戦え、勇者さま 後
ごはんですよ、勇者さま。
俺が家路につこう、と思ったころにはすっかり日が暮れていた。周りの影は細長くのび、公園の中には誰も居ない。遠くから自分の子供を呼ぶ母親たちの声が聞こえる。
俺は額から流れる汗をぬぐい、そんなにも長い時間剣をふるっていたのかと驚く。
けれど汗と一緒に、体の中によどんでいた嫌な気持ちも流れていったようで、心の中はすっきりとした気持ちになっていた。職が決まらないのがなんだろう。それよりもレイラにひどい態度を取ってしまった気がする。頭が冷えてくるにつれ、自分の行動を思い返して、顔が熱くなるのを感じる。
あんなものは、ただの八つ当たりだ。
自分がうまくいかないから、レイラに強い言葉をぶつけただけだ。
そう思うと居ても立ってもいられなくなって、すぐにでも家に帰ろうと思い立った。……けれどレイラは許してくれるだろうか。いや、きっと許してくれるのだ。そこは齢何千年もの生きた魔王さま。そんじょそこらのことじゃ動揺しない。きっと俺のことも許して、やさしく受け入れて――。
けれどそれじゃダメなのだ。それは優しさじゃない。弱さだ。俺に厳しくすることができないのは、レイラの甘さだ。ダメなことはしっかりダメだと指摘して欲しい。そうあるべきと思うなら主張をして欲しい。でなければ一緒に居る意味がない。勇者と魔王という責を捨て、2人一緒に暮らすと決めたのは、お互いを甘やかしなあなあの世界で生きるためじゃない。
2人で暮らすのはよりよく世界を生きるためだ。より楽しく社会に馴染むためだ。そのために自分が居ると思っていたし、そのために彼女が居て欲しかった。一番楽しい時にレイラが居て、俺と一緒に居る時に一番楽しい気持ちになって欲しい。けれど代えがたい存在になるためには、お互いを許しあうだけじゃダメなのだ。
だから俺は一代決心をして、自宅へと向かっていた足を方向転換させて――いつも行っているスーパーへと足を向ける。
〇
家へ帰ると、鼻についたのは味噌汁の匂いだった。聴覚に訴えかけるのはトントンという規則的な、おそらく包丁で何かを刻む音。今日は珍しくレイラが料理をしているようだ。
落ち込み気味の俺は、そのことにも深く反省をする。仕事をして、疲れて帰ってきているレイラに家事までさせてしまった。俺がこの家に居る意味はなんだろう。そう思うと思考はどんどん沈み込んでいく。ポロリ、と俺の手から買い物袋が落ちた。
俺がキッチン(聖地)に入ると、薄ピンク色のエプロンをつけた魔王さまが楽し気に鼻歌を歌いながら料理をしていた。おたまで鍋から一度つゆをすくい、それを味見していた。そして満足そうにうなずくと、鍋の火を止める。
俺が後ろに立っているのに気がつくと、レイラはぎょっとして目を見開き、小さく悲鳴を上げ――る寸前のところでこらえた。
「な、なんだ、帰ってきたのなら早く声をかけてくれればよかったのに」
「ただいま」
「お、おかえり。どうしたなんか様子が変だぞ」
「……考えていたんです、何を間違ったのかを」
「そ、そうか。何やら真剣な表情だが。何を考えたんだ?」
「俺、やっぱり働きます」
「そうか。お前がそう決めたのなら、それが正解なのだろう。
しっかり働いてくれ」
「そこでですね。レイラに八つ当たりみたいになっちゃったから……その、謝りたいんです」
「謝る?」
そこでレイラは心底不思議、という表情をして
「いったい何を謝るんだ。私は不快な思いなんてしてないぞ」
「……そう言うと思ったんです。
けど、これはレイラの問題じゃなくて、俺の問題です。
レイラに対して感情をぶつけてしまった。レイラはきっとそれを許してくれるでしょう。
……でもそれじゃあ俺の中でけじめがつかないんです。
もっと怒っていいんです。自分勝手なこと言うなって。稼いでるのは私だって。
そんな風になじられたほうが……」
そこまで言うと。
レイラはゆっくりと俺に近づき、俺を抱きしめてくれた。
「そんな風にののしられた方が気が楽か?
そりゃあ、少なからず私も腹を立てることもある。お前に言いたいことは、いつも言えないままだ」
「それを少しでも言葉にしてくれれば」
「話を最後まで聞け。けどな、それは悪い言葉ばかりじゃないんだ。
さっき言いたかったのは、お前がどんなやつだって、どんなにダメなやつでも、どんなにすごいやつでも、最期まで私は傍に居るぞってことだ。だから心配しないでいい。安心してくれていい。ずっと一緒だ。これからはな。仕事があってもなくても、お前が立派でもそうじゃなくても」
「そんな、ずるいですよ……」
「うまくいかないこともあるだろう。1つずつ、積み重ねていけばいいんだ。
私たちだって、初めからうまくいったわけじゃないだろう?
少しずつ歩み寄って、共通点を見出して、少しずつ好きになっていったんだ。
それと同じだ。お前なら大丈夫。私は確信してるよ」
「あり、がとうございます……」
「頼りにしてるよ、旦那さま」
「……はい」
その後の俺の言葉は、声にならなかった。
ただとにかく、レイラと一緒に暮らして、結婚してよかったと思った瞬間だった。
俺一人では、くじけて立ち上がれないだろうから。
さ、ごはんにしましょうか、魔王さま。
今日は珍しく手作りですね。
ふふ、少し味噌を入れすぎたんじゃないですか。
味噌汁が少ししょっぱいですよ。
ありがとう、魔王さま――。
〇外伝 戦え? 方向を間違えた勇者さま
「これです! レイラ! 見つけました、私の適職を!」
「ほう、そんなに喜ぶとは、よほど天職があったのだな。
この本に書いてある? ふむ、どれどれ……。異世界に転移して魔王を倒す話……?」
「これですよ! 私の自伝を書けばいいんです!
これ、インターネット発の小説らしいですが、どれもこれもディティールが甘い。……凄絶な修行シーンもなければ親しい友人の裏切りも、幼馴染との死に別れもありません。戦闘シーンもちゃんちゃらおかしいです。私が自伝を書けば、迫力満点、そりゃ多少話を盛ったりしますけど、ノンフィクションで書きますからね、読者も大喜びですよ!」
「お、おお……」
レイラはルークに気圧されたかのように、数歩後ずさる。
「が、がんばれ。私は応援するぞ」
「私は小説家を目指します!」
「う、うむ……それがお前のやりたいことなら応援するが……」
「ぜっっっったいに、こんな奴らに負けない小説が書けるはずなんです。そう思いませんか!?」
「思う、思う。分かったから。別に否定してないじゃないか」
ムフームフーと鼻息を荒げるルークに、レイラは冷静に告げる。
どんな仕事でもいいと言った。やりたいことをやってくれとも言った。
けれど――。
レイラは心の中でなんとはなしに溜息をつく。
それは少し方向性が違う? んじゃないか、勇者どの。ま、一生を添い遂げる、その覚悟に影響を与えはしないけれど……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます