だ! リカ様とキイスを何処へやった! 返事によっちゃ女でも容赦しないぜ! ソーラーブレード!」

 俺は天高く右手を振り上げソーラーブレードを召喚した。ところが。


 来ない。


 ソーラーブレードが来ない。


「…………」


 ということは、この子は、魔物じゃない!?



「うそ。やだ。どうして」

 ミリは突然ほうきを投げ出し、両手で頭を抱えて泣きじゃくりはじめた。

「なんでよ。どうして。どうしてもそいつがいいの。どうして……。

う、わぁああああああん!!!!」

「お、おい」

 俺が声をかけると、ミリは何故か俺にしがみついてきて大泣きする。肋骨のあたりに柔らかい感触。こんなでかい胸初めて見たぞ……いやまて、そんな場合じゃない。なにか首筋のあたりにびりびりと痺れを感じると思ったら、シエラが今まで見たこともないくらいの恐ろしい形相でこちらを見ていた。

「おい、ミリっていったな。まず泣くの止めろ。お前がやったことなんだぞ。世界を護る白魔女とその従者が消えたんだぞ、どうなってる。泣くな。説明しろ。どうしたら二人をもとに戻せるのか教えろよ」

「うるさいうるさい!!!!」

 ミリは首を横に降って耳を塞いだ。

「異空間転移の魔法をかけただけだもの。リカちゃんが一緒なんだからすぐ戻ってくるわ」

 ミリはまだしゃっくりをあげて涙を浮かべていた。

「リカちゃんはこんなに賢くて魔力も強くて可愛いあたしよりあんなピンク頭がいいんだ……」

 キイスの名誉の為に言っておくと、キイスのピンクの髪の色はリカ様との主従契約の際に副作用としてそうなったもので、あの人が好んで染めているわけではないらしい。

 でも、それをミリに言ったところで何にもならんだろうなあ……。

 泣きやまないミリに途方に暮れていたら、

「ミリ! お前という娘は!」

 リカ様の声が辺りに響いた。ミリの放った異空間転移の黒雲の中から、リカ様を抱いたキイスが現れる。

「ふはあ、元の世界だぁ」

 俺は二人に駆け寄った。

「キイス! 無事なんだな!? リカ様は!?」

「ん」

 キイスはリカ様を抱いた腕をすこし上げて、無事であることを示した。

「キイスの座標を探査するのに思いがけずたくさんの魔力を使ってしまった……」

「ごめんなリカちゃん。だけど今日は都合よく満月だ。すぐに魔力も戻るよ」

 キイスは小さな耳元に口を寄せた。

「も、もういい、おりる、おりる!」

リカ様は耳の先まで真っ赤にして叫んだ。



【4】



 後になって聞いたリカ様の話はだいたいこんな風だった。

 ミリは魔物と人間のハーフで、産まれたその時に殺されそうになった。でもリカ様が助け、周囲を説得して引き取った。

 リカ様はミリに白魔法を教えた。そうすることでミリのなかにある魔性を取り除くことはできないまでも、小さく抑えることができるとリカ様は考えたのだ。白魔女である自分がそばにいることも重要と考えていた。ところがミリはなかなか素直に育たない。自分がどんな状態でも、魔物の気配ありと聞けばそちらへ行かねばならないリカ様について不満もあったようだ。愛情不足だったのだろう。

 ミリはとうとう家出をし、たまに嫌がらせをするために帰ってくる、という歪んだ愛情表現をするようになった。



 リカ様はつかつかとミリに詰め寄って「こらっ」と叫んだ。ミリはびくっと怒られた猫みたいな動作をして、それからふて腐れたようにリカ様を上目遣いに見つめた。

「リ、リカちゃんは、あたしより世界よりあのピンク頭がいいの?」

 泣き顔のミリの赤い目で見られたからなのか、リカ様は一瞬傷ついたような表情を見せた。

「リカはそのどれもを天秤にかけることはできぬ。みんな大事じゃ。どれも失いたくないかけがえのないものじゃ」

「うう……いっつもそんなことばっかり言って」

 ミリはぽろぽろと涙をこぼした後、ほうきを手にすっくと立ち上がった。

「いつかあたしだけが世界で一番て言わせてみせるんだから」

 ミリはほうきに乗って夜空の向こうへと消えていってしまった。

「……やれやれ、どうしてわかってくれぬのかのう」

 リカ様はミリの消えた方角をみあげながら、寂しげにつぶやいた。

「シエラよ。ミリに着せようとして織っていたのに、ミリの成長の方が早すぎて、ミリに合うよう折上がらなかった布もたくさんある。

 ミリに読んでやろうと買って、終わりまで読んでやらなかった本も多少ある。

 世間と生きる時間が違ってしまうというのは、本当に……本当に、切ないことじゃぞ」

 それに、とリカ様は付け足した。

「我が子が世界で一番大切と、気兼ねなく口にできるのは幸せなことと思うのじゃがの……」

 シエラはうつむいていた。表情が見えない。

 やがて、シエラが言葉をつづる。緊張をしているのかどうかシエラの声はすこしくぐもって聞こえた。

「祖父や父、母、隠れ里を離れた時に、生きる時間が違ってしまうことは覚悟してきました。

 ヨークに隠れ里の内と外で時間の流れが違うって聞いてからも、考えは変わりませんでした。

 ヨークはわたしにとってかけがえのない存在です。護りたいんです、どうしても、わたしの手で。そのためになら、何を失おうと構いません。わたしにとって、世界というのはヨークそのものなんです」

「シエラ……」

 俺は小さな声で彼女の名前を呼んだ。好意を持たれている、俺もシエラを大切に思ってる、それは自覚していたけれど、これは、好意なんて生易しいもんじゃない。シエラは、どうしてここまで俺を想ってくれるんだろう。目頭が熱くなった俺は視線を逸らし夜空を見上げた。

「リカちゃん」

 キイスが笑顔でリカ様の名前を呼び、ぽんと背中をかるく叩くと、リカ様は小さくため息をついた。


「……ソーラーブレードをヨークに渡したのは早計だったかのぅ……」

 リカ様はシエラの頬に優しく手を当て、そっと上を向かせ言った。

「それならば、シエラ、死ぬな。絶対にだ。

 白魔法使いは、それが誰のしかばねであろうとも、越えて生き続けねば為らぬ。

 故に、お前がしかばねにになることは許さぬ」

 シエラはリカ様の目をまっすぐ見て、

「はい……!」

と、頷いた。



 リカ様の家から帰ってきて一週間後。

 手書きの分厚い白魔法の教本が五冊、便利屋事務所に届いた。添えられた手紙によればまだあと十冊はあるらしい。シエラは歓声を上げた。

「ヨーク、そういえばわたし、まだあなたの返事をきいていないわ。わたし、あなたの従者になりたいの。認めてくれる?」

 小首を傾げてシエラはそう尋ねてきた。だから、その動作はズルいって。大体あそこまでの覚悟を聞かされて断れるわけがない。俺は、首にかけた蒼い石をぎゅっと握って答えた。シエラが俺にかけてくれた首飾りの石。シエラの瞳の色と同じ色の石。

「認めないわけにいかないだろ。でも、リカ様の言ったこと、必ず守ってくれよな」

 死ぬな、とシエラにリカ様は言った。俺だってシエラが死ぬのは許すものか。

 シエラは大輪の花がほころぶように笑った。

「これからも、よろしくね」




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