1-7 申請とは面倒なもの
●多元歴79年 4月27日 13時28分 日本連邦 桂木市中央部 ターミナルビル二階、受付カウンター傍
「(何の話をしているのだろうか……)」
シロナは少し待っていてと言っていたがレンとの話は随分長い時間続いている。
途中、がっくりとシロナが肩を落とした様に見えた事が気になったが。
シロナがレンと話している間、クロノは辛い状況に置かれていた。
ターミナルという初めての場所で見知らぬ人々(並行世界から来た来訪者の学生達)が列を成している横で待っているしかないという事もあるが、周囲から何故か視線を集めている気がした事で非常に居心地が悪かった。
周囲の視線を集めてしまっているのはクロノ自身の現在の格好がジャージ上下に剣を背負っている所謂ネタ装備をした女顔の少年という姿であり、それが悪目立ちしている所為だとは残念ながら気づいていなかった。
取りあえずクロノは周囲の視線から逃れるように移動し、レンの担当している受付カウンターが一番奥で壁に近かったことから、そこに貼られているポスターやお知らせを眺めて時間を潰す事にした。
シロナのハイフォンによる翻訳は文字にまでは作用しない為、読む事は出来無かったものの描かれているイラストや載っている写真などは非常に興味深かった。
因みに現在クロノが妙に目立っているな、と思って眺めているポスターにはこんな事が描かれていた。
『NAROUに注意!
NAROUとは、Non-social, Anti-ethical, Racist OUtsiders (非社会的、反道徳的、人種差別的な来訪者達)の略語です。
“地球”の法律、規制、文化、マナーを無視した言動を取る来訪者を指し、並行世界で流行っているという漫画やアニメ、投稿小説等に描かれている空想と現実を混同し、結果として独善的、妄想的な思考の元に“地球”で下記の様な言動を取る事が有ります。
●NAROUの言動例
「自分は特別で偉大な存在なので、この世界で勇者や英雄となるべく選ばれた運命にあったのだ」
「元の世界で死んだと思ったが、神が間違って自分を死なせてしまったと謝罪し、特別な役割や力を授けてこの世界に蘇らせてくれた」
「この世界は自分が元の世界でやっていたゲームの世界で、自分はそこに転移して来たチーターだ」
「自分は高貴で特別な地位にいる特権階級(貴族や王族等、元の世界での何らかの権力者だったと主張)の存在であり、下賤なお前達は従え」
「○○は卑しい存在(〇〇には獣人や亜人、魔族等が入る)なので、人間の奴隷であり好きにしていい」
「自分のいた世界では●●という商品が人気で(●●にはマヨネーズ等の“地球”でもありふれたものが入る)、これを売って大金持ちになる」
「あの女美人だな……ステータスオープン!」
「この能力を使って女を洗脳してハーレムを、ゆくゆくはこの世界の支配者になってやる」
……etc
個々人が如何なる主義、主張、思想、宗教、想像を抱くことは自由ですが、それにより他者に危害を及ぼす、あるいはそれを他者に強要することは犯罪です。
犯した行為或いは強要した行為次第では傷害、器物破損、殺人、プライバシーの侵害、強姦、拉致監禁といった犯罪行為、又は人種差別禁止法や食品衛生法を始めとした商法等への違反行為を犯したとみなされ起訴されることも有ります。
何らかの能力者だから、来訪者だからと言うだけで特別扱いすることは日本連邦ではございません。
我が国の法に基づいて逮捕、その後に実刑判決を受ける事や、生死問わずの賞金首として手配されることも十分あり得ます。
能力や魔術、特殊技術や魔道具を使用し抵抗する等、警察やハンター、一般市民等に危険が及ぶと判断された場合は逮捕ではなく処理を優先されることも有ります。
ブラック認定された場合、対象者は保護対象、難民、帰化の認定から外れ人権を失い、いかなる処遇に在っても我が国はそれに対し擁護等をいたしません。
周囲に上記のような言動をしている人物がいた場合は、速やかに警察、日本連邦軍、ターミナルのいずれかにご連絡下さい。
自分がNAROUかもしれないと不安を持った来訪者の方は、医師やカウンセラー、ターミナルに、罪を懺悔し自首したいと思った来訪者の方は、お近くの教会、寺院、警察にご相談下さい。
みんなの勇気と声でNAROU撲滅!』
「――クロノ! ちょっと来てくれる?」
「ん? あぁ、わかった」
派手な色彩で一際目立っていたNAROU対策のポスターを眺めていた内に、ようやくシロナ達の話が一段落ついたらしい。
「随分かかったけれど……話というのは付いたのか?」
「一応はね。クロノ、こちらが私の知り合いのターミナルの職員で、最近フロア長に昇格したレン・アリザネさん。で、レン姐さん、こちらがさっき話した異世界から来たクロノ・リンクス君」
クロノはシロナに紹介された女性職員――レンを見た。
長く伸びた蒼黒の髪は美しい艶が有り、光沢を帯びて輝いている。
肌の色は逆に白く、それが髪との対比となり、それぞれの美しさを引き立てていた。
細面の顔に、髪と同じ色の濡れ輝く瞳を持った目元は涼しく、知性的な雰囲気も相まっていかにも仕事のできる大人の女性、という感じだ。
座っているのではっきりとは解らないが、背丈はシロナと同じくらい、つまりはまた自分より背の高い女性が現れてしまったとクロノはちょっと凹んだりもした。
「(シロナとはまた違った美人だな)」
クロノは其処まで考えた所で、レンが微笑と共に蠱惑的な流し目を送ってきていることに気が付いた。
「フフッ。純朴そうな子を見惚れさせるなんて私もまだ捨てたものじゃないかしら?」
「えっ? あ、いや、こ、これは違……!」
「あら違うの? やっぱり年は取りたくないものね……シロナちゃんはどう思う?」
「そうゆう話以前にレン姐さんご結婚されているでしょうが! からかうのは辞めてあげてください。ほら、クロノ! 落ち着きなさいって」
「あ痛っ!」
がっかりしたようにため息をつくレンに、慌てて訂正しようとあたふたしていたクロノはシロナに叩かれ、椅子に座らされた。
そんなやり取りを見ていたレンはクスクスと笑っており、クロノはそこで彼女にからかわれていたと気づいた。
「ふふっ、ちょっと固い感じだったから解してあげようかと思って。……初めまして。本日業務を担当させていただきますレン・アリザネです。クロノ君がこっちの世界に来た状況は大体シロナちゃんから聞いたのだけれど……ちゃんと本人から確認を取っておかないといけない項目もあるの。これからする質問に簡単でいいから答えてもらっていいかしら?」
レンは居住まいを直すと、先ほどまでのいたずらっぽい表情をやや引き締めて質問した。
どうやらスイッチを切り替えたこちらが仕事時のモードであるようだ。
とはいえ仕事以外の無駄なことは一切しない……というような固い雰囲気ではなく、話しかけやすい気さくなお姉さんといった感じだった。
クロノが問いに頷くと、レンは何枚かの書類を取り出して記入していきながら話した。
「先ずはクロノ君……特殊な事情があるとはいえ、今いるこの世界が貴方のいた世界とは異なる別世界っていうことはちゃんと理解してくれているかしら?」
「あぁ、それに関してはシロナから聞いたし、ここに来るまでに色々と見たので……こちらの世界に来る前の状況が状況だったのというのもありますが」
「戦っていた魔女の転移の儀式だかに巻き込まれたんですってね。その後、シロナちゃんの召喚術に巻き込まれたと」
巻き込まれてばかりで大変ねぇ、と嘆息するレンに対し、クロノの横に座っていたシロナがむくれた。
「もう、レン姐さん! それについては私にとっては不可抗力だったって言ったじゃないですか」
「ふふっ、そうだったわね――まぁシロナちゃんの魔術がここ最近の市周辺の時空の歪みの原因かどうかは追々調査していくとして、それじゃあ次に……」
シロナをあしらいつつ、レンはその後もクロノに幾つか質問をし、答えを聞いては書類に次々に文字を書き込んでいく。
「意思疎通、翻訳の条件付きで可能……敵対言動無し、理性的、NAROUの疑い無しと認める……帰還願望は軽微……保護監督者……間接的な原因である召喚者が……」
ブツブツと何かつぶやきながらも手の速度は落とさない。
そうして手元の書類に確認事項を記載したレンは、それに間違いが無いか最後に確認すると二人に告げた。
「――うん、取りあえず初期の質問はOKかな? そうしたらここからは二人には別々でやってもらうことがあるわ」
「え? 別々?」
「はい?」
シロナ、クロノの二人はレンの言葉を聞き直す。
シロナがいなければ……と不安な眼でクロノはレンを見るが、そんな二人の反応をリンは軽く流し、新しく取り出した束のような書類を取り出すとシロナに渡した。
「リン姐さん? これは?」
「それがシロナちゃんにやってもらいたいことよ。クロノ君がこっちの世界で暮らしていくにあたって必要な住民登録、戸籍登録、各種保険の手続き、異世界から持ち込んだ物品の審査、一年間の保護監督者承諾書、生活保障等受け取りの口座づくり、後日の追加検査の予約、簡易デバイスの貸し出し調整申請書……」
「ひぃ! 多い! こ、これ全部?」
「もちろん。直接的ではない事故だったにしろ、間接的にクロノ君をこの世界に呼び出した以上は保護監督者として責任を取ってもらわないと。全部にしっかり目を通してサインと印鑑。必要な場合は証明書代や登録料金もよろしく」
ひ~ん、と情けない声をシロナは挙げた。
一方、“地球”での知り合いはまだシロナ、レンの二人しかいないのに彼女達とは別行動と言われたクロノは不安そうな声を挙げた。
「え、えっと……自分は……」
「あぁ、ごめんなさいね。クロノ君は後ろの彼について行ってくれるかしら?」
「え? 後ろ? ――うわっ!」
レンに言われクロノが振り向くと、いつの間にか二人の背後には一人の男が立っていた。
細身の長身に無造作に切り揃えられた髪。
表情や感情がほとんど写っていない瞳。
目の前に確かに居るにも関わらず、フッと消え去ってしまいそうな希薄な雰囲気。
服装や表情、身にまとう気配まで、白――というより『無』と表現したほうが良いようなその男は、曲がりなりにも騎士として鍛錬していたクロノに気配一つ感じさせず、真後ろまで来ていたのだった。
「…………」
「な――誰だ!?」
「あ、トーヤさん? お久しぶりです」
とっさに男に警戒し、背中の剣を抜こうとするクロノだったが、親しげに挨拶をしたシロナの反応に動きを止めた。
「――知り合い?」
「えぇ、トーヤ・キジョウ(軌条 十夜)さん。レン姐さんと同じターミナルの職員で、仕事の際は別姓で通しているけどレン姐さんの旦那さんよ」
「えっ!?」
クロノが“地球”に来る前も含めて今まで出会った中では、レンもまたシロナと同等か、大人としての艶が有る分それ以上の美人だった。
その相手がこの異様な雰囲気の男とは……とクロノは驚きの声を上げた。
「…………」
一方トーヤの方は『無』なのは表情や気配、動作だけでは無いらしい。
クロノとシロナのやり取りに特に反応は示さず、僅かに視線をシロナに向け、微かに頷いたような仕草をした程度だった。
「あれ? そういえばトーヤさんは何でここに? トーヤさんはトラブル対応時のスタッフじゃ……?」
「…………ヘルプ」
「えっと……レン姐さん?」
必要最低限の事だけを口にすると再び黙ってしまった極端に無口なトーヤに、シロナも流石に情報が少なすぎて理解出来ず、レンに説明を求めた。
「最近は二階の受付が来訪者がらみで忙しいから、別の階のスタッフがヘルプで入ってくれているのよ。 で、トーヤは私の旦那って事で、フロア長特権を早速行使して私の業務の手伝いをお願いしたってわけ――そうゆうことだから、そろそろそう警戒しないでくれると嬉しいかな? クロノ君」
「あっ……し、失礼」
レンに指摘されたクロノは慌ててまだ手をかけたままだった剣を離した。
ある種の不気味さはあるが、シロナ共知り合いのようであれば――と思ったところで、クロノは先ほどのレンの言葉を思い出した。
「って、ついて行く? この男に?」
「シロちゃんが手続きやっている間に、クロノ君には身体検査と各種データ取りをさせて貰わないと。異世界から来た以上、未知の病原菌とかの保有者だったり、逆にこっちの世界の何でもない物質にアレルギーだったりする可能性もあるから。その辺りを含めた検査を別の階でお願いね?」
この診断書を持ってトーヤと行ってきて、とシロナとは別の冊子を渡されるが、クロノとしては途方にくれるしかなかった。
シロナに視線で助けを求めるが、書類関連やっておくからいってらっしゃい、というジェスチャーが返ってきただけだった。
レンにも視線を向けるが必要だから行って来て、と促されただけだった。
「…………こっちへ」
それだけ言うと後ろを向いてさっさと歩いて行ってしまうトーヤにクロノは仕方なくついて行く。
何度も振り向いては、不安そうな視線をシロナ達に向けていたが。
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