1-8 一先ず終わって

●多元歴79年 4月27日 15時33分 日本連邦 桂木市中央部 ターミナルビル二階、受付カウンター傍


「つ、疲れた……お腹空いた~」

「お疲れ様。チェックするから少し待っていてね」


 シロナはクロノが“地球”で暮らしていくにあたって必要な各種申請をようやく片付け、カウンターに突っ伏した。

 レンが次々に出してきた書類に判子とサイン、タブレット型端末の確認欄に指紋で認証、税金を納めるために収入印紙の代金を支払い……もちろんそれらの内容もしっかり確認しなければならず、へとへとだった。


「手続きにこんな苦労するとは思わなかったわ……」

「判子やサインは確かに前時代的だけど、書類にかけられた<契約(アグリー)>の魔術に同意したことになるからこっちのほうがいいの。

 手続きが大変なのは人が新天地で生きていくのは簡単じゃないってこと。ファンタジー系の来訪者によると彼らの出身世界じゃギルドとかそういった施設に行って、出て来た書類に名前だけ書けばハイ終わりって感じらしいけど、こっちの世界ではあり得ないから。だから今日はこんなに混んでいるんでしょ?」

「それはそうだけど……」


 シロナは二階フロアの受付に並ぶ長蛇の列を見た。

 クロノと二人で訪れてからかなりの時間が経過したが、人の列は殆ど減っているように見えない。

 列に並んでいる並行世界からの来訪者一人一人の対応に時間がかかっているというのもあるが、元々この市内に住んでいた住人達も当然申請のために利用しているので新しく列に加わっていくからだ。

 ターミナルの職員たちは対応に追われて忙しそうに動き回っていた。


「そう言えばレン姐さん、どうしてここのカウンターには人が並んで来ないの? ひょっとしてトーヤさんの能力とか使ってる?」


 二時間以上レンはシロナの対応をしているが、他のカウンターと違ってシロナの後ろに新たな利用者が並んでくることが無かった。

 職員達が忙しい中、知り合い相手とは言えフロア長権限で来ないようにしているとすれば流石に悪いと思ってしまう。

 まさかこんな事に夫のトーヤの能力を使ったりはしていないだろうとシロナは思いつつ、ふと浮かんだ疑問をレンに聞いてみる。


「あぁ、実は今日、私は受付対応じゃないのよ」


 レンは今日、サーバーなどターミナルで管理している機材の更新、交換作業の為の準備と、東区の総合病院が機能しなくなったため医師や薬を近隣から呼べないか関係各所に交渉するつもりだった。

 シロナ達が来た時に来訪者の少年の対応をしていたのは、別のカウンターで騒ぎだして他の迷惑になるため、フロア長として代表してクレーム対応をしていたため。

 勝手な持論を捲し立てた挙句、勝手に少年が去ったタイミングで来たのがシロナだったという訳だ。


「なら私達の受付をしていて良かったの? 忙しいのなら邪魔だったんじゃ……」

「そうねぇ、このままじゃあ残業ね~。何処かに回復薬を造れる腕のいい錬金系の魔術師とかいないかしら。来週までに100本必要なのだけど、色んな所に連絡しても難しいみたいなのよね~」

「う、そうゆう手はずるいですレン姐さん……」


 二時間以上も忙しい中シロナの相手をしてくれたのは、知り合いだからというだけでは無く、仕事の依頼を断れないようにする強かな手段であったようだ。

 用意周到に依頼の受領書をカウンターに用意してこちらに見せてくるレンに、シロナは折れた。


「邸の片付けもあるし、材料の在庫ももう少ないから採りに行かないと……来週まではちょっと厳しいかも。50本ずつ分納でならどうにか」

「まぁありがとう。流石シロちゃんね。そうしたら受領書にサインして一階の受付に後で持って行ってね」

「全くもう、買い取り額は相談させてもらいますからね。ところでどうして総合病院が機能しなくなったんです? あそこは前市長の一族が経営していたから私的には嬉しいけど」


 そう言えばこちらも聞いていなかったっけと、回復薬が必要になった経緯についても聞いてみる。


“地球”でも回復魔術は存在しているが、高レベルの使い手はそうはいない。

 また回復魔術はただ使えば良いというものではなく、ある程度以上の知識も必要だ。

 例えば骨折をしたとして、そこを接合、固定する処置をせずに中途半端なレベルの回復魔術や薬を使用した場合不自然な形になって繋がってしまうこともある。

 そのため大時空異変後の“地球”でも、重傷や病気の場合は医師に診断を受けて薬や手術を使用した――ある意味では昔ながらの治療法で治すのが一般的だ。

 一応、魔術や能力による汚染の治療や、手術で切開処置を行った箇所を早期に治すため、病院で雇えるレベルの魔術師により回復魔術を使用しない訳では無いのだが。


 さて、桂木市には東区に緊急搬送先にもなっている大きな総合病院がある。

 資産家で知られた前市長の一族が出資、経営しており、医療機器は最新のものを導入。中級レベルとはいえ魔術師も数名雇えているため、市内外を含め利用者は多かった。

 シロナは最近ニュースを観る機会が無かったこと以外に自分で回復魔術が使えるので行く必要があまり無いことと、経営している前市長の一族とは確執があり関心が無かったため、病院で何が起きたか知らないのだった。


「ニュースは見ていない? 総合病院で22日に大量殺傷行方不明事件が起きたの。病院内は滅茶苦茶、医者も患者も殆ど全滅で今は封鎖されているのよ」


 レンはタブレット型端末を操作しでニュースの立体映像を映し出す。

 映像の殆どは赤黒いモザイクで埋まっており、アナウンサーは病院内が悲惨な有様になっている事を伝えていた。


「うわぁ……犯人とかは解っているの? これだけの事を起こしたのならターミナルで手配されていると思いますけど」

「犯人は逃走中だけど、20日に路上で保護されたイシイ・リナって名乗った女性の来訪者と特定されているわね。少し前にターミナルの情報が更新されたから、情報を送っておいたほうがいい?」

「あ、欲しい」


 レンはニュースを消すと端末を操作し、シロナのハイフォンにリストを送る。

 リストの内容は先ほど話に上がったイシイ・リナという来訪者を含めた指名手配犯や賞金首の他、最近転移して来て行方をくらませたという来訪者たちの情報だ。


「行方をくらませた来訪者はNAROUのイエロー認定扱いでいいの?」

「もちろん。もし発見したら保護か捕縛かは状況次第で判断して頂戴ね。まぁシロちゃんたちのチームなら大丈夫……いや、別の意味で心配かな」


 シロナは通称GOC――正式名称としてはガーディアンズ・オブ・ザ・シティ――というチームを友人達と組んでいる。

 メンバーはシロナを入れて五名と少ないが、非常に個性的な面々がそろっていた。

 二人いる能力者はどちらも異能がステージ2に達しており、その内の一人はチームメイトの捕食種と互角の勝負が出来る程。

 その捕食種は純血の上、市内に住んでいるなら誰でも知っている北区に存在するあの黒雛団地に住んでいる。

 さらに魔術師でチーム内の装備のメンテと回復役を務めるシロナは師にあたる人物が『超越者達の塔(ア・バオア・クー)』の関係者であり、残りの一人はその人物によって強化措置を施された強化人間である。

 これだけのメンバーが五人もそろっているなら、少数精鋭と言った方が正しいだろう。

 実際、結成してわずか二年でCランクに昇格しており、NAROUを始めとした力を悪用する連中などとも戦える実力を持っているのだが……。


「シロちゃん達は市内で騒ぎが起きると大抵誰かが関わっているわよね。チーム結成のきっかけになった二年前の『吸血鬼事件』に『北区半壊事件』『クビキリザントウ』『血のアカデミー終業式』……それ以外にもNAROUだの現行犯と妙に遭遇して、対人戦闘を週一ペースでやっているし」

「トラブルメーカーみたいに言わないでくださいよ。私達だって好きで事件とかに関わりたいわけじゃないんですから」

「あらそう? 使い魔を召喚しようとしたら別世界から騎士君を呼んだりするのに?」


 現在進行形の具体例を出され、シロナはグゥの音も出せずにカウンターに沈んだ。

 そう、市内屈指のトラブルメーカーとして、シロナたちは知られているのだった。


「とりあえず今送ったリストは後でいいから確認しておいて。そして皆くれぐれも無茶とかしないように。フロア長になったといっても、私がかばえる範囲にも限界が有るからね」

「……はぁい」


 改めてレンに釘を刺されたシロナは、渋々返事をするとハイフォンで映していたリストを消した。

と、そこでへとへとになったクロノがトーヤに連れられてようやく帰って来た。


「つ、疲れた……」

「お疲れ様~。どうだったの検査は?」

「良く……わからない。妙な魔道具を色々使って眼や掌を写し取られたり、腕に突然針を突き立てられて血を抜かれたりしたのだが……」


 後でシロナがレンに検査内容を聞いたところでは、先ずは指紋、掌紋、声紋、網膜、虹彩のパターンにDNAといった個人認証の為に必要な情報を採取。

 続いて血液検査と保有しているかもしれない別世界の病原菌やアレルギー体質の検査、そして逆に“地球”で暮らしていくにあたっての予防接種といった診察と診断といった内容だったらしい。

 実際はただの採血だったとしても、クロノにとっては何をしているのか解らない状態で長々と検査が続いたことが精神的に彼を疲弊させた原因だったようだ。


「二人共お疲れ様。今日やってもらうのはこれで全部かな? クロノ君用の端末が出来たらシロちゃんのハイフォンに通知するから、その時はよろしくね」

「やっと終わったわね……」

「別世界とは大変なのだな……」


 夫のトーヤと共に各種書類やクロノの検査結果を確認し終えたレンの言葉に、二人はようやく終わったと安堵の声を漏らす。それと同時に二人そろって腹の虫が泣き出した。

 よく考えたらシロナが判子等を探すのに手間取ったため、ターミナルに出発してから今まで何も食べていないことを思い出す。

 シロナはクロノを促して席を立った。


「早く終わったならターミナル内を案内しようかと思ったけど、とりあえず今日は帰りましょうか。お腹も空いたし、ターミナルの地下がレストラン街になっているから何か食べに行こ」

「賛成。ところでれすとらん? とは何だ?」

「ハイフォンの自動翻訳機能、やっぱり不便よね。映画か何かソーマに用意してもらって……いや、止めよう。アイツに用意させると絶対ろくなことにならないわ」

「地下に行くのはいいけど、シロちゃんは一階で回復薬の製造依頼を引き受けたって手続きするのを忘れないで頂戴ね~」

「依頼……あ、そうだ確認したいことがあったんだ」



 カウンターに背を向けて出口に向けて歩き出していた二人だったが、レンの言葉を受けたシロナが突然引き返した。

 それに気づいたクロノもそろって引き返す。


「シロナ? どうしたんだ?」

「ちょっと聞きたいことを思い出してね。ねぇレン姐さん。今回の回復薬製造の依頼だけど、これはうちのチームへの指名依頼で良いのよね?」

「えぇ、私が頼んだというよりはターミナルからの依頼になるけど……?」


 わざわざ引き返してきて何故そんなことを聞くのか?

受付に座り直して来たシロナに妙な迫力を感じつつ、レンが答えていく。


「で、こうゆう指名依頼って失敗した場合はペナルティがあるんだっけ?」

「依頼を受けた時の契約条件次第になるかしら。生産系、採取系の依頼は引き受けた時点で期日とかに『間に合わせる自信があるから』受けたって扱いになるから……」

「相応の理由が無い限りは報酬の減額やターミナル内での評価点が落ちるって訳よね?」

「そうなるわね。……でもどうしてそんなことを?」


 依頼を引き受けると言った時にはどうにかなると言っていた筈。

レンは何故と問うが、シロナはそれらに答えず確認を続けた。


「で、依頼って別に一件だけしか受けちゃいけないってルールは無かったわよね?」

「まぁ、採取系でキノコと薬草の群生地が近くにあったり、道中モンスターの縄張りを通る場合もあるから、自信があるなら複数受けるのは認めているわ」

「じゃあ最後に。別にハンターやっているからってターミナルに依頼を出せないってことは無いわよね?」

「えぇ、まぁ……そんなルールは無いけど」

「うふふ、成る程ねぇ……」


 シロナはニヤリとした笑みを浮かべると、受付に身を乗り出してもう一枚依頼書を取り出し、何やら記入し始めた。

 記入されていく文面を確認したレンが「マジかこの子」という顔になり、

 依頼の話が出た際は不在だったクロノは「何の事だ?」と記入を続けるシロナの横で首を傾げ、

 そんな面々を無表情、というよりは若干冷めた目でトーヤが眺めていた。

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”地球”のとある街で 黒犬十世 @kuroinu10

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